年間自殺者4万人台突破は間近?
07年11月10日『朝日』朝刊≪自殺9年連続3万人台「2割削減目標」≫
<政府は9日、自殺対策白書を初めてまとめた。2016年までに自殺者数を05年比で2割以上減らすことを目標に掲げ、相談体制の充実やインターネット上での自殺予告への対応、精神疾患診断技術の向上など46項目の重点施策を打ち出した。
警察庁によると、自殺者は98年に初めて年間3万人を突破し、9年連続で3万人台だ。白書では、26年から40年までに生まれ、戦前・戦中に青少年期を過ごした世代が他の世代に比べて自殺率が高いことに注目。この世代の高齢化を要因の一つと分析し、「高齢者の自殺がこれ以上に深刻な問題となる恐れがある」と、対策の必要性を強調している。重点政策としては、児童や生徒への自殺予防教育、多重債務者向け相談員の資格向上、介護者への支援などを掲げた。>
「26年から40年までに生まれ、戦前・戦中に青少年期を過ごした世代が他の世代に比べて自殺率が高い」とは、日本が高齢者に優しくない社会となっていることを示すものだろう。
高齢者に優しくない社会は、「年老いた親を家で家族が面倒を見るのが日本の昔からの美風だ」との口実のもと、自分たちの無能な社会保障政策を棚に上げるゴマカシを働かせて、社会保障関係の支出を減らし財政再建政策の一環とする施設介護から家庭介護に方針転換の舵を切った自民党政治によっても加速した。
家族介護=日本の美風なる自民党の政策には日本社会が核家族化しているという視点がすっぽりと抜け落ちている。そのことに目を向けない愚かしい責任逃れだった。
いわば家族介護といっても他に家族構成員が存在する昔風の大家族下にあって一人にのみその他すべての負担がのしかかるかる介護ではなく、介護のみならず家事洗濯、食事づくりすべてに特定の少数者、もしくは一人に負担がかかる介護とならざるを得ない核家族社会となっているのである。
その結果の核家族化した老人夫婦のみの家庭での夫の(あるいは妻の)介護疲れからの年老いた者同士の無理心中、あるいは被介護者を殺して、介護者が自殺するケース。死に切れずに無残にも一人生き残るケース。
そして最も究極な核家族形態である独居老人の生活苦からの自殺や将来への不安からの自殺。あるいは老夫婦のみの家庭での生活苦や将来不安からの心中。
07年11月09日のasahi.com記事≪ワンピースブームは消費冷え込みの象徴 丸井・社長)
<「消費の潮目は明らかに変わった。とても慎重だ」。丸井グループの青井浩社長は9日、07年9月中間連結決算の発表の場で、こう嘆いた。相次ぐ商品値上げなどが購買心理を急激に冷やした可能性があるという。
例に挙げたのが、女性のワンピースブーム。同社でも売れ行きは好調だが、半面、ジャケットやスカートは不振。青井社長は「ワンピースを買えば、上下の衣料品支出を抑えられるという心理があるのでは」と分析した。中間決算は改正貸金業規制法の影響でカード事業も冷え込み、売上高が前年同期比10.5%減の2368億円、当期利益は同75.7%減の8億円だった。≫
アメリカのサブプライムローンの焦げ付きによる金融機関の大型損失、そして株価の下落とドル安円高が日本の経済に直撃しかねない雲行き。原油高による諸物価の値上がり。大豆・サトウキビ等のバイオ燃料加工への優先的提供の反動を受けた各加工食品・加工飼料原料不足からのそれらの価格高騰、そして年金の目減りや消費税増税の動き等が複合的要因となった「消費の潮目」の変化であろう。
自民党は小泉政権・安倍政権共に経済成長路線・景気拡大政策を敷き、経済全体を底上げして、その果実を家計部門に再配分するとしたが、果実は優遇税制等で利益獲得に有利となった企業が獲得した利益を懐に抱え込み、一部の除いて家計部門全体にまで配分することはなかった。
しかも景気拡大は日本が自力で獲得した動きではなく、中国経済やアメリカ経済に頼った他力本願の景気なのだから、景気拡大を常に維持できる保証はないにも関わらず、そこにのみ軸足を置く柔軟性を欠いた相変わらずの視野狭窄の政策が原油高やサブプライムローンの焦げ付きを原因とした米経済が減速しかねない悪要因に脅かされることとなった。
今日(07.11.13)の『朝日』朝刊≪時時刻刻 ドル独歩安 底なしサブプライム不安≫には、トヨタ自動車にとっても、急激な円高は懸念材料だ。今年下期円相場のレートを1ドル=110円に設定しているが、想定よりも1円の円高ドル安となるだけで350億円の営業利益が吹っ飛ぶ。>とし、液晶テレビ国内首位のシャープは<「サブプライム問題で北米の新築住宅件数が落ち込み、連動して大型テレビの売り上げも落ちた」>(同記事)と売り上げ減少を指摘している。
トヨタはこれまで円安による為替利益を北米での自社自動車の販売価格に値引き分として埋め込み、安売りで販売競争を有利に進めてきた。その結果の年間販売台数世界1位のGMに迫る販売記録と史上最高の営業利益であろう。
景気減速がはっきりとした形を取らなくても、自民党の企業優遇がつくり出している生活格差が世界第2位の経済大国日本の名にふさわしい「自殺9年連続3万人台」というギネスブック並みの偉大な記録であり、はっきりとした形を取った場合、自殺者2割削減どころか、自殺者年間4万人台、ある否5万人台も夢ではないのではないだろうか。
人間は生活の生きものである。生活はカネなくして成り立たない。「自殺者2割削減」の重点政策として<児童や生徒への自殺予防教育、多重債務者向け相談員の資格向上、介護者への支援>などを掲げているが、景気動向の様々な内的・外的要因を一切考えない、自殺の直接的な原因だけを考えた視野の狭い対策となっている。景気が決定的に減速・後退し、一般生活者が現在以上に生活(=カネ)に逼迫したなら、焼け石に水、何ら役に立たなくなる政策ばかりである。役に立たないとなれば、さらに加速して自殺者年間4万人台、5万人台という「命の生き剥がし」は計算に入る人数となる。
企業が利益を獲得しても犠牲を受ける、景気減速・後退でも犠牲を受ける一般生活者という構図は自民党政治が企業の利害のみを代弁する立場に立っているからなのは言うまでもない。
企業に有利・一般生活者に不利の調和を破りたいと思うなら、一般生活者の利害を代弁する政治集団を自ら導き出す努力が必要になる。<自殺9年連続3万人台>という統計を安易に見過ごしてはならない。
昨11月10日(07年)の『朝日』朝刊≪「沖縄ノート」口頭弁論 集団自決 真相巡り対立≫
原告は沖縄西南部の座間味島戦隊長で少佐だった大阪府在住の梅沢裕氏(90)と渡嘉敷島戦隊長で大尉だった赤松嘉次氏(故人)の弟秀一氏(74)。被告はノーベル賞作家大江健三郎氏。
米軍が上陸した1945(昭和20)年3月の座間味で約130人、渡嘉敷で約300人以上の住民の集団自決は軍の命令によるものなのかを争う裁判であるが、隊長であった自分がさも集団自決命令を出したように「沖縄ノートに」に書かれ名誉を傷つけられたとして出版差し止めと慰謝料1500万円を求めているという。
梅沢氏は米軍の攻撃後、村人5人から「軍の足手まといにならないように自決する。手榴弾を下さい」と頼まれたが、「とんでもないことを言うんじゃない。死んではいけない」と制止した、自分は命令していないと主張。
但し、「軍の責任を認めるような内容の手紙」を生存者に出している点について被告側弁護士から問われると、「我々は島に駐屯した以上、まったく関係ないといえないという趣旨だ」と答えたという。
大江氏は<集団自決を軍の命令と考える根拠を問われると、体験者の証言集の存在を上げ、「執筆者から聞き、結論に達した」>。<実名を明かさなかったのは「軍隊が行った事件と考えた」ためとし、元隊長の具体的命令の有無を問題にしているのではないと強調。さらに、軍は「軍官民共生共死」の方針を県民にも担わせており、集団自決は「タテの構造」の中で「すでに装置された時限爆弾としての『命令』」で実行されたと、陳述書で指摘した。>(同『朝日』記事)と軍関与説を展開。
原告側弁護士「元戦隊長が住民の集団自決を事前に予期できたとするなら、いつの時点でできたのですか」
大江健三郎「軍が住民に手榴弾を渡したという証言が多くあります。集団自決を予期しないで、どうして手榴弾を渡すんですか」
閉廷後の梅沢氏の記者会見「要点を外し、なんとくだらん話をするのかと嫌になった。こちらの訴えに何も答えていない」
「国民が足手まといになるから死んでくれ、などという兵はいるわけがない」
原告弁護士「著作には隊長命令で集団自決させたと具体的に書いているのに、大江さんは陳述書で『軍隊の実際行動の総体』と読むよう求めた。とてもついて行けない論理で、独善だ」
* * * * * *
梅沢氏「国民が足手まといになるから死んでくれ、などという兵はいるわけがない」
だが、実際には存在した。既にブログにも書いたことだが、(1994.6.27『朝日』朝刊≪ルポ沖縄戦 語り部の50年≫)沖縄で<「赤ん坊の声が敵に聞こえると居場所が分かる」>と軍から命令が出て母親自らが手をかけた嬰児殺し、「足手まといになるから」と軍の兵士たち自身が手にかけたフィリッピン中部セブ島での児童殺害等々の「命の生き剥がし」・殺人。圧倒的な軍事力を持ったソ連軍参戦で雪崩を打って敗走した関東軍に護衛を頼んでも断られ、置き去りにされた満州に開拓団として入植した日本人たち。
