首相に就任早々の昨年の参院選前の消費税増税発言でも満足な説明責任を果たしていなかった。就任以来の今日にまで続くお粗末な説明責任能力・お粗末な説明責任義務と言える。
6月27日に就任した松本復興担当相が自らの悪しき人格を曝け出し、批判を受けて立ち往生、7月5日に辞任することになった。
菅仮免は辞意を伝えに来た松本龍復興相に対して慰留したと言うが、慰留は叶わなかった。その慰留について、《首相 慰留したが決意固かった》(NHK NEWS WEB/2011年7月5日 10時14分)が伝えている。
7月5日閣僚懇談会での発言。
菅仮免「松本大臣には思いとどまるよう慰留したが、松本大臣の決意は固かった。松本大臣は『ご迷惑をおかけした』と話していた」
任命権者は菅仮免首相である。任命権者として悪しき人格を帳消しして周囲が受容できる余りある有能性を見い出しているからこその慰留でなければならない。任命権者である以上、当然その有用性についての説明――慰留した理由の説明を国民に対して行う責任を慰留した時点で負ったはずである。
悪しき人格を帳消しできる有用性もなく慰留したとなると、悪しき人格自体をたいしたことではないと容認したことになり、国民、特に被災者に対する侮辱を犯すことになるだけではなく、任命権者としての資格を失う。
菅仮免は首相官邸で記者会見を開いて、任命の経緯と慰留した理由を国民に説明すべきだが、説明がないままに次ぎの復興担当相を任命した。
現在のところ、マスコミが新復興担当相に関わる任命理由を伝えているだけで、菅仮免からの直接の国民に対する説明は行われていない。
復旧・復興に国家の浮沈がかかっているのだから、わざわざ断るまでもなく被災地の復興・復旧は被災地だけ、被災者だけの問題ではなく、国全体の問題であり、当然、国民全体の問題となっている。
そうである以上、復興を被災地で陣頭指揮する復興担当相の任命、慰留、辞任の経緯について国民に自らの言葉で説明する責任を避けることはできないはずだ。
今日辺り記者会見を開いて、任命、慰留、辞任の経緯と新しい復興担当相任命理由の説明があるのかもしれないが、閣僚懇談会では形式的な説明は行ったものの、民主党に対しては何も説明がなかったというから、期待可能性はないに等しいのではないか。
《安住氏 菅首相の姿勢公然批判》(NHK NEWS WEB/2011年/7月5日 18時18分)
安住国会対策委員長「菅総理大臣の任命責任は当然ある。被災地から見れば情けない話であり、総理大臣みずからが被災者の方々におわびしないといけないのではないか。過酷な環境ですべてを失っている被災者に対して、こういう醜態は恥ずかしい」
「おわび」の中には当然、任命と慰留と辞任の理由の説明が含まれる。単に「迷惑をかけた、お詫びします」では国民に対する説明とはならないし、国民に対する説明とはならない以上、説明責任義務を果たしたことにはならない。
松本大臣の辞任を巡って、総理大臣官邸から一切説明がなかったことを明らかにしたうえでさらに次のように発言。
安住国会対策委員長「国会を円満に運営する努力をしている国会対策のメンバーに対する配慮が全くない政権だ。これでは政権なんて崩壊する。率直に言って、とても求心力があるとは思えない」
党代表をも兼任していながら、党に対する説明もない一国のリーダーの説明責任能力は満足な実体を備えていないことを示し、当然その先にある国民に対する説明責任能力の欠陥につながっていく。
自身が得意としている分野の政策に関しては国会質疑で答弁を求められていない場合でも滔々と喋りはするが、任命責任とか説明責任等の本人の責任に関わってくる役目に関しては、当然果たすべき義務・役目でありながら、避けて通る。あるいは都合の悪いことは沈黙する。
逆に人気取りが見込める発表となると、他の大臣の発表で済むことでも押しのけて記者会見を開き、自分の発表とする。
その象徴的出来事が首相官邸での思い出した頃に時たま行うだけのぶら下がり取材の拒否であろう。率先して説明責任義務を果たそうとする姿勢の喪失が招いている一場面としてあるぶら下がり取材拒否の現れであるはずである。
朝日新聞社のツイッター「朝日新聞官邸クラブ」(asahi_kantei)の7月4日19時20分はつぎのように呟いている。
〈(総理番A)松本復興大臣の発言について、被災地への配慮がたりなかったのではないか?と、官邸を出る菅首相に尋ねましたが、ちらっとこちらをみただけで、何も言いませんでした。〉――
テレビでお馴染みの無視して通り過ぎるいつもの姿が思い浮かぶ。
上記「NHK」記事は渡部恒三民主党最高顧問の発言も伝えている。
渡部恒三「松本大臣が辞めるのは当たり前の話だ。大臣でなくても、普通の人間の常識として許されない行動で、被災地の皆さんの心を逆なでしてしまった。ああいう人を大臣にした菅総理大臣に、いちばん重い責任がある。菅総理大臣には、国民のためにも、被災地のためにも、民主党のためにも、1分でも1秒でも早く辞めていただきたい」
「1分でも1秒でも早く辞めていただきたい」は菅内閣不信任案に賛成投票を投じて民主党を除名された松木謙公議員がとっくの昔に言っていたことで、理解が遅すぎる。
国民に対する説明責任能力を満足に発揮できない状況とは、政治全般に関わる果たすべき責任義務を満足に果たしていない状況に対応した光景としてあるはずである。
果たすべき責任義務を満足に果たしていたなら、如何なる説明にも困ることはないから、十二分な説明責任能力が発揮可能となる。
端的に言うと、政治的に無能であることが率先して説明できる成果を得難くし、結果的にお粗末な説明責任能力・お粗末な説明責任義務を曝け出すことになる。
原発に関わる説明責任について言うと、玄海原発の再稼働を巡って立地県の古川康佐賀県知事が海江田経産相の説明を受けて再稼動容認姿勢を示しながら、「菅総理大臣がどう考えているかが(再稼動の)判断の大事なポイントだと思う」(NHK NEWS WEB)、あるいは7月1日、「菅直人総理にエネルギーのビジョンを尋ねたい。(再稼動の)判断に必要な要素になった」(asahi.com)として菅仮免の説明を受けるために会談を要請していると言うことだが、このことも国民に対する説明責任義務に関係してくる重要な事柄であろう。
だが、説明責任要請に対して5日も経過していながら、応ずる気配を示していない。これは「菅の顔をホントに見たくないなら、早いことこの法案を通した方がいい」と大見得を切って再生可能エネルギー特別措置法案の成立の重要性を訴えて人気獲得可能な自然エネルギー派を演じた手前、古川佐賀県知事に対して自らの口から原発の安全性、今後何年もに亘る原発の必要性を説くことは不都合が生じる説明責任義務の放棄、少なくとも回避と勘繰れないわけではない。
もし勘繰りに過ぎないなら、古川県知事を介した国民に対する原発の安全性と原発の必要性の一国の首相としての説明責任義務を余すところなく果たすべきだろう。
かくまでもお粗末な説明責任能力・お粗末な説明責任義務しか持たない政治家が日本の首相を務めている。
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