なぎのあとさき

日記です。

6・20

2024年06月21日 | 日々のこと


睡蓮の咲く虹の川を
魚になったあの子が
とんではねたら
光のしずくが空からこぼれる
花になって
鳥になって
踊って歌ってふわふわ浮かんで
流れ星を追いかけて
土星のわっかをくるくるまわって
殿にくっついて
トカゲになったら
地上に舞い降りて
坊やと遊んで楽しいモンチ
天にゃんになって
地上時間では9年目
楽しい楽しいお空組


夏至が近づいてから夜のモンちゃんの散歩タイムに、空のモンチに向かってでたらめな歌を歌っていた

というのも数日前に外で七尾くんの七夕のうたを聞いてたら突然モンチがぐっとそばに降りてくる感じがあって、涙があふれた
歌ってすごい!と思ったからで
私の歌じゃ今のところ降りてくる気配はないのだが


夕暮れ時、河原で夕日を見て、空が近くに来てるのを感じていた


お嬢がいたずらできないとこにお花も飾った
空色のデルフィニウムや紫陽花に、明るいイエローのばらやトルコ桔梗

モンチがお空で幸せでいてくれますように


あたち感のまったくないモンチ
ふわふわ、夏の風にゆれる花みたいに世界に舞い降りた
10歳こえてもポカンとした子猫顔のまま
天国には殿もいるからうれしい
殿、たのむで!


おう!

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月曜は誰かが歌ってる/左手に気をつけろ@ユーロスペース
自由でゆるいようで、鳥がとびたつシーンとか室内の小物、世田谷の風景も、画がきまっててかわいくて楽しかった
コロナ時代のあの空気を吹き飛ばすかのような子どもたちの横移動も最高
突然はじまるキーボードの音色や歌、マダムロスの音楽もいい
それにGジャンの女の子可愛かった
ちょっとおかきょんの漫画を思い出した

木曜は本屋
私が無神論者でいられるのもすべて神のおかげだ、ではじまる今月の巨匠連載も激アツ

ただ仰ぐ
信じるという主体的な意志も捨てて、神からの見返りは求めない
太古の社会で宗教は、科学や芸術でもあった

因果関係っていうのは始まりと終わりを設定しないと成立しないのは恣意的なもの、
人間が理解できるサイズにリアリティはない
人間のことしか勘定に入れないヒューマニズムなんかは私を救わない
因果関係より、事象間の時間的空間的近接を重視する(中井久夫)

オセアニア美術
中心と背景という構造を持たない

海洋民族には俯瞰の視点がない
島から島へ、何もない水平線へ、潮の向きや風で東西南北の意味はなくなる
(シルクロードでつながった美術には中心と背景の構造、主従の構造がある、ペルシャ絨毯の柄がまさに)

ヨブ記
信仰を持つものは、労働が欠かせない
信仰を持つ→現世で成功する
信仰が、地上の価値観を相対化するものでなければなんの価値があるか
地上の価値観や全体を相対化する力がかつてあったことを忘れないために信仰や宗教はある

信仰は宗教は人間の心か社会が、生まれる前からあった
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