(1994.10.9『朝日』≪落日の満州3 教え子探し、帰国に尽力≫)<旧満州東部の哈達河(ハタホ)開拓団は、豪雨を突いて夜通し歩き、麻山(まさん)というなだらかな丘にたどり着いた。前方にはソ連軍が迫っていた。敗走する関東軍に護衛を頼んだが、「任務ではない」と冷たく突き放された。根こそぎ動員で男はわずかしかいない。
「自決の道を選ぶのが、最も手近な祖国復帰だ」
団長の提案が通り目隠しの布が配られた。家族ごと輪になり、夕日に染まる陸に座った。
仲間の銃口が火を噴き、数時間の間に、四百数十人の命が奪われた。>麻山事件はあまりにも有名である。
日本軍の護衛・護送拒否によって生じた民間人の集団自決、もしくはソ連軍による攻撃死は日本軍が間接的にそう仕向けた集団自決、攻撃死と見るべきだろう。戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」は民間人にも植え付けられ、固定観念化していた意識だったはずで、その意識(=思い込み)が「自決」という次の意識・次の思い込みを囲い込んでいたはずである。そうでなければ、「自決の道を選ぶのが、最も手近な祖国復帰だ」という国家主義的発想に追い込まれることはなかったろう。軍隊から発信した「自決」情報なのであり、マインドコントロールなのである。
参考までに上記記事は、当時教師として他の場所に赴任していたために集団自決の輪に加わることから逃れることができた女性が、母親たちが身を以て銃弾から庇った元教え子たちが残留孤児として中国に生き残っていると知って、帰国を果たす前に3人は死亡してしまったものの、残る3人の帰国に尽力したという内容である。
当時の軍隊・軍人は国民に対して絶対者の位置にいた。天皇の権威を背負い、天皇の軍隊・天皇の兵士だったのである。軍隊・軍人は自分たちを絶対的場所に置いていた。そのことを忘れてはならない。国民の命よりも先ず自分たちの命だったのである。
「著作には隊長命令で集団自決させたと具体的に書いているのに、大江さんは陳述書で『軍隊の実際行動の総体』と読むよう求めた」構図は梅沢氏の「命令は出していない」が「島に駐屯した以上」「軍の責任がまったく関係ないといえない」とする構図と相互対応するものとなっている。「軍の責任がまったく関係ないといえない」が「命令は出していない」が許されるなら、前者の論理も許される。戦隊長なら、「軍の責任」(=部隊の責任)を第一番に背負わなければならない立場にあったはずで、例え実際に命令を出していなくても、軍の存在自体が住民の心理や行動を様々に支配していたはずである。米軍の攻撃という勝てる見込みのないことを知っていたはずの緊迫した状況下では、なおさらのこと、親にすがる子ども並みに軍が操作しやすい心理状態に住民は陥っていたに違いない。暗黙の支配意志が働いていたとしたら、「命令は出していない」だけでは済まされない。
(94/6/27「朝日」≪ルポ 沖縄戦 語り部の五十年① 集団自決 家族も手に掛け・・・≫)から集団自決のあらましを引用してみる。
上陸してきた米軍の圧倒的な猛攻にさらされ、(渡嘉敷)島全体がたちまち玉砕の危機に追い込まれていた。軍陣地近くに終結せよと日本軍から命令が出され、「自決せよ」と命令が出たと情報が伝えられ、軍からあらかじめ渡されていた手りゅう弾を握り締める。家族が固まりを作る。幼い子に因果を含める声。むずかる赤ん坊を必死でなだめる押し殺した声が聞こえる。一瞬の静寂。そして突然手りゅう弾の爆発。人間の断末魔の悲鳴。号泣。
<金城少年も手りゅう弾を手にした。母親、妹、弟がにじり寄る。教わった通り、爆発させる。が、発火しない。方法を誤ったのか不発弾だったのか、とにかく爆死は失敗に終わった。
ぼうぜんと立ちつくす少年は不思議な光景に目を奪われた。一人の男がすごい形相で木の枝を折っている。そして次の瞬間、折り取った木を頭上に振り上げ、そばにうずくまる妻や子をむちゃくちゃに殴り始めた。
それが導火線になった。爆死に失敗した人々は、かまで、こん棒で石で、肉親を撲殺していった。>(同記事/下線・筆者)
狂気が支配していた。この狂気は日本軍の存在が深く関わった「生きて虜囚の辱めを受けず」の意識統制やアメリカ軍の捕虜になったなら、女は姦され、男は殺されるといった日本社会を支配していた強迫意識を引き金とした狂気であろう。
(1994.6.29『朝日』≪ルポ 沖縄戦 語り部の五十年3 重い荷物背負い続け生きる≫)
<渡嘉敷島の惨劇は、米軍も知っていた。『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』(上原正稔訳編)には、ニューヨーク・タイムズの記事を引用したつぎのような報告が記載されている。
<ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると、「オーマイゴッド」、何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子どもたちの泣き声だけであった。
木の根元には、首を絞められて死んでいる一家族が毛布に包まれて転がっていた。小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。まったく狂気の沙汰だ。
何とも哀れだったのは、自分の子どもたちを殺し、自らは生き残った父母らである。彼らは後悔の念から泣き崩れた。自分の娘を殺した老人は、よその娘が生き残り、手厚い保護を受けている姿を目にし、咽(むせ)び泣いた。>>
どのような集団自決も日本軍の有形無形の関与があって発生した「命の生き剥がし」なのは間違いない。だが、梅沢戦隊長の自分は「命令していない」という事実が残る。
沖縄集団自決訴訟/大江健三郎vs元隊長(2)に続く
沖縄集団自決訴訟/大江健三郎vs元隊長(1)から続く
(Snkei Web/2007.11.9 15:12≪【沖縄集団自決訴訟の詳報】梅沢さん「とんでもないこと言うな」と拒絶≫)は裁判の審理を詳しく報道している。そこから、「命令していない」を悪い頭で考察してみる。先ずは全文を引用。下線・色字は筆者。
<沖縄の集団自決訴訟で、9日、大阪地裁で行われた本人尋問の主なやりとりは次の通り。
《午前10時半過ぎに開廷。冒頭、座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(90)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)の原告2人が並んで宣誓。午前中は梅沢さんに対する本人尋問が行われた》
原告側代理人(以下「原」)「経歴を確認します。陸軍士官学校卒業後、従軍したのか」
梅沢さん「はい」
原「所属していた海上挺身(ていしん)隊第1戦隊の任務は、敵船を撃沈することか」
梅沢さん「はい」
原「当時はどんな装備だったか」
梅沢さん「短機関銃と拳銃、軍刀。それから手榴弾もあった」
原「この装備で陸上戦は戦えるのか」
梅沢さん「戦えない」
原「陸上戦は予定していたのか」
梅沢さん「いいえ」
原「なぜ予定していなかったのか」
梅沢さん「こんな小さな島には飛行場もできない。敵が上がってくることはないと思っていた」
原「どこに上陸してくると思っていたのか」
梅沢さん「沖縄本島だと思っていた」
原「昭和20年の3月23日から空爆が始まり、手榴弾を住民に配ることを許可したのか」
梅沢さん「していない」
原「(米軍上陸前日の)3月25日夜、第1戦隊本部に来た幹部は誰だったか」
梅沢さん「村の助役と収入役、小学校の校長、議員、それに女子青年団長の5人だった」
原「5人はどんな話をしにきたのか」
梅沢さん「『米軍が上陸してきたら、米兵の残虐性をたいへん心配している。老幼婦女子は死んでくれ、戦える者は軍に協力してくれ、といわれている』と言っていた」
原「誰から言われているという話だったのか」
梅沢さん「行政から。それで、一気に殺してくれ、そうでなければ手榴弾をくれ、という話だった」
原「どう答えたか」
梅沢さん「『とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい』と話した」
原「弾薬は渡したのか」
梅沢さん「拒絶した」
原「5人は素直に帰ったか」
梅沢さん「執拗(しつよう)に粘った」
原「5人はどれくらいの時間、いたのか」
梅沢さん「30分ぐらい。あまりしつこいから、『もう帰れ、弾はやれない』と追い返した」
原「その後の集団自決は予想していたか」
梅沢さん「あんなに厳しく『死んではいけない』と言ったので、予想していなかった」
原「集団自決のことを知ったのはいつか」
梅沢さん「昭和33年の春ごろ。サンデー毎日が大々的に報道した」
原「なぜ集団自決が起きたのだと思うか」
梅沢さん「米軍が上陸してきて、サイパンのこともあるし、大変なことになると思ったのだろう」
原「家永三郎氏の『太平洋戦争』には『梅沢隊長の命令に背いた島民は絶食か銃殺ということになり、このため30名が生命を失った』と記述があるが」
梅沢さん「とんでもない」
原「島民に餓死者はいたか」
梅沢さん「いない」
原「隊員は」
梅沢さん「数名いる」
原「集団自決を命令したと報道されて、家族はどんな様子だったか」
梅沢さん「大変だった。妻は頭を抱え、中学生の子供が学校に行くのも心配だった」
