米国家情報長官室の分析機関、国家情報評議会が12月10日、2030年までの世界情勢を予測する報告書を公表したという記事。《2030年「覇権国なき世界」=日本核武装のシナリオも-米報告書》(時事ドットコム/2012/12/11-09:20)
報告書は2020年代に中国が米国をしのぐ世界最大の経済大国になる可能性が高いと指摘。但し、「2030年までは米中両国や他の大国を含め、いかなる国も覇権国家たり得ない」と予測。
〈中国など新興国の台頭により、米国が支配的影響力を持つ「パックス・アメリカーナ(米国による平和)」の時代は急速に終焉(しゅうえん)に向かうと予想。一方で、米国は「2030年時点でも『同等の国の中のリーダー』であり続ける」とし、米国に代わるグローバルパワーの出現と新たな国際秩序の形成はまずないとの認識を示し〉ているという。
報告書は日本の国力に対するマイナス影響要素として次のように紹介している。
「急速な高齢化と人口の減少が長期的な成長の機会を著しく蝕みつつある」
軍事的情勢として米国が孤立主義に陥り、東アジアでの同盟関係を蔑ろにした場合、「幾つかのアジア諸国」が核兵器追求に走る恐れもあると予想。国家評議会報告書監修者のマシュー・バロウズ氏の発言。
マシュー・バロウズ氏「日本が核武装を決断するシナリオも存在するが、可能性は極めて低い」――
一部政治権力者が如何に核武装衝動に走ろうと、国民が許さないだろう。
「急速な高齢化と人口の減少が長期的な成長の機会を著しく蝕みつつある」社会、成長阻害要因をつくり出した元凶は歴代自民党政権である。なぜなら揃いも揃って少子高齢化対策に無為無策だったからだ。
2005年12月23日の『朝日』朝刊。《人口減 産めぬ現実》
先ず記事は厚労省の推計で2005年に生まれた子供の数が死亡者を1万人下回り、政府推計よりも1年早く人口の自然減が始まったと紹介している。
その主たる要因として、子育てや教育におカネがかかり過ぎる経済的負担、仕事と子育てが時間的に両立困難な事情、育児の過重な心理的・肉体的負担、出産で一旦退職すると、元の職場・元の仕事に戻れず、家計の補助をパートに頼らなければならないといった簡単には出産に踏み切ることのできない現実の壁、出産に対する障害を紹介している。
最後の例として挙げた、積み上げたキャリアからパートへの職業の転向は出産するなら、そのことを覚悟しなけれがならないということであり、そういう覚悟に迫られる女性が多く存在するということなのだろう。
〈内閣府の試算では、大卒の女性が退職せずに60歳まで勤務した場合、出産により一旦退職してパートで再就職した場合、障害年金が2億円以上多くなる(国民生活白書)〉と伝えているが、パート覚悟の出産は2億円をフイにする覚悟をも併せてしなければならないことになる。
女性のキャリア発揮という点でも税収に関係していく国の経済という点でも大いなる損失となるはずだが、損失を簡単に利点に転換することができない程に融通の効かない閉鎖的な日本社会となっている。
記事は、「30年間、政治は無策」との小見出しを付けて、少子高齢化対策に政治が無為無策であったことを伝えている。
記事発信の2005年12月23日は小泉政権下(任期2001年4月26日~2006年9月26日)の1日であり、当然、日本の経済に大きく影響するゆえに少子高齢化対策には真正面から向き合っていたはずだ。
内閣官房長官は2005年10月31日~2006年9月26日まで安倍晋三が務め、総務相は小泉純一郎のブレーン竹中平蔵が務めていた。
12月22日の閣議後の記者会見。
竹中平蔵「日本が人口減少社会になっていくのは実は30年前に分かっていた。残念ながら30年間、我々の社会は有効な手段を準備できなかった」
2005年の30年前とは1975年に当たる。1人の女性が生涯に生む子供の数を近似する指標としての「合計特殊出生率」について「はてなキーワード」が次のように解説している。
〈日本の合計特殊出生率は、1947年~1949年(昭和22年~24年)の第1次ベビーブームの時は4を超えていたが、1950年代前半には急激に下降し、1956年〈昭和31年〉には2.22になり当時の人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率の水準)の2.24とほぼ同じになった。
その後、1966年〈昭和41年〉「ひのえうま」の1.58を除くとほぼ2.1~2で一定の水準を保っていたが、第2次ベビーブームの1971年〈昭和46年〉の2.16を境として長期的な下降傾向に転じた。
1975年〈昭和50年〉には1.91と2を下回り、1989年〈平成元年〉には昭和41年の「ひのえうま」の1.58を下回る1.57となり、少子化が社会問題として国民に広く認識されるようになり「1.57ショック」という言葉が生まれた。
1993年〈平成5年〉には1.5、1997年〈平成9年〉には1.4、2003年〈平成15年〉には1.3を下回った。〉――
要するに合計特殊出生率が2以下の危機的な下落傾向が始まったのは小泉政権下の2005年から遡る「30年前」の1975年からだということである。
なぜ有効な手を打てなかったのか。
竹中平蔵「要因は多岐に亘る。経済、住居、所得の環境、教育のあり方、男女参画のあり方の問題」――
要因が多岐に亘ろうと亘るまいと、要因自体は判明していたのだから、「30年前に分かっていた」問題に30年間、無為無策だったことに変りはない。
12月19日政府・与党連絡会議(官邸)
