都市差別は住民差別を背中合わせとする
そして外に対して差別する者は内に対しても差別する。逆もまた真なり。内に対して差別する者は外に対しても差別する。「差別表現」は権威主義性を性格的素地として育ち、内も外も区別しないからだ。
そもそもの発端は今月14日(08年9月)に名古屋市・名古屋駅前で行った自民党総裁選の街頭演説。9月16日の「TBSニュース」インターネット記事によると、我が麻生太郎は「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」との趣旨の発言を展開中、多分「アルツハイマーの人でもわかる」ようにとの優しい心遣いからだろ、先月の8月28日から29日未明にかけての記録的な集中豪雨で岡崎市の場合は9月16日正午時点で2人が死亡、家屋の床上・床下浸水2916件(「時事通信社」インターネット記事から)という洪水被害に見舞われた岡崎市と、さらに安城市も引き合いに出して、「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間の雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」と誰でも理解できる噛んで砕いた言い回しで公共工事の必要性を主張したという。
対して「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」と引き合いに出された岡崎市は「配慮のない発言は極めて遺憾」とする抗議文を麻生に送り、安城市も抗議することを決めていると上記「TBSニュース」インターネット記事は伝えている。
問題発言の部分は9月17日の「毎日jp」記事≪自民党総裁選:豪雨、岡崎でよかった? 麻生氏発言に市側が抗議文≫によると、我が麻生は8月末の集中豪雨を例に取って、<都市型災害を防ぐためにも公共事業を悪と決めつけるのはおかしいとの文脈で、岡崎で1時間に140ミリを記録したことに触れながら「名古屋で同じことが起きたら、洪水だよ」などと話した。>となっている。
岡崎・安城両市の対応は、<岡崎市の石川優副市長と山本雅宏議長は連名で「『岡崎だったらいいけど』との麻生氏の発言は、今も災害からの復興活動を続ける岡崎市と岡崎市民を深く傷つける発言」と抗議。安城市の神谷学市長も同様の指摘をした。>となっている。
公共工事を悪だなどと誰も言っていないことで、麻生が勝手に言っているか思っているだけのことだろうが、逆に公共工事すべてが善だと思っている人間も誰もいないことに果して思いを馳せているかである。いるかどうかは本人の客観的認識性の問題だが、麻生に関して言えば、限りなく期待薄ということになるのではないだろうか。
ちょっとした急激な大雨でも水が出て洪水状態と化す。あるいは洪水となる。公共工事を積み重ねてきて都市を形作ってきながら、雨に対して脆弱という欠点を多くの都市が抱えている。都市設計がなっていないと言うことで、そういうことなら、これまでの都市設計に関わる公共工事は何だったのかということになる。そのことが問題であって、そのことへの指摘もなく「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と一般論だけを述べる。
決して公共工事が悪だとか善だとかの問題ではない。一般論だけで公共工事を続けていったなら、出水に弱い都市の性格は変わらないだろう。我が麻生に関してはどういった都市設計が水に対して強いかまで考えて公共工事の必要性を主張しているかどうかは疑わしい。
結果、公共工事に税金をばら撒いて景気回復を策して失敗した、国土交通省とゼネコンだけを喜ばせてバラ撒きで終わったかつての古い手を再度誘発することになりかねない。
麻生太郎は岡崎市の抗議に「迅速」に応えて謝罪文を送った。謝罪文の全文が昨18日(08年9月)の「中日新聞」インターネット記事≪「お詫び申し上げます」 麻生氏、岡崎と安城へ手紙≫に出ている。
記事の中で<自民党支持者という岡崎市明大寺町の会社員男性(38)は「間違いをすぐに訂正できるのが麻生さんの良さ」>と麻生を持ち上げているが、総裁選がかかっているのである、どのような水の漏れも許されない。マスコミにこれ以上大騒ぎされる前に手を打っておこうという意味の「迅速さ」でもあったろう。
<特に支持政党がないという同市百々西町の主婦(27)は「選挙前だから気にしたんでしょうね」>という感想の方が支持政党なしで距離を置いているだけあって、客観的に妥当な判断と言えるのではないか。
「中日新聞」インターネット記事全文を引用すると――。
<「不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫(わ)び申し上げます」-。岡崎、安城両市に十七日届いた自民党の麻生太郎幹事長名の市民あてのおわびの手紙。市民や市幹部は複雑な表情で受け止めた。
麻生幹事長の「(豪雨は)安城や岡崎だったからいいけど」との発言に素早く抗議文を送った岡崎市。市長職務代理者の石川優副市長は「返事を要求したわけではないのに、迅速な対応をいただいてありがたい」と破顔一笑。安城市の神谷学市長も「謙虚な謝罪で、誠意も感じられる」とした。
両市は、ホームページなどで市民に公表する考えだ。
市民は歓迎と白けた声が半々。自民党支持者という岡崎市明大寺町の会社員男性(38)は「間違いをすぐに訂正できるのが麻生さんの良さ」。特に支持政党がないという同市百々西町の主婦(27)は「選挙前だから気にしたんでしょうね」。
麻生幹事長のおわびの手紙
市民の皆様
先般の豪雨被害で、大きな被害を受けられたことについて、お見舞い申し上げます。ここに、先日、名古屋での自民党総裁選挙街頭演説において、私の不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫び申し上げます。災害はどの地域にあっても、発生しては困るものです。一政治家として、自由民主党幹事長としても、すべての日本国民と地域の安全を心がけねばならないものであります。また、不幸にも災害が生じた場合は、早急なる復旧に、政府をあげてつとめるべきであります。あらためて私の発言を深くお詫びするとともに、復旧についてできる限りのことをすることをお誓いいたします。>・・・・・・・