原「村の幹部5人のうち生き残った女子青年団長と再会したのは、どんな機会だったのか」
梅沢さん「昭和57年に部下を連れて座間味島に慰霊に行ったとき、飛行場に彼女が迎えにきていた」
原「団長の娘の手記には、梅沢さんは昭和20年3月25日夜に5人が訪ねてきたことを忘れていた、と書かれているが」
梅沢さん「そんなことはない。脳裏にしっかり入っている。大事なことを忘れるわけがない」
原「団長以外の4人の運命は」
梅沢さん「自決したと聞いた」
原「昭和57年に団長と再会したとき、昭和20年3月25日に訪ねてきた人と気づかなかったのか」
梅沢さん「はい。私が覚えていたのは娘さんだったが、それから40年もたったらおばあさんになっているから」
原「その後の団長からの手紙には『いつも梅沢さんに済まない気持ちです。お許しくださいませ』とあるが、これはどういう意味か」
梅沢さん「厚生省の役人が役場に来て『軍に死ね、と命令されたといえ』『村を助けるためにそう言えないのなら、村から出ていけ』といわれたそうだ。それで申し訳ないと」
《団長は戦後、集団自決は梅沢さんの命令だったと述べていたが、その後、真相を証言した。質問は続いて、「集団自決は兄の命令だった」と述べたという助役の弟に会った経緯に移った》
原「(昭和62年に)助役の弟に会いに行った理由は」
梅沢さん「うその証言をしているのは村長。何度も会ったが、いつも逃げる。今日こそ話をつけようと行ったときに『東京にいる助役の弟が詳しいから、そこに行け』といわれたから」
原「助役の弟に会ったのは誰かと一緒だったか」
梅沢さん「1人で行った」
原「会って、あなたは何と言ったか」
梅沢さん「村長が『あなたに聞いたら、みな分かる』と言った、と伝えた」
原「そうしたら、何と返答したか」
梅沢さん「『村長が許可したのなら話しましょう』という答えだった」
原「どんな話をしたのか」
梅沢さん「『厚生労働省に(援護の)申請をしたら、法律がない、と2回断られた。3回目のときに、軍の命令ということで申請したら許可されるかもしれないといわれ、村に帰って申請した』と話していた」
原「軍の命令だということに対し、島民の反対はなかったのか」
梅沢さん「当時の部隊は非常に島民と親密だったので、(村の)長老は『気の毒だ』と反対した」
原「その反対を押し切ったのは誰か」
梅沢さん「復員兵が『そんなこと言ったって大変なことになっているんだ』といって、押し切った」
原「訴訟を起こすまでにずいぶん時間がかかったが、その理由は」
梅沢さん「資力がなかったから」
原「裁判で訴えたいことは」
梅沢さん「自決命令なんか絶対に出していないということだ」
原「大勢の島民が亡くなったことについて、どう思うか」
梅沢さん「気の毒だとは思うが、『死んだらいけない』と私は厳しく止めていた。責任はない」
原「長年、自決命令を出したといわれてきたことについて、どう思うか」
梅沢さん「非常に悔しい思いで、長年きた」
《原告側代理人による質問は、約40分でひとまず終了。被告側代理人の質問に移る前に、5分ほど休憩がとられた》
《5分の休憩をはさんで午後2時55分、審理再開。原告側代理人が質問を始めた》
原告側代理人(以下「原」)「集団自決の中止を命令できる立場にあったとすれば、赤松さんはどの場面で中止命令を出せたと考えているのか」
大江氏「『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。それは、もっとも危険な場所に島民を集めることだ。島民が自由に逃げて捕虜になる、という選択肢を与えられたはずだ」
原「島民はどこに逃げられたというのか」
大江氏「実際に助かった人がいるではないか」
原「それは無目的に逃げた結果、助かっただけではないか」
大江氏「逃げた場所は、そんなに珍しい場所ではない」
原「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」
大江氏「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」
原「集団自決は予見できるものなのか」
大江氏「手榴弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」
原「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」
大江氏「事実ではないと思う」
原「その根拠は」
大江氏「現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのか」
原「(沖縄タイムス社社長だった上地一史の)『沖縄戦史』を引用しているが、軍の命令は事実だと考えているのか」
大江氏「事実と考えている」
* * * * * * *
大江氏「手榴弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」
原「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」――
赤松氏は「大江先生は渡嘉敷島を訪れて直接取材することもなく、兄を誹謗中傷した。憤りを感じる」(上記「朝日」記事)と言っているそうだが、兄は渡嘉敷島戦隊長(大尉)だった。とすると、大江氏の「当日も20発渡している」は渡嘉敷島のことなのだろうか。だとすると、梅沢氏の「命令していない」を崩す証言とはならない。
渡嘉敷島では手榴弾を使った集団自殺が起こっている。それが集団行為であろうと、自宅内で個別に行った自決行為であろうと、複数の住民が自決という共通の手段を取っている以上、軍の命令に従った行為と考えなければならない。先に当時の軍隊・軍人は国民に対して絶対者の位置にいたと言ったが、手榴弾を渡すとき、渡す目的・使用目的を話していたはずで(オモチャにしろと渡したわけではあるまいと、以前にブログで書いたが)、住民はそれに従う立場にいたのだから、軍は命令していない、村の村長か誰かが命令したのだろうと言い逃れることはできない。集団自決の場で村長が命令したとしても、それは軍の命令を引き継いだ命令だったはずである。国が「天皇陛下のために命を捧げよ」と命令したのに対して内心はどうあれ、国民が形式的には従ったように。
少なくとも渡嘉敷の軍はそれが集団のものであろうと、個別のものであろうと自決を予見することができ、結果を予定行動と受け止めなければならない立場にあったはずで、そのことを知ったのが時間的にいつのことでも、「まったく知らなかった」で済ますのは狡猾な責任逃れであって、限りなく信用できない。もし責任逃れだと省みることができないとしたら、限りなく鈍感と言わざるを得ない。
梅沢氏がそのような赤松氏の傍らにいて共に裁判を進めていながら、その狡猾な責任逃れと鈍感さに気づかないとしたら、性格的に似た者同士だからだろう。
梅沢氏の責任逃れ・鈍感さは次の裁判での遣り取りに現れている。
原「当時はどんな装備だったか」
梅沢さん「短機関銃と拳銃、軍刀。それから手榴弾もあった」
原「この装備で陸上戦は戦えるのか」
梅沢さん「戦えない」
原「陸上戦は予定していたのか」
梅沢さん「いいえ」
原「なぜ予定していなかったのか」
梅沢さん「こんな小さな島には飛行場もできない。敵が上がってくることはないと思っていた」
原「どこに上陸してくると思っていたのか」
梅沢さん「沖縄本島だと思っていた」――
「こんな小さな島には飛行場もできない。敵が上がってくることはないと思っていた」――渡嘉敷島・座間味島等の慶良間諸島は沖縄本島・那覇市の西方約30キロに位置してるという。飛行場がなくても、日本軍は上陸して陣地を敷いた。例え武器が「短機関銃と拳銃、軍刀。それから手榴弾」であったとしても、米軍が詳細を把握しているわけではないだろうから、日本軍が展開していることさえ分かれば、背後を突かれないために前以て攻撃し、壊滅しておくことが軍事行動の常道であろう。
いわば日本側から言えば、沖縄本島に直接アメリカ軍が向かった場合は背後から突く目的で陣地構築をしたはずである。海軍の艦船を慶良間諸島の要所要所に配置したのもその目的からであろう。
もし大本営がアメリカ軍の攻撃が沖縄本島のみと考え、後ろからいきなりワッとビックリさせるように背後からの攻撃でやすやすと撃退できるとだけ考えていたとしたら、戦時中の皇居での天皇と杉山元(はじめ)陸軍参謀総長(当時)との会話で明らかになった作戦の先見性に関する間抜けさ加減と同じ性質の間抜けさ加減を性懲りもなく引きずっていたことになる。何度かブログ記事に利用しているが、再度引用してみる。
<天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」
杉山「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1ヶ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
杉山「支那は奥地が広いものですから」
天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」
