日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

被災地元気プロジェクトを立ち上げよう

2011-04-09 14:24:27 | ビジネス
「東日本大震災」が起きてから4週間が過ぎた。
震災発生当時、雪が降っていた被災地でも桜の便りが聞かれるようになってきた。
時が動き、季節がかわりはじめているのだ。
そして、被災地でも「復興に向けた動き」が出始めている。
例えば、岩手などの酒造会社さんたちは「岩手のお酒を飲んで、花見をして」と訴えかけている。

「どうしたら?」と考えていたら、偶然テレビで「サムライ日本プロジェクト」というプロジェクトを見た。
すっかり忘れていたのだが、拙ブログでも数年前に紹介したことがある、三河(岡崎や豊橋など)を中心に、地元の伝統品や特産物などを統一ブランドとして販売するプロジェクト。
徳川家康は現在の岡崎市出身ということもあり、戦国武将と三河地域は縁が深い。
今では、広島の安芸や静岡の駿河など各地で同様の動きが始まっているようだ。

テレビを見ながら「だったら、宮城の伊達、岩手の会津・・・」と言う地域の伝統品や特産物を一つの統一ブランドとして、展開するコトができるのでは?と、思ったのだ。
特に宮城(というか仙台)の場合、「名古屋おもてなし武将隊」に影響(?)されて、「奥州仙台おもてなし集団・伊達武将隊」が結成され、仙台のまちのPRに一役かっていた。

何も、武将隊やサムライブランドを立ち上げる必要は無いのだが、全国的にも認知度が高い+伝統文化というモノを加味した統一ブランドを作ることで、「Buy東北」から「Buy宮城」とか「Buy岩手」、「Buy福島」と発展するキッカケを作りやすいのでは?

プロジェクトに参加する企業も、業種を事細かく決める必要は無いと思う。
事実、「サムライ日本プロジェクト」の三河サムライでは、伝統工芸品の岡崎の花火もあれば、三河特産のうなぎ、和ろうそく、飼料にこだわった鶏卵など、実に様々な企業が参加している。
逆に、まちの様々な企業が集まることで、イロイロなコラボレーションが生まれ、新製品も生まれている。
そんな拡がり方もあるのだ。

個々は小さな企業であっても、統一したブランドを作り出すコトで、大きな力を生みだすこともできるだろう。
そこから、被災地の復興がしやすくなるのでは?と、考えるのだ。

2つの25%

2011-04-08 12:26:01 | アラカルト
今日の新聞各紙のWEBサイトを見ていると、共通する数字が登場している。
「25%」という数字だ。
一つは、今年の夏の節電目標。
もう一つは、地球温暖化対策のための目標となった数値。

今年の夏は企業・一般家庭で25%程度の節電をお願いしなくては、大停電の可能性があるという試算の数字。
その理由は、ご存知の通りだ。

一方の25%の数値は、達成が難しいというコトのようだ。
その理由は、福島第一原子力発電所の復旧の見通しが立たないため、その分の電力供給のために、火力発電をフル稼働させるためのようだ。

この2つの25%という数字は、一見相反する理由のように感じるのだが、その実要因となるのは同じなのではないだろうか?
それは「今よりも、エネルギーを使わない生活をする」ということ。
エネルギーを使うにしても、「これまでとは違う使い方をする」ということのように思っている。
「低炭素エネルギー生活」=「節電生活」だと考えれば、「25%」という違う意味の数字は、同じ目的の数字となるのでは?

そして、この際真剣に「エネルギーシフト」というコトを考えてみる必要があるのでは。
自然エネルギーの問題は、年間を通して安定供給ができない、という点がある。
天候に左右されたり、夜間の発電ができないという点だ。
もう一つは、蓄電という問題がある。
電力は貯めておくコトができない。
発電したらその分だけ使うことが、一番効率がよく無駄がない。
だからこそ、電力需要の高い生活を維持するためには、火力発電所をフル稼働させなくてはならないということになる。
ならば、「蓄電システム」というモノを個人だけではなく企業や地域全体でできないか、考える機会にしてみてはどうだろう。
地域といっても、町とか地区といった小さな単位で考えれば、大掛かりな発電システムを必要としないかもしれない。
素人考えなので、現実的な話では無いと思うのだが、もし実現できるのであれば、被災地を対象にして「未来型まちづくり」の基本モデルとすれば、かつてのまちを復興させるだけではない、世界が注目するようなモデル都市となるのでは無いだろうか?

