千代大海休場と星の分け合いと天下りとの相互関連性

2007-11-29 07:50:06 | Weblog

 天下り慣習は武士の情けからなのか

 大関在位44場所目で史上最多の11度目のカド番に立たされて迎えた大相撲九州場所(福岡市・07.11.11~11.25)13日目で7勝6敗と負け越しにあと2敗と残すところがなくなったばかりか、「負け越せば引退」と本人自らが口にしていた大関魁皇の勝ち越しがかかった大事な14日目の同じ大関琴光喜との取組みを25日(07.11)の『西日本新聞』インターネット記事≪魁皇 耐えて勝ち越し 満身創痍 かど番11度 現役続行を明言≫は次のように伝えている。

 <鋭く踏み込んで前へ攻め抜いた。相手の左腕を手繰って右、そして左と、もろ差しに。追い込みながら左下手投げで転がした。大歓声に包まれ土俵を下りると感無量の表情に。5勝5敗となった10日目に「負け越したらもう終わり」と自ら退路を断った戦いに勝ち、来年初場所も大関として土俵に上がることができる。「もちろん、そのつもり(来年も現役)でやる」と前を見据えた。>

 だが、新聞記事では一見快勝に見えるこの一番は既に9勝を上げて勝ち越しを決めていたものの、初日に黒星、中日に黒星、そして魁皇戦の前々日(千代大海戦)と前日(安美錦)に続けて敗れて優勝戦線から脱落していた琴光喜が勝ちを譲って魁皇のカド番脱出に手を貸したからこそ実現できた魁皇が「転がし」、琴光喜が「転が」された快勝のようにも見えた。

 魁皇は福岡県直方市出身だそうで、九州場所はいわゆるご当地場所である。ご当地贔屓もあってその声援には場内一丸となって手拍子で後押しする景気のよさがあった。そのような魁皇ファンにしたら正真正銘の「左下手投げで転がした」快勝でカド番脱出、見事に勝ち越しを決めた一番と見たに違いない。

 かけた色眼鏡によっても勝負の見え方が違ってくる。利害損得がかけさせた色眼鏡ということもある。

 今年6月に入門したての17歳の時太山を「かわいがり」と称する「指導」で制裁を加え、暴行死に至らしめた時津風親方の事件がテレビ・新聞を賑わしていた10月頃、どこのテレビ局か忘れたが、ワイドショーにコメンテーターとして生主演していた元小結で現在タレントの竜虎が竹刀で叩くこともあるが、そういった厳しい指導は若い力士に強くなってもらいたい「愛情」からの厳しさで、ビール瓶まで使った制裁まがいの指導は時津部屋に限った異例のことでどの部屋でも行われていることではないと大相撲擁護の主張を展開、「週刊現代」が1月に報じた横綱朝青龍八百長疑惑問題もあり得ない話と言下に否定、7勝7敗で迎えた力士の千秋楽で不思議と勝ち越しを決める相手力士の力を抜いた相撲に関しても八百長ではなく、「武士の情けだ」と「武士情け説」を打ち立てた。

 確か、お互いに一生懸命相撲を取っている、相手がこの一番で負け越して現在の地位を失って番付を下げるのは忍びないと、「武士の情け」から勝ちを譲るのであって、決して八百長ではないといったことを言っていた。

 「武士の情け」も愛情の一種だが、ご大層なことで恐れ入る。そういった理由からだとしても、自分が既に勝ち越していて、ここで一番負けても番付が下がる心配はない余裕があってのことで、そこには損得勘定の計算が否応なしにも存在する。

 負け越していた力士が7勝7敗の力士に「武士の情け」から勝ちを譲って勝ち越しを果たさせることもあるだろうが、相手力士に何らかの義理があって、一番負けても番付をさらに一枚余分に下げるだけのことだと損得計算があっての譲りであろう。もしその力士がここで負けたなら十両に落ちるという位置にいたなら、いくら義理があっても勝ちを譲ることはできまい。次の場所で再入幕できる成算を持った力士は殆どいないだろうから。

