沖縄に対して誠心誠意を欠いた日米合意を掲げて沖縄と誠心誠意話し合うとする矛盾

2010-12-22 08:05:33 | Weblog

 菅首相は17日(2010年12月)の沖縄訪問を控えた16日夜、記者団に発言している。《首相、17日から沖縄訪問=普天間で打開糸口探る》時事ドットコム/2010/12/16-20:16)

 菅首相「いろんな問題を話し合ったり、沖縄の現状を見て、誠心誠意丁寧に進めていきたい」

 菅首相は「誠心誠意」の上に「丁寧」という言葉まで付け加えて、そのような謙虚さと善意を全面に出した姿勢で交渉に臨むことを宣言した。

 仙谷官房長官の同じ日の記者会見。

 仙谷官房長官「沖縄に米軍基地を押し付けて、本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない。そう簡単に成果の出る話ではない」

 言っていることに矛盾と誤魔化しがある。「本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない」と言いながら、沖縄に基地を押し付けるのは「本土(の国民)」の基地に関わる傍観的態度をそのまま見逃すことを意味し、見逃すことによって今後とも傍観的態度に任せることになる政府としての不作為を政府の重要な一員である官房長官が自ら許したことになるからだ。

 「本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない」と言うなら、政府自らが「本土(の国民)」の傍観的態度を改めさせる努力をし、「本土」が基地を受け入れるよう図って初めて矛盾と誤魔化しを避けることができる。だが、そう仕向ける意志は持たないようだ。

 要するに仙谷官房長官は沖縄に基地を受け入れさせるために体裁のいいことを言ったに過ぎない。菅首相の「誠心誠意」と不一致のこの態度と言いたいが、仙谷官房長官のこの発言は菅首相が17、18両日(2010年12月)の沖縄の訪問と視察を終えて現地で記者会見したとき、基地問題を「全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と発言しながら、「全国民の課題」を具体化させる政府の責任を放置し、米軍基地を沖縄への集中的且つ過重な負担のままに推移させている無責任な不作為に対応していることからすると、菅首相の「誠心誠意」にしても、初めから分かっていたことだが、そう言わざるを得ない口先だけの態度と見るべきだろう。大体が同じ政府の一員同士である。

 菅首相は交渉に当たっての姿勢として規定づけた「誠心誠意」なる言葉を他でも使っている。

 12月6日(2010年)の臨時国会閉幕に当たっての記者会見。

 菅首相「今後のこの問題(基地移設問題)の考え方については、5月28日の日米合意を踏まえながら、沖縄に於ける基地負担をいかに軽減していくことができるのか。更には、知事からも要請のありますいろいろな沖縄の経済振興、またはそのための会議を年内にも開くようにということの要請もいただいております。そういうものと併せながら、誠心誠意、沖縄の皆さんに理解が得られるよう努力をしてまいりたいと、このように考えております。」

 そして沖縄訪問と視察後の沖縄県うるま市での記者会見でも「誠心誠意」の言葉を使っている。《「小沢元代表にお会いした方がいいと」17日の菅首相》asahi.com/2010年12月17日19時59分)

 ――仲井真知事との会談の中で「辺野古移設はベストではなくベターな選択なのでお願いしたい」と発言したが、知事は終わった後のインタビューで「勘違いだ」との認識を示した。さらに日米合意の辺野古移設に対する総理の説明に対しては「県民が納得していないのではないか」といった認識を示した。今日の総理の説明は、県民や知事に対して納得のいく説明と考えるか。もしそれが厳しいとの認識であれば、今後どのように理解を求めていくのか。

 菅首相「知事はじめ多くの沖縄の皆さんにとってはやはり、県外、あるいは国外が望ましいとお考えだというのは直接にも聞かせていただきました。で、同時に私は、普天間が今の形のままで残るということは何としても避けたいと思っております。そういう中で、何とか沖縄の危険除去、あるいは負担の軽減のために、どういう選択があるかということで、私なりの考え方を申し上げさせてもらいました。あの、もちろん知事や多くの沖縄の皆さんとの意見の隔たりはありますけれども、これからもですね、「誠心誠意」、話し合っていきたいと、こう思っています」――

 昨21日に沖縄を訪問して仲井真県知事と会談した前原外相も「誠心誠意」を交渉態度とすることを宣言している。次の首相に推したい政治家として国民の多くが認め、自身も認めているに違いない評判の高さからいって、言葉にウソ偽りない「誠心誠意」を絵に描いたような人格者に違いない。

