菅の「脱原発依存」とエネー・環境会議「原発依存度低減」矛盾しないはチョッピリとした花持たせ?

2011-07-30 10:46:14 | Weblog


 菅仮免が昨日(2011年7月29日)夜9時05分から記者会見を開いた。テレビはゴールデンタイムだし、NHKも「ニュースウオッチ9」を放送していて記者会見を生中継していなかった。菅仮免がテレビを通じて国民の目に触れる時間帯を意図的に避けたのかどうかは分からない。緊急でもない会見を夜の9時に行うのは異例ではないだろうか。

 記者会見の前に12時18分から1時間近く第2回エネルギー・環境会議を開いている。この会議の決定内容を受けた記者会見なのだから、夜9時05分からと言うのは時間が空き過ぎている。

 首相官邸HPがエネルギー・環境会議終了後、「本日の議論を踏まえ」という形で菅仮免の発言を伝えている。エネルギー・環境会議

 菅仮免 「今日のこの会議で、2つの重要な考え方を確認したところです。

 まず、省エネなど需要構造の改革等に力を入れる。供給構造の改革であらゆる主体の電気力供給への参加を促す。発送電の分離を含めた電力システムの改革を行う。原発の安全対策の徹底を目指すことが確認されました。

 次に、もう一つの大きな点は、中長期的な革新的エネルギー・環境戦略の中間的整理が提示されました。この中では、エネルギーの新たなベストミックスの実現のため、現行の考え方をある意味で見直して、原発依存度低減のシナリオを描く。原子力政策の徹底的検証を行い、新たな姿を追及する。新たなエネルギーシステムとして、分散型エネルギーシステムの実現を目指す。国民的議論の展開と原子力発電のコストや再生可能エネルギーの導入の可能性。客観的データの検証に基づいた戦略の検討を柱としてます。 

 さらに、こうした基本理念について、短期、今後3年間の対応。中期、2020年。長期、2020年から2030年、さらには、2050年を目指しての課題と工程表が中間整理の中で、将来しっかりしたものにしていく前提として提起されています。

 今日、正に政府としてこの革新的エネルギー・環境戦略の提起ができました。今後、さらに議論を重ね、1年位かけて最終的な絵にもっていくために中間的なとりまとめをベースにして、内閣として政府としての方向性を、この延長上に打ち出せるよう一層の努力を心からお願いしたい」――

 要するにエネルギーとしての原子力発電の把え方に関わる、少なくとも結論、議論の取りまとめに関しては、7月13日の菅仮免記者会見で述べた「脱原発依存」、あるいは、「原発がなくてもきちんとやっていける社会」の実現という将来的な全原発廃棄へと着地したわけではなく、「原発依存度低減のシナリオ」=減原発で決着を見たということである。

 いわば「脱原発依存」記者会見発言を自分で「個人の考えを述べたもの」と形容したよう「脱原発依存」、あるいは、「原発がなくてもきちんとやっていける社会」は政府の方針とすることが叶わず、「個人の考え」のままで終わった。わざわざ総理大臣記者会見と銘打って発言したことを考えると、大山鳴動してネズミ一匹といったことになる。

 個人的考えが取り入れられることなく無視されたにも関わらず、「正に政府としてこの革新的エネルギー・環境戦略の提起ができました」と、「革新的」だと言える神経はまさに菅のツラにショウベン、何も感じないでいられるらしい。

 そして夜の記者会見首相官邸HP/記者会見

 冒頭、二つの報告を行っている。復興本部に於ける復興基本方針の決定と最初に触れたエネルギー・環境会議でのエネルギー政策に関する決定。

 だが、復興基本方針は自身が盛んに宣伝していた「社会保障と税の一体改革」が消費税増税時期に関して原案の「2015年度までに10%へ段階的に引き上げる」を「2010年代半ば」と時期の曖昧化にすり返らざるを得なかったように財源を曖昧なままとする、いわゆる玉虫色決着で終わっている。

 エネルギー・環境会議でのエネルギー政策に関する決定に関しては、「これらの議論は3月11日、原発事故発生以来、様々な機会に私が申し上げてきたことでありますが」と前置きして、次のように発言している。

 菅仮免 「本日関係閣僚によるエネルギー・環境会議で、原子力を含めたエネルギー政策に関する重要な決定が行われました。具体的には、一つは当面のエネルギー需給安定策を取りまとめたものであります。そしてもう一つは、中長期的な革新的エネルギー・環境戦略として、原発への依存度を低減をさせて、そして、それに向けての工程表の策定や原発政策の徹底的検証などを行うことを決定をいたしました」

 報告の形の発言だから、当然、「原発への依存度を低減」と反復することになる。

 だが、「脱原発依存」ではなく、「原発への依存度を低減」=減原発であり、いわば一部原発維持となっているにも関わらず、「この2つの重要な決定が出来たことは、大変重要でもあると同時に喜ばしいことだと考えております」と諸手を上げてその成果を誇っている。

 但しどの程度の「低減」なのか、どの程度の「減原発」なのか、再生可能エネルギー等を含めた分散型エネルギーシステムのどの程度の導入なのかは将来的な課題へと先送りしている。

 当然、少し後から発言している「今後、原発に依存しない社会を目指し、計画的段階的に原発への依存度を下げていく、このことを政府としても進めてまいります」はさも自身の「脱原発依存」の個人的考えを政府の考えとして進めていくかのように聞こえるが、ここでの「原発に依存しない社会」は菅仮免が主張していた「脱原発依存」を指すのではなく、電力供給の主たる地位から外すことを意味することになる。