 逆に十両に落ちないように「愛情」もしくは「武士の情け」をかけられて、相手力士から自らの勝ち越しを捨てて負け越しを選ぶ「愛情」もしくは「武士の情け」を受けるといったことは十分に考えられる。

 また、一度勝ち譲って勝ち越しの機会を与えことのある力士が自分が7勝7敗で勝ち越しのかかる千秋楽の一番を迎えたところ、一度勝ちを譲った相手だった場合、勝ちを譲ってもらうお返しを願うことはないだろうか。もし相手が期待に応えなかった場合、何だ、あの野郎ということになるに違いない。恩知らずな野郎だと。

 このような感情の発露(=怒りの発露)が生じるということは利害損得の感情が絡んでいるからに他ならない。勝ちを譲る星の分け合いは決して無償の行為ではないと言うことである。

 逆説するなら、「愛情」にしても「武士の情け」にしても、無償の「愛情」、無償の「武士の情け」など存在しないと言うことの証明でしかない。人間という生きものが利害損得の生きものであることによって宿命づけられた手かせ・足かせであろう。

 男女の「愛情」にしても、一頃前は「三高」と言って、高収入・高学歴・高身長が若い女性の最適な結婚条件と騒がれていて、利害損得に操られていた。

 このことは現在も似た状況にある。年収が低いと結婚率が低いという昨今の統計にしても、収入が結婚に於ける利害損得の対象となっていることを証明している。「高収入」ほど結婚率が高いということだが、「三高」のうちの「高身長」は生まれつきのものでどうしようもないが、カネがあればスーツから靴、腕時計、ネクタイとブランド品で身を固めることができ、それ相応に見栄えをよくすることができるから、「高収入」によってある程度カバーできる「高身長」と言うことになる。そしてそもそもの「高収入」は学歴が何と言ってもモノを言うから、「高収入」の中に「高学歴」の条件は一般的にではあるが、暗黙のうちに満たされていることになる。

 独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の調査として≪年収低いと結婚率も低く≫(05.8.3『朝日』夕刊)なる記事が次のように伝えている。

 <25~29歳でみると、年収が500万円以上あると半数以上が結婚している一方、パート・派遣など非正規雇用者の結婚率は14.8%にとどまった。晩婚化や非婚化は若者の価値観だけの問題では ないことが鮮明になった。
 仕事の有無や内容、家族関係などについて5年ごとに調べる総務省の就業構造基本調査(02年、対象約44万世帯)のデータを同機構の「若年移行支援研究会」が分析した。
 まず何らかの仕事をしている有業男性の結婚率は、25~29歳では32.4%、30~34歳は57.2%だった。 これを年収別に集計したところ、25~29歳の年収1千万~1499万円では結婚率72.5%に達しているのに対し、年収250万~299万円では26.3%、300万~399万円は35.6%にとどまる。
 30~34歳では年収300万円以上で過半数が結婚しているが、高収入層ほど結婚率も 上がるという傾向は変わらない。
 雇用形態で見ると、30~34歳の正社員の結婚率は59.6%、自営業者は64.5%だったのに対して、非正規雇用者では30.2%と半分以下だった。
 さらに仕事をしていない無業男性の結婚率は、25~29歳で7.5%、30~34歳で15.8%にとどまっている。
 小杉礼子副統括研究員は「少子化につながる晩婚化、未婚化と、若者の就労問題は切り離して考えられない。とくに最近はパートや派遣など非正規雇用が増え、収入面で結婚に踏み切れない人が増えているのではないか」と話している。 >

 結婚が如何にカネがあるなしの利害損得の力にかかっているかを証明して余りある。テレビで活躍するギャルタレントたちは「結婚相手の条件は?」と聞かれて、「おカネのある人」と言って憚らない。

 ここ2、3年の傾向として非正規雇用社員の増加傾向と一般労働者収入の低下傾向にあるから、上記の結婚と収入の関係を当てはめると、低収入者の結婚率は一段と下がっていると言うことになるのではないだろうか。

