帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

同窓会

2012年04月22日 | 世の中

現在、朝の5時38分 上野は不忍池がわずかに見えるビジネスホテルなんぞにいます。

「雨降りそ~だな~」  ポツリ

 

すぐ裏通りに、「なんていかがわしい店が多いんだろう」、 と歩きながら昨晩は思ったわけですが、「え?」 いえいえ僕が泊まったのはれっきとしたところですから誤解されないようにお願いします(笑)

 

昨晩は25年ぶりに高校の同級生達に会った…

一年前の東北大震災がもたらしてくれた旧友との再会です。

自分自身はこうした同窓会が6年ほど前から行われていたのを知らず、まあ、卒業後すぐに結婚して、住居を2回も変えている上に、親も新しい家を建ててそちらに移っているのですから仕方ないといえばそうなるかな~ 

 

ほかにも僕の性格的なものがあって、ある場所を離れると、元の場所で構築されていた人間関係にまったく無執着なのもあります。

 

そんでもって、こちらの居場所なんぞ知る人もなくて、ある意味行方不明状態になっていたらしい(笑)

 

ところが、昨年の震災の時に影響を受けたであろう旧友が無性に心配になって、ぽそっと連絡を取ったところあれよと言う間に結びついた。

 

その後、時折メールをくれる付き合いだったのですが、「同窓会があるので来いよ!」とのお誘いで初参加。

しかし、年月は容姿を変えますよね~ はじめは 「あれ?誰だったっけ?」という感じだったりしたのですが。

すぐに 「あー!」 となって、まあ懐かしいわけですが、 行方不明?だった僕が来るということで、みんな楽しみにしてくれていたようです。 

 

いろいろ話をしていると、現在の友達達は大体三つの大きなグループに分かれており、ひとつは大企業で活躍している面々でこれが80%近く、次が会社社長(自営業含む)で15%くらい、残りは、あい変わらずの技術屋といったところで5%という感じ。

「その内訳は?」というなら、大きな企業の連中は高校時代に普通の成績だった友達で、はじめから東電や小田急電鉄等のでかいところに入った者はそのままだけど、零細に入った友達がステップアップを繰り返して大手電話会社の技術部門でそれなりに働いていたりして「へ~」と驚かされる。

次に、純粋に当時と同じく技術屋のままいて、単独で活躍できる友達はたいてい海外と何らかの関係を持っていることが多く、外資絡みだったり、日本企業の社員として海外を飛び回っていたりと、要は、英語を使って高度な仕事ができる者で、いわゆるエンジニア職。 

これは学年でトップだった一握り。

 

最後はクラスの問題児? 達だったグループで、これがなぜか会社を建ちあげて社長の椅子に座っていたり、自営業で割と零細だった親の会社を引きついて大きくしていたりと、経営側にまわっているのが殆ど。 

しかもそれぞれが何らかの形で結びついて、半グループ企業状態になっていたりと、「当時のグループ行動 そのままやんけー!!」と笑わせてくれたりもします。 

近況報告などを聞いて、自己紹介?交じりで色々と話をしてくれるのですが、顔と高校時代の行動がこうした職業的な分類となって結びついてくるので面白い。

それじゃ~自分はどうか?というなら、やはり上記のグループにしっかりと入っていたりなんかして(笑)

ほかに面白のが、今回の同窓会でやたらと元気で健康的な友達がみなバイク好きであること、何台も大型を持っていたり、現役でガンガン乗っている者ほどエネルギッシュ。

これは結構驚きでした。

 

まあいろいろな話を聞くわけですが、残念だったのが一人亡くなっていたこと。

少しお調子者だった彼が亡くなった原因は過労死とのことで、笑えないこの国の姿というのもあるわけです。

まあ、そんな感じで楽しいときをすごしたわけですが、上野から夜遅くに酔っ払ったまま田舎まで電車移動なんぞしたくない僕はビジネスホテルを予約し、

こうして「ぼ~」とした頭で貸し出しパソコン何ぞでブログを書いたりなんかしているわけです。

 

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朝からいやな者?を見てしまった

2011年11月03日 | 世の中

今日は出張の家内を駅に送りながらの出勤。

ところがその途中の道で、嫌な者を見てしまいました。

なんで物ではなく、者なのか?  ですが、それはその態度というか、いわゆる詐欺目的の為の、余にも薄汚い演技を

目の前で見てしまったからというほうがよい。

ことは単なる追突事故なのですが・・・

 

片側二車線道路の左側を走っていた僕、前には銀色のワゴン、そのさらに前には白のワゴン。

二車線道路の右側には軽二台が走っていた。

 

丁度信号が変わって車全体がスピードを落とし、先行していた左側車線二台の軽がまず停止。

そしてやや遅れてこちらの側の車達がスピードを落として、ほぼ停止状態になる直前で、突然前の銀色ワゴンが前の白ワゴン追突した。

「バン!」という音はしたが、かなり小さい音。

真後ろで見いていた僕ですが、「ありゃりゃ・・・・」、事故だとしばらくそこで車が止まるので、後ろを確認して少しバックし、

左の車線に移動して左となり車線の軽自動車後ろにつめた。

 

自分の車が移動を終わって停止するくらいの頃、ぶつけられた白ワゴンの運転手が車から出てくると、首の辺りを手のひらで押さえるようにしている。

ぶつぶつと、なんか言いながら降りてきたのだけれど、なんというか、白々しいと言うか、反吐が出るような嘘丸出し演技で、

いかにも首を損傷しました的なふりをしている。

 

真後ろにいた僕には、追突する衝撃感や音がよくわかっていたわけで、具体的にその衝撃を表現するとしたら、人が立っている後ろから、トンと軽く背中を押された程度。

「こいつ・・・・・・」と思いながらみていたのだれど、その白ワゴンの男はそのまましゃがみこみ「オエー」なんてやっているが、

そのうそ臭さは吐き気がするくらい、どうしょうもなくくだらない男だ。

 

ちなみに左車線に移った僕は白ワゴンと銀ワゴンの中間くらいの位置に止まっていて、そこまで移動する間にぶつけられた場所を

フロントガラス越しに確認したが、ハッチバックのドアにほんの僅か凹みがある程度で、この程度なら多少強く手で押しても出来る。

後ろから見ていた僕が覚えている、銀ワゴンの追突直前の速度は人が歩く程度のもの。

 

どう考えても首がおかしくなるような速度ではない。

横に乗っていた家内もまったく同じことを思っていたようで、「なにこの男!気持ちわるい」と横の窓開けて聞こえよがしに言葉にしていた。

 

厄介なやつにからんだな~これは、と思って「銀ワゴンの運転手は?」と、そちらを見たのだけれど、まったく車から降りてこない???

れれ?  普通はぶつけたらすぐに降りてくるのだけれど、なぜか降りない。

 

丁度このとき信号が変わり、車を発進させたのですが、すぐにおかしなことに気が付いた。

ぶつけた車と、その変態男ばかりに気が取られて気が付かなかったのだけれど、こちらは軽自動車二台の後に停止して、信号から3台目だ。

ところが、白ワゴンの車は信号の停止線よりはるかに後ろに停止していた、故にこの白ワゴン車のテールが僕の車のボンネットあたりにあった。

 

もう一度その瞬間を振り返ると、追突事故が起きたのは前方が赤信号に変わったことによる停止中の事で、どんな車も減速しているときであり、とうぜん白ワゴンも銀ワゴンもブレーキをかけていた。

銀ワゴンのブレーキ赤ランプが点灯していたのは薄暗い朝だったので、明確に僕は確認している。

となると、ノンブレーキ状態の突入ではなく、普通にブレーキ減速している途中だったわけだ。

 

速度が人の歩く程度まで落ちていたことから考えると、停止線まで白ワゴンがそのままブレーキを適切にかけていくと丁度良い距離になる。

ところが、白ワゴン車は停止線よりはるかに後ろ 車一台以上の間隔をあけて留まっている。

 

軽自動車も普通車も、車体の長さは違えど、車が停止している際に前後の車間含めて占有するスペースにさほどの差は無い。

当然、かなりの距離だ。

 

そこにきて、銀ワゴンドライバーの不可解な行動。

「あ~やられたなこりゃ!」 と僕は思ったわけだが、そう、信号の手前で前の白ワゴンがいきなり減速ブレーキ状態から急にペダルを強く踏んで突然停止したというわけだ。

うしろの銀ワゴンは停止する前だからブレーキをもちろん踏んでいるが、速度に応じて車間はつまっているし、そこに来て

なんにもないところで前の車に急停止されたらどんなに速度が落ちていても、瞬時には止れない。

 

意図的に急ブレーキ踏んだ車が相手ではどうにもならず、速度がおちきれないままドンというかこつん。

 

銀ワゴンの運転手にしてみればいきなり急ブレーキ踏まれて唖然としているだろうし、すぐにそうした停止の仕方した

前の運転手に腹も立つだろうし、しかもあのうそ臭い演技を目の前でされたんじゃ~警戒して降りてこないのは分る。

 

