10月に入って27kmを走り、これで今年の総ランニング距離が1,000kmを超えました。伊那市から半径1,000kmと言えば、九州全土が入り、北海道もほぼすべてが入ります。日々の積み重ねが実績となり、それが自信につながりますね。
ふと、ランニングをしていなかった場合、自分の心身はどうなっていただろうかと考えてしまいます。仕事柄ほとんど体を動かすことがないため、下半身の筋力はないに等しいでしょう。年相応に心肺機能も弱り、免疫力も低い状態かもしれません。ストレスの発散や気分転換ができずに、老いていく自分とただ向き合うだけの、まさに sedentary な生活。想像するだけで怖くなります。
経済学では、そのことをやっていなかった場合に得た所得を機会費用と考えます。つまり、ある行動をとることによってあきらめたことが費用となるのです。
ランニングの機会費用は、走る時間を仕事に充てることで得た金額と言えますが、私は、「ランニングをしないことによる体力低下に伴って生じる心身の健康状態の総和」と定義します。ランニングにかかる一般的な考え方の費用は、シューズやウェア程度です。しかし、その機会費用は膨大な金額なるのかも知れません。体調が優れなければ仕事も休まなければならず、その機会費用は膨らむばかりです。
経済学的観点から考えても、ランニングの効用は大きいようです。その最大化を目指し、これからも走り続けていきます。
ふと、ランニングをしていなかった場合、自分の心身はどうなっていただろうかと考えてしまいます。仕事柄ほとんど体を動かすことがないため、下半身の筋力はないに等しいでしょう。年相応に心肺機能も弱り、免疫力も低い状態かもしれません。ストレスの発散や気分転換ができずに、老いていく自分とただ向き合うだけの、まさに sedentary な生活。想像するだけで怖くなります。
経済学では、そのことをやっていなかった場合に得た所得を機会費用と考えます。つまり、ある行動をとることによってあきらめたことが費用となるのです。
機会費用
1つの経済活動に対し、それを選択することで失う経済活動の機会のうちの最大収益をもってその経済活動の機会費用とよぶ。
『ミクロ経済学入門』(西村和夫著・岩波書店)より
ランニングの機会費用は、走る時間を仕事に充てることで得た金額と言えますが、私は、「ランニングをしないことによる体力低下に伴って生じる心身の健康状態の総和」と定義します。ランニングにかかる一般的な考え方の費用は、シューズやウェア程度です。しかし、その機会費用は膨大な金額なるのかも知れません。体調が優れなければ仕事も休まなければならず、その機会費用は膨らむばかりです。
経済学的観点から考えても、ランニングの効用は大きいようです。その最大化を目指し、これからも走り続けていきます。