 官僚の天下りに於いて天下った元幹部官僚に省の仕事の便宜を図るのは、自分たち現職が天下った場合に同じようにおいしい仕事を斡旋してもらうことを期待するからであり、そうしてもらうことによって自身の能力に付加価値が保証されるからだろう。いわば官僚OBの天下り先の会社においしい仕事を斡旋しておけば、自分が天下った場合、同じように天下り先の会社においしい仕事を斡旋してもらえて安心して天下り先に居場所が確保できるという利害損得を予定調和に据えた慣習であろう。

 官僚たちも天下り慣習を「愛情」や「武士の情け」からの行為だと公言しているのだろうか。大相撲の星の分け合いを「愛情」とか「武士の情け」とか言えるとしたら、官僚たちの天下りも同じように「愛情」もしくは「武士の情け」だとすることができる。

 千代大海が千秋楽に休場したのは、魁皇が勝ち越したと言うものの、8勝7敗の一つの勝ち越しではかわいそうだと「愛情」もしくは「武士の情け」から千秋楽で当たる魁皇に勝ちを譲った場合、あるいは以前星の分け合いで譲ってもらった義理からその恩返しで譲った場合(いつ引退してもおかしくない魁皇の体調だから、義理を返す機会を逸してしまう恐れもある)、最後まで優勝争いに加わっていた成績と大関という地位から考えてプライド上格好がつかない、不自然となるからと、あるいは八百長問題が取り沙汰されているから用心しなければならないといった事情も加わって。故障を理由に休場することで魁皇の不戦勝と言うことにすれば、自らの誇りも負けることの不自然さも八百長の取り沙汰からも免れるからとした選択だったと勘繰れないことはない。

 多分千秋楽で白鳳が琴光喜に敗れる番狂わせを予想していなかったに違いない。白鳳が順当に勝って自力優勝すると踏んでいたからこそできた不戦勝による魁皇への勝ち星のプレゼントと言える。
 
 逆を予想していたなら、優勝決定戦で白鳳に敗れる可能性の方が高いとしても、琴光喜が白鳳を破ったような番狂わせが生じない保証はない。長い間優勝から遠ざかっている千代大海である。少しぐらい体調が悪くても、僅かなチャンスにも賭けたはずである。

 大相撲の特に千秋楽に多い星の分け合いも官僚たちの退職後の再就職斡旋に過ぎないとしている天下りも所詮裏側に利害損得を介在させた馴れ合いでしかない。馴れ合いが大相撲を面白くなくさせている原因であり、天下りに不正を付き纏わせる原因であろう。

 今までも力の入らない勝負を何度も見せられてきた。「日本の国技」だなどとご大層なことを言う人間がいるが、「国技」を振り回さない方がいい。大相撲が例え国が正式に決めた「国技」であっても、利害損得の人間が演じる「国技」であることに変わりはない。利害損得が関係する以上、その分割引かなければならない。

 スポーツの一つという地位を与えるだけで十分である。外国人力士の存在なくして成り立たない「国技」ともなっている。面白い勝負もあれば、面白くもない勝負もある。星の分け合いも結構。前頭の上位と下位を行ったり来たりのエスカレーターだかエレベーターだかも結構、けた繰りも張り手も飛ぶのもハタキも結構。人それぞれ。「国技」と騒ぐから、おかしなことになる。横綱審議会の何様たちは自分たちが完璧な生きものであることを自任しているからなのだろう、大相撲に「国技」だからと完璧さを求める資格を誰よりも持っているから事細かにうるさいことが言える。何様ではないからうるさいことは言えないファンがいることも考えてもらいたい。

 大体が「国技」だ「品格」だを通すとするなら、横綱の次の地位に位置しながら44場所中10場所も負け越して(ケガで途中休場ということもあるだろうが)次の場所をカド番で迎える大関の存在に何も言わないのは矛盾している。居座らせているから、星の分け合いも生じる。引退勧告して然るべきではないか。

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