中学3年国語B学力テストを分析する(1)

2007-11-15 08:59:38 | Weblog

 07年4月の「知識の活用」(応用力)を問う中学生国語Bテスト。成績は「基礎知識」を問う国語Aの82・2%を10ポイント下回る72%と小学6年生と同じく「知識の活用」が「基礎的知識」を下回る。

 前回≪小学6年生学力テストを分析する≫と同じく、私自身の考えは途中途中に青文字で示した。問題用紙は縦書きだが、便宜上横書きに変えたのも同じ。問題の途中の「広告カード」のイラストは言葉のみで表した。
* * * * * * * *
中学校第3 学年/国語 B

 注 意

1 先生の合図があるまで、この冊子を開かないでください。
2 調査問題は、一ページから十六ページまであります。
3 解答は、すべて解答用紙(解答冊子の「国語B」)に記入してください
 。
4 解答は、HBまたはBの黒鉛筆(シャープペンシルも可)を使い、濃く
 、はっきりと
書いてください。
5 解答を選択肢から選ぶ問題は、解答用紙のマーク欄の番号や記号を黒く
 塗りつぶしてください。
6 解答を記述する問題は、指示された解答欄に記入してください。解答欄
 からはみ出さないように書いてください。
7 解答用紙の解答欄は、裏面にもあります。
8 この冊子の空いている場所は、下書きに使用してもかまいません。
9 調査時間は、四十五分間です。
10 「国語B」の解答用紙に、組、出席番号、性別を記入し、マーク欄を
 黒く塗りつぶしてください。

 問題は、次のページから始まります。

 (小学生と同じくテストのたびに受けることになる「注意」なのだろうから、口頭で受けて頭に入れさせる訓練を最初から行うべきだろう。それをご丁寧にも「濃く、はっきりと」と太字にして下線まで引くお膳立てを用意してやる。親が布団の上げ下ろしから部屋の掃除までしてやる生活上のお膳立てと同じことをしている。同じことをしながら、一方で親の教育は大切であると言う。

 例えどのような些細なことでも自身で判断させるという訓練を積み重ねることで判断力はついていくのだが、大人が逆のことをしている。)


【1】次は、中学生の前田さんが「総合的な学習の時間」でロボットについ
    て調べたことを発表する原稿【A】と、そのときに使用する表
    【B】
です。これを読んで、あとの問いに答えなさい。

 【A】
 私は、インターネットを使って、ロボットについて調べました。

 まず分かったことは、日本は、①工場で働く産業用ロボットの分野で世界をリードする存在であるということです。これも驚きだったのですが、さらに驚いたのは、アニメや空想の世界のものだと思い、あこがれでさえあったロボットが、現実のものになりつつあるということです。②災害救助用ロボットや二足歩行ロボットなどの様々なロボットが、次々と生み出されているのです。みなさんも、テレビなどで二本の足で歩くロボットを見たことがあるのではないでしょうか。日本は、世界有数のロボット大国なのです。

 また、私が思っていた以上に、多くの人がロボットに親しんでいるということも分かりました。大学などでロボットを研究している人たちがロボットの性能を競い合うコンテストが、毎年開催されています。テレビでも放映されているので、みなさんも知っているのではないでしょうか。これ以外にも、幅広い年齢層の人が参加する③様々なロボットの競技会が、全国各地で開かれています。

 しかし、ロボットが私たちの生活の中で多く使われるようになればなるほど、改めて考えなければならないことも増えてくると思います。例えば、ロボットに頼りすぎることはないかということや、ロボットを使うことが人を危険に巻き込むようなことはないかということなどです。人と人とのコミュニケーションの問題も考えられるかもしれません。

 ④幼いころからロボットに親しみ、ロボットをパートナーと考えることが可能となった私たちは、その長所と短所を十分に理解しながら、ロボットと共存する未来社会を描いていく必要があるのではないでしょうか。
  * * * * * * * *
 【B】

