1945年、昭和20年8月15日、敗戦。よく晴れた真夏の暑い一日だったと言われている。しかし、国民学校(小学校2年生であった私には8月15日の確たる記憶がない。きっとその日も海に遊びに行っていたのだろう。毎日、晴れても降っても、海に泳ぎに出かけていたから。 ただ毎晩電灯に黒い布をかぶせていたのだが、母がもうその必要がないと言って布をはずした。「電気って明るいんだねぇ」と感嘆したのは覚えている。きっとその日が8月15日だったのだろう。
8月15日から一月弱前の7月22日、いつものように妹と海で遊んでいて、いきなり低空飛行してきた戦闘機、グラマンから機銃掃射を受けた。機内の人影も見えた。警戒警報も鳴らなかったし、初めは飛んできたのは日本の軍用機だとおもって手を降ろうとしたくらいだ。
キーンと岩に当たって跳ね返る銃弾の音、プシュプシュと海の水面を切る音、「危ない、逃げるんだ」と近くにいたオジサンは水中に飛び込んだ。私達もあわてて逃げた。夢中だったので、小さなマンホールに妹といっしょに落ちた。これが幸いした。マンホールの中でも岩に当たるキーンと言う音、プシュプシュと言う音は聞こえていた。程なくグラマンは飛び去った。
二人とも怖かったのだろう、声も立てなかった。私達の怖い記憶はここまで。
その後、熱海市史を読んで、この2機の飛行機が、私達を銃撃した後、熱海から4kmはなれた初島の沖で、漁をしていた漁船を襲い、22名もの死者を出していたことがわかった。そしてさらに、この襲撃を真鶴で見ていた石船が、救助に向い血だらけの漁船を引いて帰ったのが真鶴港であった。港に入った血だらけの漁船をPapasanたちは見ている。
この時の石船に乗っていたのが、Kさん(故人)だった。このKさんから銃撃されて脳みそが飛び出した人の介護をしたという話は聞いていたが、一連の事件には結びつかなかった。この事実を知ったのは、そのKさんがなくなってからのことだった。だんだん、この事件の目撃者は、目撃した場所は違うが、私が知っているだけでも増えてきた。それでもこの2機の飛行機がどこから来てどこへ行ったのかはわかっていない。調べてもらってはいるのだが。
敗戦の前日の14日、小田原は空襲にあって焼け野原になった。戦争が終わることは日米どちらも承知していただろうに。 前日に焼け出されたのだ。なんとも理に合わない。
そして8月15日は我が家ではラッキーの満一歳の誕生日。
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卵を産んだ。ヒナはまだピヨピヨとは鳴いているが、おばさんは一人前と認めたのかも。いままでシフォンをやると、自分は食べずにヒナに与えていたが、自分も子そって食べるようになった。それはそうだ。自分が食べなければ、次を育てられないものね。
日記をさかのぼってみると、ヒナが孵ったのが6月24日。ほぼ1ケ月半。これで自立なんだ。まだ甘ったれてはいるけれど、生意気ヒナ、どうも雄鶏に見える。
夜、空を見上げると中央の部分だけ星が出ていた。白鳥みたいだ。ペルセウスが上がってくるには時間があると、寝てしまった。2時ごろ気がついたがもう起きるのは面倒で、流星なんて何度も見ている、めずらしくはない、なんて負け惜しみをつぶやきながら寝てしまった。各地からの報告だと、今年もよく見えたようだ。
十数年ぶり、いや、数十年になるかな、とにかく箪笥の肥やし状態の和服の虫干しをした。結婚当時はお茶をやっていたので、着物が長く入れられるように、大きな和ダンスを買ってもらった。子育てでお茶はやめてしまったが、それでも和服との付き合いは続いていた。式典とか祝いの席には和服の方が持っている物を使うという意味でも、便利だったからだ。ただし、これはあるときからある理由をもって、和服で出席するのはやめてしまった。
娘も着物が好きで、正月には必ず着ていたので、母に選んでもらって、さらに仕立ててもらっていた。娘が出てしまってからは、それこそ和服を着るのは結婚式に呼ばれたときぐらいしかない。
箪笥は邪魔もの扱いで、だんだん隅に追いやられてしまった。だから、日のささない、湿気の多い場所になってしまった。しかも箪笥の前にはテレビが置かれ、箪笥は壁同然の扱いだった。それでも気にして、ときどき乾燥剤は入れ足りはしたが。
春、妹に虫干しをしたほうがいいと言われて、暑いさなか意を決して、テレビをどかして箪笥を開けて見た。お~、びっくり。一番下の引き出しは白カビがびっしり。こりゃ、いかん。
引き出しの一番下は足袋とか肌襦袢とか、腰紐とか、そういった小物が詰まっている。入れてあるものはともかく、引き出しの乾燥が先だ。汗をたらたら流しながら、屋根の上に引き出しをはこび、中の物を屋根の上に広げた。引き出しは長いのが4段、4ケ、そして小引き出しが3ケ。下から2番目に入っていた浴衣類も白くカビがついている。こりゃ~、クリーニングに出さなくてはだめだ。雨コートも白くついている。夏物のウールの着物も何枚か入っている。大丈夫みたいだ。ここはたとう(畳紙)が入っていたのが役に立ったみたいだ。
