仙谷官房長官が13日(2010年12月)の会見で17日からの首相の沖縄訪問の意図を説明、その際に在沖縄米軍基地の負担問題に関して不穏当な発言をやらかした。《仙谷氏「沖縄は基地を甘受して」 地元反発、翌日に撤回》(asahi.com/2010年12月14日21時11分)
沖縄側から反発を受けると、次の日には撤回したと記事は書いている。但し、〈17日の菅直人首相の沖縄訪問を前に収拾を急いだが、県議会などには「撤回で済む問題ではない」との声も出ている。 〉状況だとしている。――
事実、「撤回で済む問題ではない」はずだ。内閣官房長官がそのような認識で基地移設問題に当たっていたということだから、単なる言葉の問題ではない。
記事は以下のように発言し、次のように謝罪したと仙谷官房長官の記者会見での発言を取り上げている。
【13日の会見】
――菅直人首相の沖縄訪問はなぜこのタイミング(17~18日)なのか。
仙谷官房長官「沖縄の皆さん方にはしわ寄せをずっと押しつけてきた格好になっている。政府としてはこれを克服しながら、より国民に安心を与えるような安全保障政策を実施しなければならない。沖縄の方々には、そういう観点から、誠に申し訳ないが、こういうことについては甘受していただくというか、お願いしたいと。一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない。私の(地元の)徳島県を含めて、なかなか『自分のところで引き受けよう』という議論が国民的に出てきていない。沖縄の皆さん方には誠に申し訳ない部分があるが、日米政府の合意を誠実に履行させてもらいたいということを、膝を八重に折ってでもお願いしなければいけない」
【14日の会見】
――13日の(上記)発言を仲井真弘多・沖縄県知事が「遺憾」とした。「甘受」の表現を撤回する考えは
仙谷官房長官「基地を全面的に直ちに撤廃するわけにはいかないので、その部分については沖縄の皆さん方にお願いしなければならないという趣旨で申し上げた。仲井真さんが、沖縄の方々が総反発するようなお受け止めをされているとすれば、いつでも撤回する。いま、この場で撤回することもやぶさかではない。沖縄に米軍の基地が存在する意義は大きい。心苦しいことだが、沖縄の方々に理解をお願いせざるを得ないという意味で「甘受」という表現を使った」 |
沖縄県側の反発。まず11月末の県知事選で「県外移設」を掲げて「日本全体で米軍基地の負担を分かち合うべきだ」と訴えた仲井真県知事の14日の県議会答弁。
仲井真県知事「『甘受』は自分がやむを得ずという時に使う言葉で、他人に言われる筋合いはない。誠に遺憾だ」
自民党県議(仲井真氏支援)、「沖縄を愚弄(ぐろう)している」
社民党県議「屈辱的な発言。このような中で首相に会う必要があるのか」
稲嶺名護市長「本土のために沖縄は我慢せよ、という考えなのか。それは沖縄差別以外の何物でもない」――
記事は、〈仙谷氏の非難決議を検討する動きも出始めた。〉とも書いている。
仙谷官房長官が「甘受」発言を撤回したとしているが、「仲井真さんが、沖縄の方々が総反発するようなお受け止めをされているとすれば、いつでも撤回する。いま、この場で撤回することもやぶさかではない」と言っているのみで、実際にはまだ撤回していない。当然、撤回していない以上、謝罪もない。これ以上反発が広まって、交渉に支障が生じるようなら撤回する程度のご都合主義の撤回となるのだろう。
先ず言葉の意味。
【甘受】「甘んじて受けること。文句を言わず従うこと。」(『大辞林』三省堂)
【甘じる】「与えられたもので満足する。また、不満でもよしとする。」(同『大辞林』三省堂)
言葉の意味から、「甘受」なる言葉は上が無条件的に下を従わせ、下が無条件的に上に従う権威主義のメカニズムの働きを纏わせることになる表現だと推察することができる。
いわば問答無用の権力的な強制意志を基本的骨組みとしている。
最初に断っておくが、日本の軍事面での安全保障は米軍と自衛隊双方の基地の所在と部隊の規模及び配置の組み立て・構成によって機動性を確立しさえすれば、少なくとも普天間を国外、あるいは県外に移設しても、成り立ち可能の政策とし得るはずである。いわば日本政府が県外もしくは国外の意志さえ持てば、普天間の国外、あるいは県外移設は可能であろう。事実その可能性を唱えている新旧のアメリカ政府関係者やアメリカ軍関係者が存在する。
