安倍晋三の新たな歴史改竄:「募集」、「官斡旋」、「徴用工」の「旧朝鮮半島出身労働者」へと呼称統一

2018-11-13 12:38:31 | 政治
                                     
 安倍政権は戦争中に不当雇用した朝鮮人を「旧朝鮮半島出身労働者」へと呼称を統一することにしたと以下記事が伝えている。全文を参考引用してみる。

 《「徴用工」は「旧朝鮮半島出身労働者」に 政府》NHK NEWS WEB/2018年11月11日 4時46分)   

韓国の最高裁判所が、太平洋戦争中の徴用をめぐる裁判で新日鉄住金に賠償を命じた判決を受けて、政府は、すべての人が徴用されたわけではないことを明確にする必要があるとして、「旧民間人徴用工」などとしてきた呼称を「旧朝鮮半島出身労働者」に改めました。

韓国の最高裁判所が先月、太平洋戦争中の徴用をめぐる裁判で新日鉄住金に賠償を命じた判決について、政府は、1965年の国交正常化に伴う日韓請求権協定や国際法に反しているとして、適切な措置を講じるよう韓国政府に求めています。

こうした中、政府は、日本の統治下にあった朝鮮半島から日本に渡り、炭鉱や建設現場などで働いた人たちについて、「旧民間人徴用工」や「旧民間徴用者」などとしてきた呼称を「旧朝鮮半島出身労働者」に改めました。

政府は今後、原則として、この呼称を国会答弁や政府の資料などで統一して使うことにしています。

これについて政府関係者は、太平洋戦争が終盤にさしかかった1944年、日本政府は「国民徴用令を朝鮮半島にも適用して現地の人を徴用したが、それ以前は、民間企業による「募集」や行政による「官斡旋(あっせん)」など、さまざまな形をとっていて、すべての人が徴用されたわけではないことを明確にする必要があるからだ」と説明しています。

 〈国民徴用令を朝鮮半島にも適用して現地の人を徴用したが、それ以前は、民間企業による「募集」や行政による「官斡旋(あっせん)」など、さまざまな形をとっていて、すべての人が徴用されたわけではないことを明確にする必要があるからだ〉との理由を以って「旧朝鮮半島出身労働者」に呼称を統一する。戦争を直接知らない戦後世代がこの呼称に慣れたとき、強制連行、あるいはそれ紛いの最も悪質な雇用形態を伴った「徴用」が統一的呼称の影に隠れて、悪質な雇用形態が存在したことを隠す効用が自ずと現れることになる。あるいは気づかなくさせることになる。いわば悪質性の払拭が生じて、このこと自体、歴史改竄に相当することになる。

 この記事は2018年11月11日発信であるが、呼称統一に向けた布石を見取れる動きがあった。

 《2018年11月1日衆議院予算委員会》  

 岸田文雄「最後に韓国についてお伺いします。日韓関係です。北朝鮮情勢が動く中にあって日韓、日米間の連携、誠に重要です。また、今年は日韓パートナーシップ宣言、20周年という節目の年です。しかしながら、最近の日韓関係、好ましくない事態、立て続けに起こっています。先月だけでも韓国国際観艦式への自衛官派遣見送り。米国、失礼、韓国国会議員十数名による竹島上陸が行われました。
 
 そしてつい先日、30日には韓国大法院(最高裁)が徴用工判決、裁判に関する判決を言い渡し、日本企業に賠償を命じました。これは明らかに1965年の日韓請求権協定に反し、両国友好の法的基盤を根底から覆しかねないといった議論です。さらには慰安婦問題で韓国政府が和解、癒し財団の解散をしたりしています。これは世界が評価した2015年12月の日韓合意、ないがしろにするものであると思います。

 こういった事態自体、日韓関係、あるいはアジア太平洋の安定、こういったものにもマイナスを、マイナスの影響を与える。このように心配をしています。日韓関係、どのようにマネージしていくのか、最後に総理にお願い致します」

