北大路機関

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【映画講評】Battle of the Bulge: Winter War/ザ・バルジ・ソルジャーズ(2)舞台の背景

2021-10-02 14:12:20 | 映画
■ランツェラートとスタブロー
 アルデンヌ冬季攻勢にしてはこじんまりしているなあ、お教えいただいた方のお話しですが当方共にプラトーンと山猫は眠らないのトムベレンジャーというだけで期待が。

 戦争映画となりますと、実際の軍艦を実物大で再現したとか、大戦機の稼働機をどれだけ集めたとか、戦車がどのくらい集めたのか、という話題も確かに興味深いのですが、題材も重要と思う。“にっぽん歴史鑑定”や“英雄たちの選択”など歴史番組が面白いようにね。実際、そう思うからこそ似ても似つかない現用装備の写真を掻き集めて紹介しています。

 アルデンヌ冬季攻勢では、最終的にアントワープを確保するべくフランス中部のミューズ川まで一気に前進する計画である為、燃料輸送車が追い付かない事が多々あったのですね、この為に第一線部隊は米軍補給処から幾度か燃料を鹵獲し、使わざるを得ない状況に陥っています。最初から鹵獲する計画ではなく、予定通り燃料が補給されない場合なのですが。

 先鋒を往くヨアヒムパイパー親衛隊中佐が率いるパイパー戦闘団を例に挙げますと、先ず緒戦で先行する第9降下猟兵連隊に続き、戦車部隊を中心にロスハイム峠の米軍部隊を排除し緊要地形を確保すると共に後方からの燃料を補給する計画でしたが、12月16日、ロスハイム峠を確保した戦闘団に鉄道輸送と道路渋滞により燃料が届く事はありませんでした。

 ランツェラートの戦いは、この直前に発生しています。第9降下猟兵連隊が先行して展開し、戦車部隊が続行して確保するという、米英軍が先に実施したマーケットガーデン作戦のような表面上完璧な戦闘となる計画でしたが、第9降下猟兵連隊長は空軍のホフマン中佐、陸戦経験が無く部隊の掌握も難渋している状態で米軍部隊と交戦する事となりました。

 アメリカ第99歩兵師団隷下の歩兵連隊と戦闘を繰り広げた第9降下猟兵連隊は550名規模ですが、神出鬼没の歩兵部隊を相手に悪天候の視界の悪さも相まって敵を捕捉できません、盛んに銃撃を加えるものの米軍部隊の位置さえ把握できず、ここでパイパー戦闘団の増援を待つ事となりました。米軍部隊相手に苦戦していると駆け付けたパイパー戦闘団ですが。

 第99歩兵師団第394連隊の偵察小隊、第9降下猟兵連隊が苦戦していた相手はなんと20名規模の偵察小隊であり、ジープに機銃を載せ機動戦を展開していました。偵察小隊を指揮するライルブック中尉は弱冠二十歳、偵察小隊には砲兵前進観測班が加わっており、後方から砲兵射撃の支援もありましたが、小隊で連隊を食い止めていたという驚きの話です。

 パイパー中佐は、精鋭降下猟兵一個連隊が一個小隊相手に何をやっているんだと嘆息しつつ、なにしろ戦闘団にはパンター戦車等70両とティーガー2戦車20両配備、その他車輛だけで600両が配備されていますので、降下猟兵を支援し米軍偵察小隊を蹴散らします。この頃のドイツ降下猟兵はクレタ島空挺作戦の頃の練度をもう、留めていなかったという。

 ランツェラート近郊にはビューリンゲンに米軍燃料補給処があり、これを奪取し当座の燃料不足を補う事としました。パイパー戦闘団は第9降下猟兵連隊の降下猟兵を戦車に跨乗させ燃料補給処を襲撃、この際に19万リットルの燃料を鹵獲しました。作戦に参加した19個師団分の燃料が1500万リットルですので、戦闘団だけでこの鹵獲は要諦とさえいえる。

