菅仮免の被災者より自分に目を向けた自己中心が国民との間のコミュニケーションとなっている

2011-07-17 09:52:45 | Weblog


 
 ――政府が発した政策を国民が支持した場合、政府と国民との間にコミュニケーションが成り立ったことを意味し、支持されなかった場合、コミュニケーションの不成立を意味する――

 菅仮免は国民の位置にある誰かと話し合って意見を通し合うことだけをコミュニケーションだと勘違いしている。

 菅仮免が昨日(2011年7月16日)夕方、福島県郡山市を訪問、福島第一原発の周辺の12市町村長らと会談、事故の収束に向けた工程表の最初の節目となる「ステップ1」の目標をおおむね達成できたことを報告したと、《“ステップ1 おおむね達成”》NHK NEWS WEB/2011年7月16日 19時50分)が伝えている。

 菅仮免「この4か月余り、市町村長、職員の皆さんが、みずから被災している中で、避難生活を続けている人たちのために全力を挙げていることに心から敬意と感謝を申し上げたい」

 相変わらず問題意識を的確に把えることができない発言となっている。被災自治体の「全力」が政府の全力に相呼応した「全力」であったなら、相乗的・加速度的効果が期待できて問題はないと言える。もし政府が全力を挙げていない状況下での「全力」であるなら、全てを自治体のみで対応できない関係から、自治体の「全力」は常に不満足な形を取らざるを得なくなる。

 これまでの一貫性を欠いた避難対策にしても、放射能汚染土壌の処理がなかなか進まない問題にしても、今回発覚した放射能に汚染した肉牛が食肉として広く流通していた問題にしても被災自治体から見た場合、政府が全力を上げていないことによって起きている混乱や遅滞であるはずである。

 特に肉牛の放射能汚染は餌であった稲藁が元々放射能に汚染されていたことから起きたが、稲藁等の飼料は原発事故の前に刈り取って屋内で保管されたものに限るよう、農水省は今年3月に畜産農家に通知したということだが、稲藁を餌として提供する農家には通知を怠っていた周知不徹底が原因であったというから、被災自治体から見た場合、政府の手落ちだけが浮き立って見えたはずだ。

 当然、被災自治体の努力に「心から敬意と感謝を申し上げたい」と言う前に政府の至らなさ、不首尾、あるいは努力不足の謝罪から入るべきだったろう。「政府が的確に行動できていないために、被災自体に多大な迷惑をおかけしていることを謝罪します」と。

 だが、政府のそういった不行き届きに触れずに自治体の頑張りだけを言う。相互性によって成り立つべきコミュニケーションのこの一方性が何が問題となっているのか認識することができない問題意識の欠如を生じせしめ、このコミュニケーションの不成立がそもそもからして的確な対策を打てない、被災自治体の要請とズレた対応の原因となっているはずだ。

 佐藤雄平福島県知事が昨16日午前、福島県庁で細野原発事故担当相と会談、放射性廃棄物の処理費用の全額国庫負担を求めた。《放射性廃棄物、国の財政負担を明言 細野原発相》MSN産経/2011.7.16 12:43)

 細野「自治体に任せるのではなく国の責任でしっかりとした処理態勢をつくりたい。財政面も全面的に対応したい」

 なぜもっと早くに決定し、スタートさせているところにまで持っていくことができなかったのだろうか。

 佐藤知事「政府の対応が一元化されていない。迅速な対応を求めたい」

 震災発生後4カ月も経過していながら、政府の対応が一元化されていないと受け止められている政府と被災自治体間のこの不適合は両者間にコミュニケーションを成り立たせ得ていない状況となっていることの証明でもあろう。

 にも関わらず菅仮免は被災自治体の努力を「心から敬意と感謝を申し上げたい」と済ましていられる。この鈍感さはどう説明したらいいのだろうか。

 佐藤福島県知事は同じ日に江田五月環境相とも福島県庁で会談している。就任後初めての訪問だそうだ。《福島県知事は握手拒否…環境相に「がれき処理要望」突きつける》MSN産経/2011.7.16 11:44)