明らかに保険金目的のやらせ追突事故、いうなれば保険金詐欺だ。

後ろにいた銀ワゴンドライバーは運悪くその餌食になったと言うこと。

偏見みたいで申し訳ないが、白ワゴンのドライバーはいかにもと言う感じ、やくざやチンピラまでは行かないが、建築関係の道具や

資材を載せて早朝の道路を無法者よろしく走っている連中の類と同一の風体である。

 

一応犯罪(保険金詐欺)という可能性も高く、就業後に管轄警察に言って一応話しておこうかと、迷うところだ・・・・・

 

 


どうにもならない もどかしさと

2011年09月17日 | 世の中

これは僕の友人の話です。

この友人 Y君 多少知的障がいがある。

そんな彼が数年前に結婚した、まじめで、嘘をつかず、謙虚で人が良い彼の事だから、

きっと素晴らしいお嫁さんが来てくれたのではないかと僕は思っていた。

 

式を挙げなかったことから、まあ年齢的なものもあるだろうし、と思っていたのだけれど。

実際は違う現実がそこにあった。

 

ため息ついても仕方ないのだけど、結婚したのは日本人の女性ではなかったのだ。

いや、日本人でないから いけないのだ 等という差別的発想は僕には無く、それでは何故ため息なのかと

いうなら。

いわゆる彼のもつ知的障がいをいい様に利用した、簡単に言うと偽装結婚?であることが傍から見てすぐにわかってしまうからだ。

結婚したその女性には子供が3人いる、ひとりは小学生、後二入はすでに18歳以上で、

Y君の家庭には小学生の子供だけがいる。

そして二人だけの家庭でもある。

なぜ二人だけなのかというなら、伴侶である女性とその娘、息子は都心のほうで別に世帯をもって働いている。

小学生の子だけは働くことは出来ないので、Y寝るところと食べる場所だけを得させる為にY君のところにおいている。

 

話を聞くと夫婦という事になって、籍も入っているが、現実的夫婦関係はなく、まったく顔を合わさずに、ずっと長い生活が続いている。

明らかな日本国籍取得の為になされた結婚ではないか?と、僕はおもってしまうわけだが、これでいいのか? 解っているのか?

理解しているのか?と、直接 Y君へ問うわけにもいかない僕は一人で歯軋りすのだけれど、「そんなことどうでもいいんだよ」とでも、なんら苦にしていないように

みえる彼の心の中には、僕なんぞに理解することが出来ない思いというものがあるのだと思う。

 

人は、今が幸せであると、すぐにそれになれ、不満を抱くようになり、さらに、次にと欲が出て上を求めるようになる。

いったどこまでいいけば満足するのだろうか?と思うが、そこに上限などあるはずもなく、一つだけ言えるのは。

家族を構成している一人ひとりが健康であることが全ての基本。

そのうえで、一人一人がそれぞれが小さな欲を抱き、自分の目標とするところに向って歩んでいく、そしてそんな家族が一つの食卓を囲んで過ごす一時。

それが僕に取っての最高の幸せだと言うこと。

 

普通ということがどれだけ難しい物なのか・・・ という事が身にしみて分かるようになってきた僕です。    

 

 

 

 

 


IAEAが原発事故における管首相政治介入を批判

2011年06月24日 | 世の中

当然と言えば当然。

震災発生直後に遊覧飛行、ベント作業を遅らせて爆発の引き金引いたのは管首相。

事故の検証作業を調査してきたIAEA、162ページ及ぶその報告は原子炉事故における初期段対応において、管首相の政治介入が現場を混乱させて被害拡大に

繋がったとダイレクトに指摘して批判しているそうです。

 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110621/erp11062120280008-n1.htm

IAEA福島事故検証作業部会、菅首相の政治介入を批判

2011.6.21 20:27

 【ウィーン=木村正人】原子力安全に関する国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合で20、21日、福島第1原子力発電所事故を検証する非公開の事務レベル作業部会が行われ、政治介入が現場の事故対応を無用に混乱させたとの指摘が相次いだ。原子炉への海水注入や格納容器のベント(弁開放による排気)をめぐって介入を繰り返した菅直人首相を批判した格好だ。

 作業部会で、日本での調査を担当したIAEA調査団長のウェイトマン英原子力主席検査官が162ページに及ぶ報告書を発表し、原子力安全規制をめぐる「日本の複雑な体系と組織が緊急時の意思決定の遅れを招く恐れがある」と指摘した。

 今回の事故では、原子炉への海水注入は菅首相の言動を受けて一時中断したとされたが、東京電力の同原発所長が本店の意向に反して独断で継続していたことが判明している。

 報告書は「現場責任者は(規制当局や政府といった)広範囲の利害関係者の要求に応えるより、事故の初期対応に集中する必要があった」と指摘した。

 ウェイトマン団長は「原子力安全に関する一義的な責任は規制当局や政府に移譲されるものではない」として、福島第1、2原発の現場担当者はその責任を自覚していたと報告した。

 その上で、原子力安全の責任や事故の対応は事業者(東電)が負い、規制当局の原子力安全・保安院は東電の対応を監督、政府は適切な規制の枠組みを用意するという役割と責任の明確化を求めた。作業部会では、参加者から「現場の判断でできることもハイレベルの判断を仰ぎ、いたずらに時間が浪費された」などの意見が述べられた。

 IAEAは2007年に日本を調査した際にも、原子力安全・保安院の独立性を確保するよう助言していた。規制当局の独立は政治や業界からの圧力を防ぐ仕組みだが、日本ではその後も原子力行政と安全規制の垣根があいまいなままで、今回の事故でも、震災対策の陣頭指揮に立つ菅首相の介入を排除できなかった。

 事故の教訓を受け、海江田万里経済産業相は20日のIAEA閣僚級会合で、原子力安全・保安院を経済産業省から独立させると表明した。前IAEA事務次長で米ハーバード大上級研究員のオリ・ハイノネン氏は産経新聞に対し、「日本の原子力安全規制と緊急時対応システムの徹底的な見直しが不可欠だ」との見方を示した。


僕が放射性物質騒ぎに動じない理由

2011年05月02日 | 世の中

原発の事故、確かに大きな事故であることは間違いなく、原発被災地近辺の方々の健康はじめ生活はこの先どうなってしまうのだろうかと心配している。

使用されている燃料が燃料であるが故に、必ず起きる放射能物質による被爆というのがあるけれど、今回の事故のような事態であると大気に拡散され、それを伏せぐための有効な手段というのは無い。

原発の事故が起きた日、テレビ画面から流されてくる映像に家内どころか娘も息子夫婦も相当な動揺をしていた。

経験の無いことゆえ当然の反応でもあるし、それが当たり前でもある。

僕自身はといえば、全く動揺もなく平然と毎日を過ごしてきたわけだけど、その理由のひとつとしてまがいなりにも家長である自分がそういった姿を見せねば、家族の皆が見えない不安と得体のしれない恐怖感で日々を過ごさねばならないからだ。

特にお腹に子供を抱える息子夫婦にいたってはパニックになりかねない。

この事故以降、視聴率欲しさにテレビ始め各メディアが恐怖の撒き散らし行為(風評拡大行為)を盛んに行っているけれど、僕は事故後の放射性物質混じりの雨の中をずぶぬれになってバイク通勤しているし、週末は北の風だろうが平然と海へ出ている。

一度たりとも怖いと思った事はない。

その理由は至極簡単なもので、見えない存在である放射性物質が人間の体へ引き起こす障害とその蓄積基準でもあるシーベルトやベクレルという単位についての知識を持っていたからだ。

人が被爆するのは何もウランやプルトニウムだけではない、ラドンはじめ宇宙線、ラジウム、電磁波等々、それは日常生活のいたるところに存在し、種類こそ違えど何らかの被爆というのは一生受けることになっている。 

タバコすっても被爆するし、病院でも、マンションに住んでいても、海産物を食べても、電子レンジを使っても、飛行機にのってもそうだし、そうしたそこいら中にあふれる存在から人は逃ることが出来ない。

「それじゃ~爆発した原子炉は怖くないのか?」と問われれば、それが真横にあったなら間違いなく怖いと答えるし、「被災した人達のことを軽くみているのか?」と問われればNOと答える。

あくまでも被災地から遠く離れたところにいるからという事も有るけれど、200km以上も離れた場所で恐怖を煽らんがために大騒ぎする事への怒りみたいなもの、その無意味さ、それによって被災地から臨時に大都市圏に通っている子供達に対するいじめなどが起きていることに心が痛むわけだが、 それを踏まえて今日は書いてみたいと思う。

こうしたおかしな事? が何故起きているかという点に関し、何が問題の核心部分になるのかというなら、自分の生活圏においての被爆量というものを理解しているかどうか?という差でしかないと僕は思う。

当然のことだけれど、破損した炉設備および近隣周辺における極端な放射線レベルは危険だし恐ろしい。

しかしながら距離が離れるほど影響は小さくなり、東京周辺になると圧倒的に数値は低くなる。 

やたらと騒がれている被爆量という基準は、本来原子力設備というものを念頭に置いたうえで絶対漏れが有ってはならないという条件を前提にして定められているもので、自然界に存在するありふれた放射線レベルを考慮に入れたうえで、