 マルメディ捕虜虐殺事件等、事件が発生しますが、パイパー戦闘団はこのまま前進します、そして戦闘団は12月18日早朝、ミューズ川に至る最後の要衝となるスタブローへの攻撃を開始しましたが、ビューリンゲンにて鹵獲した19万リットルの燃料もこの頃には心細くなっています。そしてスタブロー近郊にも、大規模な米軍燃料補給処があったのですね。

 スタブロー近郊の米軍燃料補給処には56万3700リットルの燃料が備蓄されており、戦闘団の補給線は伸びきっていると共に道路渋滞と橋梁爆破等の妨害により機能せず、これを鹵獲する事で再度攻勢を計画します。敵の補給物資に依存する、日本陸軍のインパール作戦と似た状況ですが、ビューリンゲンでの成功体験はまだ二日前、行けると思ったのか。

 第526機甲歩兵大隊のB中隊と対戦車砲小隊がスタブロー近郊に展開していましたが、危機を察知したポールソリス大隊長は更に予備の対戦車砲小隊を率いてB中隊を戦闘指揮する決断を下し、まず米軍燃料補給処へ向かいます。ポールソリス大隊長は燃料を燃やすよう命令、市街地に隣接する高台にある燃料補給処からガソリンをドイツ軍へ向け注ぎます。

 スタブロー市街地へ展開し市街戦の準備をしていた戦闘団は高台から燃える燃料が注ぎ込まれ大混乱となり、パイパー中佐は燃料鹵獲を断念し、不眠不休で前進し続けた部隊を休ませたうえで近傍のトロワボンにある橋梁を確保し、ミューズ川を渡河すると決心します。既に戦車の半数が整備不良か損傷で行動不能となっていました。再整備し戦闘に臨みたい。

 Rイーツ少佐率いるアメリカ軍第51工兵大隊C中隊がトロワボンに到着したのは、戦闘団がスタブローを進発した直後でした。工兵中隊の任務は橋梁爆破であり爆薬を携行していますが、これに加えて障害除去用に57mm無反動砲を一門装備しています。イーツ少佐は橋梁に迫る戦車に驚きつつも反撃、敵もまさか無反動砲一門とは思わず遅滞戦闘は成功へ。

 トロワボンの橋梁はパイパー戦闘団が到着する15分前に第51工兵大隊により爆破、近傍には十数km離れてアビエモンにもう一つの橋梁がありましたが、こちらも二時間後に爆破される。戦車主体のパイパー戦闘団に架橋資材等は無く、結果的に一時後退しますが、この頃、米軍の空からの反撃が本格化、延び過ぎた補給線を叩かれ、ドイツ軍は敗北した。

 トムベレンジャー、ビリーゼイン。そして若手俳優が固め、それ程多くない予算で、となりますと、この二つの戦いに焦点を充てているのではないでしょうか。監督と脚本はスティーヴンルーク、こちらも当方の知識不足もあり中々知らない名前です。しかし、知られていない史実をもとにした映画は歴史への理解の一助となります、観てみたいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】Battle of the Bulge: Winter War/ザ・バルジ・ソルジャーズ(1)最新作発表

2021-09-25 14:12:20 | 映画
■トムベレンジャー主演
 お友達から面白い映画の新作が在るとお教えいただきましたので本日の第二記事はこの話題をお伝えしましょう。

 アルデンヌ冬季攻勢、1944年にドイツ軍が実施した最大規模の攻勢です。この戦いは一大戦車戦となり、特に電撃戦として機甲部隊の威力を世界に知らしめたドイツ軍最後の大攻勢、その敗北として歴史に記されているものですが、この大作戦の転機となる幾つかの小規模な戦闘に焦点を充てた戦争映画新作が公開される様です、これは楽しみですね。

 Battle of the Bulge: Winter War。原題はこのようになっていまして邦訳は“ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦”という。何か邦訳が量産された格安映画のような印象を与えるものですが、“プライベートライアン”の便乗のような邦題の“プライベートソルジャー”がヒュトルゲンの戦いを描いた佳作であったように、本作も期待したい。