次の段はウール類、ちぢみもここに入っていた。ウール類は大丈夫そうだ。ウール類のその上が名古屋帯など、簡単な帯類。さすがここまではカビは来ていない。
箪笥の引き出しのカビを拭いて、乾かすのに2日かけた。その間、箪笥の方には扇風機で風を送っていた。さて、3日目、上段の観音開きになっている引き出しを出した。ここには絹物が入っている。物干し竿にかけたり、ハンガーにつるしたり、窓辺につるして横から扇風機で風を当ててみたりした。扇風機で風を送るのが効果的なようだ。そこで2台の扇風機で風を当てた。
無精者の割りに、着物はちゃんとタトウに入れて、さらにシーツで包んであった。たたみ皴がつかないようにちゃんとタオルが入れてある。なかなかやるじゃ~。タトウもシーツも屋根にもって行って日光浴させた。
ほっとしたのは、着物にシミやカビは出ていなかった。よく着たものは汚れはついているけれど。
さぁ、しまおう。ベッドの上に大きなシーツを広げ、一枚ずつたたんで、タトウにいれ、しまい始めた。そんなに衣装持ちではないのに、それでもうんざりした。冷房もついているし、扇風機も2台も回っている。それだけでもおかしくなりそうなのに、大嫌いな片づけだ。着物のたたみ方は覚えていたが、あれ、長じゅばんのたたみ方はこうじゃなかったな、道行のたたみ方も違ったな、なんて、それこそ折り目を見ながらたたんでいる。足と腰が痛くなってしまった。あ~、衣装もちでなくてよかった。
まだまだ片付けは明日も続く。屋根に干したものは一応2階のベッドの上においてある。引き出しもそのままだ。あれを下にもってくるだけでも憂鬱。とはいえおきっぱなしにしておいてネコにオシッコでもかけられたら大変。もうひと頑張り、いやもうふた頑張りだ。
クリーニングに出せるものは出してしまおう。
私は冷房が嫌いである。冷房してあるところに長らくいると、いつも体調を崩してしまう。そう、所謂冷房病というのになってしまうのだ。だから汗をたらたらと流しながらも、扇風機すら回さずにいる。我が家は緑が多いので、他所よりは温度が低くなってはいるが、それでも日中は暑い。
急に暑くなった数日前、エアコンがこわれた。エアコンがダメになって、一番困るのは犬たちである。二重コートのコリーは暑さには弱い。ハァーハァー、大きく息をしながら、ぐたっとしている。扇風機を回してやると、扇風機の前でのびている。
エアコンを買ったそもそもは、イヌのためであった。大型犬としては14年も長生きした老犬のネフェルティティが、医者に「この夏を越せないかもしれない」と言われて、少しでも心臓に負担をかけないようにと冷房を入れてやったのである。
昔から老人が亡くなるのは、冬ではなく、夏の暑さに耐えられなかった方が多かった。寿命は延びたひとつの理由に夏が涼しくすごせるようになったことがあげられている。
冷房が入ってよろこんだのはネフェルティティだけでなくPapasanもであった。冷房嫌いの私は寄り付かずにいたが。涼しくしてもらったのがよかったのか、ネフェルティティは夏を乗り切った。
ネフェルティティが死んでから7、8年になる。夏以外はそれほど使う頻度は高くないエアコンだが、それでも設置してから7、8年は経ったことになる。もう寿命かも、と言いながら、月曜日、歯医者へ行ったついでに、エアコンを物色してきた。
イヌのために買ったので、Papasanがどこかで買ってきた。私はどこで買ったか、どこの製品だかも知らない。一応、保証書を探してみた。何年何月に買ったとはPapasanの字で書いてある。でもどこで買ったか店の名前はない。よくみると、製品はダイキン工業のものだとわかった。そこでネットでダイキン工業を検索して、問い合わせをすると、住所はどこですか、電話番号は?と即座に明日検査に来てくれるということになった。 それにしてもダイキン工業って、すごい対応だな。消費者としてはありがたいことだ。
半分はあきらめて、半分は期待して、修理が来るのを待っていた。もしダメなら、その足で買いに行ってもいい。アヌビスやネフェルティティの年を考えれば、この2匹も後7年は生るだろうから。
5時過ぎ、修理の人が来た。調べて、直るという。あ~、よかった。1時間足らずでなおり、エアコンは再び働き始めた。犬たちとPapasanが閉め切った冷たい部屋で気持ちよさそうに寝ている。 「アヌビスもネフェルティティも暑い夏を乗り切って14年も生きたんだぞ。それに比べたらお前達はたるんでる。便利なものが出来ると動物も我慢が足りなくなる」なんて言ってしまったが、昔の夏とは違うし、どだいコリーなんて暑い日本で飼う方が間違っているんだよ。まぁ、この程度のことはしてやりましょう。
もっとも、私は家中の窓を開けっぱなして、通り抜ける風に吹かれながら、自然の方がいいと頑張っている。
夜風は涼しいんだけどね。もっとも明るいので、網戸にはセミが鈴なり。そういえば、今年はミンミンとアブラが多い。抜け殻が葉っぱにまるで住宅難のように、びっしりついている。今日、ツクツクホウシの声を聞いた。
あ~、チャドがミンミンを捕まえてきた。うるさいよ~。