 (「キャタピラ付きのヘビ型ロボット」の写真)長さ120cm
 ・地震の災害地などに於いて、人間が入れないところで救援活動ができる
  。
 ・転がっても、すぐに体勢を戻すことができる。
 ・頭部に取りつけてあるカメラで被災者を探すことができる。
 
 (「二足歩行型ロボット」の写真)高さ40cm
 ・近づく人を赤外線センサーで検知し、チラシを配る。
 ・手渡しに成功するとお礼のポーズ。失敗すると謝りのポーズをとる。
 ・一定の時間、人が近づいて来なければ立ち上がり、腕を振って注意をひ
  こうとする。
 
 (「人型非歩行ロボット」の写真/足なし置物型)高さ100cm
 ・十名までの人の顔を識別できる。
 ・日常生活に必要な一万語を認識し、人とコミュニケーションをとること
  ができる。
 ・留守中に変わったことがあれば、所有者に連絡する。

 (社団法人日本ロボット工業会ホームページ、東京工業大学ホームページによる。)

 1.前田さんは、【B】の表を配布して、説明に生かしたいと考えてい
   ます。この表は、【A】の文章の下線線部からのどこで
   具体的な例として使うのがよいでしょうか。からのうち、最も
   適切なものを一つ選びなさい。

【正答例】 
 1. 2

 2.前田さんは、【B】の表と一緒に、ロボットを開発した人の考えも紹
   介することにしました。次は、どのロボットを開発した人の考えです
   か。【B】の表のからのうち、最も適切なものを一つ選びな
   さい。

 <少子高齢化が進む社会において、家庭での様々な会話を通じて、楽しく、安心な暮らしをサポートする存在としてロボットを提案した。>

(社団法人日本ロボット工業会ホームページによる。)


【正答例】
 2. ウ 

 3.【A】の文章中にロボットと共存する未来社会とありますが、あな
   たは、どのような未来社会を想像しますか。次の条件1条件2
   したがって書きなさい。

 条件1 人間とロボットとの未来の関係についてのあなたの考えを書くこ
         と。

 条件2 【B】の表に示されているロボットの「性能・特徴」のいずれ
         かに触れること。

【正答例】
 3.
 (例1)
   ロボットは、人間にはできない危険な仕事をしたり、生活のサポート
   をしたりすることができるようになっている。これからはもっとロボ
   ットの果たす役割が大きくなり、人間の生活に欠かせない存在になる
   と思う
   。
 (例2)
   人とコミュニケーションをとることができるロボットが増えれば、逆
   に人と人とのコミュニケーションに問題が生じるのではないか。

 (これってロボットに関して多くの人間が言っていることではないのか。世間一般の指摘をなぞらせているに過ぎない。判断能力を問いながら、生徒の判断を世間一般の常識に統一しようとするもので、生徒自身の独自性を問う質問となっていない。

 「幼いころからロボットに親しみ、ロボットをパートナーと考えることが可能となった私たち」はもっともらしい指摘ではあるが、事実その通りになっているのか。

 人とコミュニケーションを取るロボットは一般生活者には高額すぎて一部の利用にとどまることが予想されることと、何万語を認識しようとも、最初は物珍しさがあったとしても、機械であることに変わりはないから同じ声の調子、同じ反応――いわばプログラムに埋め込まれた決まりきったコミュニケーションに慣れが生じて飽きがくる可能性はないだろうか。物珍しさの刺激が薄れた場合、単なる置物と化す可能性が予想されて、人間間のコミュニケーションの問題が生じる前に普及しないように思える。

 テレビとロボットを比較するとよく分かる。テレビはもはや人間にとってなくてはならないコミュニケーション手段となっている。テレビの情報を鵜呑みにし、その情報に振り回される弊害も起きている。人間のコミュニケーションを問題にするなら、テレビとロボットの違いを問うことも一つの方法ではないだろうか。テレビは決して片方向のコミュニケーション手段ではない。人間がテレビの発信する情報に反応することによって、両方向のコミュニケーション機会となっている。テレビの情報を受け手がどう解釈するかによって判断能力が問われる。

