北大路機関

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【映画講評】War of the Worlds/宇宙戦争(2005)【3】第3師団vs火星人-大阪決戦

2020-05-16 20:15:27 | 映画
■脅威下の冷静な判断と対処
 新型コロナウィルスCOVID-19世界流行禍さえ無ければ今頃は千僧駐屯地祭ではあったのですが、外出もできませんで今週は第3師団が映画で多分活躍する話題を。

 宇宙戦争の火星人が地球に大量に送り込んだトライポッドは強力な熱線を発し頑丈なシールドに守られています、これで無敵のような気がするのですが、あくまで映画の演出の都合というものでして、実際にトライポッドは弱点が多い。映画では“大阪では何体か倒した”という台詞が在りましたが接近戦を強要するならば自衛隊は十分対応できるでしょう。

 大阪といえば第3師団です。トライポッドは強力な装備ではありますが映画が公開された2006年、第3師団も近代化改編を受けています。シールドと熱線、トライポッドは旧陸軍がフィリピンや沖縄で見上げたアメリカのM-4シャーマン戦車のように強そうではありますが、しかし、通信や運用の面で稚拙な面が多い、其処を突く戦術こそが勝利を勝ち取る。

 シールドに弱点はないのか。シールドを可視光線が透過しているのですからレーザー光線などは確実に貫通するのでしょう、しかし、2005年当時の自衛隊に戦車を撃破できるようなレーザー砲は装備されておらず、ミサイル照準を妨害する航空機自衛用レーザーが試験中という程度でした。残念ながらこの装備は第3師団には配備されておらず装備庁どまり。

 自衛隊には特定通常兵器禁止条約を遵守するために配備されていないのですが、ダズラー幻惑妨害装置というものがあります。これは眼球に有害なコヒーレント光を照準装置や人員に照射し照準や航空機などの操縦を妨害するものです。そこで、トライポッドに本体部分にダズラーを照射することで、相手を失明に追い込むことも可能なのかもしれません。

 さて。自衛隊には、ダズラー幻惑装置にあたるものを有していませんのでシールドを透過して火星人を無力化する事は出来ません、ただ74式戦車が測距用に用いているルビーレーザーは目に有害である為、戦車中隊単位で一斉に長距離から測距レーザーを照射するならば効果があるやも。現用戦車はアイセイフレーザーを採用している為、逆に古い方が強い。

 しかし、74式戦車のルビーレーザーも既にアイセイフレーザーへ置き換えられているということ。どうせ相手は人間ではないのだから、火星人が人間であったとしても非戦闘員大量虐殺という国際法上の強行規範ユスコーゲンスに反している相手故に多少荒っぽい方法は許されそうなものですが、ルビーレーザー測距装置が換装されているのでは使えません。

 音響で指揮を執っている、トライポッドは重低音の音響で攻撃開始を合図している事から無線が無い可能性を前回示唆しましたが、ここは逆に市街地や農村部であれば防災用行政無線の拡声器を応用する事で、攻撃行動に用いる轟音、音響を流して特定地域へ誘導することもかのうなのかもしれません。要は誘導した上でシールドを無力化できれば、よい。

 音響誘導。映画ガメラ2では飛翔する多数の小型レギオンを電磁波に向かう特性を利用し電波送信所におびき寄せAH-1S対戦車ヘリコプター多数で一挙に制圧する描写がありましたが、実戦でも2015年からのウクライナ東部紛争にてロシア軍がウクライナ軍の野戦通信を遮断し、私物携帯電話に偽の集合命令を発しまして集まった所を砲撃した実例がある。

 シールド、防御力の高い戦車への攻撃方法として、2008年南レバノン戦争では世界でもっとも防御力の高いイスラエル国防軍のメルカヴァ4戦車に対して、道路脇の中層建築物を爆破して戦車に倒壊させ押しつぶす、という戦術が用いられました、可能でしょうか。ただ、トライポッドは15階建のビル相当、巨大な建築物で押しつぶすのは難しそうです。

 地雷。2003年イラク戦争では世界最強とよばれたアメリカ陸軍のM-1A2戦車が機雷で爆破されました、対戦車地雷には相当高い防御力を有するM-1A2戦車ですが、地雷よりも遙かに大きな機雷、本来船舶を狙う、これを地面の下に埋め込むことで爆破していました、結果、55t以上ある戦車の15t以上ある砲塔が吹き飛び、全壊する、威力を痛感させられました。

 92式対戦車地雷はどうか。考えますとトライポッドは地面に脚部を接して機動しています、地面にシールドを張っていません、言い換えれば対戦車地雷を敷設された場合は防ぐことが出来ない公算が高い、92式対戦車地雷は作動すると高熱のジェットが1500m程度まで吹き上がり、戦車の底部を破壊するものです、83式地雷敷設装置により迅速に敷設できる。

 弱点を突くのは地雷だ。2006年大久保駐屯地祭、京都府の駐屯地ですが、第3師団隷下の第3施設大隊も駐屯していまして、思い返しますと2006年の大久保駐屯地祭では92式対戦車地雷を仮設敵が敷設していたのですね、そう、あの地雷を使えばトライポッドを撃破できたのではないか。実際、夜間攻撃などに探照灯を用い、音響で合図するなどをみて第3師団ならば着想しそう。

 指向性散弾地雷、自衛隊が対人地雷の光景として導入したスウェーデン製FFV013管制地雷ですが、これも有用かもしれません。本来は大型筐体を利用し飛行場など重要施設防御用に運用、ヘリボーン強襲等を仕掛けた敵をヘリコプターごと撃破するものですが、遠隔操作により150mまで有効破片を散布する、これを上に向けて敷設する選択肢もあります。

 大阪に出現したトライポッド、第3師団は応急出動のかたちで第36普通科連隊や第37普通科連隊が64式対戦車誘導弾や87式対戦車誘導弾、自走106mm無反動砲で攻撃を加えるものの、シールドを貫徹できず苦戦を強いられるでしょう。しかし、上記の通り見ればわかる明確な弱点が存在するのです、恐らく師団はここで柔軟に対応を切り替えたはず。

 第3特科連隊、2005年当時は特科隊ではなく特科連隊の編成でした、この特科連隊によりFH-70榴弾砲を用い、広範囲に白リン弾を投射、煙覆します。その間に施設大隊83式地雷原敷設装置を用い数百の92式対戦車地雷を敷設、踏んだ瞬間からトライポッドは倒れ、行動不能となったトライポッドは普通科隊員が近接戦闘に持ち込み火星人を銃剣で始末する。
す。しかし、こうしたとおり弱点はある、そして暗視装置や通信の重要性を理解していない火星人は、技術力は多少高くとも戦争にかんする戦術や戦略というものを持ち合わせていなかったのかもしれません、ここが最大の弱点であり、そもそも戦争を繰り返す人類には勝てなかったようにも思います。

 映画宇宙戦争はHGウェルズ氏の原作の通り、部隊は現代であっても火星人は終盤に地球でのウィルスに冒されあっさりと死滅します、つまりトライポッドはNBC防護装置や気密室さえ有していなかったのですね。映画では終盤に示された為、冒頭にこの弱点が分っていたならば化学兵器使用も真剣に検討されたのかもしれません。催涙ガスだけでも効く。

 さてさて。一見困難で厳しい状況にあっても、見方を変えるだけで勝機や解決策というものは数多ある、これが“宇宙戦争”における自衛隊と火星人の激戦を考えた上で導き出しました結論です。他方で現実世界は喫緊の課題が新型コロナウィルス、死者30万で治療法は現在ありませんが脅威下の冷静な判断と対処としまして、在宅、この一点でも未知のウィルスは防ぐことができる、のですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】War of the Worlds/宇宙戦争(2005)【2】第3師団は如何に勝利したか

2020-04-30 20:00:01 | 映画
■大阪でトライポッド多数撃破!
 新型コロナウィルス対策緊急事態宣言一カ月延長が政府検討の昨今、今外に出るとこちらがヤラれるの精神で皆様もう少し頑張りましょう、そんな時は映画鑑賞だ。

 宇宙戦争、昨日放映されました作品はスティーブンスピルバーグ監督による2005年の映画です。そして火星人の地球侵略兵器“トライポッド”について、“大阪では何体か倒した”という劇中台詞がありましたが2005年といいますと、大阪を防衛警備管区とする陸上自衛隊第3師団、2020年の今日から見ますと近代化の過渡期といえる状況でもあったのです。

 2005年、どんな時代だったでしょうか、なにしろ15年前のはなしですから、ね。福知山7連隊の連隊長さんが佐藤さんの時代でした、そして伊丹駐屯地や千僧駐屯地のグラウンドが芝生、薄っすらと芝生が残っていた時代なのですね。映画を見る限り、例えば白兵戦に持ち込めば、下車した火星人などは銃剣で喉笛を狙えば一発のような印象がありますが。