とは言うものの、復興までにはまだまだ時間がかかる。
そのための「蓄電システム」も実現化するまでには、もうしばらく時間が必要だろう。
とすれば、やはり今年の夏は、「エネルギーの使い方」を考え直すしかないだろう。
「生活の快適さ」の基準と「生活の楽しみ方」の発想の転換が、求められる夏になりそうだ。

批判よりまず行動

2011-04-07 20:46:19 | 徒然
明日で、「東日本大震災」発生から4週間となる。
この間、日本という国は、海外から様々な評価を受けた。
世界の人たちが何より驚いたのは、甚大な震災に対する被災者の謙虚過ぎるほどの姿だ。
礼儀正しく、秩序だって周囲を思いやる姿は、「日本」という国の底力のようなモノを見せつけたような気がする。
それは、現在世界中から注目されている東京電力・福島第一原子力発電所で、作業をしつづけている人たちの高い使命感と献身さ、粉骨砕身の活躍も同じだろう。

一方、東京電力の福島第一原子力発電所の被災は、今や「人災」の様相を呈してきている。
その背景の一つは、刻々と変わる状況に対してその対応の遅さや、説明不足などがある。
東京電力だけの問題というよりも、安全保安院の記者会見などもあるだろう。
もちろん、政府の説明も分り難い部分がある。
そのようなことを含めて、野党が批判を始めているようだ。
だが、そんなコトを言う暇があったら、与野党一緒になって問題解決をするような動きをして欲しいと思うのは、私だけでは無いと思う。

特に、日本の原子力発電を推進してきた自民党は、批判するより先に「私たちが与党だった時代にもっと考える必要があった」と、一言謝るくらいのコトがあっても良いのでは?
そんなコトを棚に上げて、現在の状況についてアレコレ言うコト自体、「何だかな・・・???」と思ってしまうのだ。

もう一つは、昨夜発表された「復興庁(?)」の構成メンバーに、政治家を入れろという話があるようだが、政治家が入ると「ひも付き」となってしまう可能性がある。
それでは、「新しい、未来型のまちづくり」が出来難くなってしまうのでは?
一昔前の「土建型政治」の復活をイメージさせるような、復興計画ではまったく意味がないのに、それがわからないとすれば、まず発想を変えてもらう必要がある。
そんなコトをしている場合では無いのだから、やはりそのような方々には退場をしていただくしかない。

「行動を起こす」と言っても、「人気取りのパフォーマンス」では意味がない。
もっとも多くの生活者は、そんな「小手先人気取りパフォーマンス」を見抜くくらいの力を持っている。
実際、先週菅さんが被災地視察に行ったとき、ある高齢者の方は「国に期待するコトなんて無い。もともとあてになんかしていない」と言っていた。
それくらい、国民は冷静に政治を見ているのだ。
「批判をするのであれば、責任のある行動で日本を元気づける」というのが、政治家の仕事なのでは?
少なくとも、今はその時期だと思う。

さり気なく、こころを押すCM

2011-04-07 06:55:38 | CMウォッチ
ACのテレビCMが、随分減ってきた。
ACのテレビCMの中で、「被災地の方々のことを考えて」という理由で、放送中止となったモノに「あしなが育英会」があった。
個人的には、こんな時だからこそ「あしなが育英会」のCMが大切なのでは?と、思ったのだ。
というのも、今回の震災で数多くの「震災孤児」と呼ばれる子供たちが、たくさん出てしまったからだ。
「震災孤児」となった子供たちが、将来心配なく勉学に励むためにもこのような育英基金があることを知らせるためにも、重要なCMだと思うのだ。

