小沢一郎民主党代表が福田首相との10月30日・11月2日(07年)の2回の党首会談で取り決めた大連立構想を党に持ち帰って協議、執行部の反対にあい、政治的混乱が生じたとして代表辞任を決意、辞職願提出後記者会見を開いて、その意向を各報道機関に伝えた。
大連立を持ちかけたのが自民党側であるなら、民主党側に賛成する者と反対する者が現れて民主党は分裂するのではないかと、その期待感があっての提案ではなかったろうか。
前原前民主党代表は安保政策では自民党に近いと言われているが、同時に反小沢の立場に立つ。民主党全体の行動ではなく、小沢一郎が単独で仲間と共に自民党と組んだら、あとからのこのこと付いていくことはできないだろう。党で連立を決めたとしても、旧社会党系から離脱が予想される。
自民党の第1番の連立目的は「新テロ特措法案」成立の阻害要因を取り除くことにあったに違いないが(福田首相「すべては新法をどうするかということを基点とした上での党首会談だった」/11.6「朝日」朝刊≪小沢氏「連立」首相は「新法」≫)、自衛隊の海外協力はあくまでも現在は自民党政府の経営下にある国の立場としての問題であって、海外協力に賛成する国民はいても、国民の生活上の直接的な利害とは別立ての問題である。
とすると、「新テロ特措法案」を成立させるための大連立は自民党政府経営下の国の利害に必要事項ではあっても、国民の生活上の利害にとっても必要事項なのかということが問題となる。必要事項なら、国民は反対しないだろうし、小沢一郎が大連立を受け入れたとしても、間違っているとは言えない。
断るまでもなく、各政党はそれぞれの階層の利害を代弁する。どのような立場に立っているか、政治は立場だとも言える。一つの政党がすべての階層のすべての利害を代弁することは不可能である。一つの階層でもそれを構成する各集団、あるいは各個人、さらに地域の違いによって利害は微妙に異なり、それらが複雑に絡み合い、完全には一致を見ることはないからだ。自民党という一つの政党の政策でありながら、「ふるさと納税」を一つ取っても、各地方自治体の状況に応じて賛否の態度が異なることから、すべての利害を等しく代弁することは不可能であることを示している。
一致を見ることがなく、また等しく代弁できない利害に折り合いをつけるために賛成多数決という民主主義が考え出された。そこに否応もなしに格差や矛盾が生じる。政治の役目はその格差・矛盾を最小限に抑える努力を改革という名で行うことだろう。
以上のことを踏まえて、小沢代表が辞任記者会見で「国民の生活が第一の政策を実行する」という名目で国民の生活上の利害を大連立の必要事項の一つに加えていることを考えてみる。
<代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して「国民の生活が第一の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。
国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。>(2007年11月04日18時48分/ asahi.com≪小沢氏「混乱にけじめ」 「報道に憤り」とも≫)から一部引用。
元々自民党は国家優先の立場から、大企業の利害を優先的に代弁してきた。小泉・安倍内閣が競争原理の名のもと特にその代弁を強力に推し進めた結果、その負の遺産として大企業と中小企業との格差、高所得者と中低所得者との生活格差、都市と地方の格差を拡大の方向に舵を切ってしまった。
そのような大企業利害代弁の政党に「国民の生活第一」の利害を潜り込ませて、その利害を有効に代弁し切れるのだろうか。すべての利害を等しく代弁できないという人間の限界と照らし合わせると、どっちつかずになるか、埋没してしまうか、そのどちらかの運命を辿るように思える。
そうなった場合「国民の生活第一」を民主党は裏切ることになる。
自民党の現在のC型肝炎問題や年金記録漏れ問題で見せている「国民の目線に沿った政権運営」(民主党の「国民の生活第一」)は参院選与野党逆転が次の衆院選へと波及することを恐れる防御手段であって、元々のDNAはあくまで国家優先・大企業優先であることに変わりはない。
「国民の目線」が元々のDNAであったなら、C型肝炎問題も社保庁の杜撰な年金記録も生じなかっただろう。「国民の目線」を欠いていたからこその諸問題なのである。
小泉も安倍も国家優先・大企業優先のDNAを色濃く受け継いでいたからこそ、強い者有利の競争原理一辺倒を政策とし得たのであり、そのマイナス面として格差社会が生じても最初は鈍感でいれた。日本国家の経済を成り立足せることだけを考えて、その代償として中小企業や地方が疲弊していくことを放置した。生活弱者を平気で切り捨てた。
