菅仮免の“国民の納得”を私物化した独裁姿勢からの「脱原発依存」論

2011-07-23 13:43:54 | Weblog


 
 ここで言う「独裁」とは絶対権力による独断専横を言うのではなく、自分一人の判断で物事を決める独断専行のことを言う。この“自分一人の判断”、独裁(=独断専行)が際立って現れている菅仮免の国会答弁を拾い出して、その正当化に「国民の納得」を勝手に使っている、いわば如何に私物化しているか示してみようと思う。

 昨日(2011年7月22日)の参院予算委員会。渡辺孝男公明党議員が岡田幹事長の2009年衆院選のマニフェストを「政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあった。国民に率直におわび申し上げたい」として見直す方針を示したことを取上げ、菅首相に質問している。

 この遣り取りを昨日の当ブログ記事――《岡田幹事長は自身の衆院選挙マニフェストの優越性否定が政権担当の正当性喪失の宣言だとは気づいていない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で少し触れて、政権担当の資格の有無の視点から論じたが、国民の納得の点から考えてみたいと思う。

 渡辺孝男公明党議員「次にちょっとこれ質問通告していなかったんですが、急なことで。

 えー、岡田幹事長がですね、昨日の、記者会見で、えー、2009年、衆議院選の選挙公約で、いわゆるマニフェストでありますけれども、民主党の方のマニフェストでありますけれども、政策の必要性と実現の、見通しに検討が不十分だった。見通しの甘さを素直に国民にお詫びをしたい。ま、このような発言があったと言うことです。

 国民にお詫びをしたいということでありますので、この点、総理も、このマニフェスト、不十分であった、検討が不十分だった。これ謝罪するわけでございますか。総理のお考えをお聞きしたいと思います」

 菅のツラにショウベン「え、マニフェスト、イ、関してはこの間、あ、党の方で、えー、そのー、おー、見直しを含めて、議論を、ヲー、して、えー、いただいておりました。

 シー、まあ、昨日、うー、岡田幹事長、の方から、一定の、オ、見解が示されたということは承知をしております。シー、私は、あのー、マニフェストの、本質的な方向は、え、決して、えー、間違って、いない、イー、と今では、思っておりますが、シー、確かに、イー、岡田、幹事長が言われるように、えー、その、財源に関して、えー、やや、見通しが、あー、甘かった部分も、あった。

 あるいは、このー、おー、3月11日の震災、以降に関して言えば、より、イー緊急性が高いという、ことを考えたときに、えー、必ずしも、え、マニフェストが全てに優先するというよりは、震災復旧を、より、優先させなければならない、エ、ことも十分あり得ると、ま、こういうことを総合的に、イー、判断をして、えー、幹事長として、えー、不十分さは、あー、について、国民のみなさんに、お詫びを、おー、されたと思っております。

 基本的な認識は、岡田幹事長と、おー、一致を、いたしておりまして、そういう点では、あー、マニフェストに関しても、おー、不十分なことがあったという点については、国民のみなさんに、えー、申し訳ない、お詫びを申し上げたいと思います」

 渡部孝男公明党議員「ま、どういうところがですね、あのー、不十分だったのか、検討がですね、そういった内容についても国民に、えー、きちんと、情報公開をしまして、で、どこをどう改めるのか、この点もはっきり国民に示してもらいたいと思います」

 これだけで終えて、予定の質問に入っている。

 菅仮免は「3月11日の震災、以降に関して言えば、より、イー緊急性が高いという、ことを考えたときに、えー、必ずしも、え、マニフェストが全てに優先するというよりは、震災復旧を、より、優先させなければならない、エ、ことも十分あり得る」と、いわば“国民の納得”を前提としてマニフェスト変更を正当化している。

 だが、実際には震災前から、特に子ども手当では財源を裏付けることができずに支給額を2010年度月1万3千円を2011年度はマニフェストに約束したとおりに倍の月2万6千円支給予定を2010年度と同じ月1万3千円、3歳未満児に限って月2万円の増額を以って全体の減額を誤魔化していたのである。

 昨日のブログに書いたようにマニフェストに掲げておきながら、財源を裏付ける能力を果たし得なかった点で既に政権担当能力を失っていた。

 菅仮免は昨年(2010年)2月24日(2010年)午後の衆院本会議で次のように発言して、小沢元代表に責任転嫁し、2万6千円自体を否定しようとした。

 菅仮免「私もこの議論がなされている小沢(一郎)代表の当時、『2万6000円』と聞いたときに一瞬ちょっとびっくりしたことを覚えている」

 びっくりしようが何しようがマニフェストで公約とした金額でありながら、財源の裏付けに努力せずに2010年2月24日の時点で既に2万6千円の金額にサジを投げていた。

 例え国民が被災地の復旧・復興を優先させる思い遣りからマニフェストの政策を見直すことを許したとしても、その点での“国民の納得”のみを重要視して、政権担当能力の点で“国民の納得”を得ることができなかったことを無視するのは正当性を得ないということだけではなく、“国民の納得”を好き勝手に扱う私物化以外の何ものでもないだろう。

 震災と被災者を人質に、さらに復旧・復興に向けた“国民の納得”を人質に自分たちの政権担当無能力を誤魔化そうとしているに過ぎない。

 次に一昨日(2011年7月21日)の参院予算委員会で、岸信夫自民党議員が菅仮免の例の7月13日のいわゆる「脱原発依存」記者会見を取上げている中から“国民の納得”の私物化を見てみる。

 岸議員「7月13日の記者会見、これも最悪であったと思います。これ、相変わらず、個人的な考え、の表明、ということでございます。お答えください」
 
 菅仮免「3月11日の、おー、原発事故、発生以来ですね、えー、これまでの、おー、エネルギー、イー…、政策のままでいいのかという中で、シー、先ず、うー、エネルギー基本計画について、えー、従来は2030年までに、えー、53%を、原発で賄うとしていたこの計画を、白紙から見直すことに、イー、いたしました。エ、そして既に、イー、内閣の中で議論を始めて、エ、おります。

 シー、まあ、あー、一方で、えー、原子力の安全規制については、6月7日IAEAにイー、提唱した(提出した)あー…、報告書に於いても、原子力安全・保安院を、おー、経産省、おー…、という、ま、どちらかと言えば、あー、原子力を推進する、役所の中にあるのは、やはり、イー、問題があるということで、えー、経産省から独立させ、原子力安全委員会も含めて、安全規制行政の見直しを進めていくと、こういう方向で検討を、おー、閣内でいたしております。

 さらに、当面の電力需要の見直し等についても、経産大臣、国家戦略担当大臣に、えー、精査をしていただいている、ところであります。

 シ-、さらには原子力政策について、えー、色々議論が進んでいる中で、私としての考え方を、オ、申し上げたものでありまして、エ、決して、政府の、おー、考え方、あるいは内閣の考え方と、おー、私が申し上げたことと矛盾するものではないと、こう考えております」――

 エネルギー基本計画の見直しについて、「既に内閣の中で議論を始めております」にしても、原発規制機関である原子力安全・保安院と原子力推進の経産省が一体となっていることの組織改編に関しては、「安全規制行政の見直しを進めていくと、こういう方向で検討を閣内でいたしております」にしても、「当面の電力需要の見直し等についても、経産大臣、国家戦略担当大臣に精査をしていただいているところであります」にしても、あるいは「原子力政策について」もすべて「色々議論が進んでいる」と、いわばすべて議論は進行中の状態だと言っている。

 全て議論が進行中であるにも関わらず、言葉を替えると、政府として、あるいは内閣として結論を得たわけではないのに記者会見を開いて政府代表として、あるいは内閣代表として「脱原発依存」を個人の考えとして公表して、「決して政府の考え方、あるいは内閣の考え方と、おー、私が申し上げたことと矛盾するものではないと、こう考えております」と平気で矛盾したことを言っている。

 考えを同じくする閣僚とは矛盾しないだろうが、全ての閣僚が考えを一致させているわけではない。

 この矛盾に気づかない判断能力、あうるいは自省心は凄い。

 岸議員はこの点を突く。

 岸議員「総理の会見等というのはもっと重いもんだと思いますよ。きちんと実現性に、イー、裏付けられた内閣としての、やっぱり、えー、総意に立った、イ、上で、えー、発言をして貰わなければいけない。少なくとも国民は、そういう目で(内閣の総意だと判断した目で)、エ、見ているわけです。学説の発表会でないわけですからね、きちんと応えて、国民がそれに反応してしまう。

 それぞれの立地の、オ、みなさん、大変困惑をしてます。山口県だって、新しい新規の原発の計画があります。二井(にい)山口県知事も同じようなことをおっしゃっております。大変な混乱を招いていることについて、どのようにお考えですか」
 
 菅仮免「先程も申し上げましたけれども、えー、3月11日の、この、おー、東電、福島原発事故というのは、勿論、えー、チェルノブイリとか、あー、スリーマイルとかという、大きな事故も外国にはありますけれども、複数の原発が、ア、同時的に、イ、シビア、あー、アクシデントに、イー、襲われるという、ある意味、イー、最大級の、オ、事故であります。

 えー、そして、おー、原因については今、エ、事故調、あるいは、事故、おー、調査検証委員会で、色々と、オ、おー、調査をいたしていただいて、おりますけれども、シー、そういう中にあってですね、えー、少なくとも、従来、えー…、経産省に所属する、うー、原子力安全・保安院が、あー、色々なことをですね、えー、自ら提起をして、チェックをして、いたわけでありますけれども、私は、その現状の、現行の、おー、法律に基づくだけでは決して国民的な理解は得られない。

 ま、こういうことで、えー、関係大臣にお願いをして、エ、現行の法律では、あー、保安院、及び、経産大臣の判断でオッケーということになっておりますけれども、国民的な、あ、理解を得るには原子力安全委員にもきちんと関与をしていただいて、えー、そうした、あー…、ルールをきちんとしていただくとことが必要であろうということで、えー、指示をいたし、エ、そしてその後一つの方向性を纏めていただきました。

 ま、私の指示とか若干、オ、遅れたことがあって、色々とご迷惑をかけましたけれども、しかし、私は、そうしたきちんとしたルールというものを今つくっていただいていることは、私は国民的に、イ、大変、えー、重要だと。

 是非ですね、あの、自民党のみなさんにもおー、色々、ご批判されることは勿論結構でありますけれども、じゃあ、どういう、ルールが望ましいかということも、できれば是非、イー、ご教示をいただければ、ありがたいと思っております」

 国の問題で一つのテーマを取上げて議論するについては原発立地自治体等の関係機関に議論することを伝えて、その議論に関係機関も加えて行うことが関係機関のみならず、国民に対する情報公開ともなり、その議論の結論に至るまでの過程が情報公開と併行することになり、このプロセス自体が混乱を防ぐ手続きとなるはずだが、当たり前とすべきこういった手続きを一切省いて先ず自分がいきなり言い出して混乱を招きながら、「国民的な理解を得る」を全ての正当性の口実として手続きを省いたことも混乱を招いたことも抹消しようと謀っている。

 逆説するなら、「国民的な理解を得る」ためには当たり前とすべき手続きをどう省こうと正当化されるわけではない。だが、菅仮免は「国民的な理解を得る」ためと称して当然の手続きの省略を正当化している。

 このことも自分一人の判断で物事を決める独裁に従った“国民の納得”の私物化以外の何ものでもない。この詭弁に誤魔化されてはいけない。

 岸議員「私が冒頭申し上げたように、イー、議論のすり替え、はぐらかしはしないんで欲しいんです。私の質問に誠実に答えていただきたい。記者会見が、もたらした地方のそれぞれの混乱に対して、あなたは責任を感じていないんですか」
 
 菅仮免「今申し上げたましたように、私が、あー、あのー、こうした指示だとか、あー、遅れて、そういった面で、あのー、ご迷惑をかけたということは、ま、率直にお詫びを申し上げたいと思います。

 ただ、あー、保安院だけで、えー、こうしたことを全部、あのー、質問もつくり、判断もするという、今のルールのままで、あっていいということではないと、そう思っておりますので、エ、そういう、ウ、新たなルールを、あー、今、あー、現実につくっていただいて、えー、その方向で今作業を進んでいるということでありまして、そのことについては私は、多くの国民のみなさんは、あー、理解していただいていると、こう、このように承知をいたしております

 手続きを尽くしたのかどうか、手続きを尽くした議論を経て得た結論に立った、岸議員が言う総意に基づいた記者会見だったのかを問題としているはずだが、新しい安全基準のルールづくりのみを以って「多くの国民のみなさんは理解していただいていると、このように承知をいたしております」からと、“国民の納得”を楯に記者会見自体の独裁(=独断専行)を正当化している。

 “国民の納得”を適当に解釈、利用する“国民の納得”の私物化以外の何ものでもない。

 真の“国民の納得”は新しい安全基準のルールづくりだけではなく、脱原発に向けた方法論やスケジュールまで含めた議論から結論に至る全プロセスの確立とその情報公開によって打ち立てられるはずで、その結果得ることができた“国民の納得”こそが政治家の私物化から免れることができる。

 議論を経ない、結論に至ったプロセスも不明。情報公開もない。自分の考えとして記者会見して、“国民の納得”を得たとする。まさしく独裁意志からの“国民の納得”の私物化と言える。

 例え正しい方向性を示した記者会見の発言だったとしても、この方法が許されるとしたら、間違った方向性を示した場合でも“国民の納得”を得たとすることが可能となって危険となる。常に議論と結論の手続きをそこに置くことによって危険性を避けることができるはずだ。

 岸議員も同じ思いだが、なかなか追及しきれない。

 岸議員「全く、お答えに、なっていないと思いますね。菅さんからの指示が遅れたから、問題なんかじゃなくて、きちんとした閣内の一致が見られないままに、早、早計にね、発言をすることが地方に混乱をもたらしているということを言ってるんですよ。そのことについてどう考えるんですか」
 
 菅仮免「今申し上げた、あー、繰返しになりますけれども、問題は、どういう、ウ、国民的な納得が、え、得られる形で、安全性を確認するかということでありますので、私は新しいルールを、エ、少なくとも将来ですね、事故調の報告とか何かが全部出たあとに、えー、1年とか2年の内に新しい基準をつくることに当然なると思いますが、今の段階でも少なくとも、、従来の、エ、やり方で国民的な納得が得られるとは思いませんので、エ、そうした、あー、先ずは、今の段階での、おー、新しいルール作りをすることは、私は、国民のみなさんの、より安心感を持って貰う上で、必要だと思っています」――

 新しいルールをつくることは一向に構わない。新しいルールで国民により安心感を与えようと政治的な意志を働かすことも間違ってはいない。だが、菅仮免は客観的判断能力を著しく欠如させているために、関係者全員による議論の手続きを経た、情報公開をも併行させた全員の結論として記者会見したのか、全員の結論から得た「国民的な納得」なのかが問題となっていることに気づかない。

 このような手続きを経ずに個人の考えとして記者会見を開いて、国民が納得していると「国民的な納得」を勝手に振り回しているに過ぎない。

 これを以て“国民の納得”を私物化する独裁姿勢だと言っている。

 岸議員「全く答えていただけなくて、本当に残念です。私が申しているのは、閣内でも色々な意見が出て、全く纏まっていない中で、総理が、意見発表している。そんなことで地方が混乱しているということじゃないですか。

 海江田、大臣、えー、質問をさせていただきたいんですけど、海江田大臣は、この、オ、総理の記者会見について、えー、どのように事前に、お知りになったんでしょうか」

 手のひらの真ん中に「忍」の字を,マジックでだろう、書いた左手を上げて、委員長の指名を待つ。

 海江田経産相「えー、総理から、あー、記者会見の、オー、発表がございます前に、お電話を頂戴いたしました」

 岸議員「そのときに、どういう内容で、ありましたか。細かに、そういう、記者会見をするんだ、こういう、説明があったでしょうか。それに対して、どのようにお答えになったんでしょうか」

 海江田経産相「まあ、あの、おー、総理からは、あ、記者会見で発表するような中身の、ご説明がありました。私は、私の考えを、お伝えを申し上げました」

  岸議員「あのー、何を言っているか全然分かんないんですね。もう既に毎日新聞の、おー、インタビューでも、述べられていると思うんですけど、そのことを確認してください。お願いいたします」

 海江田経産相「あの、総理のお話と言うのはもう、そのあと、おー、会見をやっておりますので、ご承知だろうと思います。私がそのときに申し上げた議論というのは、確かに方向性として私は、原子力発電を減らしていくというのは構わないと。私もそう思います。

 しかしゼロということについては、私は少しまだ、あー、自分の中で考えが纏まっておりませんで。特に、やはり日本の国というのはこれまで、エ、核兵器を持たずにですね、その中で原子力の技術を開発をしてきたわけでございますから、それがゼロということになりますと、まさにそうした技術が途絶えて、しまうわけでございますね。

 それで本当にいいのかどうなのかということはもう少し私自身も色んな方の意見を聞きたいし、そうしたことについてもう少し色んな確度から、多角的な角度から議論を、した方がいいんではないだろうかと思いましたので、そのことをお伝えをしたわけであります」

 海江田経産相の答弁が問題の全てを語っている。「原子力発電を減らしていく」、最近「減原発」という言葉を当てているが、その方向性は一致している。

 だが、「減原発」だろうが、「脱原発」だろうが、その方法論となると、様々にあるはずだ。一人の考えで進めて、全て国益に適うというわけではないだろう。だから海江田経産大臣は「もう少し色んな確度から、多角的な角度から議論をした方がいい」とする手続きを申し出た。多くの人間を交えて十分な議論を経て、どのような方法とスケジュールで「脱原発」を図るのか、「減原発」を図るのか、結論を得るべきだと。その結果の“国民の納得”だと。

 勿論ここには情報公開が含まれていなければならない。
 
 いわば菅仮免にない、独裁ではない方法論を提示した。

 岸議員「即ち、海江田大臣がお答えしたとおりに、この原発、原子力政策について大きな見直しするような、あ、総理の記者会見をするのはちょっと早過ぎる、そういうふうにお答えになったんですね。確認ください」

 海江田経産相「私は総理から任命されてる、ウ、経済産業大臣でございますので、エ、その任命権者であります総理が、これから記者会見をやるとおっしゃったわけでございますから、それを私には止める手立てはございません」

 岸議員「原子力政策、エネルギー政策の責任者である海江田大臣が、総理の会見の内容について、えー、ちょっとまずい、こういうふうに思われたと言うことを、総理はそのときに感じなかったんでしょうか」

 菅仮免「今、あのー、経産大臣からお話がありましたような、あー、電話の遣り取りがあったことは覚えております。

 ま、そういった、あー、中で、私、として、えー…、原発依存を下げて、えー、いくと、そういう、うー、原発に依存しない社会を目指していくという、考え方。私は、あのー、そういったことを含めて、具体的なことについては勿論、おー、既に議論している部分もありますし、エ、これから議論しなければいけない部分もあると。そういうふうにお聞きをいたしました」

 岸議員「全く議論が熟さないまま、総理があのような会見をした。こういうことであります。そのことで混乱をしている。こういうことだと思いますよ」

 電力需給の質問に移る。

 海江田大臣が多角的な角度からの議論が必要だ、脱原発の記者会見は早計だと忠告したのに対して菅仮免が「具体的なことについては勿論、おー、既に議論している部分もありますし、エ、これから議論しなければいけない部分もあると。そういうふうにお聞きをいたしました」と言っているが、この議論は進行中だとしている部分を海江田経産相のみの発言だとすると、「既に内閣の中で議論を始めております」と言っている菅仮免の発言、あるいは「色々議論が進んでいる」との発言との整合性を欠くことになる。

 菅仮免自身も認めている議論の進行中でなければならない。

 だが、既に触れたように議論の結論を得ないままに自身の結論のみを記者会見で述べて、その結論を以ってして独裁的に“国民の納得”だとする独断専行を犯している。

 例え国民の総意として「脱原発依存」、あるいは原発に依存しない社会の実現を望んでいたとしても、どういった方法、どういったスケジュールで国の経済と国民生活に打撃を与えずに進めるかの議論は省略していいわけではなく、やはり省略したまま「脱原発依存」の記者会見を行って個人の考えを述べたという独裁的遣り方を以って多くの国民の理解を得ているとするのは、“国民の納得”の独裁的な私物化としか言いようがない。


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