 安倍晋三「(原稿読み)日韓関係については9月の国連総会の際の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会談を初め、様々な機会に未来志向の日韓関係構築に向けて、協力していくことを累次確認してきたにも関わらず、ご指摘の韓国主催国際観艦式に於ける自衛艦旗掲揚の問題や、韓国国会議員の竹島上陸、あるいは韓国大法院の判決など、そういう逆行するようなことが続いていることは大変遺憾であります。

 旧朝鮮半島出身労働者の問題につきましては、この問題については1965年の日韓請求権協定によって完全且つ最終的に解決して、今般の判決は国際法に照らせば、あり得ない判断であります。

 日本政府としては国際裁判も含め、あらゆる選択肢を視野に入れて毅然として対応していく考えでございます。なお日本政府としてはこの『徴用工』という表現ではなくて、旧朝鮮半島出身者、出身労働者の問題というふうに申し上げているわけでございますが、これはあの、当時の国家総動員法の国民徴用令に於いては募集と官斡旋と徴用がございましたが、実際、今般の裁判の原告4名はいずれも募集に応じたものであることから、朝鮮半島の出身労働者問題と言わさせて頂いているとこでございます。

 日韓の間の困難な諸課題をマネージしていくためには日本側のみならず韓国側の尽力も必要不可であります。今回の判決に対する韓国政府の前向きな対応を強く期待しているところでございます」

 韓国最高裁が損害賠償を命じた判決の原告は強制連行を伴った類いの徴用工ではなく、募集に応じた労働者だから、「朝鮮半島の出身労働者問題と言わさせて頂いている」。

 「募集に応じたもの」だとしても、このような例に限定した場合の断りがないままに「朝鮮半島の出身労働者問題」とし、「旧朝鮮半島出身労働者」へと呼称統一するのは正確な歴史認識から外れて、統一呼称の裏側に「徴用」の事実もあったことを隠す歴史改竄となる。

 外相の河野太郎も2018年11月9日の記者会見で安倍晋三国会答弁につ出井した発言を見せている。

 「河野太郎記者会見」(外務省2018年11月9日(金曜日)15時29分 於:本省会見室)

 鬼原朝日新聞記者「韓国の判決についてですけれども,安倍総理が委員会だったと思いますけれども,徴用工という言い方はしなくて,朝鮮半島出身の労働者だったかと思いますけれども,これは政府として徴用工という言い方はしないという決定をされたという理解でよろしいんでしょうか」

 河野太郎「今回の原告は,募集に応じた方というふうに政府として理解をしております」

 鬼原朝日新聞記者「これまで裁判に絡んでも,日本政府として議事録なんか見ますと,徴用工という言葉が入った答弁が見つかります。この判決が出たあとに,あえて募集に応じたということをもって表現を変えた理由は何なんでしょうか」

 河野太郎「現実にそういうことだからという以上にありません」

 鬼原朝日新聞記者「先ほど冒頭で大臣,国民の間の交流に影響が出ないようにということで,先週末の講演でも同じようなことをおっしゃっていたと思います。
こうした徴用という言葉にこだわって,今回その言葉を使わないということが,韓国の民間レベルに誤ったメッセージというか,そこにこだわるのかと,やはり歴史にこだわ
るのかというメッセージを伝えることになってしまって,結果的に国民間のやり取りが少なくなる,そういう影響が出るという懸念はありませんでしょうか。なければその理由もお願いします」

 河野太郎「今回の原告は徴用された方ではございません」

 河野太郎は「今回の原告は徴用された方ではございません」と限定しているが、だとしたら、この限定に対応させた呼称を用いるのが正直な歴史認識であるはずだが、そういった呼称を用いずに「募集」も「官斡旋」も「徴用」もそれぞれに雇用作用は異なるにも関わらず、同一線上の雇用作用と看做して、「旧朝鮮半島出身労働者」の中に全てをひっくるめる形で呼称統一するのは、やはりそこに歴史改竄の意思を汲み取らざるを得ない。