人体へ何らかの影響を及ぼす可能性がほんのわずかでも生じるレベルをもって、つらつらと不明瞭な基準のまま被爆量と定めている。

簡単な例をあげるなら人の肌を軽くつめで引っかいたくらいを”何らかの影響を及ぼしはじめる値”として記載している様なもので、残念なことに全身のいたるところを軽くつめで掻きまくっても人は死なない。

それじゃ~これが長年続けばガンにはならないのか?と問われれば、一時期垢すりナイロンタオルが皮膚がんを引き起こすといって目の敵にされていた愚かな事例を見ても分るように。 

やり続けていれば何かしら起きるわけで、でもそれがつめで引っかいたせいのか? それともお日様の紫外線によるものなのかという判断等、誰も付かない。

多くの人を元に統計を取り、ガンになる人の数が木綿のタオルより一人でも多けりゃ「発がん性有り!」となるわけで、ナイロンタオルで全ての人が皮膚ガンになるわけではない。

不幸なことにこのナイロン垢すりタオルはバカマスコミのいい標的にされてしまったわけだが、こんなものより直接体内に影響を及ぼす物のほうがはるかに恐ろしいわけだが・・・   これも正直????と思うことが多い。

ちなみに電子レンジで作った料理を食べていると、鍋に水を入れて加熱する場合に比べて発ガン率は高い。

焼いた魚と生の魚では焼いた魚の発ガン率は当然高い。

でも、なぜ皆が騒がないのかというなら、電子レンジはあまりにも便利であるが故に、発がん性のことは無いことにして使うという、人の持つ都合よい大脳処理機能が恐ろしさをかき消してしまう。

電子レンジにとって代わる便利なものがないからだ。

http://www.aa.alles.or.jp/~palette/ecology/eco-additives%20list.html

なにより自分だけではなく、皆が使っているからというのもある。

焼き魚にしても古代から魚を焼いて食してきたわけで、当たり前の物だからと、怖いと思うことすらない。

ところが、核分裂を起こすものが相手となると、とたんに騒ぎが大きくなる。

えたいが知れないという事も有るのだけれど、普段自分に無関係であり、原発が無くても火力発電があるから代替の心配は無いので大騒ぎをする。

しかし・・・ 年間6000千人も亡くなっているのに誰も”車は危険だから世の中から無くそう”と大騒ぎしないし・・・

長期間の服用で脳を破壊し廃人にしてしまう向精神薬の危険性も医薬品というだけの理由で恐ろしさというものは覆い隠されてしまう。

運転している一瞬一瞬、いま食べているものと食中毒の関係、ハイキングと遭難というように、一瞬にして人を死に至らしめる危険性というのは日常のあらゆるところに、しかも当たり前の物として存在している。

 

受動喫煙の女性 1.02~1.03倍
野菜不足 1.06倍
放射線100~200mSv 1.08倍
塩分の取りすぎ 1.11~1.15倍
放射線200~500mSv 1.16倍
運動不足 1.15~1.19倍
肥満 1.22倍
放射線1Sv 1.4倍
毎日2合以上の飲酒 1.4倍
放射線2Sv 1.6倍
喫煙 1.6倍
毎日3合以上の飲酒 1.6倍


日経新聞さんの記事に表があったので参考に取り上げさせてもらったが。

国立がんセンター調べで、 原爆による被爆者のデータをもとにしている。

発ガン率との相関関係が分るのだけれど、現実的なデータを元にしている分、放射線が人の体にどう影響しているかが分る

 

と、これを元に僕自身を考えるなら、タバコはすわないが飲酒という面からみると被爆量2Svに匹敵する発ガン率というのが

常に自分の身に降りかかっている事になる。

 

ちなみに一番すさまじかった原発周辺の放射線レベルの実質的事故後数値は
http://www.irsn.fr/EN/news/Documents/irsn-QA-jp.pdf#search='原子炉 放射線レベル'

にある、

大都市圏のレベルは

http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/1/5/199785/6193/600x424xab794b40521a8646d6d46e96.jpg

を見れば分るけれど、これは毎時の値。

年間シーベルトに直すには、この値に8760(24時間にしてさらに365日)をかける必要がある。

3月16日の東京は 0.1マイクロシーベルトだから、年間被爆量にすると876マイクロシーベルト。

ミリシーベルトに換算すると0.876mSvとなる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

より、1.2mSv1日1.5箱のタバコを吸う喫煙者と同居する人が、副流煙から受ける年間の線量

1.5mSv1年間に自然環境から1人が受ける放射線の日本平均。

よりはるかに少ない。

 

何度も書くようだけれど、100mSVになって明らかに健康に影響を及ぼす可能性が出てくるわけで、

その下の数値は実のところ絶対明確な根拠も無く、人間が扱っているという理由から、とにかく安全を大きく見込んだ数値と考えても良いわけです。

 

被爆は確かに恐ろしいし、現場で復旧のために働いている方々には本当に頭が下がるわけですが、遠く離れた、いわゆるほぼ安全圏といえる場所にいる者たちがマスコミに扇動されて大騒ぎしている。

それが汚染されているという無知から来る排斥等へと変わり、対象が人にまで及ぶようなまねだけはあってはならないと思う。

被爆とそれにより身体へ発生する具体的な関係は、ガンである。

ところが其のガンは放射線の影響より身近なとこにいくらでもあり、受動喫煙やら、塩分取りすぎなどのほうがダイレクトに影響があり。

そうであるなら福島県から非難してきた子を放射性物質扱いする子供達(おそらくは親が子供の前で話しているのでしょうね)、福島で処分しきれない瓦礫(汚染されていない物)の処分を助けようとした川崎市へのメチャメチャな抗議他、

何が実質的に危険で危ないのかを知ろうとしない思考というものは、かくも非人間的な行動を人に起こさせるものだと僕は思うわけです。

 

 

 


原発は必要

2011年04月29日 | 世の中

産経さんの記事にジャーナリスト東谷 暁さんのコラムが載せられています。

相変わらず産経新聞さんは良い記事が多い・・・・

 

内容はあまりにもひどすぎる東電叩きに関するものですが、 実は僕もこの記事と全く同意見です。

この国の最高技術の結晶とも言える原子力発電は、特にろくな資源がないこの国にはどうしても必要なもの。

太陽光?風力? 波力? LNG? 正直なところ幻想です。

原子力に比べてはるかに短い寿命と高コスト。 でかい雹がふればパネル全壊、蒸し暑い梅雨の季節も夜、台風のときもエアコンはじめ

電化製品はアウト。

風力発電なんぞにいたっては、真夏の太平洋高気圧張り出しで大気は超安定、まったく発電しません。

あらゆる場所、病院はじめとして人のいるところ全てがエアコン無しの37度という蒸し風呂生活を毎日送る事になります。

波力はでかい台風(数年前にあった程度で)が一発来れば全壊、膨大な税金投入するか電気料金大幅値上げしての造り直しを要求されます。

LNG? 今年完成する中国空母の艦載機が威嚇飛行を繰り返す(対抗できる空母をこの国はもっていません)尖閣諸島という環境下にて小規模戦争覚悟の掘り出しと輸送、同時に新潟なども含め

輸送のために莫大な費用をかけ(凍結ガス輸送ですから半端じゃなく建造費がかかる)て、需要に見合う数の輸送船を建造しての採掘、

あたりまえですが完全凍結のそれは、そのままでの使用は全く出来ませんから、さらに膨大なエネルギーを消費してして凍結を強制的にほどいてやっとガス化、 

発電するまでには目玉飛び出すほど莫大なコストを要求されます。

 

電気代が今の数倍になるのを覚悟し、そのための膨大な開発費用と維持費を、税および電気代として負担する覚悟があるなら、

これらも現在より幾分か増しになり、まともな発電設備としての能力を持たせられるでしょう。

僕自身に「お前はどうするか?」と問いかけられれば、其の負担に喜んで応じはするでしょうが、原発反対で騒いでいる人含め

ほとんどの国民にそうした覚悟が有るのでしょうか?

さらに日本は産業国ですが、最終的にはすべてコストに跳ね返りますから、日常品から始まってあらゆる物の値がすべて上がり、

価格の高くなったハイテク製品の海外競争力はさらに下落して売れなくなる。 

それでさえ僅かな価格差で韓国製や中国製に市場を乗っ取られている現状をみれば 高性能=高くても売れ続ける という式など成り立たないのは少し考えれば分かる事。

これらはほんのわずかな例でしかありませんが、電力コストの上昇というのは、今現在の国民生活の全て、この国の経済全てに影響を及ぼしてくる、原発反対と簡単に言葉にしている方達はそうしたことまで考えの事でしょうか?