杉山総長はただ頭を垂れたままであったという。>〔『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋・07年4月特別号)/半藤一利氏解説から(昭和史研究家・作家)〕
果たせるかな、米軍は沖縄本島攻撃前に渡嘉敷島や座間味島などの慶良間諸島を攻撃している。大本営がアメリカ軍の攻撃は沖縄本島のみと間の抜けた作戦を立てていようといまいと、その作戦を梅沢氏が鵜呑みに頭から信じていようがいまいが、米軍の攻撃が開始された時点で、アメリカ軍の最初の上陸地点が「沖縄本島だと思っていた」自分の判断が間違っていたことを否応もなしに悟らざるを得なかっただろうから、裁判で「沖縄本島だと思っていた」で済ますのは隊長の地位にある者としてはやはり鈍感なまでに薄汚い責任逃れであり、少なくとも自己正当化のウソをついていると見ないわけにはいかない。
座間味島は昭和20年の3月23日から空爆が始まり、3月25日夜、第1戦隊本部に村の助役と収入役、小学校の校長、議員、それに女子青年団長の5人がやってきて、米軍が上陸してきたら、米兵の残虐性をたいへん心配している。老幼婦女子は死んでくれ、戦える者は軍に協力してくれと行政から言われている、一気に殺してくれ、そうでなければ手榴弾をくれと訴えたのに対して、「とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい」
「短機関銃と拳銃、軍刀。それから手榴弾」で「陸戦をする」と言うのである。「それから」という付け足しの言葉がカギを握っているのではないだろうか。
手榴弾に後ろめたいものがあるから、「それから」と付け足しで最後に持ってきたのか、少ししか残っていないという意味で「それから」と最後に持ってきたのか、いずれであろう。
どちらであっても、手榴弾を豊富に所持していたとは考えにくい。3月23日から始まったアメリカ軍の猛烈な空爆にその制空権の所在を思い知らされ、使用武器の違いと併せて2日後の3月25日に至らずとも戦局の趨勢を知るに至っただろうから、乏しい手榴弾を戦闘に役立たない住民の自決のためにムダに使ってはいられない、「陸戦をする」自分たちの身を守るためにこそ必要なものであって、最後まで残しておかなければならない、しかし正直にブッチャケタなら帝国軍人の威信に関わる。そこで最大限勿体ぶって、「とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい」と強がったということではないだろうか。
もはや戦う余力を一切失っていながら、軍上層部はなお拳を振り上げて本土決戦の強がりを叫んでいたようにである。その報いが原爆2発なのだが、その無能さを誰も刻印付けない。
これまで見てきた赤松弟・梅沢某の鈍感さ・責任逃れ意識から判断すると、十分にあり得る疑惑ではないだろうか。
名誉毀損で訴えてくれてもいい。
C型肝炎問題で大阪高裁が和解勧告を出しが、原告全員への補償を求める原告側に対して国が原告全員への補償に難色を示している問題をテレビが今日取り上げていた。司会が「エイズ対策の遅れと言い、どうしてこうも続くのだろう」と言っていたが、答えは簡単。
C型肝炎の血液製剤フィブリノゲンやエイズの非加熱製剤の野放しだけではない。それ以前にチッソ水俣病での有機水銀の日本窒素工場からのタレ流し放置という前科もある。そしてアスベスト対策遅れ、スモン病に於けるキノホルム剤の禁止措置の遅れ等々。
さらに食品偽装・耐火建材偽装・耐震偽装・・・・・。薬害も各偽装もすべて人間の命に関わる問題だが、カネ儲けを共通の目的とした各所業であり、カネ儲け優先・人間の命後回しを数式として成立させることができた日本社会の一つの姿であろう。
人間の命よりもカネ優先だから、当然のこととして人権意識が薄く仕上がることとなっている。障害者差別もその成果の一つだが、薄っぺらな人権意識を最も色濃く体現しているのが日本政府だから、ミャンマーの軍事独裁政治に抑圧されたミャンマー国民や北朝鮮の金正日の独裁政治の犠牲となって生活苦にある北朝鮮国民の人権に無頓着・無感覚でいられる。国の経済というカネ儲けができさえすればよしとする態度は人権問題を差引くことによって成り立たせることができる。
人間の命など考えずにカネ儲けだけを考える身の処し方を拝金主義という。どうも日本人の血となっているように思えて仕方がない。命の生き剥がしなど、何とも思っていないに違いない。
学力テストを分析する(1)
07年4月に行われた文部省の小学校6年生と中学3年生を対象とした「国語」と「数学」の全国学力テストは、「A」は「基礎的知識」、「B」は「知識の活用」(応用力)を問う内容で、結果は「知識」を問うA問題が70~80%台、「知識の活用」を問うB問題が60~70%台と10~20ポイント低かったとのこと。
日本の教育は以前から文章を読み、それを理解する「読解力」、知識を活用する応用力、これらを相互に構築して多角的・総合的に思考して情報発信する創造力に関わる能力の育みに不足があると言われているが、「基礎的知識」を「知識の活用」に連動させ得ていない従来からの姿がテストの結果にストレートに現れたということなのだろう。
先ずは小学校6年生の「国語」のB問題と解答から、できるかどうか、「知識の活用」(応用力)の不足がどういう状況にあるのか、見てみることにした。先ずは問題と解答を見て、それから思ったことを解説したいと思う。私自身の考えは途中途中に青文字で示した。問題用紙は縦書きだが、便宜上横書きに変えた。
* * * * * * * *
小学校第6 学年/国語B
注 意
1先生の合図があるまで、中を開かないでください。
2調査問題は、1ページから16ページまであります。
3問題によっては、メモらんがついていますが、使用してもしなくてもかま
いません。
4解答用紙は、両面に解答らんがあります。解答は、解答用紙にすべて書き
ましょう。
5解答用紙の名前のらんに、学校名・組・出席番号・性別・あなたの名前(
漢字とフリガナ)を書きましょう。
6解答時間は、40分間です。解答が早く終わったら、よく見直しましょう。
(「注意」は口頭で伝えるべきではないだろうか。一度の口頭伝達で頭に入れることができるかどうか、集中力は常に教育の必須事項となっているはずだからである。どのような場合でも集中力を求める機会を用意すべきであろう。特に問題数は前もって知らされているだろうし、名前、学校名等はどこに何を書き込むかそれぞれに欄が印刷されているだろうから、注意書きするのは二重手間となる。)
問題は、次のページから始まります。
【1】次の記録は、六年生の大林さんの学級で、「一年生と楽しく交流しよう」という議題について話し合った様子です。よく読んで、あとの問いに答えましょう。
司会 それでは、一年生と楽しく交流するための計画について話し合いま
す。遊びの内容、準備の分担(ぶんたん)、今後の日程の三つにつ
いて順番に話し合います。まずは、遊びの内容について話し合いま
す。一年生と六年生がいっしょに遊ぶときに、どんな条件だったら
よいか意見を出してください。
大林 ぼくは、一年生が喜ぶために、人気がある遊びを考えたらいいと思
います。
山本 わたしは、一年生がやりやすいように、ルールの簡単な遊びがいい
と思います。
1司会 そのほかに意見はありませんか。(発言がないのを確か
めて)今出されている条件は、「一年生に人気があること」、
「ルールが簡単であること」の二つです。この二つの条件に合
った遊びにするということで、話し合いを進めてもいいです
か。
全員 いいです。
2司会 それでは、この二つの条件に合う遊びを考えて、提案してく
ださい。
池田 ぼくは、ルールが簡単で、とっても人気があるぶらんこで遊んだら
いいと思います。
木村 わたしは、一年生がよくやっていて、ルールが簡単なおにごっこが
いいと思います。一年生と親しくなるには、交代で順番にやるよう
な遊びではなくて、一度にたくさんの人で遊べる遊びがいいからで
す。
小松 それだったら、ぼくは、長なわとびで遊んだらいいと思います。一
年生も休み時間によくやっていて、特にむずかしいルールもなく、
みんながいっせいに遊べるからです。
3司会 これまでに三つの遊びが提案されました。「ぶらんこ」、
「おにごっこ」、「長なわとび」です。提案の中には、先に決
めた二つの条件以外の新しい条件も含まれていました。それ
は、【 ア 】という条件です。
この条件を加えて話し合いを進めてもいいですか。
全員 はい、いいです。
~(話し合いが続く)~
1.3司会の【 ア 】の発言の中に入るふさわしい言葉を書きま
しょう。
2.1司会から3司会までの発言を通して見られる進め方の良いと
ころを書きましょう。
【正答例】
(例) 「一度にたくさんの人で遊べること」
(例1)「出された意見をまとめ、条件に合わせて話し合いを進めてい
る」
(例2)「話し合う内容を示し、その内容で話し合いを進めていいか確
かめている」
(この問題を正答例に近い内容で正確に答えることができたなら、読解力は相当高いと言えるのではないだろうか。しかし質問は「一年生と六年生がいっしょに遊ぶときに、どんな条件だったらよいか」ではなく、「一年生と六年生がいっしょに遊ぶにはどのような遊びがいいか」内容から問う方が現実問題としては小学高学年生にはより自然な形であるように思える。最初から条件を限定するのではなく、どのような遊びがいいか説明する過程で様々に提示されることになる条件をも検討の課題として議論を進め、集約していく。例えば
