日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「世襲」の背景にあるモノ

2009-04-18 19:51:13 | 徒然
今週話題になったコトの一つに、「世襲議員の出馬禁止(と言うのだろうか?)」があった。
この「世襲議員」に対しては、様々な意見がある。
その多くは、もちろん反対と言う意見だ。
だが、実際は多くなることはあれど、減る事はまず無い。
それは何故なのだろう?

一つは、親である議員の希望と言うコトもあるだろう。
本人の意思もあると思う。
だが、見過ごしてはならないのは、地元支援団体も世襲議員を望んでいると言うこともあるのではないだろうか?
分りやすい例でいうなら、議員在職中に親である議員が亡くなり、その「地盤・看板・カバン」を引き継ぐ形で、家族や親類縁者となる人が立候補する事だ。
そして、他の候補者を大量得票で破ることが多い。
昨今の無党派層の台頭などと言われても、このようなカタチで議員になる人は多い。
その場合、その人に議員の資質などと言うことは問われる事は無い。
まして、公約や政治理念などあるはずも無い。
なぜなら、そんな公約や政治理念よりも、議員の家族・親類縁者であるということのほうが、重要なのだ。
その理由は、やはりそこに集まっている人たちに対して、何らかの「利」があるからだろう。
実際の「利」が無くても、期待があるのではないだろうか?

もう一つは、「親の仕事を子供が継ぐ」と言うコトが、ある種の理想として考えられてきたからではないだろうか?
実際、歌舞伎や能・狂言などの伝統芸能の世界では「世襲」は当たり前だし、むしろ親の名前を継ぐために、日々努力をしその演技に磨きをかける。
現在危機に瀕している農業だけではなく、職人の世界なども、後継者と言う「世襲」相手がいないことが、問題になっている。

そうやって考えれば、今のようなサラリーマンがほとんどの社会以前は、「親の仕事を子供が継ぐ」と言う「世襲」が、当たり前だったのだ。
それが今でも残っているのは、「利(と権威や伝統)」がある職業だけになってしまった、と言うことなのではないだろうか?

サラリーマンが社会の主流となった今、「世襲」と言うコトそのものを文化として残しておくべきモノと、なくしていくモノに分ける必要があるだろう。
文化として残しておくにしても、広く門戸を開け多くの人にチャレンジする機会を与える事が、それらの伝統文化(芸能)をより魅力的なモノへと変化をさせるだろう。
何より「利(と権利・権威)」ばかりが目に付くような「世襲」は、今の時代にはそぐわない。
そのことに気が付いているからこそ「世襲議員」は、無くならないのではないだろうか?
なぜなら、一度「利(と権利・権威)」を手放したら、再び得ることが難しいからだ。