 

今回、原発そのものは震災発生と同時に完全停止しています、しかしながら炉には冷却というものが必要で、そのものを掌る電力が震災で失われ、

最後の頼みとする予備のディーゼル発電設備が津波によりダウン。

最悪なのは、爆発の直接引き金となった炉内圧力の放出作業を遅らせたのは民主党が管総理の視察を優先させた事。

東電側から11日夜にベント指示の決断を政府に仰いでいますが、きちんとその段階で行われていれば、放射性物質の放出そのものは起きたでしょうが爆破という最悪の事態は防げました。 

ベントしろと指示したのに「連絡取れなかった」等と、 この夜のことをいとも簡単に、しかも原子炉に詳しいはずの管総理が答えていますが、なぜこの指示の時だけ連絡できなくなるのか? そんなはずないでしょうが・・・

幼児の嘘よろしく最悪な状態まで被害拡大となった最大の理由はこれです。

 

なぜもっと安全な設備をつくらなかったんだ?と東電が叩かれていますが、割と知られていないのは、こうした公共設備(原発は国策)に関して逐一国の干渉が入り込み、

税金の流入ありきという形で設計開発されているということ。

故に、必ず過剰設計という制限が付いて回る。

これは僕自身も経験しているものですが、信頼性をあげる為の設計をすると、それに対して当然お金が必要となる。

すると「これは過剰設計ではないか?」と向こうは言い出し、こちらは 何故?を踏まえていざというときに必要だと説得するわけですが。

最終的にはどこで判断されるかというなら、”学者がこういっている”、”専門化?がこういっている”と、それによりどんなに優れた設計をとろうとしても 不要!の烙印を押されてばっさり切り捨てられてしまう。

過剰は安全のための予備しろとして有るはずなのに ごみ(不要物)とされてしまうわけですね。

 

今回の震災における最も根本的な部分もそこにあり、原発の設計はマグニチュード9なんて想定していなかったと学者達は公言し、

それならどのくらいの安全係数をみこんでいたのかというならM8.2。

当然原発設備はそれにのっとり起きるであろう最大の津波と震度に応じた設計しかなされず。

これはどんなに東電を叩こうが、こういった判断基準で設計させ、そのためのお金しか出さなかったという、システム的な根本的部分に問題が有る訳です。

 

そもそも設計耐用年数をこえた炉を延長使用することを採決したのは民主党、そしてIAEAから津波に対する安全性の指摘をうけながら、其の為の対策費用を素人集団に仕分けさせたのも民主党。

例を挙げるなら、ボロのエンジンを積んだ車を、「まだ馬力出るからいいや!」と乗り続け、ブレーキ不良の可能性を整備士から指摘されているにもかかわらず、きちんとした予備ブレーキを設置するために必要だったお金を自分達の格好付け(人気取り)のためにばら撒いたわけです。

 

批判の矛先が間違っているように僕は思えますが、と、この辺はよしましょう・・・

それでもエンジニア達は、こうした制限と戦ってきたわけで、豊富に資金を注げば税金の無駄使いだと叩かれ、制限されれば苦悩しながら其の中で最良を目指す。

そして必ず起きる不具合と其の対策との追いかけっこ、 日本の技術者は正直なところ優秀です。

 

地球という天体で、プレートが複雑に絡み合うこの日本において、今回の震災まで大きな事故もなく維持してきた技術力と経営能力は本来賞賛されるべきもので、

それによる利益を当たり前のものとして享受してきた事を全く忘れたのごとく、一方的な批判と叩きを行う事に関して、僕自身の心からすればNOとしか言いようがないのですね。

 

 

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n1.htm

ジャーナリスト・東谷暁 東電叩きによる「人災」

2011.4.29 03:04

 もういいかげんに「東電叩(たた)き」をやめてはどうか。たしかに、今回の福島第1原発事故については東京電力にも責任があるだろう。しかし、そのことといま蔓延(まんえん)している陰湿な東電叩きとはほとんど関係がない。

 まず、東電の「想定外」発言を批判して何から何まで「人災」だと言うのは、恐怖に煽(あお)られた短絡にすぎない。この世の危険には確率計算できるリスクと、計算できない不確実性があって、リスクについて東電はかなりの程度まで想定していた。

 最終的に今回の事故の原因となった非常用ディーゼル発電機不起動の確率は1000分の1だったが、東電はこれを2台並列に設置して100万分の1の確率にまで低下させていた。しかも、非常用ディーゼル発電機は頑丈で津波にも拘(かか)わらず一旦は起動したが、この非常用ディーゼル発電機のサブ冷却系が津波にやられていたためオーバーヒートして途中で停(と)まったとの説は有力である。

 なかには、巨大な津波が来ることは分かっていたのに、低い防潮堤しかなかったため事故が起こったのだから、東電が対策を怠ったことになるという人もいる。しかし、これまで14メートルを超えるような津波は三陸海岸のものであって、福島浜通りに来たという記録はない。また、最近おずおずと発言を始めた地震予知学者たちも、口を揃(そろ)えてマグニチュード9は想定していなかったという。それでどうして東電がマグニチュード9によって起こる巨大津波を想定できるのだろうか。

そもそも、たとえ東電が巨大津波を想定していたとしても、できる対策とできない対策がある。もし想定できることはすべて予防策の対象とすべきなら、岩手、宮城、福島3県の海岸に、巨大防潮堤を建設しなかった県および政府は、あれほど多くの被災者を、最初から見捨てていたことになるのではないのか。

 私が東電叩きをやめろというのは、それが私たちにとって損だからでもある。東電叩きには、東電に責任があるから政府は援助をするなとか、東電を解体しろという主張すらある。しかし、これこそ、私たちに新たなリスクを負わせることになるだろう。

 これまでも高度な技術をもった事業体を解体したさいには、巨大なリスクが生まれた。国鉄解体では組織内の技術が守られたかに見えたが、JR西日本では制御技術と技術者集団の継承性が損なわれて、福知山線事故という悲劇を生み出した。

 また、JALについてはいま給与体系や親方日の丸体質ばかりが論じられるが、最終的に利用者の信用を失ったのは多発した事故だった。この場合も、半官半民から完全な民間企業への変身が強調されるあまり、整備という航空業のコアを外注してしまうことで、組織内に蓄積された安全技術が流出したからである。

 原発という技術は、現代における最先端の技術の塊のようなものであり、ことに安全を確保するための制御技術は、設計者と使用者との間の連携が失われれば機能が低下してしまう。しかも、制御技術は組織そのものによって維持されている。これを東電叩きに乗じた怪しげな扇動によって解体してしまえば、新たな事故を招来しないともかぎらない。そうなってしまえば、今度こそ、東電叩きによる「人災」ということになるだろう。(ひがしたに さとし)


徳(人格)をもってしか人は動かない 石原知事の涙

2011年03月22日 | 世の中

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110321/dst11032121370087-n1.htm

「言葉にできない。ありがとう」石原都知事、感極まり言葉詰まらせる 放水活動の消防隊員に謝辞

2011.3.21 21:35

18日に福島第一原発に出動した緊急消防隊東京都隊の第一陣と会話を交わし、目頭をおさえる石原東京都知事=21日午後、東京・西原(緑川真実撮影)

 福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。

 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。

 石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と称賛。さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。

 活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。

 

「放水」の東京消防庁隊員、都知事と面会


ハロルド・ルイス氏の語る温暖化詐欺

2011年01月06日 | 世の中

 

人間の経済活動を起因とする地球温暖化等あるはずもなく、太陽活動そのものによって地球気温は変化しているだけのこと。

CO2は人間の排出量そのものより、太陽がわずかに活発化しただけで爆発的に増える生物達が発生させる量の方が圧倒的に多く、

CO2が増えて気温が上がるのではなく、太陽活動の変化に遅れてCO2量の変化が付いてくる。

 

US physics professor: 'Global warming is the greatest and most successful pseudoscientific fraud (最も成功した疑似科学サギ)I have seen in my long life'

 

ハロルド・ルイス氏の温暖化という巨大なサギに関する叫びは、至極真っ当の事だ。

http://blogs.telegraph.co.uk/news/jamesdelingpole/100058265/us-physics-professor-global-warming-is-the-greatest-and-most-successful-pseudoscientific-fraud-i-have-seen-in-my-long-life/

 

翻訳しようかと思っていましたが、ここで日本語へ訳したものが有りましたので紹介します。

http://www.caoliprice.com/?p=675&lang=ja


日本の政治凋落(民主党)が火を付けたアジアの不安定 

2010年12月28日 | 世の中

来年は今年以上に大変な年になりそうと、僕は思っている。

予言者じゃないし、このブログで大衆煽動なんて気持ちは毛頭無いけれど、日本が強かったことでバランスの取れていたアジアが一気に不安定になってしまったのがこの一年。

社会主義民主党が政権を取り、そこから生じたアメリカとの軋轢、 民主党が政権を取り始めて矢継ぎ早に打ち出したのはこの国を自由主義国家から社会主義国家への

転換政策ばかり。

その象徴が沖縄の基地問題であり、この政権が誕生したことでそれまで友好国と日本を見ていたアメリカはじめ世界中の自由主義国家は一斉にNOを突き詰め始めた。

 

それは経済制裁とも言える手法、すなわちあらゆる日本製品を市場から排除しその代わりに新たにアジアに台頭してきた韓国製品へと並び替えるという方法から初まり、

日本の技術力を象徴する特許関係も、政府の外交態度次第で敗北を繰り返すことになり、さらにはこれまで叩かれてこなかった方法で日本企業への制裁や罰金、最悪は排除を

受けてきた。

 

当たり前だけど、社会主義国が台頭することを喜ぶ国など、自由主義国家間には無いわけだ。

要は社会主義を選ぶのか? それともこれまでのような自由主義を選ぶのかと? 問われ続けているということ。

 