 2018年11月9日付「Newsweek Japan」記事が五味洋治東京新聞論説委員による韓国大法院の判決文に対する解説を載せている。

 第2次世界大戦中の日本統治の朝鮮半島からの人員動員は最初は募集広告を通じて、戦争の最終段階では「国民徴用令」によって本人の意思に関係なく労働させたが、〈4人の原告について判決文は、一般的呼称である「徴用工」という表現は使わず、強制動員被害者と呼んでいる。その理由は、原告がいずれもが新日鉄住金(当時は日本製鉄)の募集に応じて日本で働くことになったからだろう。〉と説明、安倍晋三の国会答弁や河野太郎の記者会見発言と対応させている。

 具体的には、〈原告のうち2人は1943年頃に旧日本製鉄が平壌で出した大阪製鉄所の工員募集広告を見て応募した。〉

 他の2人は別の募集広告に応じたということなのだろうか。

 工員募集広告には、「2年間訓練を受ければ、技術を習得することができ、訓練終了後、朝鮮半島の製鉄所で技術者として就職することができる」と書いてあった。

 〈しかし実態は「1日8時間の3交代制で働き、月に1、2回程度外出を許可され、月に2、3円程度の小遣いが支給されただけ」だった。賃金全額を支給すれば浪費するから、と本人の同意を得ないまま、彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。

 賃金は結局、最後まで支払われなかった。ほかの原告も当初の話とは全く違う苛酷な条件で働かされ、逃走しないよう厳しい監視下に置かれて、時に体罰を振るわれたと証言している。原告たちは当時まだ10代だったと思われる。〉――

 工員募集広告の文言と実際の労働実態との乖離は、〈我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくために外国人労働者の受入れによって日本の技能、技術又は知識を習得させて、それらの開発途上国等への移転と開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としている。〉とする外国人技能実習制度を広く覆っている謳い文句と実態の乖離に似ている。

 判決文についての解説を見てみる。

 大法院は「請求権協定は日本の不法な植民支配に対する賠償を請求するための協定ではなく、(中略)韓日両国間の財政的・民事的な債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであったと考えられる」と判断、いわば個人の未払賃金や補償金等の「民事的な債権・債務関係」は解決を見た。但し「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、 上記のような(強制動員への)慰謝料を請求している」として、その賠償を認めたとしている。

 とは言っても、原告は工員募集広告に応募したのだから、「(強制動員への)慰謝料の請求」資格はない。この矛盾を解くには募集広告とは大違いに異なる低賃金下の過酷な労働をも、"強制動員"のうちに入れていなければならない。

 事実「動員」という言葉には単に駆り集めるという意味だけではなく、動員の形態に応じた活動を伴わせて初めて動員となる。例えば、「地域の清掃活動に社員を動員する」場合、「清掃活動」を伴わせることによって、「動員」は全体的な意味を成す。

 あるいは「動員されて戦地に赴く」と言った場合、戦闘活動への従事があって初めて「動員」は完結させ得る。逆な言い方をすると、動員の形態に応じた活動が伴わない「動員」というものは存在し得ない。

 だから、韓国大法院は4人の原告を「強制動員被害者」と呼ぶことになったのだろう。

 記事は1991年8月27日の参院予算委員会で当時の柳井俊二外務省条約局長が、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言していることを挙げて、慰謝料の請求に妥当性を与えている。

 この発言については2018年11月3日付の「当ブログ」に書いた。

 1991年8月27日 参議院予算委員会。

 政府委員柳井俊二(当時外務省条約局長)「日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国は国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。

 従いまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではありません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます」――

 「日韓両国は国家として持っております外交保護権を相互に放棄した」と言うことは国家と国民の財産その他に関わる賠償は国家が持っている外交保護権を行使して請求・保護することは放棄したという意味であって、この放棄によって「個人の請求権」に関しても「日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない」ものの、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させてはいない」、つまり三権分立のタテマエ上、国家以外、例えば最高裁が外交保護権の類似行為を行使することまで禁じていない、あるいは賠償請求は国家保有の外交的保護権の埒外にあるということであろう。

 例えば韓国の最高裁だけではなく、日本の最高裁が朝鮮人労働者に対して日本企業の強制労働に対する損害賠償を認めた場合、国家保有の外交的保護権の埒外にあるという理由から外交保護権の相互放棄の適用除外に当たる。

 そうであるゆえに「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではありません」という答弁になっているということなのだろう。

