「日本未来の党」の「卒原発」に対する集中攻撃を繰返していた橋下徹日本維新の会代表代行が昨日の自身のツイッターで再度日本未来の党の「卒原発」を攻撃した。マスコミが伝えていたから、そのツイッターを覗いてみた。
果たして正当性ある集中攻撃なのだろうか。
橋下徹ツイッター「僕はエネルギー供給体制を転換させたいと思っている。しかしそれをやるには具体的な計画を作って方針を宣言する。10年後に原発〇!と叫ぶのは、10年後に火星に行くぞ!と叫ぶのと同じレベル。具体的な計画を作って、本当に可能となれば、それは立派。その時点で評価すべき。今は叫んでいるだけ」
「日本未来の党」の卒原発の実現性と火星旅行の実現性、いずれの可能性が高いか誰が考えても分かることだが、同レベルに置いて火星の困難性を以って卒原発の困難性をイコールとする詭弁を用いている。
選挙の場合に限らず、如何なる場合に於いても政策の提示は自党の政策の他党の政策に優る優越性を訴える関係で両党間の政策を比較、他党の政策を批判し合うことをルールとすべきだろう。
比較がなければ、優劣の判定はできない。
「日本維新の会」が「日本未来の党」の原発政策を批判する場合、「日本維新の会」の原発政策が「日本未来の党」の原発政策に優る優越性を訴えて、初めて「日本未来の党」の「卒原発」を批判し得るということである。
大体が比較可能な提示がなければ、国民は較べようがない。
政府の政策に対して野党が自分たちに対案がないにも関わらず、政府政策を批判すると、政府から、「対案を出せ」と言われるのは、自党の政策の他党の政策に優る優越性の提示を以って初めて他党の政策を批判する資格を得ることをルールとしていることに基づいているからだろう。
だが、「日本維新の会」のマニフェスト「骨太201~2016」に書いてある脱原発政策を見てみると――
〈4 エネルギー供給体制を賢く強くする
政策のメカニズム、ルールを変える
1.脱原発依存メカニズム(安全規制、使用済燃料の総量規制・乾式中間貯蔵、損害賠償のルール化)。
2.過渡期マネジメント(市場メカニズムによる電力需給調整、廃炉、東京電力の破綻処理)。
3.電力市場出口戦略(発送電分離、競争事情、再生エネルギー、コジェネレーション)。
脱原発依存
結果として、既設の原子炉による 原子力発電は2030年代までにフェードアウトすることになる。〉のみで、具体的な工程表は一切書いていない。
尤もこのことを橋下徹は次のように説明している。
橋下徹「工程表は役人が作る。政治家は方向性を示す。役割分担だ」(MSN産経)
この説明が正当性あるものだとしても、「工程表」がないのにどうして「日本未来の党」の「卒原発」を批判できるのだろうか。橋下徹が「日本未来の党」の「卒原発」を「火星旅行」と同じだと批判するには「日本未来の党」の「卒原発」に優る自党の脱原発政策を提示、その優越性を訴えなければならないはずだが、あるべき正当なルールに則らずに、今後「工程表は役人が作る」からと、後出しジャンケンみたいな場外ルールで資格もない批判を繰返している。
橋下徹の集中攻撃は若者受けはするだろうが、自党の政策の他党の政策に優る優越性の提示というルールに則っていない攻撃であって、橋下徹は潔いとは決して言えない。
「日本未来の党」は《「卒原発カリキュラム」骨子》をHPで公表している。
橋下徹がこの骨子を批判するにしても、「日本維新の会」の具体的な工程表の公表を前提としなければならない。
また、橋下徹はツイッターに、「具体的な計画を作って、本当に可能となれば、それは立派。その時点で評価すべき。今は叫んでいるだけ」と書いているが、実現性は「具体的な計画」に見通しとしては見ることができるが、その証明はあくまでも計画の順序に従って順次実現させていく、その時々の結果を踏まえた最終結果である。
このことは他の政策についても言えることで、当然、「叫んでいる」だけなのは橋下徹も同じだということである。
橋下徹が結果責任意識を強く持っていたなら、「工程表は役人が作る」などと言わずに、可能な限りのブレーンを集めて工程表を作成し、先ず工程表で自他いずれかの優越性を争い、後は結果を御覧じろと結果責任に向けた戦いに備えるはずだ。
国政の場に臨もうとする政治家は全て、このような強い意識を持たなければならない。