 記事からだけでは細野原発事故担当相と枝環境相とどちらが先に会談したか書いてないが、記事発信時間を見ると、江田環境相の記事の方が1時間程早い発信となっている。

 記事は書いている。〈旧知の間柄の江田氏は冒頭で握手を求めたが、佐藤氏は拒否し、厳しい表情のまま、福島第1原発事故の放射性物質で汚染された震災がれきの早期処理に関する4項目の緊急要望を江田氏に突きつけた。〉

 〈緊急要望は、高濃度に汚染された焼却灰や下水汚泥の最終処分方法を国が早急に明示することや、最終処分場の確保、必要経費の全額国庫負担などを求めている。〉
 
 江田五月(会談後記者団に)「のんびりやっているわけではないが、現地から見るといらいらするのだろうと痛感した。要望をしっかり受け止めて作業に拍車を掛け、結果を出したい」

 震災後4カ月も経っていながら、「のんびりやっているわけではないが」という言葉を今更ながらに使うのはそれだけ対策・対応が遅れていることを自ら証明する言葉となっている。

 また「のんびり」という言葉を使うこと自体がいくら否定語を伴ったとしても、政府の姿勢として元々許されない、あってはならないことで、それを敢えて使うのは政府側のコミュニケーションの言葉としては相応しいとは決して言えないはずで、その感覚が疑われる。

 「作業に拍車を掛け、結果を出したい」と言っているが、拍車は最初からかけなければならない政府に義務づけられた身構えであって、それを今更ながらに言うのはやはり対策・対応遅れを証明する言葉であって、「のんびりやっているわけではないが」の言葉を受け継いだ対策・対応遅れの証明でもあるはずだ。

 この証明はまた政府と被災自治体間のコミュニケーションの不適合の証明とすることもできる。

 菅仮免と原発周辺12市町村長らとの会談に原発事故で警戒区域などを抱える桜井勝延南相馬市長が欠席し、新潟県内開催の中越沖地震から4年のシンポジウムに出席したと伝えている記事がある。《首相来訪より新潟知事優先? 南相馬市長が意見交換欠席》asahi.com/2011年7月16日22時31分)

 政府と被災自治体間のコミュニケーションの不成立と相互対応した政府の対策・対応遅れに対する抗議の意味も含まれていたに違いない。

 桜井南相馬市長(欠席した理由について聴衆に述べる)「新潟県の泉田裕彦知事からのオファーはずっと前からあった。首相が突然来るといっても、そちらには出席しない。泉田知事から震災直後に避難者を『全部受け入れますよ』と言われ、市民を県外に誘導する決断ができた」

 政府の対応よりも新潟の対応に価値を置いている。次の言葉がこのことを証明している。

 桜井南相馬市長(報道陣に)「市民を救ってくれる泉田さんの方を優先すべきだというのが私の判断」

 理由は言うまでもなく政府の対応が新潟の対応よりも遅れたことと的確性を欠いていたことにあるはずだ。

 桜井南相馬市長(首相に対して)「一つのメッセージを出したら、最後まで責任と忍耐力を持った対応が必要なのではないでしょうか」

 そうはなっていないことがそのまま政府と被災自治体との間のコミュニケーションの不成立となって現れているということであるはずだ。

 最初の「NHK NEWS WEB」に戻るが、菅仮免は記者たちに次のように発言している。

 菅仮免「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった。皆さんからは、『とにかく早く地元に帰りたい』という思いや、『放射性物質の除染を進め、安全に帰れる状況にしてほしい』という要望が多かった。国としては、多くの皆さんがふるさとに帰れるように、『ステップ2』を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」

 震災発生後4カ月も経過してから、「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と言っている。

 政府の対策・対応が的確且つ具体的な成果を上げることで政府と被災自治体間に確立証明可能となるコミュニケーションの確立を欠いたまま、単に意見を交換しただけのことを以って「お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と言うことができる、この矛盾に気づかない認識能力は一国のリーダーとしての資質に相応しくない欠格性だと指摘できる。

