菅仮免のIAEA事務局長会談での「国民的な議論」の必要性発言は「脱原発依存」のトーンダウン?

2011-07-27 08:14:55 | Weblog



 こんな男を首相官邸に住まわせておくこと自体が取り返しもつかなく刻々と積み上がっていく税金のムダ遣いだということを国民は知るべきだが、首相であることが単なる形式と化している菅仮免を訪日中のIAEA(国際原子力機関)の天野事務局長が昨日(2011年7月26日)、首相官邸を訪れて会談した。

 《首相 IAEA事務局長と会談》NHK NEWS WEB/2011年7月26日 14時59分)

 天野事務局長(7月25日に東電福島第一原発を視察したことを説明した上で)「IAEAには放射性物質の除染や、溶けた炉心、使用済み燃料の取り扱いについて知識と経験があり、日本への協力が可能だ」

 菅仮免「福島第一原発の事故については、収束に向けた工程表のステップ1が終了し、ステップ2に向かっているところだ。IAEAとも十分に協力していきたい」

 菅仮免(原発に依存しない社会の実現を目指す考えを打ち出したことに関連して)「福島第一原発の事故を受けて、幅広い観点から国民的な議論をしていく必要があるのではないかという気持ちを持っている」

 天野事務局長(会談後記者団に)「多くの国は、地球温暖化対策などで原発は必要だという考えを持っていて、今後、世界中で原発が増えていくことは間違いない。安全な原発を建設することが原子力の安全利用に資することだと思う」

 7月13日の「脱原発依存」記者会見では国会の立場からの議論、内閣の立場からの議論、与党の立場からの議論に関しては言及している。しかし「国民的な議論」の必要性は一言も言及していない。

 記者会見では冒頭次のように発言している。

 菅仮免(福島原発事故を受けて)「私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」

 そのためには2030年には原子力による発電の比率を53%に高めるとしたエネルギー基本計画を白紙撤回するとした。

 国家のエネルギー政策の「脱原発」に向けた大転換の宣言である。

 このように記者会見は国家の立場から述べた「脱原発依存」宣言だったが、何ら内閣とも与党とも議論を持たない、それゆえに全体的な結論を得たわけでもない国家の立場から述べた個人的発言という矛盾した倒錯性が批判されることになったが、この矛盾に菅仮免はめげなかった。

 2011年7月21日の参院予算委員会での菅仮免の国会答弁。

 エネルギー基本計画は白紙から見直すということで既に内閣の中で議論を始めている、安全規制行政の見直しに関する検討も閣内で行っている、当面の電力需要の見直し等に関しても経産大臣、国家戦略担当大臣が精査している、原子力政策についても色々議論が進んでいる。そういった中で7月13日の「脱原発依存」記者会見は「私としての考え方を申し上げたもので、決して、政府の考え方、あるいは内閣の考え方と私が申し上げたことと矛盾するものではないと考えております」

 いわば個人の考えとして述べたが、政府の考え方、内閣の考え方と方向性は一致しているから公式的な主張と何ら変わりはないと記者会見の発言を正当化している。

 そして天野IAEA事務局長と会談して、「脱原発依存」は幅広い国民的議論が必要だと発言。

 結論はまだ出ていないとしたのである。結論は国民的議論を経た上で出されるべきだとの謂いであろう。

 「国民的議論」とは各階層からの幅広い議論のことを言うはずである。原発をどうするか、国家のエネルギー政策はどうするか、結論は国民の議論に委ねることを言ったのである。

 勿論、一般国民も参加した形の議論だが、各界の専門家が議論をリードすることになるだろうから、原発維持の結論も否定できない。脱原発の結論だとしても、国家経済を毀損しない方向の脱原発だとしたら、脱原発までの到達はより時間がかかることになることも予想される。

 だが、どのような結論に至ろうとも、記者会見は将来的な国のエネルギー政策に関して個人の考えをさも国の政策としてそのように進めていくかのように述べるのではなく、国民的議論の必要性を訴える内容でなければならなかった。

 と同時に7月13日の記者会見の「脱原発依存」発言から国会での菅本人の考えと政府の考えの方向性一致の発言を経て、天野IAEA事務局長との会談での「国民的議論」の必要性発言に至る経緯は、結論は国民的議論が必要だとしている以上、最初の「脱原発依存」発言のトーンダウンの軌跡を描いているはずだ。

 脱原発の国民世論が高いことから、国民世論を味方につけるための「国民的議論」の必要性だったとしても、既に触れたように議論のリードのされ方次第で菅個人の思惑や世論に反する結末も考え得るし、一旦示した方向性を撤回して結論を今後とした以上、本質的にはトーンダウンであることを免れることはできないはずである。


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