ACのCMが減りつつあるということは、通常の企業CMが戻ってきた、というコトになる。
その中で、「やっぱり、違うな・・・」と思うテレビCMを見た。
それは「サントリー」のCMだった。

私が見たバージョンは「上を向いて歩こう30秒B」だったのだが、出演者を見てみるとなかなか豪華なメンバー。
過去・現在サントリーのテレビCMに出演した方々が、昭和の名曲「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん、夜の星を」を各パートに分かれて歌っている。
「スタジオでの録音風景のみ」という、テレビCMも珍しいと思うのだが、歌を歌っている出演者の方々の表情を見ていると、涙をこらえながら歌われている方もいらっしゃるように見える。
出演されている方々の、被災地の方々への思いが伝わってくるように感じる。
作りがとてもシンプルなだけ、逆に人の心に届くテレビCMとなっている。
一部では「上を向いて歩こう」は、悲しく寂しい歌詞だと考えれば、今のこの時期にはふさわしくないのでは?という指摘もあるようだが、「見上げてごらん、夜の星を」とセットにするコトで、「今は悲しいけれど、一緒に手を繋ぎ、歩いていきましょう」というメッセージとなっている。

このCMを見ていると、「サントリーらしさ」のようなモノも感じる。
というかサントリーという企業の持っている、企業文化を感じさせるのだ。
決して押し付けがましくなく、人の心に寄り添いたい・・・そんな企業文化を伝えるコトにも成功している、稀なCMのような気がしている。

もう一つ、チョッと「ほっこり」するCMがある。
それが、カンロ飴のテレビCM。
「今日の私が、あしたのアナタを元気にできるといいなと思う」という、メッセージと軽やかで可愛らしいCMだ。
このCMを見て思い出したことは、「食事は体の栄養、おやつはこころの栄養」という言葉だった。
このテレビCMは「おやつのCMはこころの安らぎ」という印象を受ける。

「自粛」と「がんばれ」ではないCMが、本当に必要な時期にきていると思う。

そういえば・・・年明け、サントリーは缶コーヒーBOSS・レインボーマウンテンのテレビCMに「上を向いて歩こう」を起用していた。
偶然とはいえ、そのCMの雰囲気の違いと共通する「顔を上げ、未来に向かって一歩を踏み出そう」というメッセージ、サントリーのCM作りの上手さを感じる。
とすれば、気になるのは「日清・カップヌードル」のCMなのだが・・・。

お金の使い方を考えてみよう

2011-04-06 12:24:46 | ビジネス
近所の公園にある、ソメイヨシノとしだれ桜が満開になった。
例年、この季節にはお弁当を持った親子さん(多くの場合はお母さんと子供)の姿を見ることができるのだが、今年はそんな光景が余り見られない。
やはり「自粛」されているのだろうか?

この「自粛」ムードで、お花見を控えている人たちへ、被災地である岩手県の酒造会社の社長さんが、「お花見をやってください」と、ユーストリームなどの動画サイトで訴えているという。
私も過剰な自粛は、日本の経済にとってもプラスでは無い。
反面、だいぶ落ち着いてきたとはいえ「買占め」もまだまだあるようだ。

そこで考えたいことは、「お金の使い方」というコト。
震災以降、「不安だから、買占めに走っている」反面、「自粛だから、取りやめた」という2つの経済行動(=消費行動)が見られる。
本来であれば、「経済復興のために、余分なトコロにお金を使い、必要なトコロには必要な分だけ買う」というのが、一番なはずだ。
「必要なトコロ」というのは、ガソリンであったり水といった「生活必需品」だ。
「生活必需品」は、被災地の方々にも充分行き渡るように、必要最低限で抑える必要がある。

一方、この季節ならお花見や、春のお祭りなどは、余暇的なお金の使い方だ。
この余暇的な部分は、被災地の人たちとは関係なく使える部分でもある。
ということは、余暇的部分は被災地の方々に迷惑の掛らない部分だというコトになる。
特に、震災以降中止となったお祭りには、「神事」という意味もあったはずだ。
「神事」として、被災地の方々のことを思い、復興を願うという考えもできるのでは無いだろうか?
「豊漁・豊作を願うお祭り」であれば、それこそ被災地の復興を願うのにうってつけなのでは?

