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テレビ番組から

2006-09-11 12:24:18 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日の夜はテレビを見る日。

たいてい8時から新日曜美術館。N響アワー、芸術劇場とつづく。内容がおもしろくなければあっちこっちチャンネルをまわす。11時半からは世界遺産、そして12時半からドキュメント06だ。

新日曜美術館はターナーだった.イギリスの田園風景は好きだが、

ターナーの絵は絵画としては好きじゃない。で、テレビはいったん消した。

N響アワーもシューマンの「春」これもあんまり好きじゃないので、また消した。

世界遺産はハンザ同盟都市ヴィスビー、バルト海に浮かぶゴットランド島にある。スウェーデンだ。ヴィスビーはどこの国にも属さない交易都市で、作ったのはドイツ人たち。ハンザ同盟にしたことで繁栄した。その富を狙っての悲劇もあった。ハンザ同盟というとベルゲンを思い浮かべる。

12時25分からはドキュメント06。「私は人を殺した・・元日本兵と女子大生」

元日本兵は80歳以上、戦場でどんなことをしたか、語り継いでいる人々である。国のために戦い、靖国に祀られるのが誇りと教えられた世代の人々である。

「動いているものは人間であろうと、猫であろうと、ことごとく殺した・・」

生き残った戦友たちも、一人二人と歯が抜けるように亡くなっていく。そういう人たちと、戦争をまったく知らない女子大生との出会い、と話し合いをじっくりと時間をかけて描いている。取材を始めて、元日本兵がひとりなくなった。退院したら、

体験を語ると約束していたが、ついに聞けずじまいになってしまった。

元日本兵は靖国神社に行き、元兵士にあって、体験を話してくれるよう呼びかけ、承諾を得ている。だれしも思いは持っている。若い人たちにも話しかけている。どうして靖国にくるのか、と。若者は「国のために戦ってくれたから」と簡単に答えている。また、ごくごく軽く、観光の一環だと答えている。

女子大生も下日本兵に連れられて靖国神社へ行った。靖国に祀られることを誇りにしていた元日本兵はA級戦犯と合祀されている現状では祈れないと手を合わせることはなかった。女子大生達は手を合わせたが。そこには戦友たちが戦場の尖兵としてどんな思いで死んで行ったか知っているからだろう。

沖縄、姫ゆりの塔で生き残りの女性が経験を語っている、その言葉を聞いた、姫ゆり部隊の少女たちと同じ年頃の若い女性が、彼女達の言葉が「こころに届かない」と感想に書いた。ショックだったという。

締めくくりの元日本兵の言葉

「「今の若者は団塊の世代の子ども達。団塊の世代は私達の世代の子ども達。私達の言葉が、心に響かないのはしかたがないですねぇ、そして同じ過ちを繰り返して、同じように苦しまなければならないのでしょうねぇ。でも一人でも話を聞いてくれる人がある以上、戦争体験は語り継いで行きますよ。どんな理由があろうとも、戦争はもう二度といやだ。」

途中、耐えられなくなって、中座してしまったが、よくまとまったドキュメントだった。それにしても毎度のことながら、ドキュメントが真夜中に放映されるのはもったいない。

コメント
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