 64式対戦車誘導弾やM-3短機関銃、ぎりぎり60式自走無反動砲と106mm無反動砲が現役で、ぎりぎり軽装甲機動車の配備準備が進められていたという。いや、1998年までは第3戦車大隊に僅かに61式戦車が残っていたのが漸く74式戦車に置き換わりましてまだ7年というもの、しかし戦車大隊本部には60式装甲車がまだ現役という、そんな時代という。

 ガメラⅢイリス覚醒、この公開時に漸く戦車大隊が74式戦車に完全に置き換わったものでして、第3師団はそもそも1995年防衛大綱改正に際して政経中枢師団へ、練馬の第1師団とともに位置付けられ重装備の近代化は後回しとされた師団です。もっともその分、87式対戦車誘導弾やL-16/81mm迫撃砲に120mmRT重迫撃砲は比較的早く導入されましたが。

 89式小銃が導入開始されていますが、特科部隊や施設科部隊、そして偵察隊はまだ64式小銃であり、機関銃は悪名高い62式軽機関銃、いうこと機関銃、として知られる難しい機関銃が活用されていまして、訓練展示では一発か二発で排莢不良か装填不良若しくはこれが同時に、という事もありました。あんな装備でどうやって勝ったのでしょうか、いやいや。

 ジャベリンを使え!、という台詞は宇宙戦争終盤のボストン市内に侵入したトライポッドがシールド装置が故障して防御力が無い状態となっている事に主人公が気付き、付近で避難誘導していた州兵に知らせますと、即座にFGM-148ジャベリン対戦車ミサイルで地形や遮蔽物を活かして慎重に接近し、一斉射撃で撃破しました。普通装甲換算で500mm以下か。

 01式軽対戦車誘導弾、通称軽MAT,陸上自衛隊にはジャベリンミサイルと同程度のミサイル、こちらは川崎重工が国産したものがありまして、要するに01軽MATがあればシールドさえない状況で撃破できるのですが、シールドがありますと効果が無い、そして第3師団には2005年当時、01軽MATは無い。するとこの他の装備を活用するほかありません。

 トライポッドと74式戦車、攻撃力で戦車砲と熱線を比較した場合はトライポッドが遙かに上回り、防御力でもほぼすべての攻撃を正面から受け止める、74式戦車よりも頑強です。機動力は74式戦車が54km/hですので同程度ですが、ここで並んだところで全く意味がありません。すると第3師団はどのようにしてトライポッドへ立ち向かったのでしょうか。

 弱点。トライポッドの防御力は高いようにみえるのですが、少なくともシールドは透明であり、ポリカーボネイトのような強靱な透明樹脂を装着しているようではありません、すると、可視光線は通っているのですね。実際、トライポッドは索敵に際し探照灯を用いていました。光は通すのです、そして探照灯という点で一つ気づかされる点があります。

 探照灯で探すトライポッド、実は74式戦車にも探照灯のようなものが搭載されています、赤外線アクティヴ照準装置という強力なサーチライトに赤外線フィルターを装着し非可視化した暗視装置です、フィルターを取り外せば5km先で新聞を読めるほどの明るさ、しかしそのまま照らすと自車位置が暴露するために赤外線フィルターを通すのですね。しかし敵の可視光なんて旧式だ。

 赤外線アクティヴ照準装置は結局赤外線を照射するために探知されやすく、第3世代戦車では全て熱線暗視装置、相手が発する熱を感知する照準機となっています。逆に考えるならばトライポッドは暗視装置が搭載されていない、ということになります。サーチライトで照射して戦闘するなど、第二次世界大戦の時代の話でして、敵は戦争のやり方を知らない。

 トライポッドには暗視装置が搭載されておらず、そして夜間に探照灯を照射する、自己位置が暴露し、目標である人間に逃げられてしまう難点を是認しているからには、暗視装置のほかにレーダーのようなものを索敵に用いることも出来ないのでしょう、これは重大な弱点です。つまり白リン弾や発煙装置で煙覆されるとなにも見えなくなる、ということ。

 宇宙戦争の舞台はニュージャージー州のベイヨン、というのは前述の通りですが、ニュージャージー州と日本では時差が13時間あります、すると世界で同時に攻撃を開始したとして、日本は夜間ですので、ベイヨンでは白昼に攻撃を開始し、その弱点が曖昧にしか見えませんでしたが、日本の場合は時差の関係から、夜間攻撃で先端を切った構図となります。

 夜間攻撃。まともな暗視装置を持たないトライポッドは恐らく大阪平野で索敵に相当苦労させられたのでしょう、もっともそのあたりの正確な描写がないのは残念ですが。もう一つ、2005年には武力攻撃事態法が整備され、自衛隊の即応体制は比較的高い水準にありました、ここが、火星人には不利に、自衛隊にはここが有利に作用した可能性があります。

 FH-70榴弾砲などで白リン弾による攪乱射撃を受けた場合、容易に視界不良に陥る、トライポッドには重大な弱点があります。そしてもう一つ、轟音で威嚇するように攻撃を開始していましたトライポッド、劇中で幾度かトライポッドが攻撃を開始する際には例外なく音響で合図を送っていました、すると可能性として、あの音響は意志疎通用ではないか。

 無線機を搭載していない可能性がある、トライポッドは、あの轟音で相互に意思を疎通しているものであり、データリンク装置はもちろん、無線機さえも搭載していない可能性がある、劇中では世界規模で攻撃を開始したものの各個機動が基本、視程外のトライポッド同士で連携がとれている描写がありませんでしたが、もともと出来ないのかもしれません。

 自衛隊にそうした装備はありませんが、相手が音響で意志疎通するならば通信傍受は容易、軍団ごとに心理戦旅団を有しているアメリカ軍であれば、例えばトライポッドの意志疎通用音響を分析し、同じ音程の音を心理戦用拡声器、本来は住民宣撫や敵対勢力への広報用、こうしたもので発することで、トライポッドの誘導も可能なのかもしれません。弱点だ。

 そして強力な熱線を放射できるトライポッドは、その熱線の威力に驚かされるのですが、言い換えれば熱線は直進します、貫通力は相当強そうですが、地形、山間部を山ごと破壊できるほどではないようで、すると放物線を描いて30km以遠から攻撃する砲兵火力にたいしては、無傷であっても相手を捕捉する索敵手段が無く、一方的に撃たれるだけです。

 特科火砲、FH-70榴弾砲が投射するM-107榴弾や03式多目的砲弾はシールドを貫徹できない可能性が高いのですが、白リン弾で煙覆できることは確かです、無線通信が出来ない以上、煙覆で敵は前進さえできずパニックに陥るでしょう。しかし問題は、シールドを貫徹する方法が無いという。見えるのだから可視光は透過している、弱点の一端は此処でしょう。

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【映画講評】War of the Worlds/宇宙戦争(2005)【1】米国防総省がUFO画像を公開

2020-04-28 20:09:58 | 映画
■宇宙戦争,BSテレ東明日放映!
 アナログ放送地上波時代は映画と云えば木曜洋画劇場等で限られたものしか視聴できなかったものですがデジタル放送時代のBSは映画好きには良い時代となりました。

 アメリカ国防総省。驚くべきことにアメリカ海軍機が撮影した未確認飛行物体UFOについて、三本の動画を公開しました。エイリアンエアクラフトを意味するものではなく、いやエイリアンには異邦人が含まれるので外国人が操縦している期待も含まれるか、まあ、要するに宇宙人の乗り物ではなく正体はわからないが飛んでいるもの、を示すようですが。

 CNNやNHKでも報道されましたアメリカ国防総省が発表したUFO画像、この動画そのものは2017年頃から出所不明だが米軍が撮影したUFO動画、としまして同じCNN等で報じられたものです。撮影したのは三本とも海軍機によるもので、撮影場所などは公表されていませんが、動画などを秘匿しているとの疑いを払拭する為に今回公表した、という。

 現実を見ますと、宇宙人より新型コロナウィルスCOVID-19の方が脅威であり、さてさて明日から始まるゴールデンウィークは自宅に引きこもり感染防止を目指すステイホームウィークとなります。そんな自宅にこもりきりの連休が始まるのですが、なんと明日BSテレ東にて1940時から映画“宇宙戦争”が放映されるということ。これは中々楽しみですね。

 宇宙戦争。HGウェルズの歴史的SF古典をもとに2005年に公開されたスティヴンスピルバーグ監督のSF超大作です。主演はトムクルーズ、超人的な役回りではなく、妻と離婚した港湾労働者という、どこにでも居そうな面もち。舞台はニュージャージー州のベイヨンで典型的なアメリカの地方都市、其処に訪れた恐怖、というかたちで物語は進みます。