それもこれも一つの政党がすべての階層のすべての利害を等しく代弁できないからに他ならない。経済が右肩上がりに成長を続けた時代は、大企業優先でも、大企業の利益のおこぼれが先細りしていく形であっても下位階層にまで満遍なく届いていったことと、それがおこぼれであっても戦後の貧しい時代の生活の規模と比較した場合、桁違いにそれを補っていたこと、それでも格差は厳として存在していたのだが、おこぼれが国の経済の成長と連動して少しずつ右肩上がりに増えていったことが格差を見えにくくしていたために、大企業の利害代弁の自民党が同時に国民の利害をも代弁しているように錯覚させて国民の支持を集めることができていた。
しかし失われた10年以降、中国特需やアメリカの好景気を受けて国の経済が回復し、大企業が利益を上げるに至っていながら、大企業一人勝ち状態でおこぼれが下位階層にまで届かず、当然のこと、経済の回復に連動して豊かになっていくのではなく、逆に実質賃金の目減りといった形で次第に貧しくなっていく二重の逆行状態に曝されたことから、自民党が大企業の利害を代弁こそすれ、国民の利害を代弁する党ではないことに多くの国民がやっと気づいた。
その象徴的な出来事が最低賃金政策に現れている。自民党は民主党の最低賃金時給一律1000円まで引き上げの主張に労働コスト増で国の競争力を失わせると否定的考えを示し、≪07年度の最低賃金の引き上げ額を労使代表者らが議論する厚生労働省の中央最低賃金審議会の小委員会は8日、全国平均で自給14円に引き上げ(現行時給平均673円)を目安にすることを決めた。>(07.8.8『朝日』夕刊≪最低賃金平均14円上げ 10年ぶり高水準≫が、最低賃金時給を1000円に引き上げた場合、国内総生産(GDP)が1・3兆円増加するという労働運動総合研究所の試算がありながら、平均14円引き上げの6~700円台にとどめるのは国際競争力を優先させたい企業の利害を代弁した決定であり、逆に国民の利害を代弁していないことの証明であろう。
<最低賃金を全国一律で時給1000円に引き上げたら、消費の活性化などで国内総生産(GDP)が0・27%、約1・3兆円増加するとの試算を民間シンクタンクの労働運動総合研究所(労働総研)がまとめた。
試算によると、時給1000円未満で働く労働者683万人の賃金を一律で1000円に引き上げた場合、企業が負担する賃金の支払額は2兆1857億円増える。だが、所得が増える分、家計の消費支出も1兆3234億円増えるため、企業の生産拡大などでGDPを1兆3517億円押し上げる経済波及効果があるとした。
一方、年収1500万~2千万の高所得者の賃金を同じ支払い総額分上げた場合、消費支出は7545億円増にとどまる。労働総研代表理事牧野富夫・日本大学経済学部長は「低所得者の賃上げの方が景気刺激策としては有効」と話す。
消費の内訳を見ると、低所得者層では食料品や繊維製品な中小・零細企業が多い産業分野にまわる傾向が強く、最低賃金上げの恩恵は中小企業の方が大きい。>
にも関わらず、安倍前首相も含めた自民党が「最低賃金の大幅引き上げは中小企業の労働コストを押し上げて経済を圧迫し、かえって雇用機会を失わせる」と一律1000円引き上げに反対してきたのは最低賃金で国民の利害代弁を優先させた場合、期間工や請負社員の給与といった他の賃金体系に波及して最終的に企業の人件費を圧迫することを恐れることからの大企業の利害代弁から抜け出れない大幅引き上げ反対であり、賃金格差の維持であろう。
大連立で大企業の利害も国民の利害も代弁するといった欲張った芸当はできようはずがない。できたなら格差社会など出現しなかったろう。少なくとも自民党は自らの体質としている国家優先・大企業の利害代弁のDNAを払拭することは不可能だろう。
政権交代する二大政党が並立する政治状況が実現したとき、自民党が例え大企業の利害を代弁しても、それが行き過ぎて現在のように国民の生活を犠牲とするようになったとき、「国民の生活第一」の民主党に国民の利害を代弁する政権を担当させて、一方に傾きすぎた振り子を元に戻す。「国民の生活第一」の民主党の国民の利害代弁の政治が行過ぎて振り子が国民の利害のみに傾き、国の経済の競争力を失う恐れが出てきたなら、自民党に政権を託して、振り子を正常に戻す。こういったバランスが各種格差と矛盾を最小限に防ぐ最良の手段ではないだろうか。
勿論、政権交代は上記効用だけではない。国会議員・官僚に国の経営に真剣な態度を取らすよう仕向ける効果も政権交代には期待できるはずである。「長期政権は腐敗する」という警句の逆の選択になるのだから。