平成20年2月7日(木)
小ぶな釣りし 彼の川・・・
私の生まれたふるさとはまさにこの歌の通りでした。でも歳月を経て、こんな片田舎なのに見る影もなく大きく変貌してしまいました。
桜山と言う小高い山がありました。小、中学校では冬にうさぎ狩りの行事があり子どもたちにとって大きな楽しみでした。その山は開発されて桜山団地になってしまっています。緑の車の向かう方向が有明海です。
ふななどを釣った浦川は河川改修工事が施され、川幅も広くなり、ここに架かっていた石の眼鏡橋は撤去されコンクリート橋になっています。子どもの頃は石橋の上から飛び込んで泳いでいました。
正面の山が市で一番高い小岱山(501㍍)です。市の東になります。
うさぎ追いをした桜山とふなを釣って遊んだ浦川の中間には源泉かけ流しをキャッチフレーズに、温泉が営業を始めました。連日賑わっています。
高校時代は汽車通学でした。当時は国鉄。鹿児島本線です。博多方面から熊本方面へ向かう下りのリレー特急つばめです。左端に小さく見える跨線橋が今は無人駅になっている南荒尾駅です。
近くの海岸は「市営荒尾海水浴場」として県内外からの海水浴客で大賑わいをしていました。市の無料休憩所を始め、各企業の休憩所がいくつもあり、民間経営の多数の海の家と共にいつも客で溢れていました。レジャーの少なかった時代の花形でした。全盛期には夏の間だけダンスホールやパチンコ店も開設されたものです。
隣の大牟田市の工場排水等で海水汚染が取り沙汰され、閉鎖されて久しく、その名残は松並木だけでしょうか。白砂の砂浜が浸食され、護岸工事で人工的な光景になっています。
野鳥が集まってきてくれるのが救いです。
正面は四ツ山呼ばれるように四つの小高い山が連なっています。この先はもう福岡県大牟田市になります。その昔荒尾と共に石炭で栄えた町ですが、もうほとんどその名残もありません。
小ぶな釣りし 彼の川・・・
私の生まれたふるさとはまさにこの歌の通りでした。でも歳月を経て、こんな片田舎なのに見る影もなく大きく変貌してしまいました。
桜山と言う小高い山がありました。小、中学校では冬にうさぎ狩りの行事があり子どもたちにとって大きな楽しみでした。その山は開発されて桜山団地になってしまっています。緑の車の向かう方向が有明海です。
ふななどを釣った浦川は河川改修工事が施され、川幅も広くなり、ここに架かっていた石の眼鏡橋は撤去されコンクリート橋になっています。子どもの頃は石橋の上から飛び込んで泳いでいました。
正面の山が市で一番高い小岱山(501㍍)です。市の東になります。
うさぎ追いをした桜山とふなを釣って遊んだ浦川の中間には源泉かけ流しをキャッチフレーズに、温泉が営業を始めました。連日賑わっています。
高校時代は汽車通学でした。当時は国鉄。鹿児島本線です。博多方面から熊本方面へ向かう下りのリレー特急つばめです。左端に小さく見える跨線橋が今は無人駅になっている南荒尾駅です。
近くの海岸は「市営荒尾海水浴場」として県内外からの海水浴客で大賑わいをしていました。市の無料休憩所を始め、各企業の休憩所がいくつもあり、民間経営の多数の海の家と共にいつも客で溢れていました。レジャーの少なかった時代の花形でした。全盛期には夏の間だけダンスホールやパチンコ店も開設されたものです。
隣の大牟田市の工場排水等で海水汚染が取り沙汰され、閉鎖されて久しく、その名残は松並木だけでしょうか。白砂の砂浜が浸食され、護岸工事で人工的な光景になっています。
野鳥が集まってきてくれるのが救いです。
正面は四ツ山呼ばれるように四つの小高い山が連なっています。この先はもう福岡県大牟田市になります。その昔荒尾と共に石炭で栄えた町ですが、もうほとんどその名残もありません。
味がありますね。
随分前の記事にコメントを寄せていただき
ありがとうございました。
都会で暮らしている人は
今もこの歌を口ずさんでいることでしょうね。
兎(うさぎ)追ひ(おい)しかの山、
小鮒(こぶな)釣りしかの川、
夢(ゆめ)は今もめぐりて、
忘れがたき故郷(ふるさと)。
如何(いか)にいます、父母、
恙(つつが)なしや、友がき、