 トライポッド。宇宙戦争における火星人の侵略兵器です。その展開は有史以前と考えられ、劇中では市街地にトライポッド本体が埋設、具体的にはトライポッドが埋設されていた真上に都市部が形成された、という構図でしょうか、そこに操縦士とおもわれる火星人のみが宇宙から展開し、地表を突き破り攻撃を開始しています。地球へ展開した数も多い。

 火星人の地球侵略兵器は圧倒的な印象をもって表現されていました、トライポッドとは三脚を意味し、文字通り三脚構造の脚部により機動しますが、全高は優に40mを越えており、その上部には魚類のエイを巨大化させたような砲塔部を有しており、ここから極めて強力な熱線を放射、小隊規模の第三世代戦車でも一撃で全滅させる描写が、これは羨ましい。

 熱線は連射性能が極めてたかい、地中から突如出現した瞬間から、威嚇するような音響を響かせるとともに周辺に集まった人々を無差別に射撃し、射撃は正確で、人体に命中した場合には瞬時に破裂し灰を残すほどの高熱を、極めて短時間で全周囲に放射していました。また補助的に三脚の脚部も中層建造物を一撃で圧壊させるに充分な威力を有している。

 特筆されるのは防御力で、原理は不明ですが戦車砲や航空攻撃、ミサイルなどが本体付近で透明の壁のようなもので全て弾かれてしまい、現用兵器が全く通用しません、これは戦車砲が発射する音速の五倍ものAPSFDS弾、圧延均一鋼板ならば優に900mmを貫徹する戦車砲弾はもちろん手榴弾の投射のような極めて遅い投射物にも即座に反応し防護します。

 機動力、水陸両用能力を有しており、地上での移動力は必ずしも高速ではありませんが、三脚に支持され前進する状況が描写されており、最高速度は明示されていないものの50km/h程度で巡航します。40mの全高を有する故に地上に存在するほぼ全ての障害物を踏破するとともに、不整地突破は現用兵器が苦手とする森林地帯でも前進速度は鈍りません。

 恐るべき兵器だ、こう考えたのは戦車を始め多くの兵器が車高を抑えている背景に暴露を避けて生存性を確保することにあります、が、アメリカ軍が誇るM-1戦車の戦車砲弾、運動エネルギー弾の最たるものですが、この直撃を受けた場合も、またAH-64D戦闘ヘリコプターのAGM-114ヘルファイア対戦車ミサイル、化学エネルギーの最たる打撃にも耐える。

 主人公がなんとか郊外に避難し、夜の河川フェリー乗り場にたどり着いた瞬間、山の稜線から複数のトライポッドが現れる展開には一種絶望感を感じさせるものであり、複数のトライポッドが探照灯で避難民を照しつつ接近し、音響を合図のように轟かせたのちに、一斉に避難民を横一列に熱線で照射し殺戮しながら前進する様子はやはり、鳥肌が立ちます。

 しかし。劇中で主人公とその家族が避難した先で意外な情報を得ます、大阪では何体か倒したという。日本人に出来たのだから俺たちにもやれる、という発言が。大阪と言えば我が地元、第3師団の管区ではありませんか、そう、実際強力に見える装備であっても弱点はあるのです。劇中ではアメリカを攻撃した機体は病原菌に冒され自滅していましたが。

 大阪では何体か倒した、凄い。しかし、作品世界の2005年といえば第3師団は現在のような強力な装備は有していません、普通科部隊に軽装甲機動車などは配備されておらず、60式自走106mm無反動砲がまだ残っていましたし、64式小銃や信頼性に問題がある62式軽機関銃が現役、辛うじて戦車は74式戦車となっていましたが、対戦車ミサイルは旧式64式です。

 第3師団は、あの装備でどうやって打ち勝ったのでしょうか。唯一の強みは第3師団は大阪の師団、機転の利く現代の若者が数多く集い、個人的な印象ですが優秀といいますか、世界最強ではなく警備管区である大阪、京阪神紀州地区で戦う限りは最強の部隊、と自負しているところでしょうか。しかし、トライポッドが強敵であることに変わりない。

 74式戦車で戦う場合、アメリカがM-1戦車の120mm戦車砲で対抗できなかったのですから74式戦車の91式105mm徹甲弾で貫通できるとは思えません、また、第三世代戦車であるM-1戦車は複合装甲により圧延均一鋼板換算で1000mm近い防御力がありますが、74式戦車は第二世代戦車、防弾鋼140mm程度を傾斜、M-1戦車よりも遙かに防御力は低い。

 しかし、大阪は道頓堀とかが汚染されているので、という安直な発想では面白くありません。実際には自衛隊が撃退した、と考えるべきでしょう。すると、考えてみますと強そうに見える宇宙からの侵略者の兵器も、数多い弱点が垣間見えるのです。詳細は次回、そして皆様もステイホームウィークの一時、別の角度からご覧になっては、如何でしょう。

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【映画講評】復活の日(1980)【4】水爆が人類を救い医学が人類を滅亡させる不思議な大団円

2020-04-11 20:01:32 | 映画
■物事の二面性-小松左京の遺言
 1950年代末にありました新型インフルエンザアジアかぜ、そして同時期のペスト菌事故、本作はこの二つと核兵器を取り混ぜた深い主題があります。

 復活の日。SF巨匠小松左京が日本沈没や見知らぬ明日、さよならジュピターや継ぐのは誰か、未来に向けて示した世界観の具現化の中でも一際輝く作品でもありますが、MM-88の感染拡大による南極以外の人類絶滅を描いた世界観は、いまCOVID-19コロナウィルス肺炎による被害が拡大する中で、パンデミー世界的流行禍を描いただけでは、ないのですね。

 核兵器は人類を滅亡させるはずのものですが、結果的に中性子爆弾の中性子線がMM-88を殲滅させることとなった、人類を破滅させるはずのものが一歩違いで人類を救うこととなった、これを皮肉と呼ばずしてなんと呼ぼうか、ソ連のウィルス学者はこう叙述した上で、人類はここまで減ってしまったが、幸い生き残りには高度な見識と歴史の蓄積が、ある。

 中性子爆弾は主として核融合を用い中性子線を大量に放出しますが、トリチウムはプルトニウムやウランなどのように残留物質をそれほど残しませんし、爆風も限られているために生産設備や施設などは残っており、人類は絶滅寸前となったものの大陸へ復帰できたことから、旧文明というべき死に絶えた世界には生き残った人類が残した数多くのものがある、それでもなお人類の復活の日は遠い。

 復活の日には文明を再生させることができたとしても、核兵器と核酸兵器を生み出した憎悪というものを再生させず生き残る文明の道を探さなければならない、こうして復活の日は終幕します。復活の日、小松左京が示した世界は、新型インフルエンザが流行してみんな病気でたいへん!、という単純な作品ではないことが、おわかりいただけるでしょうか。

 不信感。小松左京氏の復活の日に込めた想いは、科学万能主義への警鐘と云いましょうか、盲信、というべきでしょうか、全体像が良くわからないが周りが良いものだと強調圧力を示す、その時勢での良きもの、この価値観への盲信へ警鐘を示しているものではないか、といえるのですね。そして1957年のアジア風邪流行、新型インフルエンザの流行下に。

 イギリスでペスト菌が細菌戦研究所にて保管されており、これが研究所内で漏洩し研究員が感染した、アジア風邪と同時期にこんな事件がありました。小松左京氏は京大文学部でイタリア文学を専攻、ボッカチオやダンテはじめイタリア文学には、ペストを扱ったものも多くどれも悲惨か狂瀾、故に医学と結ぶ細菌戦研究に強い違和感を覚えたのかもしれません。

 小松左京氏の旧制中学時代、神戸一中を第二次大戦中に旧制中学として、暴力と理不尽に溢れた生活の中で級友、高島忠夫氏もクラスメイトという、友情をはぐくんだ、としています。この話題などは小松左京氏の著書”やぶれかぶれ青春記”に詳しく記されているのですが、第二次大戦の終戦と共に価値観が一転した違和感と不信感を強調されています。

 神戸一中では、戦時下でも戦後でもかなり理不尽な先輩の後輩への鉄拳制裁と軍事教練にあわせた理不尽な暴力や教員の暴力、放置されていた事への不満と共に終戦で民主主義第一の時代が到来しますと、教員が一転して元々私は民主主義者で、と言い始め、いや社会も強いものに忖度するが如く価値観を一転して、ここへオトナへの不信が芽生えた、と。

