菅首相の《KAN-FULL BLOG》を斬る その情報処理能力を斬る

2010-12-24 09:30:18 | Weblog

 
 菅首相がブログを11月17日に開設してから、1カ月以上経つ。サイト名は《KAN-FULL BLOG》

 ブログテーマを次のように説明している。

 〈日本の元気を回復する「カンフル剤」たるべく、カン総理がフル回転。KAN-FULL BLOG(カンフル・ブログ)は、本人直筆で、動画出演で、更にスタッフ証言等で、立体的に発信しています。〉――

 菅首相は言う事に関しては常に立派な言い回しを見せる。

 どうせたいした情報発信はできないだろうと最初から高を括っていた。指導力のない政治家は満足な情報把握能力を同時に欠くからだ。満足な情報発信能力は満足な情報把握能力の裏打ちに支えられる。満足な報把握能力は満足な合理的判断能力、あるいは満足な合理的な認識能力があって初めて担保される。

 周囲からの情報、あるいは下から上がってくる情報を的確、必要な内容で合理的に把握する判断能力、認識能力を欠いたなら、自分自身の判断を加えて情報処理を施した発信を行ったとしても、処理した情報自体が合理的判断、合理的認識を欠いたものとならざるを得ないし、そういった情報発信では人や組織を満足に動かすことは期待できない。

 役にも立たないブログ開設で、菅内閣が一方で行政のムダを省くと言いながら、一方でムダ遣いをしている疑いが濃い。

 ブログがムダ遣いではないとするためには「日本の元気を回復する『カンフル剤』」というテーマに常に的確・忠実な記事とする制約を守らなければならない。いや、テーマを決めてブログを開設した時点でその制約を認識し、覚悟しなければならない。

 もしその制約を外したなら、《KAN-FULL BLOG》の名前(=テーマ)を裏切ることになり、当然、発信した情報の選択、あるいは間違えた解釈の情報発信となる。

 「カンフル剤」とは即効的回復効果に効能を置いた薬剤を意味する。決して活動を停止させる睡眠薬の効能であってはならない。要するに首相官邸に設置した《KAN-FULL BLOG》は日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信に限られ、その制約を負うことになる。

 では菅首相肝いりの《KAN-FULL BLOG》が開設趣旨に添って日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信となっているのかいくつかの記事を見て、全体を推し量ってみる。

 《KAN-FULL BLOG》には「KAN-FULL TV」と名付けた動画コーナーがある。

 11月27日(土曜日)の「KAN-FULL TV」は「第4話【危機管理】 北朝鮮砲撃事件…官邸はこう動いた」は国会で初動対応が遅れたと批判されたことに対して後付で決して遅れていないと題名どおりに証明する記事となっていて、日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とは縁のない、単に北朝鮮攻撃に対する菅内閣対応の正当性を訴える内容に過ぎない。

 11月24日(水曜日の「KAN-FULL TV」の「第3話【雇用】 補正予算審議 大詰め ~経済成長政策、先送りせず!」は「1に雇用、2に雇用、3に雇用!」と菅首相はここでも強調、補正予算が雇用創出・雇用拡大に重点を置いた予算編成となっていることを訴えている。

 だが、「カンフル剤」とすることをテーマとし、《KAN-FULL BLOG》に記事として取り上げている以上、菅首相が補正予算に盛り込んだ雇用創出・雇用拡大策は即効的回復効果を約束する政策、予算付けでなければならない。

 一方で「一歩一歩 政策解説のページ」なるコーナーで12月20日(月曜日)の記事として「仕事がない、家がない方への年末年始の支援策」を取り上げているが、住居・生活困窮者に対する年末年始に向けた宿泊や炊き出し等の政府広報に手軽に触れることができるよう、その情報カードをコンビニに置いた、繁華街でホームレスの方が販売している雑誌「ビッグイシュー」は表紙の側を通行人に見せながら売っている、ホームレスが見るのは常に裏表紙だから、そこに政府広報の広告を打ち出したといったことや、ハローワーク1か所訪ねるだけで、既に行っている就職相談・住居相談・生活相談をまとめてできる「ワンストップ・サービスデー」や就職面接会の実施などの紹介記事となっている。

 確かに生活困窮者の救済は政府の仕事として必要だが、後追いの一時的救済策でしかなく、「1に雇用、2に雇用、3に雇用!」と言っている以上、先行的な救済策である即効的回復効果を約束する雇用拡大・雇用創出政策の紹介を持ってきて初めてブログテーマに的確・忠実に添った記事と言えるはずである。