 それが人間間のコミュニケーションに反映する。

 直接的に言葉と言葉を交すのではなく、メールの方が言いたいことを言えるといった携帯電話のメールを使ったコミュニケーションの偏重、ゲームを1日の主たるコミュニケーション手段としている若者、インターネットオークションやインターネット株取引にはまって日々の刺激とし、人間間の直接的なコミュニケーションが減少している現象。一匹や2匹のペットで我慢できず、何十匹と捨て猫や捨て犬を拾ってきて家で飼い、それら犬やネコの飼育と会話で1日を過ごし、世間と並みの付き合い(=並みのコミュニケーション)ができなくなった人間。

 とすると、コミュニケーションの問題に関しては、「人は現在、どのようなコミュニケーション方法を生活手段としているか。そこに何か問題が潜んでいないか」と問うことも、答に応じて生徒それぞれの判断を窺うことができる。「考えさせる」ことを目的とするなら、世間一般の指摘をなぞらせる、あるいは世間一般の指摘に導くのではなく、生徒それぞれの考えを問う質問を用意すべきだろう。)


【2】 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

   一

 ある日のことでございます。お釈迦様(しゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色(注1)の蕊(ずい)からは、何ともいえない好(よい)匂(にお)いが、絶え間なくあたりへ溢(あふ)れております。極楽はちょうど朝なのでございましょう。

 やがてお釈迦様はその池のふちにお佇(たたず)みになって、水の面を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の容子(ようす)を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、ちょうど地獄の底に当たっておりますから、水晶のような水を透(す)き徹(とお)して、三途(さんず)の河や針の山の景色が、ちょうど覗(のぞ)き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。

 するとその地獄の底に、犍陀多(かんだた)という男が一人、ほかの罪人といっしょに蠢(うごめ)いている姿が、お眼(め)に止まりました。この犍陀多という男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊(おおどろぼう)でございますが、それでもたった一つ、善いことをいたした覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、 路(みち)ばたを這(は)って行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうといたしましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとるということは、いくら何でも可哀(かわい)そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

 お釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けたことがあるのをお思い出しになりました。そうしてそれだけの善いことをした報いには、できるなら、この男を地獄から救い出してやろうとお考えになりました。幸い、そばを見ますと、翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけております。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっとお手にお取りになって、玉のような白蓮の間から、遥(はる)か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれをお下ろしなさいました。

   

 こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人といっしょに、浮いたり沈んだりしていた犍陀多でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくらやみからぼんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山の針が光るのでございますから、その心細さといったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞こえるものといっては、ただ罪人がつく微(かす)かな嘆息(ためいき)ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責め苦に疲れはてて、泣き声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の犍陀多も、やはり血の池の血に咽(むせ)びながら、まるで死にかかった蛙(かわず)のように、ただもがいてばかりおりました。

 ところがある時のことでございます。何気なく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとしたやみの中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を拍(う)って喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいることさえもできましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。

 こう思いましたから犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。もとより大泥坊のことでございますから、こういうことには昔から、慣れ切っているのでございます。

 しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦(あせ)ってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼるうちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下がりながら、遥かに目の下を見下ろしました。

 すると、一生懸命にのぼったかいがあって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもうやみの底にいつの間にかかくれております。それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかもしれません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出したことのない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、大きな口を開いたまま、眼ばかり動かしておりました。自分一人でさえ断(き)れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪えることができましょう。もし万一途中で断れたといたしましたら、せっかくここへまでのぼって来たこの肝腎(かんじん)な自分までも、元の地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません。そんなことがあったら、大変でございます。が、そういううちにも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今のうちにどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体だれに尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。

 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下がっている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから、犍陀多もたまりません。あっという間もなく風を切って、 独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見るうちにやみの底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

   

 お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅ましくおぼしめされたのでございましょう。

 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことには(注2)頓着(とんじゃく)いたしません。その玉のような白い花は、お釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら(注3)ら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何ともいえない好い匂いが、絶え間なくあたりへ溢れております。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。

 ( 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)「蜘蛛の糸」による。)