生徒「ドッジボールがいいと思います」
司会「なぜどっちボールなのですか?」
生徒「大勢で遊べるし、スリルがあって、楽しいいから」
「六年生が投げるボールはスピードがあり過ぎて、一年生は受け止め
ることができるだろうか。まともに当たった場合危険だと思います」
生徒「じゃあ、六年生は左投げにしたら?それも手加減して投げる。スピ
ードを抑えることができるし、とんでもない方向に投げたりして、面
白いかもしれない」
このような会話に提示された条件や議論の進め方等を質問する。テストの設問にしても現実に即した方法でないと身につかないように思う。)
【2】川本さんの学級では、ごみを減らす取り組みの一つとして、身近な紙の問題を調べ、新聞にまとめて書くことにしました。
そこで、紙についての資料を集めました。次の資料を読んで、あとの問いに答えましょう。
※段落のはじめにある数字は、その段落の番号を示しています。
【資料1】
1.家庭や地域などから毎日のようにさまざまなごみが出されます。ごみの
量をこれ以上増やさないようにするために、わたしたちに何ができるで
しょうか。また、資源として大切に使うために、どのようなことができ
るでしょうか。身近な紙の問題を例にして考えてみましょう。
2.紙は、わたしたちのくらしの中でなくてはならないものであると同時に
、産業や文化を支える大事な働きをしています。トイレットペーパーや
ティッシュペーパーなどは、生活用品として、また、新聞や雑誌などは
、情報と知識を伝えるものとして、はば広く使われています。
3.一般に紙は、「紙」と「板紙(厚手の紙のこと)」に区分されます。新
聞、雑誌、印刷用紙、コピー用紙、ノート、ティッシュペーパーなどは
、「紙」に区分されます。段ボールや紙箱用のボール紙などは、「板紙
」に区分されます。
4.日本の紙と板紙の生産量は、二〇〇二年(平成十四年)には、世界第【
ア 】位となっています。そのほとんどは国内で消費しています。
5.社会や経済発展にともない、紙はより多くの分野で使われるようになり
、新しく木から作り出す紙だけでは不足するようになってきました。そ
こで、①一度使い終わった紙を古紙として、再生利用することが世界的
に重要な課題となってきました。紙の原料である森林を守るためにも、
古紙を利用して、むやみに木を切ることがないようにする必要がありま
す。
6.古紙には、新聞紙、雑誌、段ボール、紙パックなど、いくつかの種類が
あります。中でも、新聞紙、雑誌、段ボールの三種類が、古紙の大部分
をしめています。
7.古紙の再生の方法としては、同じ種類の紙に生まれ変わることが多くな
っています。段ボールの古紙は段ボールに、新聞紙の古紙は新聞紙にな
ります。そのため、同じ種類の古紙はひもでくくり、まとめて回収に出
すことが大事です。また、水にぬれていると再生しにくくなったり、金
属が付いていると手間がかかってしまったりします。回収に出すときに
少し気をつけることで、古紙の再生に役立つことになるのです。
8.このように、わたしたちの身近なところから古紙の再生利用を進めてい
くことは重要です。古紙を使って紙を生産し、古紙からできた紙をさら
に再生利用することで紙のごみを減らし、資源を有効に活用することが
できます。②わたしたちの身近なところからごみを減らすことを考えて
、取り組んでいくことが必要ではないでしょうか。
(紙・板紙の生産量の世界上位8カ国)地域別に整理したもの)
(アジア)
中国 3541万トン
日本 2900万トン
韓国 946万トン
(北アメリカ)
アメリカ合衆国 7534万トン
カナダ 1953万トン
(ヨーロッパ)
ドイツ 1749万トン
フィンランド 1263万トン
スウェーデン 1043万トン
(1トンは1000kg)
総務省統計局 「世界の統計2006」による
1.資料2をもとに、資料1の第4段落の【 ア】の中に入るふさ
わしい数字を書きましょう。
2.資料1の第5段落に、①「一度使い終わった紙を古紙として、再生
利用することが世界的に重要な課題となってきました」と書いてあります
が、なぜ、重要な課題となってきたのですか。
その理由を本文中から探がして、二つ書きましょう。
【正答例】
1.3
2.(例)新しく木からつくりだすかみだけではふそくするようになっ
てきているから。
紙の原料である森を守るためにも、古紙を利用して、むやみに木を
切ることがないようにする必要があるから。
(太字で書いてあったり、下線を引いてある箇所に答のカギが潜んでいるから、特に注意して読むようにと前以て指示されていて、テストのテクニックとなっているに違いない。テストの点数もテクニックが力となって成績が水増しされる。出題の傾向を探り、模擬テストを行って学力テストに備えていた学校も多くあったかもしれないが、「傾向と対策」もテクニックに当たる。
本来は生徒自身に下線を引かせるべきべきだろう。どこが重要か自分で判断させる。どこに下線を引くかは読解力と集中力が関係する事柄だからである。大人が最初からお膳立てしておいたのではただ単に従うだけ、なぞるだけで済み、読解力や集中力を逆に殺ぐことになる。
テストの仕様自体が教育方法として既に間違いを犯しているのではないか。)
3.川本さんは、資料を読んだあと、次の「地球わくわく新聞」の記事の下
書きを書くことにしました。あとの問いに答えましょう。
地球わくわく新聞《第二号》
★今回の特集★
わたしたちのくらしとごみ
★発行日平成十九年五月九日
★学校や家庭、さまざまなところから出されるごみ。
ごみの問題をこのままにしていたら大変です。
古紙を再生しよう
みんなで気をつけよう!
★古紙を回収に出すときに守ること★
○同じ種類の古紙はひもでくくり、まとめて出すこと。
○【 イ 】
ごみを減らすために!
【 ウ 】
(1)新聞記事の【イ】の中に、「紙を回収に出すときに守ること」をさ
らにもう一つ書くことにしました。本文の内容に合わせて、一つ目と
同じような書き方で書きましょう。
(2)資料1の第8段落に、②「わたしたちの身近なところからご
みを減らすことを考えて、取り組んでいくことが必要ではないでしょ
うか」と書いてあります。そこで、新聞記事の【ウ】の中に、自分で
もできるごみを減らす取り組みを書くことにしました。あなたなら、
どのような取り組みをしようと思いますか。次のことに注意して、
八十字以上百二十字以内で書きましょう。
<注意>
○あなたが見たり、聞いたり、読んだり、体験したりしたことなどをもとにして、具体的に書くこと。
【正答例】
(1)(例)水分を取ってかわかしたり、金属を取り外したりしてから回
しゅうに出すこと。
(2)(例)ごみとしてすてるようなものをできるだけへらすことがたい
せつです。店に行って、おにぎりを一個しか買わなくてもふ
くろに入れてくれますが、そのふくろを使わずに家からバッ
グを持っていくようにしたいものです。
(この質問は世間一般で普段言っていること、言われていることであり、あるいは学校で取り上げさえすれば、教師が必ず言うこと、生徒が必ず聞かされることの域を出ていないのではないのか。文章が言っていることの中から、解答に当たる箇所をなぞり出すことでほぼ完結する。確かに「読解力」と言えないこともないが、世間一般が言っていること、教師が言っていることを文章からなぞり出し、それを答案用紙に反映させるだけで完結するから、自分自身の考え・思想に発展させる余地がないのではないのか。発展させる余地の提供となっていない。既知の情報を解答用紙に写し変えるだけの作業を求めていることにならないだろうか。)
「小学6年生学力テストを分析する(2)」に続く
「小学6年生学力テストを分析する(1)」から続く
【3】中川さんの学級では、夏休みに読んだ本の中で心に残ったものを感想文に書き、図書新聞にのせることにしました。先生が、感想文の書き方の勉強になるように二人の感想文をしょうかいしました。同じ本について書いた二人の感想文を読んで、あとの問いに答えましょう。
<青木さんが書いた感想文>
――主人公あゆみの印象的な言葉。「いつもそばにいていっしょに行動することだけが友達じゃない。ときにはきょりを置き,友達を見守ることが大切だ。」わたしは,この本を読んで,はげまされ,勇気をもらいました。
あゆみは,親友とささいなことでけんかをします。少しずつ二人の心ははなれてしまい,落ちこんでいきます。そんなとき,全く気が合わないと決めつけていた別の友達が,「気にしすぎだよ。そのうち,仲良くなれるよ。」と声をかけてきました。話すことが少なかった友達が,声をかけてくれたことで,あゆみは元気づけられ,前向きな気持ちになれたのでした。
わたしは,この本と出会ってから,いろいろな人と広くかかわることができるようになりました。少しのけんかは気にせずに,できるだけ多くの友達をつくろうと思います。この本に出会うことができて,本当によかったです。――
(「そのうち、仲良くなれるよ」は「また前のように仲良くなれるよ」という「仲直りできるよ」の意味なのだろうか。「そのうち、仲良くなれるよ」は厳密に言うと、「仲良くな」りたい関係を望みながら、現在「仲良くなれ」ない状態にあることを言い、新しい関係についての言及でなければならない。以前「仲良く」あった関係は含まないはずだから、文章自体の間違いということになる。)