 いわば雇用拡大・雇用創出に即効的効果を約束するこれこれの政策を考案し、現在このように実施中ですと発信する情報でなければならなかった。選択を過った情報の発信となっていた。年始年末の救済策は別立ての情報として扱わなければならなかった。

 どう見ても、見当違いの情報発信に過ぎない。

 11月18日(木曜日)の《KAN-FULL BLOG》の「第1話【外交】 APEC 菅議長 成果報告」は記者会見で既に報告済み。同日の「第2話【農業】 APEC終了~農業再生、待ったなし!」は菅首相持論の「農業の再生」と「開国」の両立話で、耳にタコをつくる何度でも繰返し聞かされているスローガンであって、日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とは決して言えない。

 以上見てきた記事すべてが日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信、日本が失った元気を急速・急激に回復させるカンフル剤となる情報とならないムダな発信となっている。

 全部の記事を見たわけではないが、元々合理的認識能力・合理的判断能力を欠いていることからすると、一事が万事、同じと見て間違いはあるまい。

 次の記事がこのことを何よりも証明してくれる。《「官邸は情報過疎地帯」菅首相ぼやく》YOMIURI ONLINE/2010年11月2日(火)21:16)

 11月2日の国会内で開かれた菅氏支持の民主党議員グループ会合での発言――

 菅首相「首相官邸は情報過疎地帯だ。役所で取りまとめたものしか上がってこない。とにかく、皆さんの情報や意見を遠慮なく私のところに寄せてほしい」

 首相官邸を情報過疎地帯とするのも情報活発・有効遅滞とするのも偏に菅首相自身の情報収集能力と情報処理能力にかかっているはずだが、それを「首相官邸は情報過疎地帯だ」と言う低劣・稚拙な認識能力・判断能力は如何ともし難い。

 政治を行う中で何が知りたい情報なのか、求めるべき情報の決定は自分自身で判断すべき事柄であって、第三者がわざわざ何が必要ですかと聞く類のものではない。

 例えば地震が発生した場合、危機管理部門の関係者の方から首相が求めないうちに被害状況と対応策を伝えた場合、首相がその情報を第一番に必要とするという暗黙のルールに則っているからであって、間接的には首相自身が選択した情報となる。

 首相自身が求めていない情報を第三者の方から伝えた場合、必要としていないゆえにその情報は意味を失う。例え後刻必要な情報となったとしても、記憶の中から自分から求めて引き出した情報ということになるだろう。

 単なる世間話からも自分が求める情報が混じっていることもあるし、求める情報が混じっていながら、求めないことによって聞き逃してしまう場合もある。

 情報とは自分で求めて、自分の判断に従って取捨選択の解釈・解読を行って、自身の情報とし、そのときどきの状況に応じて発信するプロセスを踏んで、初めて情報が生きてくる。このプロセス全般に於いて、的確・適正な合理的判断能力・的確・適正な合理的認識能力を欠かすことはできないことは言うまでもない。

 菅首相の「首相官邸は情報過疎地帯だ」からは情報の遣り取りを満足に扱うことができない人柄が浮かぶのみである。情報の遣り取りは良好な人間関係にかかっている。内閣を率いる最高責任者でありながら、情報の交換が満足にできない、良好な人間関係を築けていないというのでは、何のための最高責任者であるか意味を失う。

 日本の元気を回復する「カンフル剤」たるべくと銘打ったブログ、《KAN-FULL BLOG》を開設したものの、扱う情報が日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とはなっていない的外れ、見当違いな認識性、あってはならないことなのに、「首相官邸は情報過疎地帯だ」と言って憚らない幼稚にして愚昧な認識性を菅首相は資質としている。

 一国の総理大臣でありながらのこの逆説性は素晴らしい。

 首相になったときサラリーマンの息子だと盛んに自慢した。何の子だろうと、妾の子だろうと出自に価値があるのではなく、今後何を成すかの結果にこそ価値・意味を置くべきをそうすることができなかったのを見て、合理的判断能力・合理的認識能力を欠いた男だなと思ったが、その判断に間違いはなかったはずだ。

 当然、満足な情報の扱いなどできようがない。指導力の欠如もこのこととの予定調和として存在することになる。


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