海江田経産相が原発再稼動に向けて安全宣言を出し、菅仮免もそれを追認、玄海原発再稼動が目前という状況になって自らの追認を突然忘却の彼方に投げ捨てて、「ストレステスト」を原発稼動の新たな安全基準とすると発言。その変心を例の如く「思いつき」、「場当たり」と批判されていることと最新の世論調査で内閣支持率が15~16%といった急激な低迷が気になってのことだろう、昨日(2011年7月12日)の「KAN-FULL BLOG」ブログで、「決して思いつき」ではないと反論している。
「首相官邸HP」から全文を引用してみる。 ストレステスト導入の背景にある、問題の本質(KAN-FULL BLOG/2011/07/12 火曜日)
先を見すえて/菅直人直筆のページ
大震災発生から、昨日で4か月。この間、復旧・復興と原発事故への対応に、私なりに全力を挙げてきました。しかし、私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています。
今回の各原発へのストレステスト導入をめぐっては、昨日、内閣としての統一見解をまとめました。私としては、《国民の皆さんが納得できるルール作り》を指示し、その方向でまとめることが出来たと思っております。決して思いつきではなく、《安全と安心》の観点から、辿り着いた結論です。
原子力安全・保安院が経産省の中に存在して、“推進”と“チェック”を同じ所が担っているという矛盾は、早く解決せねばなりません。これは、既にIAEAという国際的な機関への報告書の中でも言明しており、今になって急に言い出したことではありません。この考え方に立てば当然、各原発の再稼働の判断等を、現行の保安院だけに担わせることはできません。現行法制上はそうなっていても、現実として、独立機関である原子力安全委員会を関わらせるべきだ、というのが、今回の政策決定の土台です。この決定と並行して、問題の本筋である原子力規制行政の《形》の見直しも、既に検討作業に入っています。
一方で政府としては、当面の電力供給に責任を持つ、という、もう一つの《安心》も確保しなければなりません。そのために今、企業の自家発電の更なる活用や、節電対策の工夫など、電力供給の確保策についても、近日中に具体的方針を示せるよう、検討を指示しています。
従来のエネルギー計画を白紙から見直し、中長期的に再生可能エネルギー導入と省エネルギーを促進し、原発への依存から脱却してゆく―――この明確な“決意”を、1日1日の中でどこまで“形”に置き換えていけるか。今日も全力で取り組みます。 |
のっけから「先を見すえて/菅直人直筆のページ」と書いてある。ゴーストライターの手によるものではない、「直筆」だとわざわざ断らなければならないとは恐れ入る。
ブログは直筆が当たり前であって、それを「直筆」と断るということは今までのブログの中には直筆でない文章も含まれていたということになる。
「直筆」は結構毛だらけだが、自分の言葉の矛盾に相変わらず気づかないトンチンカンな認識能力の提示となっている。
「大震災発生から、昨日で4か月。この間、復旧・復興と原発事故への対応に、私なりに全力を挙げてきました」と言っているが、「私なりに」とは「自身の能力に応じて」、あるいは「自分でできる範囲内で」といった意味で、それが個人の立場にあるなら許されるが、一国のリーダーの立場にある以上、内閣という総合力を以ってして「私なりに」を超えて国民の期待と希望に十二分に応えなければ、リーダーとしての意味を失う。
いわば「私なりに全力を挙げてきました」、結果はこの程度ですであっては許されないということでである。あくまでも「政治は結果責任」である。にも関わらず、「私なりに全力を挙げてきました」と、「政治は結果責任」意識を欠いた個人的な努力論で終わっている。
この程度の認識能力しかない。
さらに復旧・復興対応と原発事故対応に遅滞と不足生じている原因を、「私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています」と、単に説明不足に置き、説明不足を以って許しを請う形で責任逃れの言い訳としている。
このような認識を駆使して責任を回避する手管にしてもなかなか見事な図太い神経だと言わざるを得ない。
何よりも問題なのはこの発言が首相としての資質・資格のなさの自分から発した宣言となっていることである。自らの言動について、なかなか真意をうまく伝えることができない、個人的な思いを伝えきれないとは、何のことはない、自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力を欠いていると自分から告白したのである。言葉を創り出して相手に伝える説明能力・情報発信能力に自分は欠いていますと宣言したのである。
そんな一国のリーダーが菅仮免以外どこの世界に存在するだろうか。
菅仮免は自身の情報発信能力欠如・説明能力欠如を責任回避の言い訳に使ったのは今回が初めてではない。以前ブログにも書いたことだが、昨年(2010年)12月4日、千葉県の農業組合法人施設訪問後の記者との遣り取りで内閣支持率が低いことが念頭に置いて次のように発言している。
菅首相「ただ、現在進んでいることや、進める準備をしていることを国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている。『もう少し肉声で語れ』などといろいろと言われているので、今後は、いろいろな機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」(NHK記事)
支持率の低迷、その他の不評判は情報発信力不足が原因だと責任逃れしている。
今年(2011年)の1月7日に「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」に単独出演したときは、「こちらから伝えたいなと思うことの重要な部分が捨象されて、政局中心のニュースにされてしまう」といった趣旨のことを喋っていた。
これも自身の情報発信力・説明能力を棚に上げたマスメディアへの責任転嫁以外の何ものでもない。
要するに、「私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています」は昨年来続いている言語状況であって、今日に至るまで何ら成長していない、「反省」を何ら生かすことができていないことの証明ともなっている。