 トムベレンジャー、ビリーゼイン、スティーヴンルーク、アーロンコートー、ブリタニーベンジャミン。俳優は“山猫は眠らない”のトムベレンジャーとビリーゼイン、狙撃映画の金字塔で一作目のヒットから続編が出るまで時間が掛かりましたが、その後はフーテンの寅さんのように量産されたシリーズの名優が二人そろってお年を召しながら共演します。

 Battle of the Bulge: Winter War、期待しつつ劇場を探したいところですが、制作されたアメリカではビデオ映画として劇場公開はされていないという、Vシネマだ。そしてこの作品には“ザ・バルジ”という先行して公開されたVシネマがありまして、その続編という。もっとも、日本の超大作以上に実物の戦車等が一定数撮影に参加しているようですけれど。

 ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦、この作品はアルデンヌ冬季攻勢でも思わぬアキレス腱となったドイツ軍の燃料不足、急にドイツ軍55個師団の内25個師団もかき集めたことで燃料補給が極めて切迫している中で戦われたという、部分に焦点を充てた作品のようです。過大に理解されるきらいはあるが、燃料は極めて厳しいものでした。

 トムベレンジャー、ビリーゼイン、この二人が揃いますと若いころならば狙撃銃で敵を一人一人屠るのかもしれませんが、何しろ今回のアルデンヌ冬季攻勢はドイツ軍の規模が大きく、山猫は眠らない、この公開は30年近く昔の話、流石に二人には無理があります。またトムベレンジャーは少佐の、ビリーゼインは中将の階級章を点けて演じているのですね。

 予告編を見ますと、敵であるドイツ軍の燃料がひっ迫している状況と、ランツェラートという地名、そして少数の戦車が登場します。CGを使えば機甲師団も再現できるのかもしれませんが、質感で戦車と歩兵の動きを細部まで再現できる程CGはまだ技術的に到達していません、すると、あの戦いでの燃料補給処を巡る二つの戦いが、思い浮かぶのですね。

 連合軍は1944年にノルマンディーに上陸しますが、要港シェルブールの攻略に時間を要し燃料不足に陥っていました、これを一挙に挽回するべく3個空挺師団を中心に展開したマーケットガーデン作戦が戦力不足と稚拙な準備により大失敗、停滞状態にありましたので、停滞した前線、ここを突き破れば挽回できる、ヒトラーはこう考えたのかもしれません。

 バルジ大作戦として知られるアルデンヌ冬季攻勢はドイツ軍の命運をかけたものでした、それだけに参加部隊は多く、第6SS装甲軍の第1SS装甲軍団と第67軍団、第5装甲軍の第47装甲軍団と第66軍団、第7軍は第80軍団と第85軍団が参加、停滞している連合軍防衛線を突き破って大西洋に面したベルギーのアントワープまで一挙に戦車で挽回する。

 映画バルジ大作戦として全体像が描かれている作品はあるのですが、参加部隊は大規模であるだけに個々の戦いはかなり省略されています、いや、米英軍84万名とドイツ軍50万が激突し、米軍戦死者8600名と行方不明及び捕虜21000名、ドイツ軍死者12700名と行方不明者30600名という激戦を一本の映画で描けるわけがないのです、死者に失礼ですね。

 ランツェラートの戦い、スタブロー市街戦、映画バルジソルジャーズが描くのは、アルデンヌ冬季攻勢の中でも複数あった転機となる戦いの一つ、そして映画“バルジ大作戦”でも少しだけ脚色されて描かれている戦いです。緻密に計算され過ぎた作戦が、錯誤と混乱の中で少しづつ勝利への機会が削られ、結果的に全体の敗北に繋がった、という構図です。

 第6SS装甲軍はヒトラーが最も信頼する武装親衛隊の戦車部隊で、第1SS装甲軍団は隷下に第1SSライプシュタンダルテアドルフヒトラー装甲師団と第3降下猟兵師団及び第12SSヒトラーユーゲント装甲師団と第12国民擲弾兵師団と第150SS装甲旅団に第277国民擲弾兵師団、第67軍団は作戦稼働可能な第326国民擲弾兵師団が配置、装備も強力でした。

