安倍晋三のアイヌと日本「民族共生の象徴となる空間」建設とアイヌ民族の権利回復に対する二重のゴマカシ

2014-06-17 09:17:10 | Weblog



 安倍政権は6月13日午前の閣議で、アイヌ民族の文化を伝承するため北海道白老町に整備する施設「民族共生の象徴となる空間」(仮称)の運営に関する基本方針を決定したと、次の記事――《アイヌ施設運営方針を決定=17年ぶり「大きな成果」-政府》時事ドットコム/2014/06/13-11:41)が伝えていた。

 「民族共生の象徴となる空間」とは何を目的とした施設なのだろうか。「民族共生」と謳っていたとしても、「民族共生」を目的としているとは限らない。但し、目的としているとは思っていることは間違いない。

 記事題名の「17年ぶり」というのは1997年成立のアイヌ文化振興法以来という意味の「17年ぶり」であって、菅官房長官は閣議後の会見で「大きな成果だ」と述べたと伝えている。

 しかもこの「象徴空間」、2020年の東京五輪・パラリンピックに合わせて一般公開する施設だというから、些か矛盾を感じざるを得ない。

 菅官房長官「アイヌの伝統や文化、その伝承や人材育成における厳しい状況を抜本的に打開したい。

 (アイヌの権利回復に向けた法整備について)憲法14条の平等原則の観点から慎重に検討する必要がある」――

 記事解説。〈生活格差対策が既に講じられており、アイヌに特権を与えることにつながりかねないとの懸念が念頭にあるとみられる。〉――

 菅官房長官は「アイヌの伝統や文化、その伝承や人材育成」に関して「厳しい状況」にあると言っている。

 要するに日本社会はアイヌ民族やアイヌ文化を受け入れる土壌を持たないということなのだろう。伝承はアイヌ民族の使命で、アイヌ民族によって行われるものだとしても、日本社会がアイヌなるものを受け入れる土壌を持たなければ、生き活動するアイヌ民族の生存自体が社会的な抑制を受けて、表立った活動にしても、伝承の人材育成にしても収縮していく方向に向かわざるを得なくなって、先細っていくことになる。

 と言うことなら、日本社会がアイヌなるものを受け入れる土壌改良が肝心なこととなる。いわばアイヌなるものに対する日本人の意識が一番の問題点ということを示している。

 では、2020年の東京五輪・パラリンピックに合わせて一般公開予定の「民族共生の象徴となる空間」が果たしてアイヌなるものに対する日本人の意識を変えるに役立つ施設なのだろうか。役立って始めて、ハコモノであることから脱することができる。役立たなければ、ハコモノに過ぎないことになる。

 記事は施設の具体的な姿を紹介している。アイヌに関する資料を展示・研究する「アイヌ文化博物館」と、伝統的家屋などを再現する「民族共生公園」(いずれも仮称)を中核施設とし、全国の大学に保管されているアイヌの遺骨も「象徴空間」に集め、慰霊施設を設ける。

 そこににアイヌ人だけではなく、日本人も訪れて、アイヌなるものに理解を深めるという段取りを予定しているのだろう。

 だが、民族共生は日本の社会の場でこそ試さなければならない実験と成果であって、いくらカネをかけた立派な造りであっても、施設の展示物を通した理解で試すべき実験と成果ではないはずだ。

 なぜなら、施設を建設して解決した他民族に対する差別や敵意、蔑視が存在した試しはないはずだからだ。

 それを社会の場で試すのではなく、施設づくりから始めようとしているのだから、ハコモノ発想からの民族共生と疑わざるを得ない。

 時には法整備が社会的な強制力を持つことになって、民族共生とまではいかなくても、あるいは差別や敵意、蔑視の解消とまではいかなくても、差別や敵意、蔑視を抑えることはできる。

 だが、安倍政権はアイヌの権利回復に向けた法整備は、「憲法14条の平等原則の観点から慎重に検討する必要がある」と慎重姿勢であることを示した。

 日本国憲法14条は次のように規定している。

 〈(1)すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉――

 日本の社会は憲法の規定通りの姿を見せているわけではない。当然、憲法以外の法的措置が必要な場合もある。

 なぜ慎重姿勢なのだろう。

 以下、既にご存知な経緯を書くことになるが、2007年9月、国連に於いて「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が日本も賛成国の一つとなって採択された。

 翌2008年6月6日、衆参両院本会議に於いて「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で可決された。

 この決議を受けて、同日、当時の福田内閣の町村信孝官房長官が〈「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」に関する町村信孝内閣官房長官談話〉を発表した。

 どちらもアイヌ民族を先住民と認めて、対差別を解消、アイヌ民族の名誉と尊厳を重んじて共生していくことを謳っている。

 全ては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受けた措置であり、そして「民族共生の象徴となる空間」施設の建設へとつながっていった。

 但し施設づくりには積極的だが、アイヌの権利回復に向けた新たな法整備には慎重であった。

 「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」にしても、町村長官談話にしても、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受けた動きである以上、新たな法整備にしても、国連宣言を反映しなければならなくなる。

 一番に問題となるのは国連宣言の次の個所であるはずだ。
 
 〈第28条

 1. 先住民族は、彼/女らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源について、彼/女らの自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。

 2. 関係する民族による自由な別段の合意がなければ、補償は、質、規模および法的地位において同等の土地、領域および資源の形態、または金銭的な賠償、もしくはその他の適切な救済の形をとらねばならない。〉――

 アイヌ民族は、インターネットで調べたところ、17世紀から19世紀にかけて東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、そして国後、択捉島が属する千島列島に及ぶ宏大な範囲に先住した。

 日本がアイヌ民族に対して関係する土地は東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、戦前に関係したサハリン(樺太)、さらに国後、択捉島が属する千島列島となり、日本民族は歴史的にアイヌ民族の膨大な土地、膨大な資源を収奪したことになって、その原状回復、あるいは原状回復に代わる公平な金銭的賠償は天文学的とならざるを得ない。

 ここに安倍政権がアイヌの権利回復に向けた法整備に慎重な姿勢の原因があるはずだ。日本人のアイヌ民族に対する差別等は社会の場で正すべき日本人自身の意識の問題であるにも関わらず、「民族共生の象徴となる空間」施設の建設に替えるのは、そこにゴマカシを見ないわけにはいかないが、アイヌの権利回復に向けた法整備に憲法14条を持ち出して慎重な姿勢を示した点についても、アイヌ民族の権利の原状回復、もしくは金銭的賠償を回避するためのゴマカシを見ない訳にはいかない。

 そこには二重のゴマカシがあるのではないかということである。

 参考までに。

 2013年9月13日記事。《安倍政権のハコモノ建設を日本人とアイヌ民族共生の証明とするマヤカシ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2009年9月20日記事。《北方四島返還の新しいアプ ローチ/先住アイヌ民族と現住ロシア人との共同独立国家とする案 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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