 日本人は戦争末期の朝鮮人労働者の多くに対して過酷なまでに非人間的に扱った。そして日本国家はそのことを放置した。いや、日本国家自身が自発的に非人間的扱いを平然と行った。

 その最初の例を挙げてみる。かつて当ブログに書いた2011年2月27日放送のNHK「証言記録 市民たちの戦争『“朝鮮人軍夫”の沖縄戦』」に出演した元朝鮮人軍夫が証言した話を再度ここに引用してみる。

 戦争末期、沖縄戦に備えて沖縄に大量の兵力・武器・弾薬・爆弾を送り込んだ際、船から荷揚げして背負って基地まで運ぶ運搬と壕掘りの過酷な労働に従事させるための軍夫を朝鮮半島から募集、中には強制連行した。

 過酷な重労働に従事させられながら、食事を満足に与えられなかった。

 当時阿嘉島青年団員の垣花武一さんの証言「我々が銀飯(ぎんめし)を食うとき、あの人たち(朝鮮人軍夫)はおかゆ。我々がおかゆに変わるときは、あの人たちは雑炊とか粗末な食事。量も半分くらい。だから、あれですよ。あの壕掘りとか重労働に耐えられなかったと思うんですよ。そういう食料で」

 空腹に耐えかねて、近所の田の稲や畑の芋をこっそりと食べて飢えを凌いだ。ポケットの稲が軍人に見つかって、13人が手を縛られ、銃殺された。

 もう一つの例を「Wikipedia」から。

 〈「国民徴用令」は1939年(昭和14年)7月より、日本内地で実施され、1944年(昭和19年)8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施するとした閣議決定がなされて、日本植民地下の韓国でも実施されたることになった。

 その9日前の1944年7月31日付で、朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられた内務省嘱託小暮泰用が内務省管理局に報告した、動員された朝鮮人の家庭について記述した「復命書」が外務省外交史料館に残されているという。

 「民衆をして当局の施策の真義、重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固より無理強制暴竹(食糧供出に於ける殴打、家宅捜査、呼出拷問、労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見るが如き不詳事件すらある。斯くて供出は時に掠奪性を帯び志願報国は強制となり寄附は徴収なる場合が多いと謂ふ。

 然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果たして如何であろうか、一言を以って之を言うならば実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない。朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさることながら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である。

 徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである」〉――

 1944年(昭和19年)8月8日の国民徴用令適用免除を朝鮮人に対しても実施する閣議決定前のから朝鮮半島では「無理強制暴竹」(食糧供出に於ける殴打、家宅捜査、呼出拷問、労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)の暴力的・強制的徴用が行われ、ときには「傷害致死事件等の発生を見るが如き不詳事件」が発生した。

 このような「暴力的・強制的徴用」という名の動員に対してその形態に応じた活動として、当時朝鮮人にとっては悪名高かった日本政府のやることだったから、長時間に亘る過酷労働・低賃金、あるいは賃金未払い、不十分な食事、逃亡防止の監禁紛いの拘束等々の非人間的待遇は前後の状況が終始一貫しているという点である意味妥当性を持つ。

 だが、好条件を示した募集に応募・採用した朝鮮人労働者に対して応募条件を裏切る形で上記過酷な待遇を行った場合、前後の状況に何ら一貫性はなく、妥当性はどこにも認めることができないばかりか、却って隠していた悪質性を曝け出したという一点で、「暴力的・強制的徴用」よりも始末が悪い。

まるで優しい男のフリをして女を口説き終わった後に暴力男に変身して、殴る蹴るの暴力を振るう行為を戦争末期の日本政府と日本の企業は朝鮮人労働者に対して行ったのである。

 こういった観点からすると、「募集」と「官斡旋」と「徴用」という形態でそれぞれに勧誘された朝鮮人労働者でありながら、「旧朝鮮半島出身労働者」と呼称を統一することで、その呼称の影に「徴用」といった悪質な雇用形態を隠すのは歴史改竄であるばかりか、「募集」という雇用形態を「徴用」とは異なることとして正当性を持たせる歴史改竄も行っていることになる。

 ここに安倍晋三の新たな歴史改竄を見ない訳にはいかない。

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