<高橋さんが書いた感想文>
――わたしは,「相手のきげんをとったり,合わせたりするのは,本当の友達とはいえない。」という主人公あゆみの言葉をうまく受け入れられません。この本を読んで,人と人とがつながることのむずかしさを改めて考えました。
あゆみは,親友とうまくいかなくなったとき,今までとはちがう見方をしました。少しずつはなれていく関係になやみながらも,新しく友達との関係をつくることができました。いつまでも考えこまず,気持ちを切りかえるようにしたのです。あゆみは自分にとって本当の友達とは何かということの答えを見つけたのです。
わたしも,あゆみと同じような体験をしたことがあるのですが,うまくいきませんでした。広く人とかかわり,新しく友達を見つけていくことは大事です。だからといって,すぐに気持ちを切りかえるのはかんたんではありません。これからも,人と人とのつながりについて,考えていきたいと
思います。――
先生は、この二人の感想文はどちらも良い書き方だとみんなにしょうかいしました。二人に共通する良い書き方とは、どのようなことですか。二つ書きましょう。
【正答例】
(1)(例)自分の体験をもとにした感想や意見、決意が明確であるこ
と。
主人公の言葉を使ったり、物語のあらすじをまとめたりし
ていること。
(二つの感想文から解釈できることは、主人公あゆみが親友と別れ、新しく友人をつくったということで、「そのうち、仲良くなれるよ」のアドバイスを無効としたことになり、その無効が新しい友人関係へと発展したキッカケの説明がなければ、持ち出し不明の「感想文」となる。「話すことが少なかった友達が,声をかけてくれたことで,あゆみは元気づけられ,前向きな気持ちになれ」て、仲違いした友人と関係修復に至ったというなら、話は分かる。
この手の設問に対する模範解答例は殆どの感想文テストに当てはまることにならないだろうか。自分の体験を基にして感想や意見を述べ、最後に自分はこうしよう、ああしようと決意する文章に仕立てなさいと教えることが可能でパターン化できるから、このような書き方の訓練を受けさえすれば、簡単に引き出せる解答となる。いわば、これも「なぞり」(パターンをなぞる)で解決するテストに入る。)
【4】次は、今村さんの家に配られたお店のちらしです。よく読んで、あとの問いに答えましょう。
スーパーマーケット★まちかど★
営業時間午前8時〜午後8時
お客様感謝セール
5月12日(土)・13日(日)の2日間
おにぎり/110円が80円
サンドイッチ/半額
ショートケーキ/20%引き
クリームパン/150円が98円
いちご1パック/(お一人様1パック限り)30%引き294円
コロッケ/1個70円が2個で100円
(消費税込)
セール期間中(12日・13日とも)食パンを100名様にプレゼント
みなさん、おいで
* * * * * * * *
(「みなさん、おいで」の文字の右側に身体部分をドングリのヤジロベーに仕立て、その上にコック帽をかぶったパン職人が笑みを浮かべた顔をイラストにして挿入してある。)
1.今村さんは、このお店のちらしの内容を友達に説明しようと思います。
その説明として、ふさわしいものを次の1から4までの中から一
つ選び、その番号を書きましょう。
1このお店は、夜九時に行っても買い物をすることができる。
2サンドイッチは、ふだんの一つ分の金額で二つ買うことができる。
3セール期間中、お客様全員が必ず食パンをもらうことができる。
4お客様感謝セールは、毎週土曜日と日曜日に行われる。
【正答例】
2
2.ちらしの中にある「みなさん、おいで」という表現は、店長の立
場でお客さんに対して使う表現としてふさわしくありません。ふさわし
い表現にするために、「みなさん」の書き出しに続けて、一文で書き
直しましょう。
【正答例】
(例)ぜひ、おいでください。
(なぜ「ぜひ、おいでください」でなければならないのか。世間一般がそうだからなのか。
紋切り型、杓子定規の考え方を押し付けている。生徒それぞれの考えを世間並みの考え方に誘導するもの。類型をなぞらせているだけ。「みなさん、おいで」の語感から、何を感じるか、それぞれの印象・感じを書かせるべきだろう。中には、「生意気な感じがして、親切さを感じることができない。『ぜひ、おいでください』と書くべきだ」と答える生徒もいるだろうが、その生徒はある意味類型的な思考に侵されているとも言える。
私自身は気さくな、ユーモアある人柄を感じる。初めての客でも気軽に声をかけ、「この店初めて?よっしゃ、一つおまけ!」といったサービス精神さえ感じる。ニコニコして手招きしている砕けた感じのイメージを受けるが、いずれにしても一般性をなぞらせるもので、良くも悪くも生徒の考えを一律化する働きをしているとしたら、創造力を問う試験となっていないことになる。
問題提出者自身が杓子定規・類型的であったなら、サッカー日本代表監督のオシムが言う「日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける」と同じ轍を踏む教育を繰返していることになる。
オシムの言う指導する者から指導される者に伝わる能力の原理から判断すると、生徒たちの「知識の活用」(応用力))不足は教師や大人たちの「知識の活用」(応用力)不足を受けた、その反映としてある欠陥ということになる。)
――以上。
政権交代は政権党の失政を契機とする
福田首相との党首会談での連立政権協議の責任を取るとして民主党代表の小沢一郎が党に辞職願を提出、その直後辞意表明記者会見を開いたが、党執行部の慰留を受け辞意を撤回、両院議員総会で続投を表明するに至った。
代表は小沢一郎でなければならないとする最大の理由として「民主党をここまで育てたのは小沢氏のリーダーシップによるものだ」とか、7月の参院選での民主党の大勝の第一番の功労者は小沢代表だと挙げていたが、リーダーシップはともかく、「第一番の功労者」ということではそうだと言えるのだろうか。
参院選民主党大勝利=参院選自民党大敗北は主として参院選当時の首相である安倍晋三の美しくも無能な内閣管理能力と国民が何を期待しているのか、その空気が読めない政策優先順位決定の無能力が決定的に原因したもので、そのような無能力を演出した安倍前首相を第一番の功労者に挙げるべきではないだろうか。
第2番の功労者に推薦しなけれならないのは年金記録漏れ問題や保険料着服問題を引き起こした社保庁の杜撰体質・無責任体質だろう。社保庁は安倍前首相に劣らずに参院選民主党大勝利=参院選自民党大敗北に最大限貢献した。
第3番は小泉元首相の負の遺産である社会の各格差。もう黙っていられないという国民を多く輩出したはずである。
第4番の功労者は安倍晋三の美しくも無能な内閣管理能力と深く関わるが、「政治とカネ」の問題を引き起こした自殺松岡、「女は産む機械」発言の久間、同じく「政治とカネ」の赤城徳彦等々の美しいばかりの閣僚失格者や、郵政民営化で造反して党を追われることとなったにも関わらず古巣に未練がましく執着して復党した節度なき女々しい面々であろう。彼らは自民党の足を引っ張ったというだけではなく、一生懸命に団扇を扇いで民主党に勝利の風を送った。参院選で当選した民主党議員は安倍、松岡、久間、赤城、さらに郵政復党組の家の方向に足を向けて寝ることはできまい。
上記問題が複合的に重なって、安倍内閣と自民党に対する国民の信頼を完璧に打ち砕いてしまった。
この次に小沢一郎の功労を勝利の要因として挙げるべきではないだろうか。確かに小沢一郎ならやってくれるに違いないという期待感を参院選で民主党に1票を投じた有権者に抱かせただろうが、多くの国民を失望させ、その失望が怒りにまで高めた者もいたに違いない安倍前首相の政治性と閣僚を含めた自民党の面々の美しい功労の反対給付としてあった期待であることは否めまい。
だからと言って、小沢一郎の功労を過小評価するつもりはない。政権交代の多くは政権党の失政を受けて対立党にお鉢が回るメカニズムを取るからだ。それなりのリーダーシップを発揮して、民主党を纏めてきてもいる。
政権交代が失政を契機とするなら、政権のお鉢を取られたくなければ、心して政治を行い、国民を失望させたり怒らせたりする失政を犯さないことが政権維持の絶対条件となる。絶対条件としたとき、政治に切磋琢磨が生じる。
だが、日本はこれまでそういったメカニズムを取らなかった。失政を行っても、自民党は失政とは別の党分裂といった内部的混乱で一時的に野党に下る狂いを生じせしめたが、戦後ほぼ一貫して政権を我が物としてきた。
いわば「失政しないこと」、「心して政治を行うこと」が日本の政治の政権維持の絶対条件となっていなかった。そのことによって手に入れることとなった、切磋琢磨とは正反対の我が物顔が救いようがないまでに重症状態のまま放置されている政治の無駄・官僚行為の無駄(社保庁の問題もその一つである)を生んでいる最大の原因であろう。
戦後60年以上を経過して、やっと2大政党時代が見えてきて、政権党の失政が政権交代を用意するメカニズムが有効に機能する世界標準の普通の国に近づいてきた。民主党の政権担当能力云々が言われているが、それ以上に国民の政権交代を当たり前とする意識の育みが必要であろう。自民党が失政を犯しても、驕り高ぶっても、政権交代を当たり前とする意識を働かすことができず、結果として自民党の失政・驕りの延命に手を貸してきた。