民主党が誕生した際の異常とも思える支持率は、明らかに国民がそれまでの路線を変更して左側の道を歩き始める意志を持ったと誤解された事から起きたのだけれど、

しかしながら過ちに気づき始めた日本国民が次第に政権に対して厳しくなる姿勢は、やはり日本は我々の側だと自由主義経済圏に思わせる物でもある。

 

しかし・・・・、20%を割る支持率のままで、以前として解散しようともしない民主党はもはや民意など関係なく社会主義貫徹のための政策整備だけをひたすら推し進めて、

経済を何とかしようする意志も見られないし、やる気すら感じられない。

対策しようにも、その取り引きの大半を占める自由主義経済圏そのもの相手にしてくれないし、協力すらしてくれない、やろうにもまったく出来ない(中国除く)わけだ。

 

夏に行われた参院選による善良なる民意は、政権を降りろという国民の声だけど、これにより手足をもがれた民主党はなりふり構わず他の政党に連立を打診しては

大臣の椅子という甘い飴をちらつかせるという、愚かな行為を繰り返している。

来年初頭に今の内閣を改造するというのがその飴の根拠だが、”少数政党”がこの社会主義者で構成された多数集団にはいったところで何ら政策を打てるはずもなく

共倒れになって政界から姿を消すのがオチだ。

こうしたおかしな政治が織りなす、ただただ中国へ諂ってはご機嫌を取るという姿は、有らぬ誤解を与えて、それが尖閣事件へと発展した。

 

スプラトリー諸島を中国に強奪されたベトナムやインドネシア、台湾、フィリピン等の国々は、これまでアジアの安定をもたらしてきた日本がこうした侵略行為にたいして

毅然とした対応を取ってくれると信じていただろうし、それが出来る経済力を持つアジアの大国で有る以上、横暴を許さない姿を見せてくれる物と思っていた。

 

ところが、蓋を開けてみるなら、世界中から笑いものにされる様なみっともない対応とあくまでも中国のご機嫌を伺う政府の姿勢。

失望した彼らが、その後に管総理の「ご理解お願いします」興業にたいして非常に冷たい態度をとり続けたのは、メディアを通して皆さんの記憶にも新しいと思います。

 

今だ民意を無視して居座る民主党政権と、それにNOを突きつけている国民との間の軋轢は、非常に不安定な要素となり。

片方に自由主義アメリカか初めヨーロッパの国々インド、ブラジル等々、もう片方に中国、北朝鮮、ロシアを抱え、事の次第そのものはすでに日本を飛び越え、

再び冷戦の様相よろしくめに見えないところで摩擦が起き始めている。

 

旧ソビエト社会主義中心のワルシャワ条約機構、と向かい合ったドイツやイギリス他自由主義NATOの対立とは全く違う形を取りつつ今度は日本を火種にして

アジアに移ってきた。

日本はすでに東洋のバルカン半島状態になりつつあり、この国の今後のあり方によって考えたくもない大きな戦争が起きる可能性などいくらでもある。

それも日本が侵略を受けるという形をとってだ。

 

来年中国とロシアが日本海にて大規模演習を行うというニュースはすでに流れているが、これは次期に指導者が替わるであろう北朝鮮へのバックアップ姿勢を

この両国がとり続ける意志を示し。

同時に社会主義、共産主義をこれからもこの3国がとり続けるという明確なメッセージでもある。

それに応呼するように、こうした緊張が高まりつつある。

http://www.chosunonline.com/news/20101227000040

もし指導者交代に、最悪な状態の北朝鮮食糧事情、殆ど無い石油エネルギーという国内事情が加わって爆発寸前の民衆を統括するための軍事行動が事が始まれば

停戦中の朝鮮戦争が再開する可能性は極めて高い。

そこに来て、下図のように経済的な弱体化を続ける日本がそこにあるなら、さらに事態はややこしくなる。

これまで、アジアが安定して来たのは、何ら問題が無かったは、経済大国たる日本が、軍事力に優れる同じく経済大国アメリカとがっちり手を組み一体化していたからに他ならない。

社会主義国は手を出すことさえ出来ないほどの存在だったからだ。

 

ところが・・・・・ 民主政権の誕生でそのバランスが一気に崩れた。

それどころか、自ら進んで手の中に転がり込んできた愚かな日本を見て、中国は小躍りしたい気持ちだったろう。

 

ところが日本国民は利口だった、民主政権がはじまってすぐにその政策に明るい未来など無い事に気がつき始め、一気に支持率が低下した上に、現在ではかつて無いほど多くのデモが起きている。

そのどれもが民主党の行おうとしている政策に反対する物ばかりだ。

 

お馬鹿な政府が繰り広げる茶番劇と社会主義政策、民意と中国への迎合外交。

 

それに対して自由主義国達も黙ってみているわけではない、旗手たるアメリカは弱体化して不安定な日本をそれでもバックアップし続けてくれている(おそらく泣きたい気持ちだろう)わけだが、

世界大戦後から現在に至るまでずっと日本を守り支え続けて来てくれたこの国は、この民意をけして無後にはしない、何らかの意志を示すことでこの先も両国の良き未来を望む姿勢を明らかに

するわけだが、

 

それが来年早々に日本近海に展開する3空母群 

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=136128&servcode=A00§code=A20

米原子力空母3隻、来年同時に北東アジア集結

  米国の空母11隻のうちニミッツ級母艦3隻が来年、北東アジア地域に集まると、中国メディアが報道し、警戒心を表した。

  人民日報の姉妹紙・環球時報の電子版は、現在日本横須賀基地を母港とする「ジョージワシントン」(左)のほか、サンディエゴ港を出発した「カールビンソン」(真ん中)が西太平洋に移動中と26日、伝えた。

  また「ロナルドレーガン」(右)までも西太平洋に派遣されるとし、「米国と韓国の北朝鮮に対する強硬態度が変わらない中、世界の人々は韓半島情勢がどうなるのか憂慮している」と伝えた。

  ニミッツ級空母は一般的に満載排水量10万4200トン、最大動力28万馬力、全長332メートルで、乗務補助員6000人が搭乗、約70機の艦載機、MK57対艦ミサイル、RIM-116艦対空迎撃ミサイル、ファランクス近接防御火器システムなどを搭載している。

 

どんどんと不安定化するアジアにアメリカが明確な意志を表示することで、安定化を図ると同時に。

「日本よもう一度肩を組もう!」と呼びかけているわけだ。

 

相変わらず沖縄の米軍基地問題でもめているけれど、日本国民がけして忘れてはいけない事が有る、それは、駐留米軍が敵国の軍隊ではなく、あくまでも友好国のものだということだ。

もしそれを忘れ、民主党が心から望む米軍撤退を成し遂げたとき、丸裸になったこの国をまもってくれる盾は無い。

相手の言うなりになか、大戦の悪夢を侵略という悪夢でうけいれるか、選択肢は殆ど無い。

20年後に北海道はロシア、東北地方は北朝鮮、関東から南は中国となっていないことを心から望むが、チベット初めベトナムやフィリピンに対して行った中国の現実を見る限り可能性は極めて高い。 


社会主義、共産主義が嫌いな理由、 東京都性描写規制条例を通して考える

2010年12月26日 | 世の中

僕が社会主義、共産主義(以降、入力が面倒なので左派主義と書きます)嫌いなのは、このブログにて幾度も書いてますから、読んで頂いている方達はすでご存じだと思います。

社会主義、共産主義は同じようでいてシステム構成という点において異なるわけだが、両社に共通している物が多数有り、その中でも一番僕が嫌悪感を覚えるのが 性に関する考え方だ。

 

人間社会を構成するあらゆるシガラミから人を解放する事が左派主義の原点であり、その上に社会が立脚する事から、旧ソビエト・中国等が積極的に行って来たのは、伝統や文化、社会システム、宗教を

徹底的に崩壊させることで、それが無くなることで全ての人が皆平等、何の差別もない夢のような社会が出来るとしている。

 

その終着点がどこまで行くかというなら、家族のあり方そのものにまで及び、家族という概念すら否定しているし、父親、母親という存在はおろか子供という考えも無い。

理由は至極簡単だ、子供は左派主義により構成された夢国家の構成員であり、一人の独立した存在そのものあり、それである以上は親と子供という差別?が有ってはならないし、大人と子供という差別?もあっては

ならないとしている、理想郷だからだ。

 

ヘルベルト・マルクーゼ の 「コンドームとピルは、文化大革命のハンマー と鎌だ!」という言葉に代表されるように、こうした家族という無形でありながらも、人類がこれまで極自然に構成してきた

存在を否定するその先にあるのは、いわゆる乱交、近親相姦、同性愛を社会が認め、それにより自由なS●Xし放題社会ということだ。

 

故にコンドームやピル等の避妊薬は、左派主義においては旧ソビエト国旗に記されていた鎌とハンマー(船のイカリではないので注意)そのものであり、究極の平等社会への有効な手段という意味なのですね。

 

人という生き物は、生物である以上はその最終目的が子孫を残すことにあり、故にあらゆる動物はどれだけ多くの子孫を残すかというテーマにおいて熾烈な競争を繰り広げ、それがその生き物としての能力を進化させてきた。