(注1)  蕊=種子植物の生殖器官。おしべやめしべの総称。
(注2)  頓着=深く心に掛けること。気にすること。
(注3) 萼=花のがく

  中学3年国語B学力テストを分析する(2)に続く

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中学3年国語B学力テストを分析する(2)

2007-11-15 08:36:25 | Weblog

 1.この文章の内容や表現について説明する場合、どのように
 説明したらよいですか。次のからのうち、最も適切な
 ものを一つ選びなさい。

1 地獄にいた犍陀多は、蜘蛛を殺さずに助けたことの報いに、お釈迦様が
 極楽から垂らした細い蜘蛛の糸をよじのぼって、無事に地獄から抜け出す
 ことができます。このような内容が、現在、過去、未来の表現を複雑にか
 らませ、時間的な広がりをもつように書かれています。

2 地獄にいた犍陀多は、蜘蛛を殺さずに助けたことの報いに、お釈迦様が
 救い出そうとしたにもかかわらず、自分だけ抜け出そうとしたため、再び
 地獄に落ちます。このような内容が、敬体を主としたていねいな文末表現
 で、読者に語りかけるように書かれています。

3 お釈迦様は、蜘蛛を殺さずに助けたことの報いに、地獄にいた犍陀多を
 救い出そうとしますが、犍陀多が優柔不断であったため失敗します。この
 ような内容が、作品全体にわたって、お釈迦様の目を通して見ているよう
 に書かれています。

4 お釈迦様は、蜘蛛を殺さずに助けたことの報いに、地獄にいた犍陀多を
 何とかして救い出そうと懸命に働きかけます。このような内容が、お釈迦
 様の悲しみと苦しみを際立(きわだ)たせるように、視覚や聴覚などに訴
 える豊かな比喩(ひゆ)を用いて書かれています。

【正答例】
 1. 2

 (正解が最も多かった設問でなかったろうか。逆に言うと、正解を与えるための設問となっている。物語をざっとなぞるだけで正解が分かる。

 人間は社会の一員として、それぞれが生きる姿を常に問われる。また、相互に問わなければならない。人を命ある生きものと認めることができずにその命を無暗に奪う人殺しを一方で犯しながら、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとるということは、いくら何でも可哀そうだ。」と小さな蜘蛛を助ける矛盾。

 その差引勘定もせずに、蜘蛛一匹助けたからといって、少なくとも一旦はお釈迦様から許し(=慈悲)を与えられる矛盾。この許しは不正な手段で事業を広げ、名士として地域から尊敬される生き様が許される構図と共通する。

 読んで矛盾や疑問に感じたことがないかを問う方法を取るべきではないか。人の命を考えない人間が蜘蛛を助けて、一度でも極楽へ誘われようとした。その矛盾を看取させることの方が人間の姿を考えさせる(=判断させる)教育に役立つ。人間の姿を考えるということは自分の姿をも考えることにつながる。人間のありようを考え、社会を考えることに発展していく。社会を考えるとは、社会で生きる力を育むことにつながる。人間や社会に関する判断能力を養う。

 日本は戦争は起こしたが、中国や朝鮮に対して鉄道を造ったり、教育を施したり、近代産業を興したり、いいこともやってきたと、どれ程に中国人や朝鮮人の命を奪ってきたか外国の地を破壊し荒廃させたかを差引き計算せずに自らの功績のみを誇るのを許すに似たお釈迦さまの慈悲である。)


2.次は、「二」の場面の一部です。この部分を朗読する場合の工夫につい
 て、あとの問いに答えなさい。(①から⑥は、文の番号を表す。)

 ①すると、一生懸命にのぼったかいがあって、さっきまで自分がいた血の
  池は、今ではもうやみの底にいつの間にかかくれております。

 ②それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってし
  まいました。

 ③この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも
  しれません。

 ④犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出し
  たことのない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。

 ⑤ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪
  人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やは
  り上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。

 ⑥犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、
  大きな口を開いたまま、眼ばかり動かしておりました。