 医学は万能といいますが、核兵器を生み出すまでは科学も万能といわれていたわけですので、この価値観の一転、正の部分と負の部分の両面を理解せず、便利さだけを依存する事への個人的な不安といいますか経験的な不信感でしょうか、これを敢えて当時話題のアジア風邪や香港風邪にあわせた、一種時事的な内容として世に問うたように、思えるのです。

 小松左京の価値観から。学ぶべきは、寧ろ価値観は一転しうる、しかし一転する前も後も事象は同じなのだから、もっとよく考えて生きてゆくべき、こう受け取ることが出来るのかもしれません。昨今から考えるならば、考えずに流されるポピュリズムへの警鐘、こうしたものを考えられるのかもしれません、価値観の一転はここと重なるようですよ、ね。

 疾病対策という視点から。実のところ、医学と核兵器、この本作世界観と現在のコロナウィルスを比較しますと、感染拡大を抑え込んだ中国と感染拡大が続くイタリアとなる。中国が犠牲としたのは自由と尊厳、イタリアが尊んだのは人権、しかし疾病対策と人権を今後秤に掛ける動きが生じないかという、いわば両面への思考というものなのやもしれない。

 映画では、そこまで深いことを描くには至りません、当たり前ですが尺が足りません。しかし、映画を入り口として敢えて原作を読まれてみてはどうでしょうか、故人となられました小松左京氏ですが、復活の日はじめ数多著書は絶版とならずいまでも店頭に並びますし、AMAZON通販でも入手容易です、COVID-19の人混みを避け、読書も良いでしょう。

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【映画講評】復活の日(1980)【3】アラスカ沖巨大地震と世界を包む誤作動ICBM暴発-核の焔

2020-03-09 20:01:32 | 映画
■戦中派からの明日への遺言
 新型コロナウィルス肺炎感染拡大と共に本作へ注目が集まっているようですが、この作品はより深い。作中では前半に南極以外の全世界へMM-88が蔓延、全滅します。

 MM-88,作中ではウィルスにとりつく核酸兵器であり、宇宙から採取したものを兵器化したものですので世界の防疫陣や医学者は全く想定できません、そして体内にインフルエンザウィルスと共に侵入しますとそのまま分離、核酸として増殖し人体の神経伝達物質を破壊、神経ガスのサリンに冒されたような症状、つまり急性心筋梗塞や呼吸停止で100%亡くなる。

 南極、しかし打つ手はなく、僅かに米ソの生き残った潜水艦、ネーレイドとT-232号だけが南極から世界の観測任務へ定期的に出航するものの、大気中に大量のMM-88ウィルスが蔓延している状況を遠隔監視したのみで戻る単調な日々が続くのですが、日本の昭和基地から原潜ネーレイドに乗艦した地質学者がアラスカの地質学上の異常事態を報告するのです。

 アラスカでマグニチュード9以上の巨大地震が起こりつつある前兆を捉える、この情報を南極の生存者で構成した南極会議に報告しますと、大騒ぎとなる、地質学者は既にアラスカはMM-88により無人地帯となっており、南極へ及ぶ影響は津波を含めても僅かであり、津波と共にMM-88が党あっ津する心配はない、と制しますが、もう一つの脅威があった。

 核戦力。何故ならばアラスカには全米に張り巡らされたソ連核攻撃に備えた自動報復装置の観測点があり、巨大地震を核攻撃と誤認した場合はソ連の主要核施設に大陸間弾道弾ICBMが発射される事が必至である点、ソ連にも同様の装置がありソ連が自動反撃を行う事で全面核戦争が無人の五大陸で始まり、そして最後に南極も標的である可能性、という。

 南極条約に守られている南極大陸へ、ソ連側がアメリカのアフリカ地域のソ連軍を標的とした核兵器展開検討を受け、アメリカのマクマード基地など幾つかの南極の拠点へ核攻撃が行われる可能性がある、つまり人類はMM-88に続いて戦略核により二度殺される可能性がある、こう展開して行くのですね。そしてアラスカ巨大地震は前駆地震と共に刻々迫る。

 ネーレイドをホワイトハウスへ、T-232をモスクワの防空司令部へ、巨大地震発生前に決死隊、いや必死隊を突入させ自動報復装置の電源を遮断するために、自動報復装置に設置に反対したことで南極に左遷され命を長らえた米ソ軍関係者が送られることとなり、その支援要員として多数の志願者の中から地質学者も選ばれ、無人のワシントンDCへと向かう。

 巨大地震。しかし自動報復装置の遮断は間に合わずアラスカ巨大地震が発生、ホワイトハウス地下でも揺れが感じられるとともに核ミサイルの発射が地下指揮所に表示され、世界は核の焔に。ただ、ここで転機がありまして、実は大陸間弾道弾の大半が水爆弾頭を用いた中性子爆弾であり、熱線や爆風を最小限として中性子線を放出する、実在の兵器です。

 中性子爆弾は人間だけを殺すという非人道兵器ではあるのですが、米ソが大量に使用した中性子爆弾が、宇宙空間に元々あったMM-88に宇宙線が届いたような、通常地球上ではあり得ない中性子線にさらされ、もともとが無毒で増殖力の大きな宇宙ウィルスへ変化しつつ、有毒なMM-88を一斉に駆逐し始めるのですね。そして南極でも転機があったのですね。

 ソ連はそもそも非常識な国ではなかった、南極条約を無視して南極を核攻撃するような準備はもともと無く、決死隊を送る必要は無かったという。原作では明示されていませんが、T-232は内陸のモスクワから脱出できない前提であり、ネーレイドも帰還後廃棄されたのか帰還できなかったのか、その後出てきません。ただ、南極ではもう一つ、僥倖が描かれる。

 ソ連のウィルス学者が地震発生前、MM-88に原潜原子炉の高速中性子を当てる実験を行い、疑似的にMM-88へのワクチンというべき物質を開発していましたが、なにより臨床試験をおこなえていません、南極へはMM-88の持ち込み厳禁が決定しており、敢えて必死隊であるネーレイド号の上陸員に、MM-88の渦中へ向かう際に一縷の望みをたくして投与する。

 MM-88への治療方法が見通しがついた、として世界が核攻撃で二度目の終焉を迎えて更に数年後、南極から手製の動力船により、破滅から久々に南米へ調査員を派遣した際に、既に中性子爆弾によりMM-88は無害な宇宙ウィルスに駆逐されていることを知り、陸上両生類などが南米では生き残っていたことを知り、そこには地質学者が、帰ってきていました。

 ワシントンDCでは中性子爆弾の直撃を地下指揮所にて偶然生き残り、しかし中性子線で脳障害を負ったまま南に行けば仲間に会えるという僅かな記憶だけで無人の北米大陸と南米大陸を徒歩で踏破し、再会を果たすところで、ソ連ウィルス学者の回想とともに、皮肉なものだ、と作品は大団円を迎えるのですね。そう、作品の視点はここだったのですね。

 医学は人類を救うはずのものですが、結果的に医学が応用されたことで核酸兵器が開発され、その漏洩により人類は南極の一万名を残して絶滅寸前まで追い込まれてしまった、人類を救うはずのものが一歩違いで人類を絶滅まで、文明を完全に崩壊させたことは皮肉なもの。科学が核を生んだように医学も用い方一つでこうした脅威となる、その警鐘です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】復活の日(1980)【2】MM-88ウィルスにより破綻する世界と日本の現実的描写

2020-03-02 20:08:50 | 映画
■感染拡大から戒厳令とその後
 SFとは一つの思考訓練と考えているのですがSFとはいえ本作の感染拡大の描写は秀逸でした、映画も凄いが原作は更に考えさせられる。

 草刈正雄さん。大河ドラマ真田丸にて主役を上回る迫力と格好よさを叩きつけた昭和日本の快男児ですが、本作は主役の地質学者吉住を演じる草刈正雄さんが無人の古代遺跡マチュピチュはじめ世界を練り歩く情景が印象的な映画でした。いや、映画初見当時、こんな格好いい俳優がいたのか、と新鮮な驚きを感じたものですが、これは原作を越えていた。

 復活の日、その映画化は1960年代半ば、つまり原作発表直後の時点で検討が為されたという事ですが、当時の日本特撮技術を以てしても南極ロケが必要であり、1965年の“ガメラ”で描かれた北極の様な描写では成立たず、また原作の感染拡大の様子を含め世界各国との合作が必要だという判断から宙に浮いてしまいます。原作直後映画化の日本沈没とは違う。

 南極ロケを敢行した史上初の映画、という事でも知られる映画復活の日、日米合作を検討した事で本作のプロットを知ったSF作家マイケルクライトンが、ジュラシックパークの原作者ですが、アンドロメダ病原体という影響を受けた作品を書き上げたりする一幕もありましたがこの際の映画化は実らず、実に映画化に二十年近い時間を要したという一作です。

