安住の中央集権国家であることとそれゆえの責任の大きさを忘れた口汚い被災首長批判

2011-07-31 11:37:20 | Weblog



 民主党の被災地衆院宮城5区選出の安住淳国会対策委員長が30日(2011年7月)のテレビ東京番組で被災自治体の県知事を言葉激しく批判したという。

 《「国からお金、泥はかぶらず」 安住氏、被災首長を批判》asahi.com/2011年7月30日19時51分)

 安住淳民主党国会対策委員長「『知事は頑張っている』と言うが、仕組みが違う。自治体の首長は都合がいい。増税しないんですから。国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい。『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない」

 被災地の有権者に対して――

 安住淳民主党国会対策委員長「家、財産、家族がなくなった人は不満は持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ」

 もう一つの記事から重なる発言は除外して、発言の全体像を探ってみる。

 《民主党:安住国対委員長「首長は泥をかぶらない」》毎日jp/2011年7月30日 19時48分)

 安住淳民主党国会対策委員長「地元では『ハエが大きくなったのもお前のせいだ』と言われることもある。被災者のストレスが私に来て、私のストレスが首相に行く。みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」

 この発言を記事は安住が菅仮免の政権運営を批判してきた経緯がありながらの発言として紹介している。いわば菅に対する批判から「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」の同情論に変わっているところを把えたということなのだろう。

 安住の菅批判は松本前復興担当大臣の辞任を巡って激しく噴き出している。

 《安住氏 菅首相の姿勢公然批判》NHK NEWS WEB/2011年/7月5日 18時18分)

 安住(松本前復興担当相の辞任について)「菅総理大臣の任命責任は当然ある。被災地から見れば情けない話であり、総理大臣みずからが被災者の方々におわびしないといけないのではないか。過酷な環境ですべてを失っている被災者に対して、こういう醜態は恥ずかしい」 

 安住(辞任についての説明が首相官邸から一切説明がなかったことを明らかにした上で)「国会を円満に運営する努力をしている国会対策のメンバーに対する配慮が全くない政権だ。これでは政権なんて崩壊する。率直に言って、とても求心力があるとは思えない」

 ついでにこの記事が伝えている渡部民主党最高顧問の発言も記載してみる。

 渡部最高顧問「松本大臣が辞めるのは当たり前の話だ。大臣でなくても、普通の人間の常識として許されない行動で、被災地の皆さんの心を逆なでしてしまった。ああいう人を大臣にした菅総理大臣に、いちばん重い責任がある。菅総理大臣には、国民のためにも、被災地のためにも、民主党のためにも、1分でも1秒でも早く辞めていただきたい」

 安住は「これでは政権なんて崩壊する。率直に言って、とても求心力があるとは思えない」と激しく批判したことを忘れたのか、「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」と肩を持つまでに至っている。

 だが、首相は間違っていないとは言っていない。みんな悪くはないということは一部分を除いて悪いということの言い替えであろう。

 また、悪いと言うのは責任があるということの言い替えでもある。

 となると、被災自治体の県知事の立場との関係で、それが許されるかという問題になる。一国のリーダーである首相と県知事との立場は自ずと違う。立場が違えば、自ずと責任も違ってくる。立場の違いは権限の違いを対応させる。

 このことを厳格に把えて責任に言及しなければならない。

 ここでいう責任とは、自分が引き受けて行わなければならない任務・義務のことを言うはずである。断るまでもなく、政府が国として引き受けなければならない任務・義務と地方が引き受けなければならない任務・義務は自ずと異なる。権限が違うのだから、当然のことである。

 勿論、大震災の復旧・復興は国だけの問題ではなく、また地方だけの問題でもなく、地方の責任分も含めて全責任をすべて国に押し付けることはできない。当然、「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」ということになり、国と地方の責任を明確に分けなければならない。

 また分けたとしても、国と地方の任務・義務は相互に影響し合う。あるいは責任は相互に影響し合う。

 その上で言うと、忘れてはならないことは日本は中央集権の国家体制にあるということである。カネも権限も国が大きく握っている。「asahi.com」記事が伝えている安住の「増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない」は大きく言うと、国と地方の関係の見直しへの言及であろうが、現状は見直されていない中央集権体制の状況にある。