 「脱原発依存」から大きく外れているにも関わらず、「これらの議論は3月11日、原発事故発生以来、様々な機会に私が申し上げてきたことでありますが」と自己成果誇示を忘れないところもなかなかの神経である。

 冒頭発言の最後に次のように述べている。

 菅仮免 「本日夕方、中学生のグループが官邸に来られまして、震災復興にかかわる人達への激励の横断幕を頂きました。その中に、『政府の力を信じています』という言葉があり、胸に響いたところであります。私はこのような中学生あるいは多くの国民が政府に信頼を寄せて頑張るようにというその気持ちを大切にして、この大震災の復旧・復興、さらには原子力事故の収束に向けて、全力を挙げて責任を果たしてまいりたいと、このことを改めて決意したところであります。私からは以上です」

 世論調査を見る限り、国民の大多数は「政府の力を信じています」という状況とは正反対となっているし、「多くの国民が政府に信頼を寄せて頑張るように」という気持を持つどころか、逆にそういった気持を萎えさせている。

 客観的な判断能力を元々欠くから、自己都合な解釈しかできない。客観的な判断能力を欠き、自己都合な判断しかできない政治家はリーダーシップを備えようがない。

 記者との質疑応答に入り、二人の記者が菅仮免の「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)の齟齬を追及した。

 田中毎日新聞記者「毎日新聞の田中です。まずエネルギー・環境会議の中間整理について伺います。ここでは原発への依存度を下げるというふうに記されておりますけれども、総理は先日の会見で原発がなくてもしっかりやっていける社会を目指すと仰っておりました。今回の中間整理では原発をゼロにして、脱原発を実現する方向性がはっきりは示されておりませんけれども、総理はご自身のお考えが十分反映されたとお考えでしょうか」

 菅仮免 「先ほども申し上げましたが、3月11日の原発事故発生以来私は2030年に53%を原子力発電所で賄うとされてきたエネルギー基本計画を白紙から見直す、こういう方針を立て、内閣の中でも議論を既に始めておりました。また原子力安全・保安院について経済産業省に属することは問題であると、新たな問題も次々と出ておりますけれども、そのことをIAEAに対する政府としての報告でも申し上げ、この独立の方向も議論を致してまいりました。

 こういった議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものではありません。そして今回のエネルギー・環境会議においてはこうした私の指摘、あるいはこれまで政府が既に議論を始めていることなどをトータルでまとめて議論の場に乗せて革新的エネルギー環境戦略、そういう形で議論をスタートをし、そして今回中間的な取りまとめを決定を致したところであります。

 そういった意味で私は今回のこのエネルギー・環境会議の中間的整理、取りまとめというのは私がこの間申し上げてきたことあるいは政府として既に取り組んでいることの、いわばこの時点における集大成を関係閣僚の下で議論をし、決定をされたと」――

 3月11日の原発事故発生以来エネルギー基本計画を白紙から見直す等、内閣の中で行ってきた「議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものでは」ないし、エネルギー・環境会議の中間的整理、取りまとめに関しても、「私がこの間申し上げてきたこと」と「政府として既に取り組んでいること」を「集大成」として議論し、決定したもので、「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)とは方向性は何ら矛盾しないと言っている。

 だが、「原発依存度低減」(=減原発)だと議論を纏めている以上、実態は「内閣」の「議論の方向性」が取上げられ、菅仮免の「脱原発依存」は一切取上げられなかったということであろう。こじつけと誤魔化しを展開しているに過ぎない。

 穴井読売新聞記者「読売新聞の穴井です。先ほどは、先日の会見と今日決まったエネルギー・環境会議の中間報告に矛盾はないとおっしゃいましたけれども、最終的な姿として原発をなくす、ゼロにするということと、依存度を抑えて活用するということについては決定的な違いがあると思います。その点はどうお考えなのか。それが具体的に、例えば新規の原発を造るのかどうかとか、あるいは海外に対する原発の輸出にどう臨むかということにも関わってくると思うのですが、この辺はどうお考えでしょうか」

 菅仮免 「この中間的な整理というものをよくお読みをいただくと、いろいろな可能性について、現在ここまでは、ほぼ、なんといいましょうか、方針として打ち出せるというものと、それからこれから先はさらなる議論が必要なものという形になっております。短期、中期、長期に分けて工程表が、6つの基本的な理念についても出されております。そういう中での議論をしていくということと、私が申し上げてきたことには矛盾はないと、こう思っております」――

 「原発依存度低減」(=減原発)は現在打ち出すことができる方針であって、「脱原発依存」はこれから先「議論が必要」という位置づけになっているとして、決して斥けられてはいないとしている。

 だが、「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)とは方向性は何ら矛盾しないと言っている以上、「議論」は「脱原発依存」決定を予定調和としていなければ、矛盾は払拭できない。

 決定を予定調和とした「議論」であるなら、「脱原発依存」の言葉が決定事項としてエネルギー・環境会議でも記者会見でも出てこなければ、新たな矛盾を示すことになる。

 「議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものではありません」といった発言、あるいは「私がこの間申し上げてきたことあるいは政府として既に取り組んでいることの、いわばこの時点における集大成を関係閣僚の下で議論をし、決定をされたと」といった発言が内閣の結論と方向性が矛盾していながら、それが放置状態にあるのは首相という立場にあることからの、チョッピリ花を持たせる意味からの無視といったところに違いない。

 要するに辞任する相手である、誰も真剣に相手にされていないということなのだろう。相手にされていたなら、「脱原発依存」は7月13日の記者会見以来、何らかの形で取上げられ、昨日のエネルギー・環境会議でも取上げられたろう。


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