山田洋行装備品水増し請求疑惑に関わる時事通信社のインターネット記事2つ。
≪山田洋行、見積書偽造=「単純ミス」で処理-前次官への説明通り・装備品水増し≫ (時事/07/10/30-05:30)
<防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)が防衛省(当時防衛庁)に納入したヘリの装備品をめぐる水増し請求疑惑で、山田洋行が海外メーカーの見積書を偽造していた疑いの強いことが30日、関係者の話で分かった。山田洋行は、正規金額の倍以上を請求していたという。
同省は水増しについて内部調査したが、同社幹部が守屋武昌前防衛事務次官(63)に説明した通り、疑惑は「単純ミス」として収められ、同社への処分は見送られた。>
≪山田洋行の水増し、再調査=元専務とGE、次官室の会談も-防衛省≫(時事/07/10/29-18:15)
<防衛省は29日までに、防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)の装備品納入をめぐる水増しについて、改めて調査に乗り出した。増田好平事務次官が同日の記者会見で明らかにした。
この問題では、当時の防衛庁が2001年から内部調査した際、守屋武昌前次官が担当課に電話をかけた疑惑が浮上しており、前次官の証人喚問でも取り上げられた。
増田次官はまた、昨年12月に米ゼネラル・エレクトリック(GE)社幹部が前次官を表敬した際、山田洋行の元専務も交え、次官室で会談したことについても「調査を検討する」とした。>
最初の記事の事態推移の要点は3箇所。
①山田洋行は「正規金額の倍以上を請求していた」こと。
②水増し請求は「単純ミス」として収められ、同社への処分は見送られ
たこと。
③「単純ミス」との裁定は山田洋行が守屋武昌前防衛事務次官に説明と
おりに受け止められた結果であること。
多分、山田洋行側は輸入と販売の業務を行う部門はモノとその価値(用途価値とそこから弾き出される金銭価値)を常に頭に入れて仕事に取り組んでいることからモノの金額換算は間違えることはないが、単に請求書を用意して発送する、金額の数字だけを扱う経理部門はモノとその価値との関連を知らないことから入力ミスしたまま気づかなかった、そのための単純ミスだとし、守屋前次官はその説明どおりを調査部門に伝えたといったところだろう。
いずれにしても「単純ミス」として処理された。海上自衛隊の補給艦「ときわ」がアメリカ補給艦ベガスへ80万ガロンを給油しながら20万トンの給油と間違えたとしていることも、海上幕僚監部防衛部運用課がパソコン入力の際、別の艦の給油量と取り違えた単純ミスだということになっている。
2つ目の記事の「水増し」に限った問題点は守屋武昌前次官が担当課に電話をかけたことが山田洋行側に対する守屋元次官の便宜供与でないか、防衛省が再調査に乗り出したこの一点に尽きる。
次に9年前の1998年10月26日の『朝日』夕刊記事要約。
≪NEC、返納検討 防衛庁の装備代金 「水増し請求認め」≫
<大手電機メーカー「NEC」が防衛庁に装備品製造代金を水増し請求し、過払いを受けていた疑惑で、NECは25日までに、水増しがあったことを認め、その分の代金を防衛庁に返す方向で検討を始めた。NECでは、水増しの違法性について幹部が東京地検特捜部から事情聴取を受けており、社会的批判なども考慮した対応と見られる。NECの担当幹部は「水増しは、適正な利益を確保するための必要悪だ」と供述していることが既に明らかになっている。
防衛庁によると、NECの水増し疑惑は同庁調達実施本部が昨年から調査を進めており、その最終結論はまだ出ていない。NECは、公式には水増しの事実を認めておらず、記者会見では『調査中』と説明している。しかし、関係者によると、人手と労働時間を示す『工数』を実際より多く見せかけて、その分の費用を上乗せするという手口の水増しが古くから常態化していたという。
関係者によると、NECは調本の調査結果をもとに返納額を決めることになりそうだ。NECの幹部らは、水増し問題に関する特捜部の聴取に対し、「大損を防ぐために水増し請求している。ぼろもうけしたわけではない」と説明し、違法性を否定しながらも、水増しを認めているとされる。
水増しの舞台となったNEC無線事業本部からは、本部長だった元常務・島山博明容疑者(60)らが、背任容疑で逮捕されており、26日午後に起訴される見通しとなっている。>
そのときNECが水増しした分の金額は「318億円」(03.5.10『朝日』朝刊≪水増し請求が発覚した各社の返還金額≫)の巨額にのぼる。つまり水増し請求はNECだけの問題ではなく、防衛省と取引している多くの企業が行っていたもので、そこで終止符を打つことなく今回の山田洋行のヘリ装備品水増しにもつながっているということである。
民主主義の時代にその自由と平等の原理に刃向かうこの継続性だけ見ても、水増し請求にしてもゴルフ接待と飲食接待にしてもは日本の歴史的文化となっていると言える。
「水増しは、適正な利益を確保するための必要悪だ」、「大損を防ぐために水増し請求している。ぼろもうけしたわけではない」としているNECの弁明を裏返すと、「適正な利益を確保するため」には「水増し」が必要となる。逆に「水増し」を行わなければ、損失を招くことになる。「水増し」が適正利益を約束する必須条件となっているということである。つまり商取引が正規金額+水増し=適正利益の等式となっているということであろう。