 《前原外相も沖縄訪問に意欲》日本経済新聞電子版/2010/12/3 20:22)

 12月3日の記者会見。

 前原外相「首相が訪問した後、前回の衆院選で『少なくとも県外』と訴えたことをおわびするのが大事だ。(日米合意が)沖縄の負担軽減につながることを説明し、理解いただけるよう誠心誠意、話をしたい」――

 民主党が政権を獲得して自民党と米国が決めた辺野古現行案を白紙に戻し、普天間基地移設を「国外、最低でも県外」へとシフトさる方針を掲げたとき、アメリカ側は地元沖縄の合意のない案については協議できないとの立場を取り、鳩山前政権は地元沖縄と3党連立政権及びアメリカとの3者合意を基地移設の前提条件とした。

 但し、米側は地元の合意が前提で、地元との調整は日本政府の責任としていたが、辺野古現行案が最善とする姿勢を終始一貫させ崩すことはなかったから、地元沖縄の合意を前提としながら、日本政府は現行案で地元沖縄と合意せよの態度を示していたことになる。

 アメリカのその一貫した態度が功を奏したのかどうか分からないが、5月28日(2010年)に日米は現行案回帰となる辺野古移設で合意、これがいわゆる「日米合意」となった。

 だが、この日米合意には前以て基地決定条件とした沖縄地元合意が抜けたものだったことは誰もが見ての通りだが、3者合意の前提を破った時点で政府もアメリカも「誠心誠意」を裏切っていたのである。

 政治に「誠心誠意」を期待することの方が間違っていると言われればそれまでだが、だとしたら、菅政権は鳩山前政権が取り決めた「誠心誠意」の裏切りの上に築かれた日米合意を引き継いでいる以上、もはや「誠心誠意」を口にする資格はないはずだが、「誠心誠意」を口にして止まない。

 これは破廉恥、鉄面皮と非難を受けても仕方のない態度ではないだろうか。それとも菅首相や前原外相、仙谷官房長官だからできる「誠心誠意」な態度ということなのだろうか。

 沖縄に対して「誠心誠意」を欠いた決定となった日米合意を掲げて昨21日に沖縄を訪問した前原外相にも「誠心誠意」を窺うことができる。

 全文参考引用――
 

《沖縄知事発言要旨》時事ドットコム/2010/12/21-22:33)

 仲井真弘多沖縄県知事の21日の記者団に対する発言の要旨は次の通り。

 -前原誠司外相が会見で、普天間飛行場の周辺施設の移動について言及したが。

 (外相は)小学校のことが頭にあったんだろうが、なぜあの(普天間第二)小学校が移転しないであのままなのか、(歴史的な)経緯があるはずだ。危険性の除去というのは何も周辺の何かを移動するだけではなく、飛行場の使い方など、いろいろなことがあり得る。もっともっと深く掘ってほしい。

 -外相は来年1月も沖縄県を訪問し、辺野古移設に理解を得たい考えだが。

 理解(を得る)と言っても、現実に辺野古はできない。周辺の人たちが考えを変えない限り、いくら私がOKと言っても、何も実質的に前へ進まない。そういうときに、固定化の話がいつでも顔を出しかねない。それ(固定化)は駄目だ。一日も早い危険の除去というのは、最終的には(普天間飛行場を)移設するかクローズ(閉鎖)するしかない。移設は県内どこを探しても簡単ではない。時間がかかるから、県外しかない。

 -外相は普天間の継続使用にも言及している。

 それは駄目だ。(普天間移設問題は)危険だから動かす、ということから始まっている。危険を覆ったままというわけにはいかない。では辺野古かと言ったら、(名護)市長も皆反対している。現実にできないものを紙の上で取り決めても進まない。

 周辺施設の移動はあくまでも辺野古移設との交換条件であって、危険除去を初期的な目的としたものではない。そうであったなら、とっくの昔に完遂していなければならなかった周辺施設の移動であり、危険の除去であったはずだ。

 周辺施設の移動を辺野古容認との交換カードに持ち出す程度の「誠心誠意」だということである。

 あるいは普天間周辺の危険をその程度にしか考えていない「誠心誠意」だと言うこともできる。

 国民の多くが次の首相にふさわしい政治家としてその名前を挙げるのも理解できる。「誠心誠意」を絵に描いたような人格者と見ているからだろう。

 日米合意を振り出しに戻して、最初の約束どおりに沖縄地元の合意を入れた3者合意を果してこそ、初めて「誠心誠意」なる言葉は生きてくる。

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