帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

リビングりフォーム 準備

2011年09月17日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

狭い我が家に同居してくれている息子夫婦。

特に一言の文句も言わず、いつも美味しい夕飯を作ってくれている嫁さんには 唯々感謝で頭が上がらない。 

さて、孫も出来た我が家だけれど、いま息子達が使用しているのは一部屋、どう考えてもそこに3人暮らせるはずが無い。

そこで、二階の僕と家内が使っている部屋を、とりあえず明け渡すことに決めている。

嫁さんが実家から孫連れて戻ってくるまで、あと数週間しかないので だんだん焦ってきた 

 

家の場合、家族構成の変化に合わせて増改築で対応可能なように、この家を建てる際にあらかじめ僕が考えて設計(設計士と相談して)したのだけれど、最終的には5m四方有る庭に増築し、LDK部屋と普通部屋を造れるようになっている、

昨年の春に二階の部屋区切って娘の部屋を造り、今年の春に屋根裏を収納にしたのはその一環だけれど、今回次段階としてリビングを区切って5畳の部屋を造る。

 

LDKそのものは16.5畳あるのですが、僕と家内の部屋で5畳ほど取りますので残り11.5畳、庭の増築をもし行なえばその後にそれをさらに区切って7畳ほどの大型収納室を設け、冷凍庫を置いたりウィンドサーフィンやスキー道具、季節用品、大工道具を入れたりする。

3.5畳ほどある現キッチン区画はシステムキッチンユニットを取り払い、タンス等を全て此処に移動させ、衣類や布団関係を一気に収納する部屋にする予定。

 

二階は現在3つの部屋と納戸部屋(3畳)があるのですが、他には屋根裏に24畳近い空間(天井高が1.2mほどしかない10畳の収納スペースと、最大1.7mくらいの天井高さが有る部屋へ改造可能な14畳) があり、とりあえずはこのくらい有れば、息子夫婦もしばらくは何とかなると思う。

 

今回区切って造る5畳の部屋ですが、僕にとっては単に寝るだけの部屋なので、パソコンラックとテレビが置ければ大きさとしては十分すぎるくらいだ。

工事そのものは部屋の中にストレートな壁を一つ構築し、引き戸を設けて独立させるだけなのでたいした工事ではない。

 

しかし・・・・・ 、そんなことより、現在部屋の中にある物を収める場所を新たに確保する事のほうが遥かに難しい。 

基本的に物を溜めないポリシーの家だけれど、それでも必要最低限のものだけは残ってしまう。

 

どこに無駄があるのかと部屋を見渡すと、まず目に付いたのはパソコンラック。

実はこれ、かなりの空間を無駄に消費している。

当たり前の事だけれど、天井から床までこんなふうだ。

まず プリンター上部にある 完全に無駄な空間 そしてプリンター と PC本体 その下にディスプレイ しかも 薄型LCDなのでその後ろは完全デッドスペース、 そのすぐ下はキーボードとマウス、 その下は再びただのガランドウ。

完全にスペースの無駄だ  

 

そこで、ほぼ一日費やし、出来る限り安価に造れ、そして収納無駄が出ない 収納棚&パソコンラックを 考えることにした。

でも、そんな簡単に解決できるはずがないのも現実なんですね。

湯水のごとくお金を使えれば何の苦労もない、でも工夫するから楽しいのだ  と金欠の自分に言い訳するのだけれど・・・ 

 

 

 

 

 


どうにもならない もどかしさと

2011年09月17日 | 世の中

これは僕の友人の話です。

この友人 Y君 多少知的障がいがある。

そんな彼が数年前に結婚した、まじめで、嘘をつかず、謙虚で人が良い彼の事だから、

きっと素晴らしいお嫁さんが来てくれたのではないかと僕は思っていた。

 

式を挙げなかったことから、まあ年齢的なものもあるだろうし、と思っていたのだけれど。

実際は違う現実がそこにあった。

 

ため息ついても仕方ないのだけど、結婚したのは日本人の女性ではなかったのだ。

いや、日本人でないから いけないのだ 等という差別的発想は僕には無く、それでは何故ため息なのかと

いうなら。

いわゆる彼のもつ知的障がいをいい様に利用した、簡単に言うと偽装結婚?であることが傍から見てすぐにわかってしまうからだ。

結婚したその女性には子供が3人いる、ひとりは小学生、後二入はすでに18歳以上で、

Y君の家庭には小学生の子供だけがいる。

そして二人だけの家庭でもある。

なぜ二人だけなのかというなら、伴侶である女性とその娘、息子は都心のほうで別に世帯をもって働いている。

小学生の子だけは働くことは出来ないので、Y寝るところと食べる場所だけを得させる為にY君のところにおいている。

 

話を聞くと夫婦という事になって、籍も入っているが、現実的夫婦関係はなく、まったく顔を合わさずに、ずっと長い生活が続いている。

明らかな日本国籍取得の為になされた結婚ではないか?と、僕はおもってしまうわけだが、これでいいのか? 解っているのか?

理解しているのか?と、直接 Y君へ問うわけにもいかない僕は一人で歯軋りすのだけれど、「そんなことどうでもいいんだよ」とでも、なんら苦にしていないように

みえる彼の心の中には、僕なんぞに理解することが出来ない思いというものがあるのだと思う。

 

人は、今が幸せであると、すぐにそれになれ、不満を抱くようになり、さらに、次にと欲が出て上を求めるようになる。

いったどこまでいいけば満足するのだろうか?と思うが、そこに上限などあるはずもなく、一つだけ言えるのは。

家族を構成している一人ひとりが健康であることが全ての基本。

そのうえで、一人一人がそれぞれが小さな欲を抱き、自分の目標とするところに向って歩んでいく、そしてそんな家族が一つの食卓を囲んで過ごす一時。

それが僕に取っての最高の幸せだと言うこと。

 

普通ということがどれだけ難しい物なのか・・・ という事が身にしみて分かるようになってきた僕です。    

 

 

 

 

 


取材

2011年09月17日 | 研究-教育・育児

ワールドカップに関しての事だけれど、ごく小さな地方新聞の取材を娘がうけ、それが記事となった。 

ただ、「やはりね~」と思うような書き方がされている。

よく、取材を受けてそれが新聞やテレビ番組になると、その内容が取材を受けていた

人物の言葉と全く違うニュアンスで書かれていたり、思いを無視して勝手に内容を

書き立てたりするのだけれど、案の定、もらってきた新聞の記事にはそうしたねつ造?が加えられていた。

 

「だから嫌なんだよね~」と、変に名が出たりせずに 常にアウトサイダーで目立たないほうが

良いのだという事が、こうした出来事からはっきり認識させられる。

娘は何も言わないが、僕と同じ事を思っているのはすぐに分かる  いい勉強だ。

 

文面を読んでみると、そこには書いた人間の思考が現れており、それではどんな気持ちで記事に

しているのかと? 僕や家内が読んで感じとれる印象を簡単に書き表すとしたら、

”嫉妬らしきものと同時に小馬鹿にしている”という事がすぐに読み取れる。

どれだけ話をきちんと聞いていたのか? と錯誤と間違い、勘違いだらけの文章にあきれもするが、

他人を通して表現されるということは、こうしたものなのだと思うわけです。 ちなみに取材したのは

女性記者でした。

 

この先、いくつかのメディアにて、ちいさな記事で紹介される様ですが、まともな内容を期待したい、なんて思う僕です。