雨に風 につけても、
思ひいづる故郷(ふるさと)。
こころざし をはたして、
いつの日にか歸(かえ)らん、
山はあをき故郷(ふるさと)、
水は清き故郷(ふるさと)。
とてもきれい歌とおもいます、好きだよ
以心伝心だったのでしょうか(笑)。
♪「ふるさと変奏曲」はどんな曲でしょうか。
壮大な曲とは!どんな感じなのでしょうか。
聞いてみたいですね。
多忙な中での練習も逆に充実しているかも知れませんね。
3月の発表会の成功を祈っていますよ。
最近、ポップス系の曲が多かったので
私は演奏会用にアレンジされた伴奏が入ったCDを入手したのでその中から
「ふるさと変奏曲」を選んだのでした~~~
アレンジが変わっていて
壮大な曲風に仕上がっています。(ハハハ・・・)
どんこさんの
ブログを思いながら吹くことにしましょう~~~
きっとそうなりますよね。今は誰でもがデジカメを持ち、自宅でプリント出来る時代になり、画像の保存も簡単に出来ますね。
○○年前の△△の写真を公募すればわんさと応募がさっとしますよね。
以前はカメラを持つ人は限られ、DPなどで仕上げられる枚数も少なく特に片田舎では記録を探すのに苦労します。
雪祭りの総予算、見ました、見ました。
莫大な経費ですね。観光客が落としていく金はいかほどでしょうか。いわゆる経済効果は?
あんまり経費のことばかり言うとしらけてしまいそうですね(笑)。雪祭りに市民と観光客共々熱くなるのはいいですね。
年を重ねていくにつれ、その想いも大きく
なるのかな。 最近、ふとそう思うことがあります。
こういう日常の風景写真も、
数年後・数十年後・・には
貴重な写真となりますよね、きっと。
わたしの故郷・旭川。
只今、「冬まつり」真っ只中です。
この間の総予算のご質問に、あけぼのさんが
調べてくれましたョ。お暇なときに、ごらんくださ いね。
忘れられないふるさとがありますよね。
でもこの歌のようなふるさとを持てると言うことは
最高だと思います。
リンク、ありがとうございました。
母校で奉職(古い言葉ですね、今の人は使わないかも・・)出来たことはこれまたかけがえのない喜びだったことでしょう。
小学校、中学校の時の担任の先生が各お一人、ご健在で今もお付き合いさせていただいています。知り合いもたくさんいます。
ふるさとには人がいてこそ温かみも増しますよね。
♪身を任せ・・・
と言うような心境になってしまいますね。
汽車から電車と呼称が変わり、駅弁売りさんがホームから消えてしまったのは淋しいです。
学生時代、熊本市電も子飼線があり良く利用しました。川尻線で終点まで用もないのにぶらりと乗っていったものです。
熊本城は整備されてい、ず夜間も自由に出入りが出来ました。不開門から入り、城内をぐるりと散策し、荒城の月の雰囲気を楽しんだものです。
しかし、懐古にばかり耽っていては前進がありませんね(笑)。
永遠に歌い続けられていきますね。
犬童球渓の「故郷の廃家」も好きです。彼は熊本の出でした。
廃校になるのですか。淋しいですね。
私の市も5つの中学が2つに、12の小学校が半分に統合される準備が進んでいます。
小学校1校が既に廃校、中学校1校が3月でなくなります。
朝から歌ってみました(笑)
いいですねぇ…
http://itotai.cool.ne.jp/kaigauta/utahp03.html
あぜ道も、広げられて道も広くって交通量は増えました。
3年前に、実家の敷地内にを新築した際に
小学生の頃の通学路を歩いてみました
回りの風景もすっかり変わっております。
その時に、主人にも道を覚えてもらう為に
友だちのも、この辺かなぁって歩いてウォーキングしておりました。
卒業した小学校で、勤務しているのも何かの縁かもしれません。
肥えだめに落ちる友達もいたことも、思い出しました。
どんこさんの『ふるさと探訪』…続編を楽しみにしております。
何処も変わってしまいますね~
ん~過去にとらわれているわけではありませんが、古きよき時代を象徴する物がひとつひとつ消えていってしまうことには寂しさを感じずにはいられません。
昔の列車は窓が開きましたよね?