 また、「皆さんからは、『とにかく早く地元に帰りたい』という思いや、『放射性物質の除染を進め、安全に帰れる状況にしてほしい』という要望が多かった」と言っているが、前々から言っていた要望であって、それが改めて痛感した要望であったとしても、単に要望を受け止めることがコミュニケーションの確立ではなく、その要望を的確に具体化して初めて確立できる相互性を持ったコミュニケーションのはずである。

 大体が「お互いのコミュニケーションが深まってよかった」、だが、満足な具体化を果たせないでは意味を失うコミュニケーションとなる。
 
 さらに言うなら、現地に乗り込んで会談・会合の類いを持たなくても、いわば現地に存在しなくても対策・対応の責任者として被災地の要望を可能な限り汲み取って、その要望実現の有効な方策を構築し、具体化を指示、着実に実行して相手を満足させることによって成り立たせることもできる両者間の良好なコミュニケーションであるはずだが、話し合いを契機としてのみ成り立たせ可能とする狭い意味での把え方のコミュニケーションとなっている。

 菅仮免が誰かと話し合って意見を通し合うことだけをコミュニケーションだと勘違いしているから、あるいはそういった機会を持つときだけ必要とする要素だと思い込んでいるから、コミュニケーションのより重要な意味を見失うことになって、その方法を踏み間違えそうになったのだろう。

 《首相、独でなでしこ応援しようとしていた…幻に》YOMIURI ONLINE/2011年7月16日08時58分)

 ドイツで開催のサッカー・女子ワールドカップ(W杯)の決勝戦に菅仮免が現地で応援する方向で首相周辺が一時検討したものの、断念していたという内容の記事である。

 首相周辺が一時検討したと書いているが、菅仮免に話を通さないまま計画を進めるはずはない。あるいは菅仮免が言い出した検討ということもあり得る。

 首相が現地で観戦できるよう、17日朝に政府専用機で日本を出発し、19日朝に帰国する「強行日程」が秘密裏に検討されという。但し、〈「東日本大震災の対応もあるのに、サッカー観戦している場合ではない」と慎重意見が出たほか、「政府専用機を使用すれば数千万円の経費がかかる」(防衛省)ことも考慮し、結局、“ドイツ外遊”は幻に終わった。政府は代わりに鈴木寛文部科学副大臣の派遣を検討〉

 民主党内の声「被災者への義援金が行き届かない中、数千万円を使ってサッカー観戦など、あきれる」――

 観客席でニコニコ顔で声援を送る、あるいは日本のシュートが外れたときは大袈裟に悔しがる、成功したときは大袈裟に喜ぶ姿を日本のマスコミの誰もがカメラに収めた報道を通して、一見日本国民との間に支持率に好影響を与えるコミュニケーションが確立できると計算したかもしれないが、記事が書いている断念理由だけではなく、被災自治体との間の満足のゆくコミュニケーションの確立を最優先させるべきを満足に確立できないままにいくら日本代表の世界大会だとしても、その決勝戦を通して発することになる自らのコミュニケーションの優先は、その成功・不成功に関係なく被災者に目を向けない、自分にのみ目を向けた自己中心の優先と見られても仕方があるまい。

 震災発生以来優先的且つ強力に専念すべきコミュニケーションが政府と被災地・被災者との間の齟齬のないコミュニケーションでありながら、そのことを深く認識できないために指導力と実行力の欠如もあって今以て両者間のコミュニケーションを確立できないでいる。

 「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と狭い意味でしかコミュニケーションを把えることができない、その程度の認識能力だから当然の結末かもしれない。

 だが、被災者のことを考えないこういった自己中心が20%以下の内閣支持率という形で国民との間のコミュニケーションの成果として現れることになる。

 しかし一国のリーダーがこの程度の認識能力では許されないはずだが、その認識能力に反して「これまでの教訓を生かして(東日本大震災の)被災者や国民への責任を果たしていく」(47NEWS)と、国民との間に満足なコミュニケーションを確立できていないのだから見せ掛けでしかない責任を振り回すことだけは一人前と来ている。


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