韓国メディアが日本の外務省が最近制作の戦後日本の対外援助実績をPRした動画が実態を歪曲していると一斉に批判していると日本のマスコミが伝えている。、
YTNテレビ「韓国などアジアの繁栄が日本の援助のお陰だと妄言を言っている」(47NEWS)
記事は安倍晋三の訪米によって米国が日本に理解を示し、韓国が不利になるとの観測が出ていること、この動画が日本が安倍氏訪米を前に有利な国際世論づくりを狙ったものだと解説していると伝えている。
動画が戦後日本のアジア各国への貢献を描いているものなら、戦前の日本の負の歴史を限りなく薄めて、戦後日本の歩みに焦点を当てて日本の地位を限りなく高めようとの意図を露わにしている、いわば戦前否定・戦後肯定を狙った「安倍戦後70年談話」の正当化に歩調を合わせて日本の役割を印象づけようとする外務省の、安倍晋三と同様の意図を持たせた動画と言うこともあり得る。
そうであるなら、動画の陰の主役は安倍晋三となる。
果たしてそのような動画なのか、外務省のサイトにアクセスして動画を見つけた。《戦後国際社会の国づくり 信頼のおけるパートナーとしての日本》
動画ナレーション「戦後自らの復興を成し遂げた日本は平和国家としてアジアの繁栄と平和を作り、国際社会の国造りに積極的に関与してきました。
1951年のサンフランシスコ平和条約により国際社会に復帰した日本は1954年のミャンマーを皮切りにアジア各国への経済援助協力を開始、韓国浦項(ポハン)の総合製鉄所の建設、中国の石炭生産地秦皇島(しんこうとう)と北京を結ぶ鉄道の拡充、スリランカのハブ港、コロンボ湾の拡張など、各国のインフラ整備をODA (政府開発援助)により支援し、アジアの発展の基礎を築きました」
途中、『ミャンマー・バルーチャン水力発電所』、『韓国ソウル地下鉄1号線』、『タイ東部臨海工業開発』、『ベトナム・フーミー火力発電所』、『ラオス第2メコン国際橋』等の映像がキャプション付きで紹介されている。
動画ナレーション「これにより日本企業を含む多くの民間投資を促進し、持続的な経済成長をもたらしました」
云々と更に続く。
確かに韓国の「YTNテレビ」が批判しているように「韓国などアジアの繁栄が日本の援助のお陰だ」とする趣旨の動画となっている。
出だしからして、いくら安倍内閣が歴史修正主義がオハコであったとしても、「戦後自らの復興を成し遂げた日本は」と、日本が敗戦からの復興をさも自力で成し遂げたかのような幻想を与える歴史修正主義が施されている。
「Wikipedia」記事を参考にすると、連合国は占領目的の巨額な財政支出と労働力を日本政府に負担させてはいたが、餓死者まで出す程に枯渇していた食糧を補うことができたのはユニセフや外国の民間人道支援団体の援助であって、それらの力なくして復興は不可能だったはずだ。
そして何よりも1950年(昭和25年)6月25日から1953年(昭和28年)7月27日休戦までの朝鮮戦争による戦争特需を忘れてはならない。
アメリカ軍の軍備を補充するための兵器や砲弾の生産の許可、軍事車両のライセンス生産、あるいは軍事車両の修理、航空機の定期修理等の特需によって雇用の確保、外貨獲得を果たして景気を回復方向に向けることができただけではなく、敗戦によって立ち遅れていた技術の最新モデル化やアメリカ式の大量生産方式の学習に役立ち、産業立国となるための重要なノウハウを作り上げることができたのであって、そのような過程を経ることで日本経済は好況に転じることが可能となり、その後の高度経済成長の基盤にもなったとも言われいる。
いわば朝鮮戦争特需なくして日本の復興はなかった可能性が指摘されている。
その象徴的な最大の例が現在世界のトヨタと言われているトヨタ自動車であろう。当時倒産寸前であったが、朝鮮特需で軍用トラックの修理や米軍人の乗用車の修理によって息を吹き返し、同時にエンジン構造のノウハウを学んで、自前の乗用車の生産へと進むことができ、今日の発展の出発点を築くことができた。
「Wikipedia」は「経済的影響」として、1950年から1952年までの3年間に特需としての契約額が10億ドル、1955年までの間接特需として契約額が36億ドルと言われていると書いている。
当時は1ドル360円の固定相場性の時代である。