では「水増し」を必要とする要素とは何なのだろう。NEC関連の東洋通信機とニコー電子による自衛隊の装備品代金水増し請求が1998年に発覚。その返納させるべき金額を職員の天下り先確保のため不正に減額して、国に35億余の損害を与えた「調本事件」(調本=調達実施本部)では元防衛庁調達実施本部本部長の諸冨増夫と副本部長の上野憲一が逮捕され、有罪判決を受けている。
NEC系列の『シー・キューブド・アイ・システムズ』は<NEC等が防衛庁の要請で作った、防衛庁OBの天下り先>(「世界軍需企業一覧」)だとしている。国庫に返納させるべき金額を不正に減額したのも防衛施設庁側の天下り先確保が犯行原因となっている。
だが、天下りを引き受けるについては引き受け側はそれ相応の待遇を強いられ、人件費を含めたそれなりの経費負担がついてまわる。また取引を円滑に成立させるためには現職官僚に対してゴルフ接待だ、飲食接待だも欠かすことができない必要な措置となっていて、それなりの出費となって撥ね返ってくる。守屋元次官みたいに200回以上のゴルフ接待と飲食接待、その他となると、莫大な経費がかかったに違いない。
当然それらの経費をペイして「適正な利益を確保」するよう努力しなければ、企業経営を正常には維持できない。その努力が「水増し」の形を取り、「水増し」によって余分な経費がペイされ、「適正な利益を確保」できるということでなければ、「水増しは、適正な利益を確保するための必要悪だ」にしても、「大損を防ぐために水増し請求している。ぼろもうけしたわけではない」にしても罪逃れの単なる口実と化し、そこに正当性は一切失う。
このようなプロセスを踏んだ水増しであるなら、NECが水増しした巨額な「318億円」は天下りの人件費やゴルフ接待・飲食接待、あるいは盆の中元・暮れのお歳暮、あるいは守屋元次官の娘がアメリカに留学するに当たって、その生活のために山田洋行側が様々な便宜を与えたように、官僚の家族のために出費した金額の合計に相当することになる。
そうであってこそ、「水増しは、適正な利益を確保するための必要悪だ」にしても、「大損を防ぐために水増し請求している。ぼろもうけしたわけではない」にしても、単なる口実ではなく、純正な正当性を持つに至る。
つまり、ただ天下りを引き受けるだけ、ゴルフ接待から飲食接待、その他の官僚本人やその家族に対する様々な便宜を供与するだけでは、そのことによって商取引が成立したとしても、適正価格で通したなら持ち出し過多となって赤字となっていしまうということではないか。
と言うことなら、山田洋行が防衛省と取引したヘリの装備品代の正規金額の倍以上の水増し請求にしても、それまでかかった守屋武昌が証人喚問で証言したように200回以上のゴルフ接待、提供したゴルフ道具とその他、そさらに飲食接待、それらに付け加えて山田洋行側に防衛相側から天下りしている者たちの高額な人件費を含めた合計金額に相当し、正規金額の倍以上の水増しでやっとペイされた上に「適正な利益を確保」できるということになる。
こういった推測が間違っていないとしたら、如何に天下りが凄まじいか、ゴルフ接待・飲食接待が凄まじいかと言うことを物語っている。勿論その凄まじさの一方を演じているのは官僚たちなのは言うまでもない。
江戸時代、役柄上の下位者からの上位者に向けたワイロとその見返りとしての便宜供与は「江戸のワイロ文化」と言われるほどに一般的な習慣となっていた。ワイロによって人事や取引、あるいは許認可が左右されてきた。
『近世農民生活史』(児玉幸多著・吉川弘文館)は太宰春台(1680~1747)がその著書『経済録』で述べていることとして次のように書いている。
「代官が毛見(検見)に行くと、そのところの民は数日間奔走して道路の修理や宿所の掃除をなし、前日より種々の珍膳を整えて、到来を待つ。当日には庄屋名主などが人馬や肩輿を牽いて村境まで出迎える。館舎に至ると種々の饗応をし、その上に進物を献上し歓楽を極める。手代などはもとより召使に至るまでその身分に応じて金銀を贈る。このためにかかる費用は計り知れないほどである。もし少しでもかれらの心に不満があれば、いろいろの難題を出して民を苦しめ、その上、毛見をする時になって、下熟を上熟といって免を高くする(免=田畑を賦課する割合。実りの悪い土地を実りのいい土地として年貢量を多くすること)。もし饗応を盛んにして、進物を多くし、従者まで賂(まいない)を多くして満足を与えれば、上熟をも下熟といって免を低くする。それによって里民は万事をさしおいて代官の喜ぶよう計る。代官は毛見に行くと多くの利益を得、従者までもあまたの金銀を得る。これは上(かみ)の物を盗むというものである。毛見のときばかりではない。平日でも民のもとから代官ならびに小吏にまで賂を贈ることおびただしい。それゆえ代官らはみな小禄ではあるが、その富は大名にも等しく、手代などまでわずか二三人を養うほどの俸給で十人余を養うばかりでなく巨万の富を貯えて、ついには与力や旗本衆の家を買い取って華麗を極めるようになるのである。このように代官が私曲をなし、民が代官に賄賂を贈る状況は、自分が久しく田舎に住んで親しく見聞したことである。・・・・」
何とそっくりな当時の代官と現在の官僚の姿だろうか。上記状況は現在と変わらないということではなく、江戸時代から引き継いできた歴史・文化・伝統としてある現在の状況と見るべきであろう。違う点は、当時の百姓が「適正な利益を確保する」ため、あるいは「大損を防ぐ」ために「水増し」するといった手段を持たなかったというではないか。それでも庄屋名主、それに続く大百姓は十分に生きていけたが、最も搾取される土地を持たない百姓は生きていくことができずに走り百姓となって土地を捨て都市の流民となるしかなかった。