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Cogito

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ラサ騒乱

2008-03-15 20:23:25 | 日記・エッセイ・コラム

テレビで報道されるラサの様子に心を痛めている。いずれ詳しいことがつまびらかにされると思うが、多くの死傷者がでたであろうことは伺える。

私がラサを訪れたのは2000年のことだ。すっかり中国風になっていた。それ以前にラサに行ったことのある人は、変わったと言っていた。教育推進なんていうスローガンがあちこちに張られていた。これは中国同化政策に他ならないと感じられた。

中国侵攻によってめちゃめちゃに破壊された寺院も訪ねた。それでも人々の手でかなり復興していた。それはとりもなおさず、チベット住民の篤い信仰心の表れだと感じた。

ネパールでもチベットをいくつも訪れたことがある。チベット難民はむしろたくましく生きていた。

2000年の旅のいよいよチベットを去るその日の朝の私の感想がある。その一部を載せてみる。

「星に願いをかけるとしたら、ダライ・ラマをこの地に帰してやりたい。
私がチベットに来た目的のひとつは、チベットの人たちの素顔を、もちろんおおっぴらには許されないことではあるが、かいま見たいと思ったからだ。個人宅への訪問も、こういう会話も禁じられていることは百も承知だ。表向きの信仰の自由とは裏腹に、中国政府の締め付けはまだまだなくなってはいない。

 ダライラマがこの地を去って、41年(1959年、ダライ・ラマは馬でインドに亡命。このとき、中国の侵攻で150万人ものチベット人が殺された。拷問もひどかったようだ。ネパール、インドにはチベット難民がかなりある。亡命したダライ・ラマはダラムサラにチベット亡命政府をつくっている)、町は中国風になり、「デヒデレ」という呼びかけに、人々は「ニーハオ」と答えるごとく、表面は中国ナイズされてはいるが、密やかにはダライラマを心の支えにしていることが、感じ取れた。 このような自然環境の厳しい土地で生きるには、信仰という心のよりどころは必要なのだろう。・・・」

この思いはまだ変わらない。

コメント
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