菅首相の「支持率1%になっても辞めない」の真偽

2010-12-02 05:55:22 | Weblog


当ブログに久々再登場小沢寅次郎




 12月1日夜、支持議員約40人と都内の中国料理店で懇談

 小沢一郎元代表「私は無職の風来坊だから、またいろんなところに呼んでいただいて、みんなと一緒に勉強したい」(47NEWS)

 菅首相と鳩山前首相が27日(2010年11月)都内の中華料理店で約1時間半会談、そのとき菅首相が「支持率1%になっても辞めない」と発言したと多くのマスコミが伝えていて、その発言を捉えて11月28日の当ブログに《菅首相発言、支持率「1%になっても辞めない」と「政府専用機を用意する」を読み解く》と題して記事にしたが、鳩山前首相が28日の茨城県守谷市の講演で、この発言を否定したという。

 《鳩山前首相が講演で「来年選挙かもしれない」「『1%でも辞めぬ』は首相の言葉ではない」》MSN産経/2010.11.28 23:02)

 鳩山前首相(政権運営話題)「このままいくと、来年選挙かもしれないという状況にもなりつつある」

 要するに来年には菅政権は追いつめられるかもしれないの言い替え発言であろう。菅首相では選挙は戦えない、顔を変えるべきだと菅降しが始まるに違いない。“選挙の顔”作戦は自民党の専売特許ではなく、民主党が政権交代前に既に演じているのだから、日本の政治の専売特許と形容すべきなのかもしれない。

 鳩山前首相「私や小沢一郎民主党元代表も役割があればがんばりたい」

 これは、〈鳩山、小沢両氏を要職に起用する「トロイカ体制」復活が挙党態勢構築には不可欠だとの考えを示した。〉ものだそうだ。

 鳩山前首相(菅首相が言ったとする報道について)「首相が言ったのではない。友達から『1%になっても辞めるな』と激励されたという話を首相から聞いた」

 そして次のように激励したという。

 鳩山前首相「私が首相のときに『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」

 ではなぜ菅首相は鳩山前首相が小沢副代表と共に退陣を決意したとき、菅首相は引き止めなかったのだろう。要するに外交辞令に過ぎない「0%」だったということではないのか。

 友達が「1%になっても辞めるな」と激励が事実なら、ブログ記事を削除、謝罪の一文を書き込まなければならない。

 「1%」発言があったとしたのは27日の会食、ブログ記事に参考とした「毎日jp」記事は「2010年11月27日 21時36分」の夜中に近い時間にインターネット上に掲載されている。翌28日に新聞報道。テレビも報道したかもしれない。

 鳩山前首相自身による訂正は報道があった同じ28日だが、ここに参考引用した「MSN産経」WEB記事は「2010.11.28 23:02」の時間、「毎日jp」WEB記事は「2010年11月28日 19時07分」で夕方の時間となっている。新聞報道は翌29日となるが、テレビ報道は当日内にあったかもしれない。

 最初はWEB記事で27日の真夜中から、新聞・テレビで28日の朝から、訂正がWEB記事の28日夕方7時から、新聞・テレビで翌朝からの報道とすると、特にインターネットの世界では情報伝達は猛スピードで広範囲に瞬く間に広がる。例え1、2時間の間隔であっても、WEB記事やブログ、ツイッター等を通じた情報の共有と拡散は大多数の人間によって大量処理されたはずである。

 その殆んどが低支持率との兼ね合いで政権にしがみつくといったイメージで処理される可能性が高いことは否定できないだろうから、菅首相に対するイメージ悪化の追い撃ちとなって支持率になおさらの打撃となり、政権運営の障害となって立ちはだからないとも限らない。

 こういったことを防ぐためにも、なぜ菅首相自身が「支持率1%になっても辞めない」発言を否定しなかったのだろう。鳩山前首相の取り違いとした場合、現在以上に鳩山前首相を敵に回す恐れから、黙っていたということなのだろうか。

 だが、鳩山前首相を敵に回すことよりも世論の支持動向の方がより重要なはずである。高い支持率を獲得できたなら、参議院の数の劣勢も相当以上に相殺できるからだ。公明党の擦り寄りもより露骨なものとなって政権運営に有利となって働くに違いない。原口前総務相から、「信頼を国民から得られなければ改革は進まない」(asahi.com)と批判を受けている、政権運営の重要な原動力としなければならない支持率であろう。

 あるいはこう言ったはずだと鳩山前首相自身に直接抗議して、機会を見つけて訂正して欲しいと申し入れたのだろうか。

 そうだとすると、時間を置くことになり、「支持率1%になっても辞めない」のみが一人歩きして手のつけられない状態になることを放置したことになり、世論対策も重要であることからすると、政権運営の危機管理に問題が生じることになる。

 いずれにしても、首相自身が「1%になっても辞めない」と言ったのではなく、友達が菅首相に「1%になっても辞めるな」と激励したことを鳩山前首相に披露したのだろうか。

 しかし友達の激励言葉を何ら否定せずに鳩山前首相に紹介したとしたら、その激励を肯定していて自身の気持の中に入れていたことを意味するはずだ。

 もし「1%になっても辞めるな」の激励に対して、「いや、30%以下になると危険水域と言われていて既に30%を切っていてかなり逆風状態にある。もし20%を切るようなら、辞任圧力が増して耐えられるかどうか。1%はとてもとても」と言葉に表そうと心の中でそう思おうと否定していたなら、鳩山前首相に紹介することはなかったろう。

 紹介したとしても、否定的文脈で紹介したはずだ。だが、記事を読む限り、否定的な取扱いはどこからも窺うことはできない。

 鳩山前首相も否定しなかった。逆に「私が首相のときに『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」と菅首相の友達と同等、あるいはそれ以上の激励を菅首相に与えている。いわば両者共に肯定的文脈で激励し合ったことになる。菅首相自身が「1%になっても辞めるな」を否定などせずに自分の気持としていたからだと看做さざるを得ない。

 この文脈でいくと、次のような会話は可能となる。

 菅首相「友達は1%になっても辞めるなと言っていたが、20%を切るようなら、辞めざるを得ないよ」

 鳩山前首相「私が首相のときに『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ。1%はゼロじゃないんだから」

 非現実的で不毛な会話に過ぎないが、菅首相の最初の発言は儀礼的否定で、相対的肯定。鳩山前首相の発言は全面的肯定となり、全体的に肯定的ニュアンスに支配されていて、この限りに於いて友達の激励だとする「1%になっても辞めるな」の言葉を挟んだ会話は成り立ち可能となる。

 「1%になっても辞めるな」を否定などせずに自分の気持としていたならば、菅首相自身がその基準に正当性を置いていたことになる。既にここで「1%になっても辞めない」と意味を同じくしていたと言える。

 「1%になっても辞めるな」の友達の意思を「1%になっても辞めない」の自身の意思に替えていたということである。そのような意思のもと、「友達から『1%になっても辞めるな』と激励された」を口にした。

 これは自身が「1%になっても辞めない」と言ったのとほぼ同じことであろう。

 私自身の解釈は以上のようになる。だから、《菅首相発言、支持率「1%になっても辞めない」と「政府専用機を用意する」を読み解く》のブログ記事を削除することも謝罪することもしない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする