改正入管難民法が6月11日の参院本会議で 賛成多数で可決、成立した。
外国人が永住許可を得るのに必要な在留期間は現行制度は原則10年、技術研究や製品開発、企業経営に優れた「高度人材」と認定されると、概ね5年に短縮されている。この期間をさらに2年縮めて3年とする改正である。
高度人材に対する優遇制度として、民主党政権野田内閣時代の2012年年5月7日から「高度人材に対するポイント制による出入国管理上の優遇制度」が導入された。安倍政権となって、その一段の差別化である。
2020年代には現在の10倍程度の1万人を目指す方針だそうだ。
「高度人材」の反対語は「低度人材」となる。安倍政権は自分たちでは気づかないだろうが、一定の人材を高度人材として優遇することによって、一方に低度人材を配置していることになる差別化を行っているのである。
人材を高度と低土で優劣をつけるだけではなく、いくら日本の経済成長や国際競争力を高めるためとは言え、職業や社会的地位で永住に関わる待遇に人材の格差をつけることは職業・社会的地位に応じて人間の価値を上下で計る差別に当たるはずだ。
実は民主党政権下で外国人受入れポイント制度が持ち上がったとき、2011年12月29日当ブログ記事――《政府「高度人材」外国人受入れポイント制度は職業差別及び憲法違反に当たらないだろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、日本国憲法が「居住・移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由」を謳っていながら、「高度人材」外国人受入れポイント制度は日本への居住、移転に関して、職業で選択しようとする憲法違反に当たるのではないのかと書いた。
今度は人間の価値を職業や社会的地位に優劣をつけて人間の価値を判断する差別であることに変わりはないが、多様な職業や社会的地位によって成り立っている社会に於ける多様性を軽視する挑戦ではないのかといった視点で書いてみたいと思う。
アメリカの永住権(通称グリーンカード)獲得にしてもノーベル賞受賞者、国際的なスポーツ選手等の人材が卓越技能労働者として優遇を受けるが、抽選によって永住権を獲得できる「移民多様化ビザ抽選プログラム」(抽選によるグリーンカード=Diversity Immigrant Visa Program/DVプログラム)を設けてバランスを取っている。
アメリカ大使館の「移民ビザの種類 」に関するWebページには次のような記載がある。
〈移民多様化ビザプログラム
移民多様化ビザ抽選プログラムは米国議会により発動され、国務省が年間ベースで管理するプログラムで、これにより抽選による移民(DV移民)として知られる新たなカテゴリーが作られています。米国への移民の率が低かった国々の人々を対象に年間で5万件の永住ビザが発行されます。
毎年行われるこのDVプログラムにより、簡素かつ厳格な資格要件を満たした人々に永住ビザが発行されます。DVビザの当選者は、コンピューターによるランダムな抽選により選出されますが、ビザは、6つの地域で移民の率の低い順位に多くの数が配分されます。過去5年間に5万人以上の移民を送った国には与えられません。各地域内に年間配分された多様化ビザの7%以上が1つの国に集中することはありません。〉――
要するに優秀な人材を受け入れる一方で、コンピューターを使った抽選で不特定多数の人材も受け入れて、世界の様々な地域、様々な国から人種や国籍に関係なく、さらには職業や社会的地位にも関係なく受け入れるべく、「年間で5万件の永住ビザ」を発行して、人材の多様性をも重視しながら、その優劣の相対化を図っている。
いわば日本が外国からの高度人材を優遇することによって、一方に低度人材を配置することになっていることと違って、アメリカは移民多様化ビザプログラム制度を設けて、その制度を利用して人材の多様化を図ることで高度人材と低度人材の優劣・差別を排しているということである。
日本政府の低度人材の象徴的対象は難民であろう。難民認定数に低度人材意識が現れていると言うことである。難民に対する低度人材視はまた、多様性の軽視の現れとも言うことができる。
アメリカと日本の2008年の難民認定数をUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)のページから見てみる。
アメリカ 判定数45149人 認定数16742人 補完的保護0 却下28407人 認定率37%
日本 判定数1515人 認定数57人 補完的保護360人 却下1095人 認定率3.8%
「補完的保護」とは、〈難民認定できないが、人道的に配慮して在留を認めるもの。「在留特別許可」〉との説明がついている。
認定率は当方で計算した。
アメリカの認定率37%に対して日本の認定率3.8%。「補完的保護」を入れても、27%。アメリカと10%も違う。
日本政府が難民認定数の少ない理由を申請数が少ないためだとしているが、申請数が少ないのは認定数が少ない認定難関国ということを知っているからだろう。ブラック企業という名前があるが、日本は難民ブラック国といったところであるはずだ。
このことは在留特別許可人数よりも難民認定数が極端に少ないことに現れている。難民としては認めないという姿勢の表れであって、そのことも影響している申請数の少なさであるはずだ。
外国からの高度人材に限っては2020年代には現在の10倍程度の1万人を目指す方針を掲げていながら、難民に関しては100人以下にとどめている。何らバランスを取ることなく高度人材に対して低度人材を配置していることになって、職業や社会的地位に応じて人間を上下に価値づける差別主義を社会に示し、行う。
同時にこの差別主義は社会の多様性そのものを軽視することによって成り立つ。軽視することでその多様性に波紋が生じない保証はない。
例えば高度人材に認定された外国人の低度人材の外国人に対して取り憑かれないとは誰も断言できない優越主義の類いであり、それが低度人材の日本人にまで波及するかもしれない否定できない恐れであり、低度人材の外国人の高度人材の外国人に対して持つ複雑な負の感情であり、日本の社会そのものに対する閉塞感である。
社会の多様性を尊重する意味からも、高度人材を受け入れる予定人数に相当する、あるいはそれ以上の人数を難民として認定するか、「外国人技能実習制度」を改正して実習期間を現在の3年から5年程度に延長して帰国させるといった方針だなどとケチ臭いことを言わずに、真面目に働きさえすれば、その実績を見て永住権を与える度量と、与えることで多様性を維持するバランスが必要であるはずだ。