 第5装甲軍は第47装甲軍団が隷下に第2装甲師団と第26国民擲弾兵師団及び装甲教導師団。第66軍団は第18国民擲弾兵師団と第62国民擲弾兵師団。第58装甲軍団が第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団。第7軍は第85軍団第5降下猟兵師団と第352国民擲弾兵師団、第80軍団が第276国民擲弾兵師団と第212国民擲弾兵師団、兵力は膨大という。

 これだけ部隊を集めますと、当然燃料消費が致命的な程に増大します。この為に作戦用に予備備蓄された1500万リットルの燃料をヒトラーが投入許可します。なにしろティーガー戦車は1マイル進むのに7.6リットルの燃料を消費する。ドイツ軍は第一線部隊に必要な燃料を提供する体制を確立させていましたが、予備の燃料などは無く常に枯渇していました。

 Battle of the Bulge: Winter War “ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦”、ビデオ映画という規模からかつてソ連を警戒させたというアメリカのバルジ大作戦のような規模の戦闘は描きようもありませんが、しかし戦史の細部を視てゆきますと分水嶺となった幾つかの小戦闘がありまして、こうした部分に軸を置いた作品の模様、期待です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】史上最大の作戦-The Longest Day(1962)【2】200万上陸の欧州大反攻

2021-06-06 20:10:28 | 映画
■20世紀フォックス渾身の大作
 この映画は1962年というまだ第二次世界大戦の記憶が確かな頃に思い返す映画、という気概のこもった大作です。

 史上最大の作戦。本作はダリルザナック制作渾身の超大作ですが、一人一人に焦点を充てた映画というよりは、幾つかの舞台、部隊でもある、その一幕一幕の群像劇を集大成し、一種のクラウドのようにノルマンディー上陸、歴史の転換点、というものを描いています。そして登場人物もそれだけ多いのですね。その登場人物は一幕ながら主演級が支えている。

 ドイツ西方軍参謀総長ブルーメントリット大将を演じるクルトユルゲンスは、全般情勢を冷静に俯瞰した上で事実と、そして実行したならば歴史を転換させ得る助言を参謀の職責として提言するが政治的に受け入れられない、という様子があります。そして司令部や第一線師団、市民とレジスタンスと、複数同時進行でDデイへと向かってゆく構成で進む。

 ジョンウェインが演じる第82空挺師団バンダーボルト大隊長を筆頭に一人でも存命ならば大作映画を撮影できるほどに多くの名優を惜しみなく投じたところが本作品の特色というところでして、それは同時に連合軍とドイツ軍の複数主人公たちが織りなす群像劇の同時進行から、連合軍の大陸反攻という一大作戦を交響詩のように織り上げてゆく作品です。

 ロンメル将軍は元帥でドイツB軍集団長、そしてもう一人フランスにはドイツ西部軍総司令官のゲルトフォンルンテシュテット元帥、連合軍はどこに上陸するのか、当時すでに地中海のイタリアに上陸している連合軍はイギリスにも集結しており、イギリスから近いパドカレーか、逆に遠いノルマンディか、オランダベルギーか、どこかに上陸すると備える。

 ハンスクリスチャンブレヒ演じる第352沿岸師団のブルスカット少佐は愛犬のシェパードとともに海岸トーチカに重砲と機銃を並べつつ、師団司令部のノルマンディは遠すぎて上陸はないとの楽観論に不安を抱く。同じ頃第84軍団長マルクス大将はじめ数人の指揮官は、敢えて悪天候に乗じて遠いノルマンディに上陸するのではないかと危惧はしているが。

 ハインツラインケ演じる撃墜王ドイツ第26戦闘航空団司令のプリラー大佐は西方空軍司令部の講じた戦闘機部隊の内陸疎開に電話で激しく抗議する、電話を受けるヘイガー大将に第一線指揮官と撃墜王の勘から、今きたらどうにもならない、海岸線を即座に叩ける位置に戦闘機を戻せと主張するが、自らと僚機以外の戦闘機は遠く疎開したままであった。