 決して国と地方が相互に自立した、自立しているという点で対等な関係に見直された国家体制にあるわけではない。国は地方を支配し、地方は国に支配された関係にある。

 対等ではない、カネも権限も国が大きく握っている中央集権体制である以上、国はこのことに応じた大きな責任、より大きな任務と義務を負うことになる。

 カネも権限も大きく握っていながら、主たる責任は地方が負ってくださいでは現在の国家体制に於ける国としての立場を忘れたあまりにも無責任な責任回避に相当する。国が国として引き受けなければならない任務・義務に相応しい責任を果たす厳しい姿勢を常に示さなければならないはずだ。

 今日のフジテレビ「新報道2001」に出演していた日産のカルロス・ゴーンが「必要なのは結果です」と言っていた。政治とて結果責任である。

 国と地方の立場の違いに応じた権限の違いが規定する責任の大きさ・責任の量を判断すると、そのことを無視しているゆえに自制心を失ったヒステリックなと言える安住の被災自治体批判、被災者批判は、その裏を返すと、国として負うべき責任(=任務・義務)としてある復旧・復興対応を菅政権が満足に機能させることができていない、満足に結果を出すことができていないことからの苛立ちが国と地方の立場の違い、権限の違い、責任の違いを忘れさせて国の責任を地方にも負わせよとすることで解消を図る、あるいは解消できると勘違いした心理からの批判に過ぎないと解釈できる。

 国としての復旧・復興対応が機能していたなら、少しぐらい地方が地方として負うべき責任を果たしていなくても、安住は苛立つことはなかったろう。

 簡単に言うと、自身の立場を忘れて、地方に八つ当たりしたに過ぎない。

 安住の地方の対応に対する批判は別にして、政府の対応が機能していないと把えている判断に反して菅仮免は7月29日の記者会見で記者の質問に答えて国としての責任を果たしているとしている。
 
 菅仮免「私はいつも、自分の内閣が今必要なことをしっかりとやれているか、あるいはやれていないかということは、私なりに注意深く見ているつもりであります。勿論色々な意見があることは承知をしております。

 しかし私はこの間、この大震災に対する対応、そして原発事故に対する対応について、内閣としてやるべき事、勿論100点とは申し上げませんが、私はやるべき事はしっかりと取り組んでいる。その早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興に物事は進んでおりますし、先ほども申し上げましたように、原発事故の方も、当初は本当にどこまでこの原子炉そのものがコントロール可能になるかどうかという心配をした時期もありましたけれども、ステップ1がほぼ予定通り終了し、ステップ2に向かって今努力が始まっております。

 そういった意味で、私がやらなければならないことは、内閣が今やるべき仕事が出来ているかどうか、出来ていると私は思っておりますので、その事を通して国民の皆さんにご理解がいただけるものと、このように思っております」

 国が満足に責任を果たすには地方が国の責任に的確に応えて自らの責任をよりよく果たすことによって可能となる。地方が責任を果たさなければ、その障害は国にも及んでその責任行為の足を引っ張ることになる。

 国として責任は果たしていますとする菅のこの発言を事実とするなら、地方も国の責任に応えて自らの責任をそれなりに果たしていることになり、その事実を信じさえすれば、安住は何も苛立つこともないし、被災自治体の首長をあれこれ攻撃する必要性もないことになる。「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」は何ら根拠のない全く以って見当違いの発言となる。

 世論調査の内閣支持率、早い時期に退陣すべきだ、指導力がない、責任を果たしていないといった国民の政府に対する評価・判断自体にしても菅仮免が描く責任履行の事実と鋭く対立することになる。

 だが、安住は菅仮免が描く責任履行の事実を信じていない。信じていないからこそ、地方批判の攻撃が口を突いて出た。被災地や国民の認識と菅仮免が自ら責任を果たしているとする認識との落差がつくり出してもいる、カネも権限も握っている国の立場として復旧・復興に負うべき責任の不履行でもあろう。

 自身が認識する事実ではなく、現実にある事実を事実として認識する判断能力を持っていたなら、政府として果たすべき責任、果たすべき任務・義務に不備・遅滞が生じていたなら、それを修正・手当する判断が働くものだが、現実にある事実を認識せずに自身が認識する事実に安住している間は修正・手当する判断は働きにくくなる。

 国としての立場上の責任不履行の出発点は全て菅仮免のこの歪んだ判断能力にあるはずだ。いわば安住は被災自治体の首長を批判するのではなく、菅自身の歪んだ判断能力を批判することから始めるべきだった。


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