その競争に勝ち抜いた結果として、身体反応とホルモンによる快楽がもたらされているわけだが、人もその自然な流れに乗りつつ現代にまで至っており、このように子孫を残す為の正しい競争というのは、

文明を築き発展してきた進歩原動力そのものでもあるわけです。

 

しかしながら、頭脳の発達した人間は、ただそれだけのための競争が必要限度を遙かに超えた損害を多発させる事を知り、理解し、それゆえ社会を構成してルールをつくり、本能を適切にコントロール

しながら発展できるように工夫してきた。

その工夫が文化であり、その中には性に対し過度な放散を制御する為に行きすぎない手法が認められ、またはそれを正しい方向で芸術にまで発展させることも行われ、それが又社会を安定させる源になってきた。

 

これが、その国々で独自に発展してきた伝統であり、国そのものである。

 

そして、その最小構成単位が家族なのだ。

 

この最小構成単位は、人のあり方に旨く適合しているからこそ殆どの国で取り入れられているが、そのもとはといえばキリスト教にある(日本は神話)。

キリスト教が世界的に広がった理由は至極単純な物で、この宗教が優れていたのは一夫一婦制を唱えたことで、これが人のもつ本能的要求と見事なまでにマッチしたことから広がった、それまで指を咥えて見ているしか無かった

弱者達に恩恵を与え、改革の原動力を与え、結果として強者だけが都合良く支配して多数の妻を娶とれるシステムを覆えした。

 

 

しかしながら、左派主義という考え方は、現世界を安定させているこうした全てを崩壊させ、いうなれば原始時代の無秩序に社会を戻すこととほぼ同じであるが、

本来その誕生は、資本主義社会の行き着く先に出てくるあらゆる矛盾で人々が苦しんだ後に自然に生み出される(必ず革命が起きる)もので、それにより全ての不要なシガラミを取り除いた 自由、平等、愛、平和を唱える理想郷が出来るとしている。

 

マルクスそのものが、もと狂信的といえるクリスチャンで有った事実が証明しているように、人の本能をまったく踏まえず構成されたキリスト教そのもので育ったからこそ描けた理想社会であるが、それ故どこまでいっても本能のシガラミから逃れられない一動物たる ”人間” そのものが そうした理想郷等を根本的に受け入れ出来ないようになっている事など、頭と思想の片隅にも無い。

 

故に強大な理想国家たる社会主義国ソビエトは崩壊し、中国は資本主義を取り入れざるを得なかった。

 

かたくなに理想郷をひた走っている北朝鮮は、人の持つ本能を軽視した結果として現在の姿を生み出した。  あれが左派主義社会の理想を現実化した物だ。

 

残念なことに、”表現の自由”という名目で繰り返されている規制反対運動だけれど、こうした反対運動で一番喜んでいるのは、何を隠そう左派主義の者達そのもので。

そうした者達にとって難しい思想を解いて相手を引き込むより、原始的本能をいたずらに刺激する 乱交、近親相姦、同性愛、レイプや幼子を性の対象にするストーリーを漫画で綴るという、イメージで想像するのではなく、ダイレクトに

頭へ刻み込まれるシステムを通じて子供のうちから刷り込んでいくことは、彼らにとって理想完遂手段の一つとも言える。

 

色々なSNSを見ているが、保守的な処においてまで潜入している左派主義派は、保守という言葉を隠れ蓑にして一件よさげに活動しつつ、その実は 表現の自由という言葉を振りかざしつつ、こうした手法を通じて

盛んに伝統や社会を壊しにかかっているのをあちらこちらで見かける。

 

保守は正しい社会を守るからこそ保守なのだが、この規制に対する考え方を見れば、その人間の基本的思想が何で構成されているかというのはすぐに分かる。

 

何が恐ろしいかというなら、こうした左派主義の唱える自由とやらによって、かなり洗脳されてしまったと思える若い年代の子達が多く、この東京都が行う性描写規制条例の意味を深く考えず、

極めて感情的かつ妄信的に書き込みをしている姿を多数見かける。

 

あたかも全て規制され、言論統制までに発展すると言いたげな訳で、さらには漫画だけが規制されて、ネットや携帯ネットの世界は放任しているから不平等だと反対の理由にしているが。

東京都の規制はあくまでも容易に小学生等が 乱交、近親相姦、同性愛、レイプや幼子を性の対象とした漫画を購入できないようにしただけのことで、放置から一歩進めたと言うだけに過ぎない。

 

性が乱れるという事は、常に女性が対象である以上は、女性をオモチャとして扱うという事に他ならないのだが、なぜかこうした差別的表現の対象となっている女性の声が殆ど聞こえてこないのが

不思議でならない。

 

今回の規制はあくまでも東京都が対象であり、他府県では規制等が無いが、この規制と同様のものが全国へ広がることを恐れているようだが、この規制が本当に悪であるなら、他の自治体では

同様の規制をすることは無いだろう。

 

出版大手がこうした規制に大反対しているが、これは些かおかしくは無いか? 新聞含めてだただた発行部数が減るだけの現出版業界に大きな危機感を覚え、少しでも売り上げを減らしたくないというのが

本音で反対しているようであるが、そうした事情が簡単に読み取れてしまうやり方で良識有る大人と国民の支援を取り付けられるのだろうか?

 

そもそも、今の出版不況は、ネットのせいだけだろうか? そうした事になったのは自分たち自身が種を蒔いたからではないだろうか?

すでにネット社会では常識となっているが、大手新聞社の中には平然とねつ造 偽造、 変造、歪曲、政治的歪曲や煽動を繰り返しているところがあり、それがネットの普及と共にあからさまになった事から

信頼性が低下しただけのことであり、週刊誌等もほぼ同様の嘘記事などを平然とまき散らして、多くの人たちに迷惑をかけて読者をあきれ果てさせてきた。

その他の雑誌も、前と後ろの広告を破り捨ててみれば、中身の厚さは5分の1だった何てことは当たり前のように有る。

膨大な広告料をもらい、さらに読者からお金をふんだくり、しかしながらその中身といえば適当で安い情報ばかり、しかも広告会社製品紹介記事なんかがかなりのエリアを占め、肝心の中身は似たような内容をひたすら繰り返している。

出来る限り楽して利益を上げることがメインとなり、そこには読者不在の雑誌だけがある。

 

その穴埋めのために、女性を性のオモチャとしてしか見ていない 乱交、近親相姦、同性愛、レイプや幼子を性の対象とした漫画を小学生に売りまくり、 それを表現の自由だといいはる姿勢。

 

これが正しいのなら、日本の漫画に未来などないだろう。

 

 

 

 

 

 

 


近所付合いと忍耐の限度????

2010年12月20日 | 世の中

昨日、実家の大掃除を終えての帰宅途中、突然家内から携帯に連絡が入った。 

「なんだよ~?」また「これこれ買ってこいか~」、 と思いつつ電話をとると、 んんん???? 興奮していて言っていることがよく分からない。

途中から冷静な息子が出て、詳しく話を聞いたのだが、内容はこうだ。

娘と家内が車で帰宅途中、家から100mくらい離れたところで荷下ろしをしていた近所の人がいて、近所といっても100mも離れればまったく知らないと言ってもよい訳だけど、

道幅4Mの道路に車を止めて荷下ろしをしていた男性がいたらしい。

 

道幅が狭いために、めいっぱい寄せてくれれば軽自動車ならなんとかすれ違い出来るのだけれど、そうした駐車の仕方はしていない状態だったらしく、さらにその道が弧を描くように

曲がっている事から、夜間などはその道への入り口からよく見えない事から当然どんな車も入ってくる。

そんでもって、駐車している車両の前で、家内は娘としばらく待っていたらしい。 

ところが荷物の卸しかたがやたらと緩慢(わざと?)で、余りにも時間がかかるので家内が軽く「ぴっ!」とホーンを鳴らしたところ、その男性がいきなり車の処に来て窓ガラスをガンガン

叩きながら恫喝開始。

しばらく喚いた後、やっと車のエンジンをかけてのろのろと移動。

 

ちなみにこうした道路で、自分が荷下ろしせねばならない時等、出来る限り邪魔とならないように道路脇へどんどん仮置きし、すぐに車を移動するか、一度車を移動させて待っている車両を行かせるようにしている。

 

その理由は至極簡単だ、道路は公共物であり、駐車と荷下ろしは、往来を妨げ、短時間ながら公共物を自己利益のために支配する事そのものだからだ。 

しかしながらこの男性、道路脇(眼の前)が自宅ということもあったのか、道路側の門から一つ一つゆっくり家の中へ運んでいたらしい。 

 

気の強い家内(体育大出ています)は大人しく黙っている性格ではないので、すぐに車からおりてその家に怒鳴り込み、奥さんに事の次第を話した後、程なくして家へ帰宅で僕に電話ということ。

 

恫喝された家内は相当来ていたようですが、「警察呼んでいいか?」(迷っていたようです)というので、息子から正確に話を聞いた僕は、即座に呼ぶようにと指示。 

僕も帰りを急ぎますが、まだだいぶ距離もありますから1時間程かかってしまい、でも帰宅した時には、その男性がきちんと謝罪した(息子が家内に付き添ったこともあるのだと思いますが)ということで収まってました。

