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今日はパパの誕生日(うた)

2021-03-13 09:49:25 | 日記

Papasanの84歳の誕生日。

外は雨。びしょびしょと音立てて降っている。予報では夜には上がるそう。

いくら起こしても起きてこない。「誕生日ぐらい、しゃきっとしろ!またハンストのつもり?」と聞くとうなづいている。「なら今日はもう放っておく。勝手にせい!」

山椒ちりめんを煮あげ、スポンジを焼き、シフォンも焼いた。やる気はあっても、最近は気力が無くなってきた。

午後3時、ミンスクのアンドレイさんから電話がかかってきた。毎年、Happy Birthday」の電話をくれる。アンドレイさん、Skypeできる?と言うとできるという、そこへpapasanが起きてきたので代わった。懐かしそうに話をしている。お子さんは元気?近くにいるんでしょう?なんて聞いていいる。記憶、まだまだ大丈夫だ。

4時45分には娘からのSkype。この時間はちゃんと待っている。とはいえ、しゃべるのは私と娘。papasanは振られても短く答えるだけ。今日はギリシャの哲人の話。彼女が読んでいる次の章はマルクス アウレリウス。「五賢帝の一人だよね。ストア派だっけ、スコラだっけ?彼とてもストイックな人だったって記憶があるんだけど?」と話を向けたけど「忘れた」の一言。マルクス アウレリウスはストア。

夕食の支度してやらない、と言っていたが、結局は作ってやってしまった。ただし、一杯は出してやらなかった。というのは今夜は東大寺のお水取りの生中継がある。6時間もかかる、そうだ。多分途中居眠りしてしまうだろうけど、なるたけ起きてみていたいから。

芭蕉の野ざらし紀行に、二月堂で「水取や氷の僧の沓の音」という一句がある。二月堂の横には芭蕉の句碑が建てられていて「水取や籠りの僧の沓の音」となっている。これが、かなり論議になっている。私は芭蕉研究家でもないし、常識程度、奥の細道を読んだだけだが、なんか「氷の僧」の「氷」がお水取の、寒い空気、精神的な張り詰めた緊張感、などが感じられて、氷の僧の方が妥当なのではないかと思っていた。

延々と1270年も変わることなく古式を守り続けている儀式。火をおこし、その火だけの明かり。だから中継の映像も暗い。こんな暗い中継は初めてだと説明があった。でもどらなどの音響が入り、結構にぎやか。五体投地で床に倒れる音も響く。この儀式、シルクロードを経て伝わってきたらしい。莫高窟にそれを物語る壁画が残っているそうだ。研究者のどっかの教授が、中国で、調べていたら、むしろ日本にこそ古い儀式が残っているのではないか、と教えられ、東大寺を訪ねたのだと言っていた。伝わった儀式がそのまま残ったのは1270年もの間、毎年途絶えることなく続けてきたから、5年と10年とか、中断していたら正確には残っていない、また祈りが普遍的な、すべてへの平和と愛だからとも。時々居眠りはしたけど、一連の行事を見ていて芭蕉の句、「氷の僧」より「籠りの僧」の方がふさわしいように思えた。

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