  この部分を、話の展開に沿って大きく二つに分けるとすれば、どこで
    分けますか。次のからのうち、最も適切なものを一つ選びな
    さい。

 1 ①と②の間で分ける。
 2 ②と③の間で分ける。
 3 ③と④の間で分ける。
 4 ④と⑤の間で分ける。
 5 ⑤と⑥の間で分ける。

【正答例】
 2. 4

  で答えたところで二つに分けて朗読する場合、前と後ろとをどのよ
    うに読み分けますか。次の1から4のうち、最も適切なものを一つ
    選びなさい。

 1 前は、不安を感じている様子が表れるように読み、後ろは、次第に不
  安が解消される様子が表れるように読む。
 2 前は、不安を感じている様子が表れるように読み、後ろは、その不安
  が急に増大する様子が表れるように読む。
 3 前は、希望をもっている様子が表れるように読み、後ろは、予想外の
  展開に驚いている様子が表れるように読む。
 4 前は、希望をもっている様子が表れるように読み、後ろは、その希望
  がふくらんでいく様子が表れるように読む。

【正答例】
 3. 3

 (朗読方法を複数用意して、その中から選択させるのではなく、どう朗読したらよいか、方法自体を問う方がべきで、「知識の活用」(応用力)、判断能力の訓練になると思うのだが、中学3年生には無理な注文なのだろうか。

 しかし、小学生低学年からそのような訓練を日常化することで到達できる「知識の活用」(応用力)、判断能力ではないだろうか。)


3.中学生の中山さんと木村さんは、以前に読んだ「蜘蛛の糸」は、「三」
 の場面が省略されていたことを思い出しました。そして、次のような会話
 を交わしました。

  中山さん 私はこの「三」はないほうがいいと思うな。

  木村さん いや、この作品には「三」があったほうがいいと思うよ。

 あなたは、中山さん、木村さんのどちらの考えに賛成しますか。どちらか一人を選び、あなたが選んだ人の名前を解答用紙に書かれている書き出しの文の〔   〕内に書きなさい。そのうえで、あなたがそのように考える理由を、次の条件1から条件3にしたがって書きなさい。なお、読み返して文章を直したいときは、二本線で消したり行間に書き加えたりしてもかまいません。

 条件1 書き出しの文に続けて書くこと。
 条件2 本文中の表現や内容に触れること。
 条件3 八十字以上、百二十字以内で書くこと。(解答用紙に書かれてい
     る書き出しの文の字数を含む。)

 私は〔   〕さんの考えに賛成します 。

【正答例】
 2.(例2)
   私は〔中山〕さんの考えに賛成します「三」の場面がないと蜘蛛の糸
  が「短く垂れているばかり」で終わるため、話が印象的で余韻が残るし
  、どうして蜘蛛の糸が切れて犍陀多が地獄に落ちてしまったのか、自分
  で考えてみることができるからです。

   (例2)
   私は〔木村〕さんの考えに賛成します「二」で終わると、犍陀多が地
  獄へまっさかさまに落ちてしまった場面で終わり、地獄から抜け出す機
  会を与えたお釈迦様の話に戻らないため、話が途中で切れてしまうよう
  に感じるからです。

 (正答率がさして高くない質問ではなかったろうか。多くの生徒が【正答例】が示すように具体的に判断することができたかどうかが問題となる。

 お釈迦様は人殺しである犍陀多を蜘蛛を助けたからと言って地獄から助け出そうとした。犍陀多一人を助け出すことを目的としたはずである。一人だけ助け出す方法を取らずに、地獄に落ちた不特定多数の他の罪人まで助け出す結果となる方法を取った。罪人たちの中には犍陀多と同じように蜘蛛といった小さな命を助け出す善行を施した者がいたのだろうか。いるとしたら犍陀多一人だけを助けようとするのは矛盾するし、いなければ、犍陀多の後に続くのを許すのも矛盾する。