 映画版復活の日、非常に良い作品でチリ海軍の通常動力潜水艦も映画撮影に協力していまして、南極ロケとともに美しい情景を残しているのですが、予算の関係でしょうか、南極で生き残る人員が二桁少なかったり、描ききれない部分も多かった印象があり、やはりここは映画をご覧の方程、原作の深い世界を一緒に考えて頂ければ、とおもいます。今こそ。

 小松左京の独特の切り口といいますか、登場人物の視点がさまざまに溢れていまして、誰かと自分が重なる、ある時は病院の満員に途方に暮れる会社員、ある時は医師の視点、またある時は中国の農民、北欧の文化人類学者、そして当事者たち、多角的な視点が示されることで作品世界に没入して行くことが出来るのが、その作風といえるのかもしれません。

 プロ野球と大相撲はじめスポーツでも影響が増大し、これが産業分野まですすみますと、工場操業の停止などにすすみ経済打撃が大きくなるのですが、日常生活でもテレビ放送の番組維持が不能となり、また厚生省、当時は厚生労働省ではなく厚生省や病院の電話相談機構さえも破綻、街には待合室から溢れた高熱患者が列を為し、時折に突然死も、という。

 鉄道網麻痺、世界中で進むさなかに日本では東海道本線が東京大船間をのぞき全面不通に中央線も、運転士の突然死が相次ぎまた航空航路も事故の増大を受け停止へ、とうとう都市部での計画停電も開始され、社会は硬直、国会では代議士の感染が相次ぎ、とうとう通常国会成立の最小限度の議員を集め、政府への全権委任法を可決しますが首相が死亡する。

 自衛隊による戒厳令が布告され、市街地に山積された突然死の犠牲者をブルドーザーで集め火炎放射器にて処理するという衝撃的な状況に展開しますが、そのころには道路網も物流も破綻し、生き残った住民はひたすら祈り続け、そして夏を迎える頃には各国政府も同様の状態に陥り、七月下旬には最後の北欧から世界最後の通信が途絶する、という展開へ。

 チベット風邪、原作ではもともと欧州の某国が宇宙空間から採集した異常な増殖力を持つウィルスを用いて秘密裏に開発していたウィルス兵器、細菌兵器ではなく核酸を利用したウィルス兵器が、兵器ブローカーにより持ち出される過程で拡散、最初に中国山間部にて鶏ペストのような奇病として広がり始めます、そして新型インフルエンザが広がり始める。

 核酸兵器。この開発を主導していた研究所所員はすべての秘密を握ったまま、全員がこのウィルスの市中感染に冒され、六月初旬には全員が死亡し、世界の防疫研究者はこの情報を触れることもなく、全滅してしまう、という状況なのですが、核兵器に続く核酸兵器の研究を行っていた手がかりを一人の研究者が世界の終焉を目の前に無線通信で残します。

 MM-88菌と秘密裏に開発されていましたウィルスは細菌と異なり遙かに小さく、東西核軍拡競争が進む中でギガトン、ベガトンと威力は異常に増大する中、使いにくい兵器となってしまい、このために新たな兵器区分として核酸の兵器利用が東西両陣営により研究されている、原作の世界観はこうしたものでした。この宇宙からのウィルスが原因というもの。

 零下15度ではほぼ増殖しないのですが零下5度あたりから増殖を始め、摂氏0度を境界に爆発的に増殖する、この核酸を兵器利用しようとする一方で、威力が大きすぎますと使用したらば自国へも伝播する故に使いにくい、だからこそ感染力は大きいものの威力の大きな当初MM-86は実用性が無く、戦場で使える程度に威力を減じる研究が行われていた。

 MM-87は若干威力を減じたものの、MM-88はほぼ100%の致死性を有する威力をもってしまい、研究者たちが、これは人類への破滅的な危険性を持つとして良心からMM-88のワクチンにかんする東西研究を秘密裏に行おうとした、ここから東西間の輸送に兵器ブローカーを利用しようとしたものが輸送過程で事故があり拡散してしまう、こうしたものでした。

 核酸兵器の実体を無線通信で残す、これはある種、ネビルシュートの核戦争後世界を描いた"渚にて”を思い起こさせる展開ではあるのですが、この無線通信は録音装置により繰り返し送信され続け、一万人が生き残った南極でも傍受、これにより南極観測隊員、なかでも医療関係者は脅威の正体が単なるインフルエンザではなく未知の生物兵器だったと知るという。

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【映画講評】復活の日(1980)【1】未知の病原体による人類の終焉,巨匠小松左京が問う文明観

2020-02-24 20:09:07 | 映画
■角川映画,深作欣二監督作品
 COVID-19流行と共に懐かしい本作が注目を集めているようで、深い内容の本作を流行禍に便乗して撫でるのは余りに残念と思い深読みの話題を綴ってみました。

 復活の日、角川映画が1981年に制作しましたSF巨編です。原作は1963年に発表された日本SF界の巨匠小松左京の著書であり、アジア風邪や香港風邪の影響下で発表、日本沈没や首都消失とともに膨大な代表作の中でも異彩を放っています。そして復活の日、その主題が新型ウィルスによる人類文明の終焉と復活への端緒という、壮大なものなのですね。

 2011年東日本大震災に際し同じ著者の代表作“日本沈没”に注目が集まった事を一つ思い出しました、あの作品は1973年版映画やテレビドラマ版も素晴らしいのですが、最後に護衛艦はるな登場、日本沈没第二部では護衛艦くらま舞台、そして災害描写以上に日本の文明観を問う、実は非常に深い原作を映画として纏め、一種原作への入り口としていました。

 潜水艦の映画だ。実はこの作品、原作にも原子力潜水艦が重要な役割を果たしますし、映画では原子力潜水艦は流石に撮影協力が得られなかったようですが、チリ海軍の潜水艦が撮影に協力、映画“潜水艦イ57降伏せず”程ではありませんが潜水艦も描かれている邦画屈指の潜水艦映画、といえるかもしれません。これも映画化への力の入れよう、とおもう。

 深作欣二監督作品。映画は仁義なき戦い始め任侠映画で世界的な知名度と共に映画エイリアンシリーズに影響及ぼしたガンマー第3号-宇宙大作戦や日本版スターウォーズというべき宇宙からのメッセージ、日米合作戦争映画トラ・トラ・トラというよな様々な作品で名を残した深作監督の作品で、製作費は30億円規模、邦画としては超大作予算が組まれた。

 草刈正雄主演。南極昭和基地に渡瀬恒彦と夏木勲と千葉真一というアクション映画並みの陣容とともに多岐川裕美と緒形拳を加え、更にアメリカ政府首脳にグレン-フォードとロバート-ヴォーン、原子力潜水艦艦長にチャック-コナーズ、マクマード基地越冬隊長に困ったときはいつものジョージ-ケネディ、本作のキーマンにボー-スヴェンソン、中々の顔ぶれ。

 小松左京の作品、日本沈没や首都消失にエスパイ、映画化されたものは数多く、さよならジュピターのように映画は振るわなかったが後に発行したノベライズ版がベストセラーとなった事例も多く、しかしその世界観は壮大であり世界観まで包括しての映画化が難しい、故に首都消失や日本沈没はたんなるパニック映画に終わった印象がないでもありません。

 原作を敢えて読まれてみては、世界観が広がりますよ、ということで読了前、敢えての少しネタバレを挟みます。復活の日、ベストセラーでありまして、私も初めて読破したのは中学生の頃でしょうか、なにか価値観の形成に大きな影響があった作品です。そしてこの作品には、小松左京氏の旧制中学時代の価値観が反映されているようにもおもえるのです。

 新型インフルエンザ、これに偽装した未知のウィルスによる人類滅亡の危機を示した本作は、現在流行しつつあるCOVID-19新型コロナウィルス肺炎の中国での流行が本格化した頃からAMAZONプライムビデオなどの配信において、同じく感染症の脅威を描いたアウトブレイクとともに、こちらは空気感染するエボラ新型が相手でしたが、注目を集めた。

 アウトブレイクとともに、そのうち細菌列島のような作品にも注目が集まるのでしょうけれども、改めてAMAZONプライムビデオにて視聴されたかたには、より深い原作世界も触れていただければ、としまして今回特集としました。復活の日、日本でのベストセラー化と一時はアメリカへ映画化権利が検討されるほどに1960年代には話題となりました。

 南極の観測基地で越冬中であった一万名程度の観測隊員と米ソの原子力潜水艦二隻を残して世界は破滅する、衝撃的な展開で、角川映画はこの超大作の映画化にあたって世界初という南極ロケを敢行するなど、その制作にも注目が集まるものでした。しかしこの作品、単なるアウトブレイク、爆発的感染やパンデミー、世界的流行禍が舞台ではありません。