仙谷官房長官は「膝を八重に折ってでもお願いしなければいけない」と丁寧にお願いする姿勢、誠意を尽くした話し合いの姿勢を口にしているが、「国民に安心を与えるような安全保障政策」と「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の県外移設の不可能性の両者を絶対としての「膝を八重に」なのだから、口先で言ったに過ぎない「膝を八重に」なのは誰にも見て取ることができる。
日本の安全保障と県外移設の不可能性を絶対条件とした沖縄との交渉――いわば日米合意に基づいた基地移設を絶対前提としているからこそ、国の決定に沖縄県に無条件的に従わせようとする権威主義的意志=問答無用の権力的な強制意志が否応もなしに纏わせた「甘受」という言葉が飛び出すことになったのだろう。
仙谷官房長官が14日の記者会見で言っているように「心苦しいことだが、沖縄の方々に理解をお願いせざるを得ないという意味で『甘受』という表現を使った」わけでは決してない。
いわば沖縄県と交渉する前から菅内閣は日米合意どおりの辺野古移設を結論づけていて、その結論を携えて結論どおりの結果を獲得すべく交渉の席に臨む姿勢を取っていた。
このことは最初から分かっていたことだが、この最初から分かっていた姿勢が仙谷官房長官の13日の記者会見の発言となって現れた。
仙谷官房長官が「沖縄の皆さん方にはしわ寄せをずっと押しつけてきた格好になっている」と言うなら、最初に日本の安全保障ありきを絶対とするのではなく、また県外移設の不可能性を譲れない決定とするのではなく、県外移設を模索するのが政治が為すべき務めであり、沖縄に対する責任であるはずである。
沖縄が戦前の沖縄戦を含めて今日まで負ってきた戦争被害の負担、基地負担の総体・総量の「しわ寄せ」と、沖縄県民の7、8割が県内移設反対の世論にあり、県知事が県外移設を唱えて当選の民意を受けた今の沖縄の状況を考えたなら、その状況に対抗して県内移設の無理やりなや容認に向けて困難なエネルギーを費やすよりも県外移設で「しわ寄せ」を克服する方法の選択にエネルギーを費やすことの方こそ、沖縄の負担の総体・総量の「しわ寄せ」を原因療法的に克服することが可能となり、沖縄県民の期待、民意に応える最善の政治となるはずである。
だが、沖縄県民が負ってきた負担の総体・総量の「しわ寄せ」を口では「ずっと押しつけてきた格好になっている」と言いながら、基地そのものを県外、もしくは国外移設で以って取り除くことはせず、「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の一言で、その「しわ寄せ」を対症療法的な克服に任せ、今後とも「押しつけ」る「格好」を取る構えでいる。
そのように仕向けているそもそもの理由は菅内閣が表面上は無条件的に問答無用の権力的な強制意志で認めさせたいとしている本心は隠してはいるものの、上が下を無条件的に従わせる権威主義性を最初から自分たちの姿勢とし、「国民に安心を与えるような安全保障政策」と「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の県外移設の不可能性の両者を譲るつもりのない絶対的条件と掲げて、県内移設、辺野古移設を「甘受」させることを基本的交渉態度としているからだろう。
当然、現在のところ「甘受」発言を撤回せずにしぶとく上が下を無条件的に従わせる権威主義性を維持しているが、例え今後撤回することになったとしても、言葉のみの撤回、口先だけの撤回にとどまり、上が下を無条件的に従わせる権威主義性までの撤回は望みようがないに違いない。
当然、最初に言ったように言葉の撤回だけで済まない問題となる。もし撤回すると言ったなら、「撤回しないで貰いたい、我々は甘受するつもりは一切ないから」と、上が下に無条件的に従わせようとする権威主義性――問答無用の権力的な強制意志そのものを拒否すべきだろう。 |