日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

地方で商売をすると言うコト1

2009-04-13 12:46:04 | ビジネス
先日エントリをした「ディナーメニューか?マックの100円キャッシュバック」に、コメントを下さったエカワさん、ありがとうございました。

おそらく1年ほど前、コメントを下さった和歌山のエカワ珈琲店の管理人さんだと記憶している。
そして今回頂いたコメントを拝読しながら、改めて「地方で商売をするコト」を考えてみた。
と言うのも、今現在日本を元気にする素は地方にあるのでは?と、考えるからだ。

拙ブログに来てくださる方は、私の実家が鳥取県米子市であると言うことは、ご存知だと思う。
そして、お盆や法事などで実家に帰る度に感じることが「元気のなさ」だ。
それも実家に帰る度に、「(急速に)元気がなくなってきている」と感じるのだ。
かつて、米子と言う町は「山陰の商都」と言われていた。
市内には、皆生温泉(かいけおんせん)などがあり、賑わっていた時代もあったのだ。
それが今では、駅前商店街などは閑古鳥すら鳴かない状態となってしまった。
地元の商工会などが、何とかしようと策を練っているようなのだが、なかなか結果が出せない状態のようだ。

ところが、米子市に隣接する境港市や大山町などは、観光客などの誘致に成功している。
それは農業・水産業と言った昔からの産業を、業態変化させる事で観光誘致をしているのだ。
確かに米子市にはある観光施設というのは皆生温泉ぐらいで、昨今の「温泉ブーム」にも関わらず、今や皆生温泉に来る人も激減している。

では、何故米子市周辺の市町村が元気になり、米子市が沈滞してしまったのだろうか?
一つは政府が地域活性策として打ち出した、「地域ブランド」政策が効を奏し始めたと言うこともあるだろう。 
実際、大山町などはインターネットなどを始めとした、「情報発信」にとても熱心だ。
そこで発せられる情報は、地元の自然と現地の農・水産業と連動させ、個々の生産者が連携している。
境港市などは、漫画家・水木しげるさんの出身地と言うコトで「鬼太郎」と、水産業が盛んというコトを活用し、「産直お買い物市場+グルメ」をキーワードに展開している。
もう一つは、米子経由で各地に行くと言うかつての交通システムから、高速道路などの整備により、直接目的地へ行けるようになった、と言うのも大きな理由だろう。
とすれば、米子市はそのまま衰退の一途を待つだけなのだろうか?と言うコトになる。

(長くなるので、2につづく)

地方で商売をすると言うコト2

2009-04-13 12:23:00 | ビジネス
(1からのつづき)

しかし視点を変えれば、「かつて商都」だった頃に培ったはずの「ビジネスセンス」と言うモノがるのではないか?
商売の基本の一つが「情報発信」である。
例えば、最近話題になっている「トトリコ豚」や大山町の社団法人「大山恵みの里」などの農作物(個人的には、日南町のお米などは、有名ブランド米に負けず劣らずおいしいと思うのだが・・・)など、周辺地域だけではなく、山陰地方全体の特産品を使った食材の販売や飲食店などの展開を閑古鳥すら鳴いていない駅前商店街で展開するなどの「モノのある(体験できる)情報発信」と言う方法があるのではないだろうか?

エカワ珈琲店さんとは、話がズレてしまったがエカワ珈琲店さんのように「フェアートレード」などにも積極的で、「自分たちの考え」がシッカリ発信されていれば、大きなビジネスにならなくとも、息の長い、好・不況とは関係のない魅力的なビジネスができるのではないだろうか?
もちろん情報を発信するだけではなく、周囲のお店とジョイント企画と言う方法もあるだろう。
選び抜かれたおいしい珈琲と地元の新鮮で安全、何よりも旬のおいしい食材をつかったお菓子や料理を互いに提供しあい、地域全体で「コノお店で、珈琲をテイクアウトしたら、コチラのお店で、お菓子をテイクアウト。お天気の良い日には近くの公園でお茶」と言う提案だってあるはずだ。
(エカワ珈琲店さんは、官庁街に近いのでお弁当と珈琲をテイクアウトして・・・と言うことになるかも知れないが)
場合によっては、このようなセットを駅で販売(珈琲はポットに入れて、その場でテイクアウト)すると言う方法もあるかも知れない。

「情報発信」となると、どうしても大都市に集中しやすくなってしまう。
そのため、「金・モノ・人」が集中することになる・・・と言う現実がある。
しかし、現在ではインターネットなどの登場で、地方が「金・モノ・人」が少なくても「情報発信」だけはしやすくなった。
その次のステップとして「人を如何に呼び寄せるのか?」と言うコトになるだろう。
とすれば「その場・その土地に行かなくては体験できない(または、食べられない)」と言うコトになるのではないだろうか?
そのためには「ミニ東京化」するのではなく、もっと地域の資産に目を向ける必要があると考えるのだ。