 チベット風邪とよばれる新型インフルエンザが春先頃から爆発的感染をすすめ、しかも同時期に鶏など鳥類にも致命的な伝染病が蔓延、インフルエンザワクチンを有精卵から培養していた世界のワクチン産業は大打撃を受け、阪大が細菌分離に成功するものの、世界中で有効なワクチン開発が遅々として進まず、致死率は徐々に30%へと不気味に上ってゆく。

 インフルエンザでは他の天然痘などの様な法定伝染病のような厳しい防疫手段を世界中が執ることが出来ず、今風にいうならば、正しく恐れて、いるうちに病院は機能不随に陥り、しかもインフルエンザとともに突如心筋梗塞を引き起こすポックリ病と呼ばれる正体不明の伝染病が伝播し始める、こうして学校休校から始まり社会は徐々に蝕まれて行きます。

 人との接触感染か飛沫感染か、とにかく町中ではマスクが溢れ、せき込む声が満員電車の中で聞こえますと人々は顔をしかめ、葛根湯がよいとか卵酒に限るとか、新興宗教にホメオパシーというべき疑似科学の怪しい対処法が溢れる中でも現実としての感染者数が増えてゆき、たかが風邪じゃないか、という楽観論が手遅れを防ぐ端緒を塞いでゆきました。

 ソ連首相が風邪で死亡、日常的なインフルエンザへの不安が一つ、新聞の社会欄から国際欄に飛び出る一つの転機としまして、この事件が登場するのですが、この転機もアメリカ大統領が、折角進めていた米ソ核軍縮交渉が頓挫してしまった、こう嘆きまして、インフルエンザよりも核戦争の脅威払拭の方が重視されている風潮が示されるに留まりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】最貧前線(2019)【第三回】太平洋ASW!もう一つの悲劇“特設捕獲網艇”の戦い

2019-12-05 20:13:40 | 映画
■狙うは一発!舶来大物潜水艦
 最貧前線の舞台は特設監視艇の悲劇でしたが、作品にも描かれていないもの、実は民間徴用船がASW即ち対潜戦闘に動員された事例もありました。後篇に続く付録です。

 最貧前線、月刊モデルグラフィックス誌に宮崎駿氏が掲載した作品の舞台化ですが、舞台となった特設監視艇とは別に、今回はもう少し悲しいといいますか方向性が疑問と云いますか、太平洋戦争の混乱が生んだ喜劇のような悲劇、特設捕獲網艇について紹介しましょう。特設監視艇については一定の効果が在った事は示した通りですが、こちらについて。

 特設捕獲網艇、1941年9月に海軍特務艇として徴用されたもので、特設捕獲網艇は終戦までに43隻が徴用されています。海軍は小型の遠洋漁船を特設監視艇、もう少し大きな木造遠洋漁船を特設掃海艇、大きいが金属船については特設駆潜艇としました。そしてさらに大きな小型貨物船が徴用され充てられた任務が、今回紹介します特設捕獲網艇というもの。

 潜水艦脅威の増大とともに日本海軍も潜水艦を重視しており、太平洋戦争、日米開戦が不可避となった時点でアメリカの潜水艦に対抗する装備の強化は当時喫緊の課題でした。特設捕獲網艇はその為の装備ですが、運用がなんというか独特でした。なにしろ捕獲網艇だ。

 捕獲網艇の任務は潜水艦を捕獲する事です。特設捕獲網艇という位ですので、それでは海軍に正規の捕獲網艇が在ったのかと問われるとそうではなく、任務はその名の通り、網を投じて漁船が漁獲する様に潜水艦を鹵獲する、というもの。鹵獲した際に敵の潜水艦が反撃してきた場合に備えて、特設捕獲網艇には57mm砲や75mm砲を搭載していました。

 対潜戦闘といえば、現代ではソナーはじめ様々な対潜機材から敵潜水艦の位置を標定し、真上からアスロック対潜ロケットや哨戒ヘリコプターにより短魚雷を投下する、もしくは対潜爆弾により航行不能状況へ追い込み撃破する、というもの。第二次世界大戦当時は探信聴音装置即ちソナー化襲撃行動前の潜望鏡をレーダーか目視で捕捉し、爆雷攻撃を行う。

 第一次世界大戦では日本海軍が船団護衛へ地中海へ進出した際に、ドイツ海軍のUボート制圧を実施する際、なにしろ日本海軍も潜水艦は研究中であり、その手法をイギリス海軍へ問うたところ、機雷処分用のパラベーン掃海器具により潜水艦を掃海索に巻き込む形で浮上させ、砲撃し破壊する手法を提示された、という歴史がありましたけれど、網、とは。

 パラベーン掃海器具、掃海器具を取り付けた索を海中航行させる為の水中推進装置で、実はテレビアニメーション“ハイスクールフリート”に攻撃を加えてきました所属不明の潜水艦を撃退する際に、爆雷のように相手を傷つけない方法としましてパラベーンが用いられる描写が在り、また古い方法で立ち向かうなあ、と放映時テレビの前で驚かされたもの。

 特設捕獲網艇、捕獲網を2基程度搭載し、また潜水艦を漁網、ではなく捕獲網に追い込むために数発の爆雷を搭載していました。鹵獲できれば大物、その上で自衛用に57mm乃至75mm艦砲を搭載していたのですが、探信聴音装置は簡易的なものしか搭載していなかったようで、僅かに残る特設捕獲網艇写真を観ますと、電探装置、つまりレーダーらしき装備も見えません。

 対潜戦闘を行うのに漁網のような捕獲網を主力装備として、追いかける。もちろん、太平洋戦争前の時点でアメリカの潜水艦には艦砲も機銃も魚雷も搭載されていますので、こんな特設捕獲網艇のような、貨物船を改造した網が武器の特務艇で太刀打ちできる訳ではありません。特設捕獲網艇の訓練に関しては、資料がほとんど失われているだけにほぼ不明なのですが、潜水艦の航路を塞ぐように捕獲網を展開し追い込む様式しか考えられません。

 43隻も特設捕獲網艇を徴用したのですが、まさか駆逐艦と協同する程の速力もありません。重要海峡等に配備し、双眼鏡などで潜望鏡をひたすら探し、潜望鏡を見つけたらば、中世の捕鯨の様に一斉に艦砲で威嚇しつつ敵潜水艦が先行すると思われる海域の周りに、定置網のように網を展開するのでしょう。そして爆雷で潜水艦を定置網へと追い込んでゆく。

 定置網、思い出せば映画“シン-ゴジラ”でもゴジラの生態を調べる為に東京湾に定置網を展開し捕獲できないか、と政府に招かれた不明生物の専門家が首相に意見する描写が在りまして、映画館が失笑に包まれていましたが、太平洋戦争における日本海軍は大まじめに定置網でアメリカ潜水艦を鹵獲しようとしていたのですから、余り笑っては居られません。

 特設駆潜艇ならば戦況に寄与した部分は大きいと云えます。例えばイギリス海軍が大西洋の戦いでドイツのUボート対策に用いたフラワー級コルベットはトロール漁船の設計に爆雷とロケット爆雷に小口径の艦砲と機銃にソナーを搭載したものを大量に量産していました、爆雷を備えた船が見回っているだけでも多少抑止効果はあります、ですが、網ではなあ。

 特設監視艇、本土防空へ大きな成果がありました。特設監視艇黒潮部隊が展開していたのは本州から400浬乃至600浬という遠距離、考えてみますと超水平線OTHレーダーを除けば現代でも600浬以遠の航空機を探知するレーダーはありませんし、実際、相当な犠牲を払いつつも本土防空に不可欠の情報を送り続けていました。そこで、特設駆潜艇、だ。

 特設敷設艇ならば潜水艦を制圧する能力はあったように思います、これは機雷原を洋上に構築するもので、完全封鎖すると自分も通れませんが一部を封鎖する、例えば戦時中のシーレーン防衛を描いた“海上護衛戦”等では重要航路を機雷原で防護し、対馬海峡や津軽海峡に敷設するだけでかなり敵潜水艦の行動を抑制する効果が在ったと回顧されています。

 特設防潜網艇のような用途であれば、これは敵小型潜水艇の軍港潜入を防ぐために湾口などに防潜網を展開する艦艇で、横須賀や呉と佐世保軍港では毎日実施されていたのですが、余り外洋で実施が向かないのに対し、日本本土の軍港では特殊潜航艇による被害を回避しました。実はシンガポール等ではイギリス特殊潜航艇によりリンペット機雷攻撃が在った。