その窓を開けて、駅弁売りのおじさんからお弁当を買うのがとても楽しみだったようなことを覚えております。
早くて便利なだけが良いのではなくてスローな暮らしの中に素敵なものがたくさんある…そう感じる私です。
何がいいだろうと考えた時
この「ふるさと」がいいのではないかと
思います。
そのくらい日本を代表する歌だと思います。
ふるさとは、変わります。でも、・・・
にぎわっていればまだいいかと。。。
もうすぐ私の母校(小学校)は
廃校になります。
いろいろと聞いてまわりましたが
残念ながら今のところ見つけることが出来ません。
市役所に聞いても壊したときの記録はないとのことでした。残念です。スロープになっていて昔は農耕で汚れた牛や馬の洗い場にもなっていました。
泳いでいるときに牛馬が来ると、子どもたちは競ってワラでさすってあげていましたよ。
特急は南荒尾駅をつれなく通過しています。最近一度だけ止まったことがあります。人身事故の時でした。
行動派のmomomamaさんはこの線路を往復されているのですね。
去年の11月18日付けのブログに
一度ご訪問いただいていますよ。こちらからもお邪魔しています。
お久しぶりですね。お元気でしょうか。
いつも素敵な絵を拝見してますよ。
海外で歌いたい歌、と言う発想に惹かれました。
....撤去されたんですね。
どんこさんが子どもの頃、飛び込んだ川と石橋を見たかったです。
ふるさとって 私もこの歳になって いいなぁと思って眺めます。
生まれた町に住んでいて忘れがちですが
やっぱり好きです。
うさぎ追いし・・・彼のやま 彼の川 の間の
景色もまた あってよし ですね。。
今の子どもたちは それがふるさとですね。
リレーつばめは 熊本に行くときには乗りますよ。
博多からですが。。
ありあけ だったら こちらを通りますが。。
特急列車に乗って どこか行きたくなりました。。
”海外で歌を歌ってくれと言われたら何を歌うか”と聞かれました 私は椰子の実の歌かなぁと思いましたが ”ふるさと”が一番いいのだと教わりました そうかもしれないなと思いました
浸食が進んで防風林などもえぐり取られる
状況になったので、やむを得ず工事になったのだとは肯けます。しかし、失われた景観は戻っては来ませんね。
川の改修で田畑が冠水する被害はなくなりました。
改修前の石橋の写真は撮っていないそうです。
貴重な文化財が今は記録にもありません。石もどこに消えたのでしょう。
有名なところでしたら
点をいくつかアップしただけで線で結びついてしまいますが、こういう片田舎の場所を示してもどうしようもないかと敢えて地図も添付していませんでした。
俯瞰的に見下ろせる高台もないし、ご要望に応えることが出来ないのをお許しください。
地図添付については考えさせてくださいね。
前述のように片田舎です。ただ点景のみご覧いただければ幸いかなと思ってはいるところです。
変わるものを比べると
圧倒的に変わるものが多いですよね。
都会はもっと急ピッチに変わっていきますが、田舎でもスピードは速くなっていくようです。
人の情けはいつまでも変わって欲しくないと思います。
お寺に下宿ですか?人間修行が出来たことでしょう。三つ目の駅でした。当時はまだSLの時代、シュッポシュッポと動き出してから飛び乗るのが得意でした。
ホッとするような気分です。
本当に護岸工事の必要があったのか、ただ公共工事のため、掛け替えのない自然環境、景観を奪ってしまっただけのような気がしてなりません。
私もこのように残念な変化を遂げてきた川の姿を見て育ちました。
そこには親兄弟が、友が居ます。そして育まれた方言、特産品、うまいもの、山・川・などどれを取ってみても懐かしく思い出されます。
blogerとは、文字のやり取り、写真のupでなかなか住んでいるところを理解できない。
当り一帯を平凡のところから特撮してください。
どんこさんの企画goodです。
平凡さを、いろいろ紹介してください。
チョイトお願い、地図をupしてもらうと尚わかりがいい。
ウサギ追いしか野山・・小鮒つりし。。。唄ってるだけでもじ~んとしてきます。。
川幅も広がりましたか??この川の石の上から飛込みしたりして・・
想像しただけでどんこさんの元気な姿が思い浮かぶようです。。
時代の移り変わりには負けますね??でも心は何時までも其の当時でいてほしいなって思います。
汽車通学でしたか??私はお寺に下宿していました。
ホームの上のほうで友達が乗る列車に手を振ったものです・・良く解らないのに??
懐かしい大昔の思い出です。。
お仕事ご苦労様です。
新潟は今日もマークですが
こちらは雲一つない快晴です。
いっぺんに3錠飲まれたビタミン剤の効果はいかがですか。
やっぱり月日とともに、変わっていってしまうものなんですね。