当然、今後とも成長は望めないことになる。成長が止まった一国のリーダーというのもなかなかの逆説である。
自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力とそれを他に向けて伝達する情報発信力・説明能力、さらに指導力、あるいは政策創造能力は相互に深く関係していて、全ては如何に認識し、判断するかの認識能力・判断能力にかかっている。
いわば自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力を欠いていたなら、相互対応として指導力も政策創造能力も欠くということである。
すべてが一国のリーダーとして欠かすことはできない能力でありながら、その全てを欠いている。これ程の自分から自分で発した首相失格宣言はあるまい。
その結果の現在の世論状況ということであろう。
ストレステスト導入のための「内閣としての統一見解」に関して、「《国民の皆さんが納得できるルール作り》を指示し、その方向でまとめることが出来たと思っております」と自負している。
いわば国民が納得できる“結果”を得たと「政治は結果責任」を自ら果たしたとしている。「内閣としての統一見解」は次ぎのような内容となっている。
内閣としての統一見解
我が国の原子力発電所の安全性の確認について(ストレステストを参考にした安全評価の導入等)
平成23年7月11日 内閣官房長官 枝野幸男
経済産業大臣 海江田万里
内閣府特命担当 細野豪志
<現状認識>
1.我が国の原子力発電所については
○稼働中の発電所は現行法令下で適切に運転が行われており、
○定期検査中の発電所についても現行法令に則り安全性の確認が行われている。
さらに、これらの発電所については、福島原発事故を受け、緊急安全対策等の実施について原子力安全・保安院による確認がなされており、従来以上に慎重に安全性の確認が行われている。
<問題点>
2.他方、定期検査後の原子力発電所の再起動に関しては、原子力安全・保安院による安全性の確認について、理解を示す声もある一方で、疑問を呈する声も多く、国民・住民の方々に十分な理解が得られているとは言い難い状況にある。
<解決方法>
3.こうした状況を踏まえ、政府(国)において、原子力発電所のさらなる安全性の向上と、安全性についての国民・住民の方々の安心・信頼の確保のため、欧州諸国で導入されたストレステストを参考に、新たな手続き、ルールに基づく安全評価を実施する。
具体的には、原子力安全委員会の要求(7月6日)を受け、次のような安全評価を行う。これらの安全評価においては、(現行法令では関与が求められていない)原子力安全委員会による確認の下、評価項目・評価実施計画を作成し、これに沿って、事業者が評価を行う。その結果について、原子力安全・保安院が確認し、さらに原子力安全委員会がそれの妥当性を確認する。
○一次評価(定期検査で停止中の原子力発電所について運転の再開の可否について判断)
定期検査中で起動準備の整った原子力発電所について順次、安全上重要な施設・機器等が設計上の想定を超える事象に対しどの程度の安全裕度を有するかの評価を実施する。
○二次評価(運転中の原子力発電所について運転の継続又は中止を判断)
さらに、欧州諸国のストレステストの実施状況、福島原子力発電所事故調査・検証委員会の検討状況も踏まえ、稼働中の発電所、一次評価の対象となった発電所を含めた全ての原子力発電所を対象に、総合的な安全評価を実施する。 |
安全確認の具体的な方法は何一つ触れていない。「評価項目・評価実施計画」の作成も今後のことであるし「欧州諸国のストレステストの実施状況、福島原子力発電所事故調査・検証委員会の検討状況も踏まえ」としていることも、具体的方法を模索する段階にとどまっていることの証明にしかならない。
「国民の皆さんが納得できる」ようにするのは安全確認の具体的方法を作成し、実際に実施して事故が起きないと分かる段階にいかなければならないはずだが、そこまで到達しないうちに「納得できる」と早合点することができるのもまともな認識能力・判断能力を欠いているからに違いない。
組織再編に関しても、「既に検討作業に入っています」と言い、経産省と原子力安全・保安院の早期分離を提唱しているが、このことは政権交代を果たすことになる2009年衆院選用の「民主党政策集INDEX2009」で既に政策として掲げていたことである。
次のように書いてある。
〈安全を最優先した原子力行政
過去の原子力発電所事故を重く受けとめ、原子力に対する国民の信頼回復に努めます。原子力関連事業の安全確保に最優先で取り組みます。万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け、現行制度を抜本的に見直します。安全チェック機能の強化のため、国家行政組織法第3条による独立性の高い原子力安全規制委員会を創設するとともに、住民の安全確保に関して国が責任を持って取り組む体制を確立します。また、原子力発電所の経年劣化対策などのあり方について議論を深めます。〉
〈独立性の高い〉とは、経産省と原子力安全・保安院の分離であり、原子力安全・保安院に替えて、「原子力安全規制委員会」なる組織の創設を謳っていたのである。
それを民主党政権発足後、2年近くも放置していて、今更ながらに〈“推進”と“チェック”を同じ所が担っているという矛盾は、早く解決せねばなりません。〉などともっともらしげに言っている。
これは自らの不作為を隠す責任回避以外の何ものでもない。
こうして見てくると、ストレステストの突然の提案は「思いつき」以外の何ものでもないと断言できる。「思いつき」ではあるが、福島原発事故がつくり出した原発を取り巻く現在の状況が結果オーライとしているといったところだろう。
「KAN-FULL BLOG」で最後に、原子力エネルギー依存からの脱却を含めた従来のエネルギー計画の白紙見直しと再生可能エネルギー導入、さらに省エネルギー促進という〈明確な“決意”を、1日1日の中でどこまで“形”に置き換えていけるか。今日も全力で取り組みます。〉と結果責任追求の姿勢を見せてはいるが、思考能力・表現能力を欠いていることに相互対応して指導力も政策創造能力も欠いていることが既に証明されてしまっているのである。
何が期待できると言うのであろうか。既に退陣しか期待されていない一国のリーダーという逆説状況に立たされていに過ぎない。
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