今後、万が一にでも蒸し返されたりして事が大きくなるようなら、もちろん僕が前面に出て対処します。 

 

「なんで警察?」と、疑問を持つ人もいるかと思いますが、 それにはきちんと理由があります。

近所というのは良くも悪くも、そこに家を構えて生活している以上はバランスが保たれねばならない。 

気持ち良い人間関係がベストだけれども、そう理想通りには行かないのが世の中なわけでありながらも、最低の関係というのがある。

 

例えるなら今回のように、片方が片方を平然と恫喝してやりたい放題、やられている方はその理不尽に黙って大人しく従うというような、有ってはならない歪んだバランス、

狭い近所付合いの中で、利己的な考えに従わされるという、いじめよろしくの上下関係等、けして有ってはならないからだ。

こうした事は一番初めの対応が肝心で、「こんな事で・・」と甘んじて黙認してしまうと、やった側は「この家は恫喝に弱い家だ」と認識を持ち、一度こうした意識が出来ると、

その人間が利口でもない限りは、頭の中に上下関係意識が勝手に構築されて、次に似たような事が有ればさらにエスカレートして自分の要求を通そうとする。

最悪なのは、味を占めて周り近所全体に対してそれを行い始めるという、小学生さながらの事をする。 こうした人間を僕自身何度も見てきた。

 

故にどうしてもそれなりの対応というのは必要になる。 

 

不要な紛争はけしてこちらから起こさない、しかしながら、こうした事が起きれば家を守るという考え方からきっちりと対処する。

残念なことに、この世の中には相手が女性子供だと突然強くなる男がいて、今回の出来事は至極小さな出来事だけれども、現実的に家を守るのが男の仕事である以上、それなりの対処は

必要となる。

 

ちなみに、帰宅した僕、家内にもきちんと注意。

300m程遠回りするけれど、ホーンを鳴らさずとも家に戻れる方法もあって、その道を使うという配慮もするようにと言ったけれど。

その迂回のために60mほどバックしなければならない事を考えると、無理も言えない。

女性の後退走行ほど恐ろしい物はない (笑)

 

ちなみに今回のご近所さん、家の裏側自宅敷地に、同じく道路から入れる自分の駐車場というのがきちんとある。

 

 

 

 

 

 

 


東京都性描写規則条例 女性を守るのは男の任務

2010年12月16日 | 世の中

「可決された漫画規制法案」、こんな感じでネットやメディアに散らばっている訳ですが。 これだけを見ていると、あたかも表現の自由を奪うだけの法案にしか思えない。

でもね~ 娘を持つ親の立場になれば分かるのだけれど、 規制対象となっているのは、近親相姦、強姦、中学生や小学生性交、乱交、挙げ句の果ては幼稚園児への性的いたずらそのものじゃないか?という様な物に関する表現。

「これが表現の自由?」 と思ってしまうものを対象にしているわけだ。

確かに漫画は日本が輸出している文化でもあるけれど、不要に嫌悪感を持つような物を世界中に野放しにすることが表現の自由だというなら、文化だというなら、毎日新聞が世界中にばらまいてきた変態記事も何ら問題ないことになる。

http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/   

 

「お前はスケベ漫画見たこと無いのか?」と聞かれれば、若い頃に「へへへへ・・・」とニタニタしながら読んでしまった事があるのは事実だ 「お~ 俺も規制反対派か!?」(笑)

ただ、おかしな興奮を覚える描写やストーリーには、さすがに不快を感じた事は間違いない。

性に関して、その対象が幅広いのは男の本能から来ているわけだか、女性そのものはそれを良しとはしない。

男の性に対する本能は二つあり、一つは単にそれだけのもの。

これはもっとも原始的で、動物レベルのものであって、原始的である以上はそれだけでしかない。

もう一つは人間の感情及び頭脳の進化と共に発達してきた、人間らしくて男だけに備わる本能。

自分の優位性を正しく女性に認めてもらおうとする本能だ。

 

これは遺伝子の選択権を持つ女性に対し、自分が他の男よりいかに優れているかを提示する為に行う進歩活動であり、社会という物を構成し、それを守ってきた歴史の中で構築されてきた物である。

まだ新しい(数百万年)が故に原始的な性本能よりはるかに弱く、それゆえおかしな教育や社会環境等の影響をきわめて受けやすい。

 

男の子は何かにつけて互いに競うように出来ている、それも新しい本能がなせる由縁だけれど、それに欠かせない物が努力、忍耐、我慢。

特に、やせ我慢というのがあって、これは女性を守るためには最も大切。

 

これに関して簡単な例をあげるとするなら、戦争がそうだ。    装備や数がほぼ互角であれば、戦場における勝敗は、このやせ我慢で間違いなく決着が付く。

やせ我慢が優れれば、約3倍の勢力に対抗できるのも歴史が証明してきた。

理由は簡単、負けると言うことは、女性を奪われるという事そのものだったからで、故に男はこのやせ我慢を歴史の中でひたすら磨いてきた。

 それが新しい本能へと変化してきたわけだ。

 

ところが、今の世の中がおかしな平等教育をしてきたことにとによって、男の子の持つこの優位性構築本能を歪ませ、忍耐や我慢をする必要を否定し、挙げ句の果てには努力や やせ我慢を笑いものにしてしまった。

男の子の持つ競争力がゆがんでくるということは、相対的に国力の低下を意味し、経済的衰退をそのまま意味する。

 

やせ我慢をしなくなると言うことは、他の男より優れようとする事そのものを辞めることであって、それによって原始的本能を制御していた力が弱くなれば、原始的行動が優位に立ってくる。

 

女性からすれば、遺伝子選択という面から優位性構築本能の崩れた男を選択範囲から除外するのは当然で、男が弱くなるほど、強い男の子を探し求めて競争が激化する。

 

対象がいなくなった女性は、弱い”男と結婚して不幸になるくらいなら結婚しない!”という発想になり、優先性構築本能が衰えた男は自分が無害であることを演じたり、男女平等を大切にするとかいった(草食系)口先理論でもって、ご機嫌取ったり、自分を肯定しようとする。

自信を失い逃走をはじめた男と、弱い男を見限り始めた女性達、晩婚化、結婚できない理由の本質は本能から考えれば至極簡単だ。

 

漫画というのは想像の世界が基本であり、それを楽しむのが漫画である

しかしながら、得ることの出来ない性を、普通の女性より弱い立場の性に向け、近親相姦したり、小学生を強姦する漫画で欲望を満たす、その姿を文化として社会が認めること、それも18歳以下の青年少女達にだ、

これがこの国の良き未来へ繋がるのなら?、おおいにやってもらいたいと思う。

少なくとも、小中学生を読者の対象として出版している現況を見るなら、それで世界の笑いものにされるような性癖文化を持つ国として歴史に刻まれるくらいなら、石原慎太郎知事と関係する人間の一人として、規制には賛成だ。 

反対している諸君、「君たちは男だろ!」 

 

【主張】都性描写規制条例 子供を守る当然の改正だ

2010.12.16 03:20

 子供の性行為などを描いた漫画の18歳未満への販売・閲覧規制の強化を盛り込んだ東京都の「改正青少年健全育成条例」が都議会本会議で賛成多数で可決、成立した。

 改正は青少年保護を目的とし、少女強姦(ごうかん)など社会規範に著しく反した漫画を「子供に見せない」という内容である。当然の改正であり、「表現の自由」を妨げるものではない。

 過激な性行為や暴力を含む図書を有害図書に指定し、18歳未満への販売や閲覧を規制する条例は大半の都道府県が制定している。

 出版社や書店側が「成人向け」などと表示し、販売コーナーを分ける自主規制も進んではきた。しかし、最近は教師と生徒の性行為や強姦、近親相姦を「恋愛」などと称して肯定的に描く漫画が目立つ。中高校生らに人気の漫画雑誌などに掲載され、一般書と同じ棚で買えることに問題がある。

 都の現行条例でも漫画は規制対象であり、指定有害図書の多くは漫画だ。ただ、性器や性行為を露骨に描いていなければ指定から漏れているのが現状だ。改正案は3月議会に提出されたが、一部の漫画家や出版業界などが「創作活動が萎縮する」などと強く反対し、先送りされてきた。

 規制対象について、改正条例では、強姦など法に触れる性行為や近親相姦を不当に賛美・誇張して描いた漫画やアニメ-と明確に指定した。「慎重に運用する」との付帯決議もついている。

 漫画家や出版社はなお反対しているが、改正は「18歳未満に見せない」との趣旨だ。石原慎太郎都知事が「子供の目に触れさせたくないということ」「書きたければ書けばいい」と指摘するように、創作を妨げるものではない。「表現の自由」を人質にとるような反対は、議論のすり替えと言わざるを得ない。

 出版社10社は、石原知事が実行委員長を務める来春の「東京国際アニメフェア」に参加拒否の声明を出した。改正の趣旨を見誤ったものではないか。日本の漫画は世界でも人気だ。それだけに、社会規範に反した漫画を放置することは、かえって表現の自由を妨げることにならないか。