「災害はどの地域にあっても、発生しては困るものです」は当たり前のことをごく当たり前に言っているに過ぎない。一般論じみている上に他人事に聞こえるのは、これまでの都市設計の不備に関する指摘もなくfont size=“3” color=“blue” style=“line-height:130%;”>「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と一般論だけで把握することしかできない、その反映としてあるありきたりな釈明といったところだろう。
「不幸にも災害が生じた場合は、早急なる復旧に、政府をあげてつとめるべきであります」もごく当たり前のことであって、当たり前のこととして言っているに過ぎない。政府も呼応させるべき当然の義務・責任でもあり、今更ながらに「つとめるべきであります」と言うべきことではない。麻生が「政府をあげてつとめるべきであります」と断るまでもなく、地方自治体と協同して復旧工事を既に遂行しているはずである。
問題は別のところにある。麻生の「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」は、名古屋なら問題であるが、「安城もしくは岡崎は」“お構いなし”ということを意味していて、都市に差別を設ける発言をしたということであろう。
意地悪く言うと、「安城もしくは岡崎」は「どうでもいい」と言っていると批判することもできる。そういった地域に応じて差別をつける態度――地域を関係なく同等に扱う態度の欠如――を問題とすべきであろう。
例えば東京なら大騒ぎをするが、地方の小さな都市ならさして問題視しない態度は同じ日本人を住む場所に応じて差別することでもある。東京に住んでいる日本人は大事に扱い、地方の田舎に住んでいる日本人は大事にしないことを意味する。
麻生の「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」は、都市を差別しただけではなく、名古屋に住む日本人よりも岡崎・安城に住む日本人を疎かに扱う差別を行ったのである。
元々差別主義者である。麻生の「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」という発言も、だから日本民族は優秀であるとする趣旨を持たせた言葉であって、否応もなく日本民族を優越的に把えた意識の存在を窺わざるを得ない。
当然、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」とする発言は他民族を日本民族よりも劣るとして下に置く意味を持たせた発言でもある。
最初に「外に対して差別する者は内に対しても差別する」と言ったが、民族を基準に優劣の差別をする者は同じ民族の中でも地位・身分、身体的状況で差別する。麻生が都市の規模でそこに住む住人を差別したとしても不思議はない。
私が麻生太郎をヒトラーになぞらえるのは違う時代に生きているからヒトラーみたいに他民族虐殺は行わないものの、麻生が民族を基準とした差別主義者という点で本質的にはヒトラーとさして変わらないからだ。
都市を差別し、都市を差別することでそこに住む住人を同じ日本人でありながら差別することになるという指摘が間違っていないなら、上記「中日新聞」インターネット記事が伝えている<市長職務代理者の石川優副市長は「返事を要求したわけではないのに、迅速な対応をいただいてありがたい」と破顔一笑。安城市の神谷学市長も「謙虚な謝罪で、誠意も感じられる」とした。>麻生の謝罪文に対する好意的反応は客観性を欠いた甘い対応だとしか言いようがない。どのような言葉を使って謝罪しようとも、麻生が自らの人格性としている差別意識は変わらないだろう。
差別主義者麻生を日本の次期総理大臣に選出する。「選挙の顔」で投票するのだから、差別意識を持っていようがいまいがお構いなしといったところか。
岡崎市・安城市、麻生氏発言に猛反発(TBSニュース/08.9.16)
<日本のリーダーとなる人を決める自民党総裁選ですが、立候補している麻生幹事長に愛知県・岡崎市と安城市が猛反発しています。麻生幹事長が先月の豪雨被害について触れたこの発言が原因です。
問題となっているのは、麻生氏が日曜日、名古屋で市民を前に行った街頭演説で飛び出したものです。
「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間の雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」(自民党・麻太郎生幹事長〔14日〕)
麻生氏は「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と発言の趣旨を説明していましたが、「安城や岡崎だったからいいけど」という表現に豪雨被害を受けた2つの市が猛反発。
2人の死者を出した岡崎市は、「配慮のない発言は極めて遺憾」とする抗議文を麻生氏に送りました。
「私としては37万市民を代表して、今回の発言に対しては抗議をさせていただいた」(岡崎市・石井優副市長)
安城市も抗議することを決めています。
以前にも麻生氏は、アルツハイマー病患者を揶揄する発言をしたとして、批判を浴びたことがありました。
そういえば先週金曜日、麻生氏は自分のことについてこう話していました。
「3つ申し上げます。1番目、麻生太郎は、ばらまきである。2番目、いわゆる失言癖。3番目、中国・韓国を敵にまわすのではないか。ご心配をいただいております。麻生太郎です」(自民党・麻太郎生幹事長〔12日〕)
麻生陣営では、総裁選に臨むにあたって、失言に気をつけるよう麻生氏本人に注意していたということです。
「一国の指導者となりますと、何事も軽々には申しておりません。いつも寸止めで踏みとどまってきたんじゃないかと。ご安心をいただけると存じます」(自民党・麻太郎生幹事長〔12日〕)>
9月12日に自分の発言をそう保証した。麻生太郎はウソをつかない。その2日後の「安城もしくは岡崎だったからいいけど」は当然のこと、「寸止めで踏みとどまっ」た差別発言なのである。麻生らしい見事な「寸止め」ではないか。