 第82空挺師団のジョンウェイン演じるバンダーボルト大隊長と副師団長のロバートライアン演じるギャビン准将とともに第82空挺師団はイギリスで待機しつつ命令を待つ、その命令とはノルマンディ上陸に先立ち内陸部へ空挺降下し、連絡線を遮断し、反撃のために内陸に温存されているドイツ軍戦車部隊主力の海岸堡への前進を身を挺して阻止する任務へ。

 ピーターローフォード演じるイギリス第3歩兵師団コマンド中隊のローバット中佐はイギリス第6空挺師団の兵士とともにグライダーで内陸部を強襲したうえで援軍到着まで橋梁を確保し、死守、最後の一人が戦死するまで橋梁をドイツ軍に通行させないとの命令を受けるが、果たして短機関銃と手榴弾だけの装備でドイツ軍を阻止できるものなのだろうか。

 リチャードバートン演じるイギリス空軍スピットファイア操縦士キャンベル少佐は任務飛行を終え一人パブにグラスを傾ける、戦友が戦死した飛行の直後、声をかけられた同僚にその事実を伝えると同期はもう数えるほどしか残っていないなと呟かれ、しかし次の作戦はより過酷なものになるだろうとの予見し、幸運が続くか倦怠感かとグラスを傾ける。

 ドワイライトアイゼンハワー大将を演じるのはヘンリーグレイス、連合軍総司令官のアイゼンハワー大将は悩み抜いていた、上陸するには大潮など日にちが限定される、時機をはずせば取り返しのつかない人的損耗を強いられ、アメリカイギリスフランスはじめ自由を標榜する有志連合の連合国は枢軸国に破れる、今が決断の時機なのか、悪手で次なのか。

 アイゼンハワーは決断できまい、ドイツ軍上級指揮官は今上陸したならば完璧な奇襲となりうるが、アメリカ軍の北アフリカ戦線での判断力、イタリア戦線での状況を考えれば、政治的な判断を軍人に強いている状況から、アイゼンハワーは決断できないだろうと思い描くそのころ、アイクは幕僚たちを集め、自らの決断を吐露する。こう映画は進みます。

 ロバートミッチャム演じる第29師団副師団長コータ准将は揺れる輸送船の上で延々と続く待機命令とともに、しかし上陸作戦へ備える。上陸作戦では艦砲射撃とともにドイツ軍の海岸要塞を徹底的に叩くはずだったが、彼らが上陸したのは上陸地点を誤り、無傷の海岸要塞がコンクリートの巨大な海岸トーチカ群を聳えさせるまさにその目の前であった。

 史上最大の作戦、世界史で学ぶ通り、オーヴァーロード作戦がどのように進んだのかは歴史として知っています、ただ当時の空気を描こうとしている、それもノルマンディー上陸を背景とした個々の戦闘を描くのではなく全体像として、という、これが史上最大の作戦という映画そのものです。それだけに監督も一人ではなく、数多くの監督が協力している。

 ケンアナキン監督、“バルジ大作戦”の監督として名高い監督はイギリス部分を、有名なドイツ末期戦での少年兵の戦いを悲壮に描くあの“橋”のメガホンを執ったベルンハルトヴィッキ監督がドイツ部分を、朝鮮戦争に挑むF-86飛行隊の活躍を描いた第八ジェット戦闘機隊を撮影したアンドリューマートン監督が、アメリカ部分を、それぞれ撮影しています。

 NHK-BSプレミアムにて明日6月7日1300時からの“プレミアムシネマ”放映映画に放映されます映画“史上最大の作戦”、もちろん平日ですので直接視聴するのは簡単ではありませんが、録画して1944年6月6日の出来事、連合軍にもドイツ軍にも一番長い日となった6月6日戦いの様子を回顧する意味合いのある大作映画、ご覧になっては如何でしょう。

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【映画講評】史上最大の作戦-The Longest Day(1962)【1】ノルマンディ上陸作戦描く

2021-06-06 18:12:30 | 映画
■六月六日,欧州反攻発動
 富士総合火力演習が毎年島嶼部防衛を想定し盛上るところですが本日はあの”Dデイ”です。

