晴れた。今日はビンごみの日。分別したビン袋は重い。
PCを立ち上げ、議会傍聴の準備をしている。ところが9時になっても画像が出てこない。議会へ電話をするとあちらの都合で放映が遅れているという。やっとつながった。昨日のうちに議案を見ると、定数削減があった。で、それを見てから、確定申告に行こうと予定をする。
議員定数 現行11人から1人減らして10人に。それに対して、予定通り黒岩さんが壇上に立って反対討論。原則論の主張。それはそれで納得。ついで高橋さんが壇上に。反対討論の後は賛成討論だが、マスクのせいで内容がはっきり聞き取れなかったが、賛成討論ではないみたいだ、さりとて反討論でもないみたい???画面に耳をくっつけるようにして聞き取った限りでは、この議会では定数は8人が妥当だと言っているような。よくわからん。結果は、賛成多数で10人に決定。秋の選挙から定数は10人になる。ただ反対に3人、黒岩さん、高橋さん、青木巌さんが座っていた。へ~。ってことは高橋さんのは反対討論だったのだ。明日また湯河原新聞で内容を確認しよう。
原則論としては議員は多い方が民度は高くなる。戦前戦後の議会の歴史を見れば、開かれた議会、民主的な議会を目標に先輩たちが努力してきた経緯は感謝そのものだが、ただし地方の町村議会は古い体質を維持したまま、住民の声など耳もかさない、民主化されていない議会が多いのも事実だ。議員の資質も落ちている。だからあんな議会なら、無駄な報酬を払って温存させることはない、という意見が出てくるはやむを得ない。残念ながら、これはいたちごっこの感がある。
世界の議会の在り方、特に先進国のだが、勉強したことがある。議員定数は、民度の上に成り立っている。民度とは、この町を例にすれば、町民が町政を知り、理解していることに他ならない。そのためには、町は、町政をきちんと町民に前もって知らせ、理解してもらわなければならない。実際、どれくらいの町民が町政を、平たく言えば、町政が何をやっているのか、どういう指針で政策を打ち立てているのか、お金がどう使われているのか、理解しているだろうか。それ以前に、まず、町が、前もって町民に知らせる、これが抜けている。知ったときはもう計画ができて、単なる型通りの提言しかできないことは多い。住民は置き去りだ。おんなじ人間で作り上げるから斬新な意見などない、マンネリ化。
あ~、やめた、やめた。いくらボヤいてもこれは解決しそうにないから、ボヤくだけ無駄かも。こういう諦めがまたマンネリ化につながっていることも確か。町民放棄だなぁ。