 特設捕獲網艇、資料は残っていないのですが、一番の悲劇は戦闘中に喪失した事例が見当たらないといいますか、損耗が無いならば幸いではないかと反論が来そうですが、それ以上に真面目に戦闘に派遣された記録が見当たらないのですよね。何の為に海軍は徴用したのか、真面目に捕獲網で潜水艦を捕獲できると考えていたのか、意味無き動員が悲劇です。

 特設捕獲網艇は、その任務から排水量1000t前後の船舶を用いていますので、これだけの船舶ならば島嶼部輸送等に用いた方が、まだ戦局に寄与したでしょう。最貧前線は漁民が戦争に動員され大きな成果と共に多大な犠牲を強いられた悲劇ですが、何のために動員されたのかよくわからない徴用の悲劇、行われたというものも、忘れてはならないでしょう。

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【映画講評】最貧前線(2019)【第二回】特設監視艇の任務とドーリットル東京初空襲の歴史

2019-11-21 20:03:13 | 映画
■空母に立ち向かった改造漁船
 映画講評を掲げた演劇講評“最貧前線”は今回が後篇です。終戦から余りにも長い平安の温もりに凄惨な歴史を忘れがちとなる現代に鳴らす警鐘といえましょう。

 最貧前線、月刊モデルグラフィックス誌に宮崎駿氏が掲載したものは5ページ読み切りものでして、舞台最貧前線は、流石に5ページだけを忠実に舞台化したものでは少々間合いが持たないでしょう。すると、昭和のどのあたりで何処の海域での任務を再現しているのかは残念ながら舞台再演やDVD化が為されない限り、ちょっと分らないものがある。

 特設監視艇、しかし無駄であったかを問われますと、漁船転用とはいえ侮れない戦果を残しています。いや、木造船で100t前後のものは特設監視艇、300t前後のものは特設掃海艇、300t台の鋼製船は特設駆潜艇とされ、海軍自身も重要性を認め掃海特務艇第1号型や哨戒特務艇第1型や敷設特務艇第1号型として小規模造船所に発注し損耗を補填し、運用している程です。

 第二十三日東丸、そもそも特設監視艇とは何か、という事を考える際にはこの一隻が象徴的といえるでしょう。実は私が特設監視艇というものを知ったのは二十年と少し前の月刊丸誌に描かれた第二十三日東丸の奮戦と生存者の写真、米軍側が撮影の写真をモノクロ特集にて知った際でした。通称黒潮部隊第二十二戦隊第二監視艇隊所属の歴史に残る一隻だ。

 ドーリットル東京初空襲、第二十三日東丸は1942年4月18日に実施されたアメリカ軍による初の日本本土空襲を前にB-25爆撃機を改造搭載したハルゼー提督の空母ホーネット、空母エンタープライズによる日本本土接近を本土600浬東方警戒監視中に発見し、警報発令、これを受け連合艦隊は即座に対米国艦隊作戦第三号に基づく迎撃命令を発令しました。

 パールハーバーが描いていた特設監視艇、古鷹型重巡のようなシルエットが描かれていましたが、実際には第二十三日東丸は木造総トン数90tの漁船だ。記録によれば25mm単装機銃か13mm機銃を少なくとも一門、そして陸戦隊が装備する7.7mm機銃を数丁搭載していましたが、ドーリットル空襲には空母2隻と巡洋艦5隻、駆逐艦8隻が参加していた。

 ハルゼー提督は予期しなかった日本本土周辺における警戒監視網に遭遇し、幕僚も混乱したと記録されていますが、即座に第二十三日東丸の撃沈を下令し軽巡洋艦ナッシュヴィルが152mm艦砲で攻撃、第二十三日東丸からは敵空母部隊本土接近の通信を継続しつつ機銃により応戦していたとの記録も残っています。ただ機銃では巡洋艦に傷もつけられません。

 黒潮部隊、アメリカ海軍は想定外であった日本本土防衛への警戒網を前にハルゼー提督は爆撃機搭載で艦載機を運用できない空母ホーネットに代わり護衛展開していた空母エンタープライズよりF4F戦闘機を発進させ機銃掃射を実施、粟田丸、海神丸、第一岩手丸、第二旭丸、長久丸、第一福久丸、興和丸、第二十六南進丸、栄吉丸、第三千代丸等が被害に。

 特設巡洋艦赤城丸、軽巡洋艦木曾、潜水艦伊七四が救助へ急行しますが、2隻が艦砲により撃沈され1隻が火災延焼を止められず乗員が救助の後放棄され沈没、戦死者も33名出ています。ただ、命を懸けた情報の価値は大きく、ドーリットル空襲は半日早く、即ち本土から遠い海域で発艦となり、軍事施設への被害は改装中の空母龍鳳中破等に限られました。

 特設監視艇は少なくともアメリカ軍の東京初空襲に対して警報発令を実施出来た事は戦果といえました。しかし、アメリカ軍は以後形勢が変わり1944年以降、空母による日本本土攻撃を前に、特設監視艇に対して積極的な攻撃を加えるようになり、特設監視艇として重用された漁船は400以上、少なくない漁民が空母艦載機の攻撃を前に海に散っています。

 ヨット、日本は漁船を用いたので悲惨だった、と言われるところですが世界を見渡しますとイギリスはヨットを徴用し特設監視任務に充てています、ドイツ海軍のUボートによる通商破壊に悩まされたイギリスは充分な燃料が無い為、民間ヨットを徴用し帆走により燃料を用いず、通信機も手回発電式として釣りで自給自足し洋上監視任務に充てていました。

 イギリスのヨットによる特設洋上監視任務は、イギリス本土防空戦に際してUボートの監視とノルウェー方面からイギリス北部を狙うドイツ爆撃機の監視に活躍しています。ただ、ドイツ海軍には空母は無く、爆撃機も中型双発機が大半、ヨットを襲撃へ低空に降りて機銃掃射する余裕は無かったようで、幸か不幸かヨットにそれ程悲惨な歴史はないのですね。

 アメリカは特設監視艇のような艦がありませんでした、やはり日本だけの悲惨な運用なのか、と問われますと、そうではなく、アメリカ西海岸は幾度か日本潜水艦による艦砲射撃や航空攻撃に見舞われているのですね。アメリカは警戒していなかっただけに潜水艦から奇襲された構図です。すると悲惨な運用を回避したのではなく、単に警戒不充分といえる。

 巡潜乙型潜水艦、日本海軍の泉水案は大型で航続距離が長く一部は航空機を搭載していました、この為、アメリカ西海岸へも充分に往復攻撃が可能で日本軍西海岸上陸近し、と恐慌状態に。ドーリットル空襲は潜水艦による西海岸攻撃、その反撃の為の多分に戦意高揚目的のものでしたが、日本が特設監視艇警戒網に驚いたのはアメリカの無防備故の驚きだ。

 赤城丸。ただNHKの論調と過去にNHKスペシャルとして放映されたものに海軍徴用船という特集がありましたが、変に混同しないようにする必要はあるでしょう。“NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇”という5年ほど前の番組ですが、海軍に徴用された無防備の民間船が戦火に沈んだ、として特設巡洋艦赤城丸が紹介されています。

 特設巡洋艦は戦間期にイギリスが準備したコーフー級特設巡洋艦を視察した造船士官が参考としたもので、コーフー級は補助金を出した高速貨物船を徴用し、8000tの船体に152mm砲や魚雷と機関砲多数、更に航空機を搭載したものでイギリス海軍は実際、Uボートとの大西洋の戦いや地中海シーレーン防衛に第一線に投じ活躍したもの、これの日本版でした。

 南の島は戦場になった トラック空襲75年目の真実、赤城丸が出たのは、録画していなかった事が悔やまれますが、気になったのは特設巡洋艦を非武装商船として説明していた点で、実際は14cm砲4門と25mm連装対空機銃2基4門に13mm機銃16門及び53cm連装水上発射管や零式水上偵察機で武装していたのですね。混同しないよう注意が必要です。

 閑話休題。NHKによれば舞台“最貧前線”に際し宮崎駿氏の“「“なんとか犬死にをしないで、また魚をとるんだ!”っていうね、そういう人たちが出てきてそれを全うする話をね、僕はやってみたいと前から思っていたんです」”という部分が舞台化原動力となったようでして。実際、戦後70年75年と云われ続ける中、実感わかない世代が大半となりこの流れは貴重だ。

 特設監視艇は知っていましたが、“最貧前線”は実は当方未読でした。月刊モデルグラフィックス誌に掲載されていたものでして、実は当方、軍事雑誌は和洋共に色々と拝読しているのですが、月刊モデルグラフィックス誌は基本として高校生以降模型を造りませんので、宮崎駿御大の名著だぞ、知人友人変人に冷やかされながらの舞台“最貧前線”話題でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】最貧前線(2019)【第一回】宮崎駿原作“特設監視艇”知られざる太平洋海戦史