 漫画以外でもインターネットを含めて子供を性的対象とする映像が氾濫している。子供たちの心身を守るためにも、公共の利益を踏まえた取り組みが必要だ。


民主政権だと国が滅ぶ明確な理由 軍事と経済

2010年12月13日 | 世の中

以前からこのブログで軍事と経済は密接な関係があるという事を何度も書いていますが、それを旨く説明する方法が無かった・・・

というか、こんなところでぐだぐだ書いたとしても退屈すぎて誰も読みませんから、書く気すら起きなかったのですが、このビデオでは本当に分りやすく説明されています。

注: それでも退屈な人もいるかと思いますが・・・・

何故、僕が一貫して自民党を支持し続けているかというなら、バブル崩壊後にガタガタだった日本経済を、マスコミによって先導された国民から袋叩きにされながら支え続けてくれていたからですね。

決して表に出ないところで素晴らしい政策を取っていてくれたおかげで、さほど酷くもならないレベルでなんとか経済は支えられていたわけだ。

ところが民主党が政権を取って以降、「自民が~!」という言葉と共にこれまでとは真逆の経済政策を取り始めた。

嘘によるバラ色の未来をちらつかせながら、本来なら景気対策で打てるはずのお金を世界中へどんどんとバラマキ総額10兆円なり~!、あげくの果てには子供手当を初めとする絶対に景気浮揚効果が無い(全て貯蓄へ回されるか、利益関係で対立して片方がつぶれる)政策ばかりやっている。

 簡単に言うなら、嘘ついて国民を騙し、増税してバラマキをやり、景気後退政策だけを取り続けているということ。

このガタガタ状態を軍事(これに替わる物?が有るなら別の物でも良いが)という側面から一気に経済状態を改善させるとするなら、沖縄、日本海、太平洋、北海道にそれぞれ1機動部隊、計4空母群を構成すれば総額100兆(10年にわたる経済対策、その間にアメリカはじめヨーロッパ経済も回復する)の経済対策となり、瞬時に景気は浮揚する。 

協力企業には減税を行い、失業している人達全てに職をもたらして地方経済を潤わせる。  故に建造は北海道東北地区、 日本海側の新潟など地区、広島などの中国方面、そして沖縄で行い、必要であれば建造施設も含めて地元の建設業へ発注。

艦載機はマルチロール機で次期米海軍採用のF35を使用して、米軍との規格統一を目指し武器輸出3原則はそれに絡めつつ緩和する。 

たったこれだけの事だけど、国民の生活を立て直す有効なカンフル剤が無い現在、箱物だけで何とかすることには限界が来ている以上、一番容易になしえる事だ。

 

軍事がらみでこう書くと、極右じゃないか?と言われることは間違いなく分っていながらこれを書いているのだけれど、デフレスパイラルの恐ろしさというのは絶対に節約(事業仕分けなど)で回復出来ない点にあり、自民党が支えとなっていた部分が、政権交代で崩落した現日本経済が、すさまじい勢いで落ち始めているその一部分はボーナスカット、有効求人倍率 0.54倍でハローワークに出来る行列、現学生の就職率をみれば誰にも身近に実感できる物だと思う。

問題はこれだけでは済まない、このまま民主党政権が続く限り、事業仕分けなどというパフォーマンスでごまかし喜ばされている間に、経済が加速度を付けて転落しはじめたら、もはや止める手段は何一つ無く、わずか数年の間にとんでもない事態となるのは、経済及び軍事を歴史という面からみれば容易に分かる事なのですね。

歴史は何度でも繰り返しますから・・・

そこに来てリチャード氏の言うとおり、ガタガタの経済で苦しむ民主主義国の中にやたら勢いのある人治国家が一人勝ちを続けて台頭すればどんなことになるか等、幼児でも理解出来るであろう。

 事は尖閣あたりの小競り合いどころでは済まなくなるわけだ。


娘が露出男に遭遇

2010年07月08日 | 世の中
数日前のこと、自分が帰宅すると娘が鳴き声で家内に話をしている。

「なんだ なんだ?」と理由を聞くと、下半身露出男に襲われたとのこと。

下校の時に駅から歩いて家まで帰るのですが、この二日間ばかり自転車で後ろからついてくるへんな男がいるのは知っていたらしいのですが、途中から脇道に入ることから問題ないと思っていたみたいなのです。

ところが今日は、その男がいきなり先回り、その先にある小さな駐車場でまちぶせ?し、突然ズボンを脱いで下半身を露出。

驚いた娘は一目散に走って逃げたのですが、追いかけてくるような事もなく、それ以上の被害は出なかったのは幸いですが、そうした事に全く免疫がない(というかこれが普通ですが)家の娘は相当ショックだったらしく、家で泣いていたわけです。

そのすぐ後に家内、そして自分が帰宅で、その話を聞いた僕と家内は即座に車に乗って付近一帯を捜索。

でも、「いるはずありませんよね~いつまでも。」 (^^;)


その男の特徴はしっかり娘も記憶していたことから、その後交番に届けを済ませ、近くの中学校と小学校にも一応連絡を入れておきました。

そして、今日、まさかとは思いつつ露出男の出た駐車場をバイクで回ってみると、特徴がピタリ一致する男が自転車で立っている。

横目で間違いないことを確認しながら通り過ぎ、その少し先の角をまわってバイクを停車、交番で言われたとおりにまず警察に連絡します(そうしないでいきなり取り押さえると、単なる喧嘩とみなされたり、下手すりゃ暴力行為をふるったと主張された場合に弱いらしいのです、被害者でもその場にいるのとは違って証明手段がないからです。 露出男はおそらく娘が帰宅してくるのを待ち伏せしていたのだとおもいます)。

そして取り押さえようとヘルメットをぬいで男のところへ向かうと、なんとすでにいない。

「勘するど!」 (ーー;)

だいたいにしてこうした変質者というのは鼻がきくというか、気配を感じるというか、やばいと少しでも思うとあっというまにいなくなるものらしい。

逃走も考えて自転車を準備しているわけですから、それこそ短い時間であっという間にいなくなる。

多少頭に来てそのあたりの藪なんかを探していると数分でパトカー到着、警察官と話して、僕もバイクで付近を回りますが、どこに隠れたやら・・・・

もう一台応援のパトカーも到着し、後は任せてくださいとのことなので、自分は帰宅しました。

最後に埼玉県の狭山警察の皆さんには感謝です、というのは、その後1時間くらいして家を出る都合があり、そのときにはパトカーが巡回し、バイクに乗った警察官が露出男の出たすぐ近くで張り込みしてくれていました。

その後、一時間半くらいして家に戻るときもまだパトカーは回っていて、バイクの警官も位置を変えて見張りを継続してくれていました。

おそらくはその後もそれを続けてくれていたと思います、本当に感謝します

警察に対するひどい批判や物言いをする人たちが沢山いますが、こうして見えないところで常に市民を守ってくれているのが彼らなのですね。

派手に見えない地道な仕事であるが故に、平穏な時には何もしていないように見られてしまう、しかし、確実に彼らは仕事をしているわけです

警察予算、そして防衛費もそうですが、いざというときに国民を守るために存在する物を”無駄だ”と言い放ち、さらには削り、平然としている民主党の実態というのはそうした概念が著しく欠落した人間の集まりではないかと思ってしまうわけです。






太っ腹がどうとか鳩山首相 「たかが外国人参政権?」 杉並区の事実

2010年03月02日 | 世の中
「外国人に地方参政権ぐらい?あたえてもいいんじゃない」、なんて言う人が多いが、

東京都杉並区で起きた事実(区長より)をここでは目にする事が出来る。

参考までにアップ

Yahoo! みんなの政治 VOICEから紹介

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100216-01-1401.html


一部抜粋

関係者と思しき人びとが大挙して傍聴に訪れて傍聴席に陣取り、大きな声で野次を続けた。議会の傍聴席でそのような行為は禁じられており、議長も注意をするのだが、どんなに注意されようとも意に介さない。さらに、区長室の前にも多人数で押し掛け、シュプレヒコールを繰り返したのであった。
 
 もし、外国人参政権が付与されていたらどうなっただろうか。外国人が区長や区議会議員に対する選挙権をもつようになり、そのうえであのような激しい抗議活動が行なわれたとすれば、与野党を問わず、彼らの顔色を窺おうとする議員が出てきただろう。また、たとえばルール違反の抗議活動を排除しようとした場合、これまでならば、「日本人が責任をもつべき教育の内容について、このような干渉をするのは失礼ではないですか」と主張することもできたが、外国人参政権が認められていれば「同じ有権者なのに、われわれを日本人と差別するのか」という話にもなりかねない。





http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100216-02-1401.html

一部抜粋

 彼らがマニフェストに高々と掲げ、日本国民に問うという手続きを踏んだうえで外国人参政権の問題を進めるなら、まだ話はわかる。だがその部分を隠し、外国人にだけ約束するのでは、まるで民主主義の体を成していない。マニフェストにないからこの問題には取り組まないと思って投票した人は、民主党に騙されたも同じである。
 
 民主党政権には、自分たちがどこの国の政権かという認識が欠如しているともいえるだろう。「友愛」を看板にした無国籍政権、さらにいえばまったくの媚中・媚韓政権である。中国、韓国に対して「対等」ではなく、「卑屈さ」ばかりが際立つが、このような「卑屈」な国家関係ができあがれば、いずれ必ず争いが起こる。