 助け出す条件はあくまでもそれが人間の命ではなく昆虫といった小さな命に慈悲の心を起こしてその命を助けたことにある。

 物語から矛盾点を含めて何か感じたことを答えさせる方法も生徒それぞれの感受性を確認できる。

 蜘蛛を一匹助けたとしても人を殺しているのである。その構図は蜘蛛を助けたことでお釈迦命に命を助けられることとなっても、自分の命だけ助かろうとして他の命を無視する構図と一致するもので、何ら矛盾はない。この視点からだと、いじめや殺人、社会的重圧からの自殺等の多発に見る今の時代、今の社会の命無視、「命の生き剥がし」を学ぶ契機となり得る。)

  
【3】書店へ職業体験に行った三人の中学生(中川さん・小林さん・山口

    さん)は、店長さんに本の広告カードの作成を頼まれました。次は
    、三人の作った広告カードと、三人が店長さんを交えて話をしてい
    る様子【A】です。これを読んで、あとの問いに答えなさい。

  ○広告カードの作成を 依頼された本

 『都会のトム&ソーヤー④』

 (ロデオもどきなのか、首にヒモをつけた豚に跨って右手を頭に当てて、豚じゃあ感じが出ないといった顔をしている少年に折りたたみ椅子に腰掛けた少年が映画監督気分なのか、片手にメガホンを持ち映画撮影用のカメラを向けている表紙。都会のいたずらっ子がトム&ソーヤー張りにいたずらまがいの冒険を繰り広げると言った内容なのか。)

 <中川さんの広告カード> (カード右側に中学の制服を着たいたずらっ子めいた顔の少年二人がピースサインしているイラスト。)

   (「僕らはいつも迷コンビ!?」
    知性派の創也(そうや)と
    いわゆるふつうの内人(ないと)
    二人の冒険はもう止まらない。
    今度はなぞめいた洋館へ出発。

    同世代として共感すること間違いなし
    都会のトム&ソーヤー④
        はやみねかおる

 <小林さんの広告カード>(イラストなし、文字のみ)

   (はやみねかおるさんの
       人気シリーズ

    都会(まち)のトム&ソーヤ④
     我が校はじまって以来の天才といわれる創也と
           平凡な中学生 内人(ないと)。
    二人が繰り広げる冒険はかなり変わっている。
 
    えっ?今度は古びた洋館でキモ試し!?
   あなたのクラスにもこんなコンビいませんか?


 <山口さんの広告カード>(イラストなし、文字のみ)

   (「内人(ないと)くん、冒険
    の始まりだよ」

    いつだってこうして創也との冒険が
    始まる。創也の頭脳と内人の
    サバイバル知識があれば向かう
    ところ敵なし!?

    中学生コンビが今回挑むのはオバケ
    屋敷。この冒険は見逃せない。
    中学生必読!!の一冊です。
    都会(まち)のトム&ソーヤ④ 
        はやみねかおる

 〈店長さんが紹介してくれた、店員さんが同じシリーズの本について作った広告カード〉(星をちりばめたのみのイラスト)


   (大人だって子どもだって
    この本読めばトムソーヤ。

    創也内人が繰り広げる冒険はとってもユニーク。
    今度は誘拐事件にまき込まれる!?
    読めば、子どもは冒険気分。大人は子どものころの
    ワクワクした気持ちがよみがえるはず。
    すべての人に夢と希望を与えてくれる一冊です。
      都会(まち)のトム&ソーヤ③
         はやみねかおる

 店長さん ①これは、本の題名がすぐに目にとびこんでくる点がいいね。
    やはり魅力的な題名の本はよく売れるからね。
   ②こっちのカードは、(注)コピーにひかれるなあ。五音や七音は日
    本人の心にしっくりくるリズムなので、印象に残るんだよ。

   ③このカードは、本文中の強烈な一文を引用してコピーにしたアイ
    デアがいいなあ。本文をちらっと見せるのも、読んでみたい気にさ
    せるのに効果的なんだよ。

 中川さん ありがとうございます。この五日間の職業体験で、店員さんが
   作られた魅力的な広告カードをたくさん見ることができたので、とて
   も参考になりました。