2019-11-13 20:05:42 | 映画
■水戸芸術館-内野聖陽主演舞台
 映画講評と銘打ったからには映画の話題としたいところですが、今回は太平洋戦争の多大な犠牲に埋もれた小さなしかし巨大な悲劇を舞台化した話題から。

 最貧前線、舞台化です。映画化を期待したかったのですが“知られざる太平洋戦争海戦史”として“特設監視艇”の奮闘と悲壮を描いた舞台です。主演は内野聖陽、大河ドラマ真田丸にて徳川家康を演じた内野氏に、風間俊介、溝端淳平、ベンガル、佐藤誓、加藤啓、蕨野友也を迎え脚本に井上桂、演出はNHKエンタープライズ出身の一色隆司があたる。

 特設軍艦、太平洋戦争を観返しますと戦艦榛名と戦艦大和や空母加賀に駆逐艦雪風や巡洋艦摩耶、大きな軍艦に注視が集まるところではあるのですが、結局のところ多数が犠牲になりました戦争です、回顧されがたい隠れた戦史の中に散った方々も多い訳でして、特設監視艇への注目の話題は受難者への手向けとなりましょう。そこで特設監視艇について、見てみたい。

 太平洋戦争中、今では信じられない事ですが日本本土への航空攻撃に備え防空警戒に当たるレーダーは首都圏や九州等の一部にしか配備されていませんでした。超短波警戒機甲として対空レーダー開発が本格化したのは1938年、太平洋戦争開戦3年前の事です。精度も地点間標定方式という、送信機と受信機を300km離隔し通過機を捕捉するものでした。

 超短波警戒機乙、ラジオロケータと呼ばれたレーダーシステムが続いて開発されましたが、完成は1942年までずれ込むと同時にその探知能力も低く、生産数も350機程度と、陸軍の規模を考えれば日本本土に加え、環太平洋地域と大陸で先頭を展開するには一桁少なく。探知距離も双発機に対し100kmであり、爆撃機大編隊を300kmで探知できる程度です。

 八丈島や野島崎と伊豆半島に配備されたレーダー等は東京大空襲の探知など、相応の威力を発揮しましたが、当時日本で製造できる真空管は銅精錬技術の限界もあり寿命が短く、アンテナ部分への強風など異常振動により度々異常信号を発する等、現代の技術大国たる日本からは想像できない程に低い水準でした。其処で威力を発揮したのが特設監視艇です。

 宮崎駿原作、“最貧前線”です。宮崎駿氏は日本が世界に誇るアニメーション監督として著名ですが、東部戦線で過酷な状況に曝されるティーガー戦車の戦いを伝説の名戦車長オットーカリウスの視点から描いた“泥まみれの虎”や架空の商船改造空母によるインド洋通商破壊作戦を描く“特設空母安松丸物語” 、ドイツ零年を描く“ハンスの帰還”等も描く。

 特設監視艇を描いた舞台、NHK報道にて知りました、NHK-News-Up““人間レーダー” ~舞台は問いかける~” として水戸放送局が水戸芸術館において上演される舞台とを合せ特設監視艇を紹介しました。特設監視艇は遠洋漁船等の外洋航行能力の高い民間船を徴用し外洋哨戒任務に充てるもので、世界を見ますと漁船に加えヨットが動員された事例もある。

 最貧前線、観劇に赴きたいが水戸はちと遠い、十二月中旬まで上演ならばいっそのこと百里基地航空祭に併せてもう一泊して観劇したいところなのですが。DVD発売を待った方が良いのかな。そう思って調べてみますとNHKが報じたのは11月6日ですが水戸公演は9月12日から15日、東京世田谷パブリックシアターで10月5日から13日まで。情報遅い。

 特設監視艇、そもそも特設監視艇とは何か、と思われるでしょうが、徴用漁船による哨戒艇です。日本海軍は海軍艦艇として駆潜特務艇や掃海特務艇と哨戒特務艇等を建造していますが、これらが新規に建造されたのに対し、特設監視艇は純然たる漁船、鮪鰹漁船を船員と共に徴用し海軍要員も便乗、通信設備と機銃を施し哨戒任務に充てているものです。

 人間レーダーとNHKが特集した背景には、レーダーの限界から本土防空戦闘へ参加を強いられた漁船の悲劇、という部分が大きいのでしょう。戦況悪化と共に特設監視艇にも57mm艦砲や25mm連装機銃と救命艇等が追加される事となりましたが、相手が相手ですので歯が立たず、正確な資料が失われた現在は概数が分かる程度ですが300隻以上沈んでいます。

 鮪鰹漁船は航続距離も大きく、特に漁民は焼玉エンジンや石炭蒸気帆走併用方式等多種多様な機関と天測はじめ航法に長けており、徴用漁船に大型双眼鏡と若干の機銃を搭載し運用していたにすぎません。相手が爆撃機の場合は高高度を通過する様子を報告するのみですが、どの海域にどの方向へ飛行しているかは、日本本土防空に特に重要性を有しました。

 特設監視艇。この名を聞いた方は意外と多いのではないでしょうか、と思う。太平洋戦争を描いた映画にも出てきますし、似たようなものは海外にも多くありました。多分に危険な任務ではあるのですが、しかしあまり映画の主役とは成り得ません。舞台でも正面から描かれるのは、高等学校や大学の演劇部上演を除けば、恐らく本邦初ではないでしょうか。

 映画では描かれているのです。悪評多い映画“パールハーバー”にも出ています。ただほぼ非武装の特設監視艇を嬲り殺し同然に攻撃した史実は“パールハーバー”制作者には気に入らなかったようで映画では偵察用巡洋艦であった古鷹型重巡へと史実改ざん、いや、古鷹型に捕捉されたらばアメリカ空母部隊逆に全滅しているぞ、と劇場で突っ込んだもの。

 日本のいちばん長い日、岡本喜八監督が東宝映画創設35周年記念として制作した。我が国太平洋戦争末期におけるポツダム宣言受諾に至るまでの混乱の24時間を描いた作品ですが、連合国側が我が国にポツダム宣言受諾による終戦を迫る中、交戦継続か無条件降伏かを激論を交わし、陸海軍では本土決戦準備を進める最中に特設監視艇は一瞬登場していました。

 東部軍管区司令部作戦指揮所に放送が流れ“第十七並びに第二十二洋上監視艇よりの報告-房総方面に近づきつつある敵空母機動部隊は-エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻-尚此れに巡洋艦七隻-駆逐艦十九隻を帯同し北上中なり”と巨大地図上に敵空母機動部隊の動静が記されてゆき、続いて海軍航空隊厚木基地から児玉基地へ迎撃命令が下る。

 エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻、日本のいちばん長い日、その劇中では無条件降伏が受け入れられなければ日本本土への更なる苛烈な攻撃が加えられる象徴的な描写と、間もなく無条件降伏が発表される中で体当たりへ出撃を命令しなければならない児玉基地の陸海混成第二〇七攻撃集団の野中団司令苦悩が描かれる象徴的な描写でした。

 洋上監視艇即ち特設監視艇は、その重苦しい場面に洋上監視艇よりの報告、と台詞にのみ登場するものですが、言い換えれば海軍は七月末、つまり二週間前の空襲で呉軍港残存艦艇が大打撃を受け、大半の空母と戦艦が喪失若しくは行動不能という状況下で、特設監視艇は最後まで敵空母機動部隊の動静を伝え続けていた、もう一つの象徴的な場面といえるかもしれません。

 本来ならばレーダーを搭載した駆逐艦を太平洋上にレーダーピケット艦として遊弋させる事が理想なのですが、日本海軍には太平洋戦争に投入できた艦隊駆逐艦は175隻、海防艦も174隻のみ、これらの艦艇は対水上戦闘や船団護衛に輸送任務と酷使されており、余裕はありませんでした。また日本本土周辺にはアメリカ潜水艦が張り付き此の掃討も必要だ。

 鮪鰹漁船転用の特設監視艇であれば、数が多く、特にアメリカ潜水艦も魚雷攻撃するには目標が小さく浮上砲撃を加えれば位置が報告される為に必要に応じた運用といえました。ただ、日本本土空襲が本格化した際には爆撃機の座標等を通知される事は即座に情報優位を喪失する事から、航続距離の大きなPBYカタリナ飛行艇等により掃討を本格化します。

 特設監視艇の受難は、相手がPBY飛行艇であった場合は捕捉された場合に回避が難しかった点です。ただ、海軍はこれら特設監視艇支援に零式水上偵察機を搭載した特設巡洋艦を充てており、救援にわずかな望みを繋ぐ実情があった。他方、相手が爆撃機ではなく空母機動部隊の場合は、艦載機により特設巡洋艦も攻撃が加わる。厳しい戦場といえました。

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