帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

父親としての成績表

2009年02月14日 | Weblog
「娘からみた父親の成績表を書いてみようか?」なんて思ったものの、「ぶっちゃけそれって意味有るのか?」と疑問に感じたまま一週間が過ぎてしまいました。

子供のほうから親に成績をつけると問題なのかもしれませんが、親のほうから子供に聞いて”自分で自分の成績を勝手につける”のは問題無いだべ。

と変な納得をして、「多少自虐的な要素が入ってかえって面白い?」なんて思いながら、「そんじゃ」と筆を執ってみました。

ところがです、「いざ成績!」って題を掲げても、それじゃ何の成績なのか?と考え始めると一向にまとまらない。

ただこれって、当たり前の事でも有るわけでして、たとえば容姿というものをあげてみるなら「誰が?何が?基準なのか」という簡単なものすら定まらない。

そうなってくると、こういったどうでもよい事から始まってだんだん「人そのものの評価とはなんぞや?」というところまで考えが進んでしまうわけですが、
これも西洋的思想や東洋的思想等にみんな影響を受けてますし、そうしたものを越えて誰にでも共通に持ちえる基準として結局行き着くところは本能となります。

ただし本能は誰しもが持っている物で、それそのものは人のもっとも基礎をなすものですから、いうなれば2×2=4みたいに絶対不変の法則ですから、評価というものがそもそも馴染まない。

(― ―;)「これはこまった・・・・・」(汗)

次にその基本である本能を”その人がいかに上手く・正しく運用出来るかを測るのが唯一可能な方法だろうか?”なんて思うけど、
それってその人が生まれて死すまでの人生全体を通して見なくちゃならないし、


単に学校の成績のように単語、文法、公式、を元に暗記を繰り返すようなものは単なる技能でしかなく、故に評価は成り立つが(だから先生は成績をつけることができるのですね)、このように人間性にからんでくると全く評価の仕様が無い。

それでは教えている側は何を基準にして子供達を評価しているのかと考えるなら、部活動の積極性や提出物の期限が守られているとかそうでないとか、遅刻、早退するしない、クラスで騒ぐ騒がない、 不良や非行行動するしない、先生の期待通りに動いてくれるとかという事に限定されてきて、

「はて?」(― ―;) 「これって単に大人の目から見て単に望みどおりの行動をする子が良い評価を得られるのが「あたりまえじゃん!」

そういえば、自分の小学生時代って全く先生の言う事を聞かなかったし、やるなと言われるとやり、器物はよく壊す、悪ふざけでガラスは割る、火遊びしまくり、宿題忘れ多々、提出物期限は守らないし、自分勝手だったから友達少なかったし(一緒に悪さする仲間だけはいた)、おまけに弱虫で喧嘩弱!(爆笑)

さらには勉強できず特に音楽は最低最悪、鼻ほじって机の裏側に貼り付け、給食食べるのはクラスで一番早いけれど四則演算はクラストップレベルの遅さ、万引きしたし、女の子を泣かすわ、弱いものいじめするは、次から次へとetc、etc、・・・・

「ん~! 出てくる、出てくる最低&駄目のオンパレード!」 

ほれ! \(^▽^)/ ワッショイ! ワッショイ♪













(――;)うむむ・・・・ 激落ち込み中・・・・



とりあえず、成績まで行き着かないので、娘からみえる私のイメージを一つだけ紹介します。

何かと思えば青空を舞う“鷲”だそうです。

これって僕が若い頃からずっと使い続けてきたシンボルマーク(こうありたいという自分の憧れを僕はそのままシンボルにしてきました)なのですが。

「こうした何気ないところにある親の一面に影響を受けて子供は育つものなんだよよね~」 と思うわけですが、今更ながらになぜ自分が子供に寛容でいられるのかという理由が解った気もします。

(^^)えへへ