 小林さん 思った以上に、お客様が広告カードを読まれていたことにも驚
   きました。そして、そういうお客様は、いろんなカードの前で立ち止
   まってじっくり読んで、やはりそこで紹介されている本を買っていか
   れましたね。

 山口さん 店員さんの広告カードは、読者であるお客様と同じ目線で書か
   れているのがいいのでしょうね。

 店長さん いいところに気づいたね。そういう意味では、君たちのカード
   に加えてほしい視点があるんだよ。今回君たちに作成を頼んだ本も、
   いろんなお客様に読んでもらって楽しい気分を味わっていただきたい
   んだ。このカードと君たちのカードを比べてごらん。

  (注) コピー=読み手の注意を引く広告文。宣伝文句。
 
 1.【A】の中で、店長さんが評価している①これ ②こっちのカード
   ③このカード は、それぞれだれの広告カードに当たりますか。次の
   からのうち、広告カードを書いた人の組み合わせとして最も適切
   なものを一つ選びなさい。

  ① 中川さん  ② 山口さん  ③ 小林さん
  ① 中川さん  ② 小林さん  ③ 山口さん
  ① 小林さん  ② 山口さん  ③ 中川さん
  ① 小林さん  ② 中川さん  ③ 山口さん

【正答例】
 1.4
 
 (考えさせるよりも、なぞりの域を出ていない。店長の言葉を広告カードの絵に当てはめていけば、大体の答が出てくる。また、「小林さん」の「本の題名がすぐに目にとびこんでくる点」さえ分かれば、3か4か、確率2分の1で正答が出ることになる。全部分からなくても、確率4分の1で正答が出ていると可能性もあり得る。テストも解釈や理解力よりもテクニックがものを言う場合がある。

 いわば正答から正しい理解力・判断能力を正確に逆算できるとは限らない。何か短い文章を読ませて、コピーを書かせたらいい。100人100色のコピーができる。そこから的確なコピーに仕上がっているかどうかを判断する。採点者側に判断する力がないというなら、話は別となる。)


 2.三人の作った広告カードには、「本の題名(書名)」のように共通し
   て書かれている情報
がいくつかあります。「本の題名(書名)」以
   外に共通して書かれている情報を二つ書きなさい。

【正答例】

 2.著者名、登場人物(本の内容、コピー(宣伝文句)なども可)

 (「共通して書かれている情報」に「本の題名(書名)」を例として挙げていることから「著者名」、「登場人物」に視線が向くように仕向ける設問構造となっている。この構造に反して、「本の内容」、「コピー」まで共通情報として記し得たかどうかで、判断力・理解力が測れる。

 公平を期すとしたら、例を挙げずにすべての共通情報を書き出させるべきではなかったろうか。)


 3.【A】の中に、このカードと君たちのカードを比べてごらん。とあり
   ますが、四人の会話を踏まえ、三人の作った広告カードと店長さんが
   紹介してくれた広告カードを比較して、その違いを説明しなさい。

【正答例】

 3.三人が作った広告カードは、対象者が中学生であるのに対し、店長さ
   ん三が紹介してくれた広告カードは、中学生に限らず幅広い年齢層の
   読者を対象としている。

 (三人は物語を平面で把えた説明となっているが、店員の説明は「読めば、子どもは冒険気分。大人は子どものころのワクワクした気持ちがよみがえる」と、読み出せばたちまちトム&ソーヤーの二人の主人公になった気分に浸れることをうまく伝えている。

 「参考」として、「〈広告カードが並ぶ書店〉」の写真が最後に添付されているが、添付せずに、「あなたは書店に行ったとき、広告カードを読んだことがありますか」と問う設問を用意することも注意力・判断力・理解力に深く関わって効果があるのではないだろうか。「最近興味を持って読んだ広告カードの対象書名と、どのような内容のカードだったか、簡潔に書き出しなさい」とする。

 読んでいない生徒はその限りではないが、そういった生徒でも書店に行く機会があったなら、広告カードに注意が向くはずである。注意力・判断力・理解力をつけていく第一歩となる。)

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