だからこそ、被災地生まれの商品(+日本商品)を積極的に買って・使うコトが大切なのだと思う。
そして、心置きなく今年の桜を愛でて欲しい。
今年見る桜は、昨年の桜とも来年の桜とも違うはずだ。
なぜなら「被災地に思いを馳せて見る桜」なのだから。

福島第一原発に思うコト

2011-04-04 12:46:24 | 徒然
被災された方々は、こころ引かれる思いで少しづつ前へと歩みはじめたというニュースが多くなってきた。
「生活がある限り、生きていくためには前へと進むしかない」というコトなのだと思う。
大切なコトは、「失われた命を思いつづけ、いのちを感謝し、自然を畏れる」ということなのかもしれない。

そんな中で、前進していないことがある。
ご存知の「福島第一原子力発電所」だ。
逆に、日を追うごとに「一体どうなっているの?」と、疑問と不安が高まるばかりだ。

「冷却をすれば大丈夫」と言われ、放射能という目に見えない相手に立ち向かったハイパーレスキューの方々や自衛隊の方々の活躍から随分経ったが、その後から「実は、××施設が被害を受け、水が洩れ、周囲の放射能の数値が上がっている」というニュースがここ数日間、毎日のように聞かれる。
決して「後だし情報」だとは思わないが、「もっとシッカリしてよ、東京電力さん」という気になってしまう。
「それだけ、被害が甚大で想定外だった」と言われればそれまでだが、先週には、「実は今回の津波の想定は既にされており、東京電力も知っていた」という一部報道もあり、ますます東京電力に対する不信感が高まるばかりだ。
とすれば、「何故、対策をとらなかったのか?」という、単純な疑問も多くの人たちが持ち始めているのでは?
まるで、周辺住民と従業員の安全と引き換えにコストカットを実施したツケが、今回の震災で白日の下に晒された、という雰囲気さえ漂いはじめている。

もう一つ気になるのは、次々と明らかになる情報の一部は震災当時に分っていたらしい、という点だ。
このようなことを聞くと、「東京電力内では、ビジネスの基本『ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)』すらできないほど、硬直化した組織だったのか?」と思ってしまう。
確かに、電力会社は「市場競争がない」という特異な民間企業だ。
だからと言って、ビジネスの基本中の基本「ほうれんそう」すら機能しないような組織となれば、問題どころか唖然としてしまう。

福島第一原子力発電所の被災は、色々なことを考えさせてくれた。
個人的には「原子力発電」というモノは、人が手をつけてはいけないモノだったのか?と、思うコトもある。
というのも「際限なく反応を起こしつづけるという作用を制御する」という説明を聞いて、多くの人が死をイメージする「がん(=細胞の際限のない増殖の暴走)」と似ていると感じたからだ。
もちろん、「がん」と「原子力発電」はまったく違うモノだ。
だが「人が制御し切れない状況に陥るコトがある」と、言う点ではどこか似ているように感じている。
とはいっても、既に起こってしまったことに対して、被害を最小限にとどめる努力をしつづけなくてはいけないことには、変わりないのだが・・・。


視点を変えた「公共事業」

2011-04-03 08:24:57 | ビジネス
先日、NHK教育を見ていたら「震災と障害者」というテーマの番組をしていた。
震災発生で、私たち非被災者は現地の目を覆うばかりの悲惨な状況に「一体何ができるのか?」と自己問答をし、積極的に募金に参加したり支援品を送ったりしている。
それは、とても重要なコトだと思う。

そんな中で、忘れられがちな人たちがいる。
障害者と言われる人たちだ。
障害者といっても、その障害状態・状況は人それぞれ。
一見障害者と分らない人も多くいる。
例えば、聴覚障害の人などはなかなか分りにくい障害者といえるだろう。
他にも知的障害の人たちなども、分りにく障害者といえる。
そんな人たちが、いわゆる健常者と一緒に避難所で生活をする、というのはなかなか難しい問題がある。