何事も実戦によって能力をつけていく。現在の民主党に限らず、自民党の対立野党に政権担当という実戦の機会を与えてこなかった国民の責任は重い。
既に書いたことだが、政権交代には政権を担当するそれぞれの政党の利害代弁の立場が異なることももう一つの条件としなければならない。利害代弁の立場が同じであっては、馴れ合いの政権交代となる。
小沢一郎民主党代表が福田首相との10月30日・11月2日(07年)の2回の党首会談で取り決めた大連立構想を党に持ち帰って協議、執行部の反対にあい、政治的混乱が生じたとして代表辞任を決意、辞職願提出後記者会見を開いて、その意向を各報道機関に伝えた。
大連立を持ちかけたのが自民党側であるなら、民主党側に賛成する者と反対する者が現れて民主党は分裂するのではないかと、その期待感があっての提案ではなかったろうか。
前原前民主党代表は安保政策では自民党に近いと言われているが、同時に反小沢の立場に立つ。民主党全体の行動ではなく、小沢一郎が単独で仲間と共に自民党と組んだら、あとからのこのこと付いていくことはできないだろう。党で連立を決めたとしても、旧社会党系から離脱が予想される。
自民党の第1番の連立目的は「新テロ特措法案」成立の阻害要因を取り除くことにあったに違いないが(福田首相「すべては新法をどうするかということを基点とした上での党首会談だった」/11.6「朝日」朝刊≪小沢氏「連立」首相は「新法」≫)、自衛隊の海外協力はあくまでも現在は自民党政府の経営下にある国の立場としての問題であって、海外協力に賛成する国民はいても、国民の生活上の直接的な利害とは別立ての問題である。
とすると、「新テロ特措法案」を成立させるための大連立は自民党政府経営下の国の利害に必要事項ではあっても、国民の生活上の利害にとっても必要事項なのかということが問題となる。必要事項なら、国民は反対しないだろうし、小沢一郎が大連立を受け入れたとしても、間違っているとは言えない。
断るまでもなく、各政党はそれぞれの階層の利害を代弁する。どのような立場に立っているか、政治は立場だとも言える。一つの政党がすべての階層のすべての利害を代弁することは不可能である。一つの階層でもそれを構成する各集団、あるいは各個人、さらに地域の違いによって利害は微妙に異なり、それらが複雑に絡み合い、完全には一致を見ることはないからだ。自民党という一つの政党の政策でありながら、「ふるさと納税」を一つ取っても、各地方自治体の状況に応じて賛否の態度が異なることから、すべての利害を等しく代弁することは不可能であることを示している。
一致を見ることがなく、また等しく代弁できない利害に折り合いをつけるために賛成多数決という民主主義が考え出された。そこに否応もなしに格差や矛盾が生じる。政治の役目はその格差・矛盾を最小限に抑える努力を改革という名で行うことだろう。
以上のことを踏まえて、小沢代表が辞任記者会見で「国民の生活が第一の政策を実行する」という名目で国民の生活上の利害を大連立の必要事項の一つに加えていることを考えてみる。
<代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して「国民の生活が第一の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。
国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。>(2007年11月04日18時48分/ asahi.com≪小沢氏「混乱にけじめ」 「報道に憤り」とも≫)から一部引用。
元々自民党は国家優先の立場から、大企業の利害を優先的に代弁してきた。小泉・安倍内閣が競争原理の名のもと特にその代弁を強力に推し進めた結果、その負の遺産として大企業と中小企業との格差、高所得者と中低所得者との生活格差、都市と地方の格差を拡大の方向に舵を切ってしまった。
そのような大企業利害代弁の政党に「国民の生活第一」の利害を潜り込ませて、その利害を有効に代弁し切れるのだろうか。すべての利害を等しく代弁できないという人間の限界と照らし合わせると、どっちつかずになるか、埋没してしまうか、そのどちらかの運命を辿るように思える。
そうなった場合「国民の生活第一」を民主党は裏切ることになる。
自民党の現在のC型肝炎問題や年金記録漏れ問題で見せている「国民の目線に沿った政権運営」(民主党の「国民の生活第一」)は参院選与野党逆転が次の衆院選へと波及することを恐れる防御手段であって、元々のDNAはあくまで国家優先・大企業優先であることに変わりはない。
「国民の目線」が元々のDNAであったなら、C型肝炎問題も社保庁の杜撰な年金記録も生じなかっただろう。「国民の目線」を欠いていたからこその諸問題なのである。
小泉も安倍も国家優先・大企業優先のDNAを色濃く受け継いでいたからこそ、強い者有利の競争原理一辺倒を政策とし得たのであり、そのマイナス面として格差社会が生じても最初は鈍感でいれた。日本国家の経済を成り立足せることだけを考えて、その代償として中小企業や地方が疲弊していくことを放置した。生活弱者を平気で切り捨てた。
それもこれも一つの政党がすべての階層のすべての利害を等しく代弁できないからに他ならない。経済が右肩上がりに成長を続けた時代は、大企業優先でも、大企業の利益のおこぼれが先細りしていく形であっても下位階層にまで満遍なく届いていったことと、それがおこぼれであっても戦後の貧しい時代の生活の規模と比較した場合、桁違いにそれを補っていたこと、それでも格差は厳として存在していたのだが、おこぼれが国の経済の成長と連動して少しずつ右肩上がりに増えていったことが格差を見えにくくしていたために、大企業の利害代弁の自民党が同時に国民の利害をも代弁しているように錯覚させて国民の支持を集めることができていた。
しかし失われた10年以降、中国特需やアメリカの好景気を受けて国の経済が回復し、大企業が利益を上げるに至っていながら、大企業一人勝ち状態でおこぼれが下位階層にまで届かず、当然のこと、経済の回復に連動して豊かになっていくのではなく、逆に実質賃金の目減りといった形で次第に貧しくなっていく二重の逆行状態に曝されたことから、自民党が大企業の利害を代弁こそすれ、国民の利害を代弁する党ではないことに多くの国民がやっと気づいた。
その象徴的な出来事が最低賃金政策に現れている。自民党は民主党の最低賃金時給一律1000円まで引き上げの主張に労働コスト増で国の競争力を失わせると否定的考えを示し、≪07年度の最低賃金の引き上げ額を労使代表者らが議論する厚生労働省の中央最低賃金審議会の小委員会は8日、全国平均で自給14円に引き上げ(現行時給平均673円)を目安にすることを決めた。>(07.8.8『朝日』夕刊≪最低賃金平均14円上げ 10年ぶり高水準≫が、最低賃金時給を1000円に引き上げた場合、国内総生産(GDP)が1・3兆円増加するという労働運動総合研究所の試算がありながら、平均14円引き上げの6~700円台にとどめるのは国際競争力を優先させたい企業の利害を代弁した決定であり、逆に国民の利害を代弁していないことの証明であろう。
<最低賃金を全国一律で時給1000円に引き上げたら、消費の活性化などで国内総生産(GDP)が0・27%、約1・3兆円増加するとの試算を民間シンクタンクの労働運動総合研究所(労働総研)がまとめた。
試算によると、時給1000円未満で働く労働者683万人の賃金を一律で1000円に引き上げた場合、企業が負担する賃金の支払額は2兆1857億円増える。だが、所得が増える分、家計の消費支出も1兆3234億円増えるため、企業の生産拡大などでGDPを1兆3517億円押し上げる経済波及効果があるとした。
一方、年収1500万~2千万の高所得者の賃金を同じ支払い総額分上げた場合、消費支出は7545億円増にとどまる。労働総研代表理事牧野富夫・日本大学経済学部長は「低所得者の賃上げの方が景気刺激策としては有効」と話す。
消費の内訳を見ると、低所得者層では食料品や繊維製品な中小・零細企業が多い産業分野にまわる傾向が強く、最低賃金上げの恩恵は中小企業の方が大きい。>
にも関わらず、安倍前首相も含めた自民党が「最低賃金の大幅引き上げは中小企業の労働コストを押し上げて経済を圧迫し、かえって雇用機会を失わせる」と一律1000円引き上げに反対してきたのは最低賃金で国民の利害代弁を優先させた場合、期間工や請負社員の給与といった他の賃金体系に波及して最終的に企業の人件費を圧迫することを恐れることからの大企業の利害代弁から抜け出れない大幅引き上げ反対であり、賃金格差の維持であろう。
大連立で大企業の利害も国民の利害も代弁するといった欲張った芸当はできようはずがない。できたなら格差社会など出現しなかったろう。少なくとも自民党は自らの体質としている国家優先・大企業の利害代弁のDNAを払拭することは不可能だろう。