冬柴公明党幹事長「児童手当の対象者は(公明党が連立を組んだ)」99年は約240万人だったが、今回の制度改正で約1310人まで増えた」
記事は、〈胸を張った。〉と書いている。
単に支給対象を増やしたというだけのことに過ぎないことを記事は解説している。
出生数と合計特出生率を見てみる。
2004年
出生数 111万 合計特殊出生率 1.29
2005年
出生数 106万 合計特殊出生率 1.26
2006年
出生数 109万 合計特出生率 1.32
2007年
出生数 109万 合計特殊出生率 1.34
2008年
出生数 109万 合計特殊出生率 1.37
2009年(平成21年)
出生数 107万 合計特殊出生率1.37
2010年
出生数 107万1304人 合計特殊出生率 1.39
2011年
出生数 105万806人 合計特殊出生率 1.39
2006年から2008年までのほんの少しの増加傾向が2009年、2010年とほぼ横這いで減り、20011年になると、2万人以上の減少となっている。児童手当支給対象者が約240万人から約1310人まで5倍強大幅に増えた事実に比例して出生数、合計特殊出生率が大幅に伸びている事実はどこにもない。
また、2011年の人口自然増減数はマイナス20万2260人で5年連続のマイナス、少子高齢化の拡大を示している。
児童手当支給目的には単に目的額を手渡すだけではなく、幼い子どもを持つ若い女性に時間的、精神的、経済的余裕を与えて新たに子を持つ勇気と機会を与えることに寄与することも含んでいるはずだし、その効果が出たとき、結婚や出産を考えている女性に結婚や出産に対して安心感を与えて立ち向かわせることも目的の一つとしているはずである。
当然、出生数や合計特殊出生率の増加にまで結びついて大きな影響を与えることができなければ、単にカネを配って、その分生活を楽にしたということだけ終わることになる。
だが、冬柴は合理的判断能力に欠け、頭が単純にできているから、単に支給対象者が増えたことを以って成果だとすることができる。
我が安倍晋三官房長官の12月22日の記者会見。
安倍晋三「この政策をやれば確実に少子化に歯止めがかかるという政策はなかなかない」
少子高齢化が多方面に亘って国力にマイナスの影響を与える阻害要因として立ちはだかる危険性を認識して国を預かっているメンバーの主要な一角を占めていたはずである。「なかなかない」などといった悠長な発言は責任放棄に当たる。
幾つかの政策を併せて出生数の増加に持っていき、国力の衰えにブレーキをかける必要があったはずだ。
だが、小泉政権は2002年1月から2007年10月までの戦後最長景気の真っ只中にあり、少子高齢化の影響を甘く見たのではないだろうか。
出生率は一般的には結婚に関係する。中には未婚の母を選択する女性もいるが、その殆どは先に子どもができたとしても、結婚へとゴールする。出産の多くが結婚を必要条件とする以上、低収入やその他の理由で結婚できない男女の存在は出産の障害となるはずである。
生涯未婚率は男性1980年2.60%から2010年20.14%、女性1980年4.45%から2010年10.61%へと推移している。小泉の2001年4月26日から2006年9月26日までの任期期間は生涯未婚率が増加の一途を辿る真只中にあったのである。
もし小泉が少子高齢化の影響を甘く見ていなかったとしたら、富の再分配が滞って個人所得も個人消費も伸びず、大企業一人勝ちの景気となった戦後最長景気の利益構造を是正、富の円滑な再分配ヘと何らかの道をつけたはずだが、上が儲けて収入を増やし、下の収入が変わらないということは所得の格差が拡大することを意味するにも関わらず、2004年、労働者派遣法を改正、製造業への派遣を解禁し、派遣社員の派遣期間を3年から無制限に延長、さらに生活保護費や児童扶養手当を削減する、低所得層を増やすだけの格差拡大に自ら手を貸す「骨太の方針」などと名づけた構造改革は試みもしなかったはずだ。
いわば格差拡大も出生率の増加を阻む要因となっているにも関わらず、逆に格差拡大策を以てして、出生率の抑制に貢献した。
小泉政権後半の僅かな出生数の増加は格差拡大でより豊かになった上層にのみ関係した数値ではないかと疑っている。
結婚できても、子どもを安心して生むことができない、余裕がないから子どもを産まなくても、結婚だけはしたいと思っても、結婚生活を満足に送ることができるだけの収入獲得に自信のない若者層が増加していることは非婚率の上昇推移が証明している。
こういった社会状況に歴代自民党政権は手をこまねき、少子化問題・高齢化問題に無為無策を続けてきた。
安倍晋三はその無為無策に加担してきたのである。
無為無策だったからこそ、2012年総選挙のマニフェストに、「少子化」の文字も「高齢化」の文字もなく、単に「やさしい日本をつくろう」と書いて、その一つとして、「子供を産み育てやすい国」と具体像の提示も何もなく、抽象的に述べるにとどめる、これまでの無為無策に相応しい片付け方をしているのだろう。
戦後一貫して少子高齢化政策に無為無策だった自民党政権が例え政権に復帰したとしても、無為無策から抜け出ることができるとは到底思えない。
例え安倍政権下で中国やアメリカの景気回復にあやかって日本もそのおこぼれに与って景気回復を成し遂げたとしても、少子高齢化がゆくゆくは「長期的な成長の機会を著しく蝕」んでいく阻害要因となって立ちはだからないだろうか。
安倍晋三が首相では国民は2009年8月30日の民主党相手の過ちを自民党相手に再び犯すことになりかねない。