10億ドル×360円= 3600億円
36億ドル×360億円=1兆2960億円
合計 1兆6560億円
現在の価値よりも当時の方が遥かに大きかったはずだ。
当時の日本の一般会計予算額を見てみる。
昭和25年6,333億円
昭和26年7,498億円
昭和27年8,739億円
日本の一般会計予算額約2年分以上の利益が朝鮮特需によってもたらされた。
日本は動画が趣旨しているようには決して自力て敗戦の荒廃から復興を成し遂げたわけではない。朝鮮戦争によって韓国は尚更に荒廃し、日本は荒廃から復興へと場面を展開していくことができた。
歴史の皮肉としてあったこの一種の恩恵を忘れてはならないはずだが、安倍政権は歴史修正主義を旨としているから、忘れてしまって、日本の自力性だけを演出する歴史修正主義で動画全編を覆っている。
戦後復興を成し遂げていく過程で日本は確かにODAでアジア各国の復興に力を貸した。だが、欧米各国の評判は必ずしも芳しいものではなかった。日本のODAは人材育成分野よりもインフラ整備等のハコモノ分野に重点を置いている上に無償資金協力よりも、低利・長期返済の緩やかな条件であったとしても、有償資金協力の割合が多く、しかもハコモノ分野は日本の企業帯同のヒモ付きであったからだ。
いわばODAの資金援助による相手国のハコモノ建設に日本の企業が関わることで、その資金の一部が企業利益となって日本に還流する仕組みのODAが主であり、決して動画まで作って、戦後の日本が「平和国家としてアジアの繁栄と平和を作った」とか、「アジアの発展の基礎を築きました」と、日本がアジアの繁栄と平和と発展の基礎を築いた主人公であるかのような顔をして威張る程に立派なODAと言うわけではなく、そのように見せるのは歴史修正主義も甚だしいと言わざるを得ない。
ODA の国際的な目標値は対GNI(国民総所得)比0.7%となっているが、2007年度の日本のODA対GNI比は0.17%で先進国中20位となっている。2006年の国民一人当たりのODA負担額は87.2ドルで16位に過ぎない。
このことも日本がアジアの繁栄と平和と発展の基礎を築いた主人公であるかのような顔をする歴史修正主義の僭越さを物語って余りある。
動画は1951年にサンフランシスコ平和条約を締結して国際社会に復帰した後はアジアの国々に援助一辺倒であったかのような情報を撒き散らしているが、《世界銀行と日本》(世界銀行)のサイトには次のような記述がある。
〈日本はサンフランシスコ講和条約が調印された1951年の翌年の1952年8月に世界銀行に加盟しました。1953年より世銀から資金を借入れ、電力、基幹産業、交通・水・インフラ整備など、経済成長の基盤となる様々なプロジェクトを行いました。〉云々。
そして《日本が世界銀行からの貸出を受けた31のプロジェクト》(世界銀行)なるサイトには次の記述がある。
〈1966年、日本は最後の借入に調印し、世銀の卒業国となりました。世銀からの資金を基礎として著しい復興と躍進を遂げた事は世界の注目を集めました。こうして日本は、資本市場として重要な役割を担うようになり、現在では、世銀にとって第二の出資国となり、様々な分野で世銀の重要なパートナーとなっています。日本が世銀から借入れた総額はおよそ8億6,300万ドル、31件となり、最後の借入を完済したのは1990年です。〉――
世界銀行からの借り入れから卒業したのは1966年。借り入れ完済は1990年。
世界銀行から借り入れを行った「31のプロジェクト」の主なところは東海道新幹線建設(借入額8000万ドル)、トヨタを含む大手企業の工場建設、東名高速道路建設、火力発電所建設等となっている。
世界銀行から借り入れをして復興を図りつつ、アジア各国にヒモ付きの多いODAを行っていたのである。
にも関わらず、外務省動画は朝鮮戦争特需の恩恵には一言も触れず、日本が単独で成したアジアの繁栄と平和と発展の基礎を築いた主人公であるかのような大言壮語で全編を満たしている。
飛んでもない歴史修正主義である。繰返すことになるが、この歴史修正主義は安倍晋三の歴史修正主義を受けて、その双子をなしているはずで、最初の印象通りに動画の陰の主役は安倍晋三以外の何者でもない。