聴覚障害の人たちにとって、音声情報というのは受け取ることができない情報だ。
一方、知的障害の人たちの多くは、被災したという事実の受け止め方が健常者よりも、しにくいといわれている。
そのため、パニックに陥ったり興奮状態が続いたりするという。
同じようなコトが、高齢者にも言えるかも知れない。
今回の震災は、高齢者が多く生活をしている地域だったこともあり、「被災者医療が、『高齢者医療』が求められる」と、話す医療チームの話もあった。

そこで考えたいのは、このような障害者を意識した「公共事業」というコトだ。
「公共事業」というと、建物を建てたり道路を造ったりというイメージがあるが、障害者にとって使いやすい緊急情報アプリケーションを開発するコトだって、立派な「公共事業」なのでは無いだろうか?
聴覚障害者向けに、ピクトグラムを使った緊急情報を携帯電話やスマートフォンに表示するシステムとか、視覚障害者向けにGPSなどを使った音声誘導システムなど、多くの人たちにとって有益性のある事業は「公共事業」といえるのでは?

被災地では、とにかく生活基盤の建て直しが急がれる。
その中で、忘れられがちな障害者の存在。
だが、拙ブログでも何度か指摘させて頂いている通り、「社会的ハンディのある人たちが暮らしやすいまちづくり」が、新しい日本の地域社会のモデルとなるはずだ。
だからこそ、これまでと違う視点の「公共事業」が今回の震災には、必要だと思うのだ。

視点を変えて、新しい気分に

2011-04-01 12:17:15 | アラカルト
今日から4月。
新年度の始まりだ。
新聞を見ても、企業名の変更などを知らせる広告が目立つ。
震災から3週間。
確実に時は流れている・・・と、感じさせる。

一方、あまり変わらないコトがある。
それは、拙ブログでも言っている「自粛ムード」だ。
ここ名古屋では、余り百貨店の照明が暗くなっているという気はしなかったのだが、首都圏を中心に「節電モード」になっているようだ。
もちろん「計画停電」などの心配もあると思うのだが、「売りの現場が沈んでいたら、お客さんも気分的に沈んでしまうのでは?」と、心配してしまう。

であれば、視点を変えてみては?と、思うのだ。
例えば、売り場全体の照明をやや暗くしても、スポット的に明るい雰囲気を出す工夫をしてみる、というコトだ。
LED照明などを積極的に使うことで、省エネ+経費節減に繋がるのでは?
それだけではなく、売り場全体を春らしく明るいトーンにするコトで、随分と明るい雰囲気の売り場になるはずだ。
売り場のチョッとしたリニューアル(というほどでは無いが)や照明を変えることで、新たな設備投資にもなるコトを考えれば、日本経済にとってもわずかながらプラスになると思う。

もう一つは、着る服なども明るい色のモノを積極的に着て欲しいということ。
今年の春のトレンドカラーはピンク系といわれていたことを考えると、女性陣は、是非とも淡いピンク系を中心としたブライトカラーの服を着てほしい。
もちろん、男性陣もワイシャツやネクタイなどをブライトカラーのモノにして欲しい。
ピンク系であれば、柔らかさや暖かさ。
黄色やオレンジなどは、元気よさ。
ブルー系は、清々しさや清潔感を、周囲に印象づけることができる。
それが、個人ではなく社会全体となれば、暗く沈んだ雰囲気から少し抜け出られると思し、なにより春の陽射しによく映える。

「被災者の方々のことを思うと(派手なことは失礼)」という言葉ではなく、「被災地の方々の勇気と心に応えるために」被災地以外の私たちが、明るく元気でなくては!と、思うのだ。
「自粛」が悪いわけでは無いが、少なくとも「売りの現場」は、晴れやかな笑顔の場所(≠派手な場所)でなくては、購買意欲も減退してしまう。
そのための「工夫するの発想」が、大切なのだと思う。