政権交代する二大政党が並立する政治状況が実現したとき、自民党が例え大企業の利害を代弁しても、それが行き過ぎて現在のように国民の生活を犠牲とするようになったとき、「国民の生活第一」の民主党に国民の利害を代弁する政権を担当させて、一方に傾きすぎた振り子を元に戻す。「国民の生活第一」の民主党の国民の利害代弁の政治が行過ぎて振り子が国民の利害のみに傾き、国の経済の競争力を失う恐れが出てきたなら、自民党に政権を託して、振り子を正常に戻す。こういったバランスが各種格差と矛盾を最小限に防ぐ最良の手段ではないだろうか。
勿論、政権交代は上記効用だけではない。国会議員・官僚に国の経営に真剣な態度を取らすよう仕向ける効果も政権交代には期待できるはずである。「長期政権は腐敗する」という警句の逆の選択になるのだから。
当ブログ記事≪ミャンマー/独裁権力維持のための独裁≫(07.9.30/日曜日)と≪対ミャンマー政策/無力な国際社会≫(07.10.12/金曜日)で、「人権に国境を設けてはならない」と主張してきたが、この主張を改めて手直してみた。より説得力ある主張となり得たかどうかは疑問だが、独裁体制に対する経済制裁がすべての国の共通事項となり得ていないために効果ある手段となっていない以上、独裁権力の人権抑圧に対する外国からの批判を「内政干渉」を口実に無視して自らを正当化している、その「内政干渉」口実を打ち砕く世界共通の認識とし得るような主張を国際的に発言力ある識者が構築・発信して、人権を抑圧する独裁権力に少しでも圧力を加える必要性は変わらないと思う。
北朝鮮問題でも、北朝鮮に核開発を真に断念させ、北朝鮮国民を人権抑圧から解放するためにはキム・ジョンイルを抹殺する以外にない、キム・ジョンイルが退陣するまで待っていたのでは遅すぎるといった有力者の口を通した過激な発言がキム・ジョンイルに対する何らかの圧力となると思うのだが、私個人の思い込みに過ぎないのか、誰も発信しない。
「思想・信教の自由、言論の自由、移動の自由等の基本的人権は人間を真に人間らしく生かす基本中の基本的な活動原理としてあるものだから、すべての国のすべての国民が等しく享受しなければならない国家主権を超えた権利であって、国家体制によって制限や違いを設けてはならない。
国家主権を超えるゆえに、基本的人権に国境は存在せず、それぞれの国家の内政問題から切り離され、《内政不干渉の原則》に抵触しない。
いわば、基本的人権はそれぞれの国家によって恣意的に扱われてなならない。如何なる場合も国家権力の犠牲となってはならない。」
最近食品会社の賞味期限切れの製品の再加工や賞味期限期日の改竄が内部告発等で露見する事態が跡を絶たないが、私自身は賞味期限にあまり拘らない。万が一の変質や腐敗に備えて短めに設定してあるだろうという思いもあるが、基本的には値段が安くさえあればいいと思っている。それが賞味期限切れの新鮮さを失った食品材料使用の再加工品であっても、その分本来の製品よりも値段が安く設定してあり、その理由を表示してあったなら、何ら構わない。欲しいと思ったなら、懐具合に応じて買う。魚にしても肉にしても、何でも新鮮でなければならないと拘ることはないし、国産だろうと外国産だろうと安いが基準となる。
伊勢神宮の参詣人を当て込んで商売を発足させ、発展の恩恵に浴して和菓子屋「赤福」は創業300年の歴史を、「赤福」と類似品の和菓子を扱う「御福」は創業200年以上の歴史を積み重ねることができた。その足跡に反した前日に売れ残った商品を再加工して販売する「巻き直し」や製造日を先延ばしして表示する「先付け」等を手口とした食品偽装のゴマカシと内宮(ないくう)は天照大神、外宮(げくう)は豊受大神を祭神として祀る伊勢神宮が少なくとも発現している厳粛さ・神聖さとの乖離はどう説明したらいいのだろうか。
この構図は安倍晋三が政策として掲げた「美しい国、日本」のイメージと矛盾と汚濁に満ちた現実社会との乖離に相通じる絵柄と言える。
内宮の門前町「おはらい町」の中程に「おかげ横丁」という町並みがあるそうだが、Wikipediaによると、<「赤福」が『約300年間変わらず商いを続けてこられたのも、お伊勢さんのおかげ』と感謝を込めて立ち上げた>から「おかげ横丁」と名づけた<現代の鳥居前町>だということだが、この「おかげ」という感謝の気持をも裏切る食品偽装というパラドックスも、どう説明すべきなのだろうか。
また「赤福」という店の名前にしても<「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来する。これは、まごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味>だとWikipediaは解説しているが、「まごころ(赤心)をつくすこと」と食品偽装とどう関連するのか、食品偽装が「素直に他人の幸せを喜ぶ」行為とどう適合するのか、簡単には答を見つけることはできない。
伊勢神宮は近世以降、一般庶民の熱心な信仰対象となったという。「お蔭参り」という集団参拝も行われたと『日本史広辞典』(山川出版社)に出ている、
<近世の伊勢神宮への民衆の集団参拝のこと。1650年(慶安3)・1705年(宝永2)・71年(明和8)・1830年(天保元)の4回の流行があり、その年には通常70万人程度だった参宮者が、多いときには500万人にもなった。お蔭年に伊勢神宮の大麻札が天から降るとされ、約60年周期で主として都市や近郊農村を中心に流行した。奉公人や農民が着の身着のままで銭ももたずにでかけ、沿道の住民の喜捨や富豪の施行を頼りに参宮することも多かった。やがてお蔭踊などの熱狂的な踊りを伴うようになった。1867年(慶応3)の5回目の流行は、世直し要求の表現としておこり、町や村を「ええじゃないか」と歌い踊って歩いた。>
「お蔭年」「伊勢神宮の遷宮のあった翌年。この年には特に神徳に浴することができるとされた」(『大辞林』三省堂)
大麻札「たいまふだ・伊勢神宮が年末に授与する神札。本来は祓えの具であったが、罪や穢れを祓い加護を得るものと観念されて神符とみられるようになった」(同『日本史広辞典』から)
【ええじゃないか】「1867年(慶応3)8月から翌年4月にかけて、江戸以西の東海道・中山道沿いの宿場や村々、中国・四国地方に広まった民衆運動。関西以降の囃し言葉から「ええじゃないか」と総称するが、地域により御影祭・ヤッチョロ祭・御札祭などさまざまな呼称がある。東海道吉田宿近郊農村の御鍬祭百年祭を発端とする。各地の事例に共通な点は、天からお札が降ったとして、お札を祭壇に祭り、参詣に来た人に酒食を振る舞うこと。高揚した人が女装・男装して踊りながら練り歩くことである。富家に踊りこんで酒食を要求したり、村や町単位で臨時の祭礼に発展する地域も多かったが、領主の取締まりの強化によって鎮静化した。長州戦争による夫役(ぶやく)徴発や、物価の高等に苦しんできた民衆の世直し願望が表出した民衆運動であった。」(『日本史広辞典』)
世直しための直接的な要求を掲げた運動ではなく、「世直し願望」欲求が間接的な発散の形を取った「ええじゃないか」にということらしい。それだけ幕府権力の民衆に対する締め付けが強く、それに民衆側も慣らされていたのだろう。
天皇家のみならず、歴代首相らが年初に参拝している伊勢神宮である。社会党の村山首相も参拝している。「赤福」は1707年(宝永4年)の創業だというから、3回目と4回目と5回目の1871年(明和8)と1830年(天保元)、さらに1867年(慶応3)の3回の流行に遭遇している。利益獲得の恩恵を受けたのか、それとも「着の身着のまま」の参詣者が多く、逆にお恵みを要求されて、儲けにならなかったのか。
だとしても、全国に名を知られる宣伝にはなったに違いない。
「赤福」も「御福」も、その食品偽装は江戸時代から続く自らの歴史・自らの歴史的連面性に対する背信でもあろう。だが、民衆の「ええじゃないか」の世直し願望にしても、女装・男装して踊りながら練り歩いたり、富家に踊りこんで酒食を要求したりといった単に自己の欲求不満を発散させるだけの自己利害行動であったように、日本の宗教信仰が一般的に自分の身体的・経済的幸福を願うだけの御利益信仰、自己利害優先を主内容としていることを考えると、「御福」・「赤福」にしても伊勢神宮をバックグランドとしていたとしても、食品偽装の儲け主義一辺倒の自己利害はどっちもどっちと言えるかもしれない。
また、政治家・官僚にしても年頭に伊勢神宮を参詣するといっても、その敬虔さがその年1年も続くわけではなく、伊勢神宮から受けるであろう厳粛さ・神聖さを些かも体現せずに国民向けの言葉と実際行動を乖離させる自己利害行動優先の臆面もない背信から比べたら、「赤福」・「御福」の伊勢神宮の厳粛さ・神聖さを裏切るだけではなく、自らの歴史をも裏切る食品偽装もたいしたことではなくなる。
いわば、どっちもどっちということにならないだろうか。
売れ残った製品を廃棄処分にするのは利益の点でお忍びないというなら、それが例え再加工しても賞味可能である場合はそのことを断った上でコストと売価が最低限プラスマイナスゼロを目標に100円ショップや老人ホームなどで安価で提供するといったことをなぜ考えつかなかったのだろうか。100円ショップは100円の商品ばかり並べている店ばかりではない。
この世の中には、正規の賞味期限など問題とせずに、もう少し値段が安ければ、買って味わうことができるだろうにと考えている人間はたくさんいるはずである。