 NHK-BSプレミアムにて明日6月7日1300時からの“プレミアムシネマ”放映映画に“史上最大の作戦”が放映されるとのこと。1962年のアメリカ映画なのですが、6月7日に放映する、というところがNHKさんわかっているなあ、というところでしょうか、そうその前日である本日6月6日は“Dデイ”なのですね、これに併せての戦争映画放映という。

 史上最大の作戦、1944年6月6日に実施されたノルマンディ上陸の連合国軍欧州反攻作戦の火蓋が切って落とされたその瞬間に至る人々を描いた映画で、原作はThe Longest Day,いちばん長い日。アメリカ人ジャーナリストのコーネリアスライアンが著したノンフィクションを20世紀フォックス映画が文字通り社運をかけた超大作として映画化したものです。

 20世紀フォックス映画のダリルザナックはこの作品に先んじて会社が映画“クレオパトラ”を制作しましたが、壮大な歴史叙事詩を映画で再現するという交渉な試みは、最盛期のエジプトを映画セットとして装飾品を含め再現する事となり、要するに制作費が過大となり映画会社が傾く程となったのですね。そこで、同時期に制作された本作が注目されました。

 オーヴァーロード作戦、大君主作戦と呼ばれるこの作戦は両用艦艇5000隻を一挙に投入し、ドイツ軍の警戒の薄いフランス大西洋岸へ200万の連合軍を上陸させるという途方もない作戦で、上陸した連合軍の規模は1991年湾岸戦争の4倍、沖縄戦の5倍という規模、上陸初日だけでも16万の兵員が上陸しています。そしてドイツ軍は38万が布陣していました。

 運命に立ち向かう人々を群像劇で描く映画、史上最大の作戦というものはそうしたものといえるかもしれません。なにしろ1944年当時の欧州は、1940年にフランスが降伏しフランス救援に派遣されたイギリス軍が武器さえ捨てて身一つでダンケルクからドーバー海峡を渡り撤退した後、ノルウェー含め全欧が枢軸国とその占領地、イギリスのみが生き残る。

 しかし1941年12月の真珠湾攻撃を受け、日本は枢軸国の一翼を担った事からアメリカ参戦はドイツへの参戦も意味し、巨大な工業力をもつアメリカの参戦により徐々にイギリスは不利ではない状況が醸成されています、北アフリカではエルアラメインの戦いでドイツ軍の前進を阻止し、地中海の制海権を維持、ドイツはソ連との戦いで消耗を重ねてゆく。

 オーヴァーロード作戦は、ここで西欧地域に連合軍が上陸する事でドイツにソ連との東部戦線と並ぶ西部戦線を構築させ、二方面作戦胃より戦力を分散、各個撃破を図る、という構想のもとで行われていますが、成功したというのは後世わたしたちの視点であり、当時は成功するか怪しかった、1943年にフランスのディエップへ上陸作戦を行い失敗している。

 The Longest Day、この意味するところは映画の冒頭にヴェルナーヒンツ演じるロンメル将軍が海岸線防御陣地構築を視察しつつ、"連合軍が上陸したその日の内に全てが決まる、その日が連合軍にもドイツ軍にも一番長い日となるだろう、いちばん長い日、だ"と訓示する描写によるもので、24時間以内に撃破できなければ海岸堡を捕られドイツは敗北だという。

 ノルマンディ上陸、しかし激しい戦闘は繰り広げられますが、後の作品の様な生々しい戦闘描写はありません、それもそのはず、1962年公開は終戦から17年、私たちが2003年イラク戦争を思い浮かべる程に皆さん戦争の体験者でしたので現場は知っている、あの戦争は何であったのかを思い返す、全体像と命の意味を知りたい、そうした映画だったのですね。

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【京都発幕間旅情】砕氷艦ふじ,宇宙よりも遠い場所-聖地巡礼とBS211再放送今夜最終回放映

2021-03-25 20:02:25 | 映画
■名古屋港展示の砕氷艦ふじ
 南極目向う少女たちを描いたアニメーション"宇宙よりも遠い場所"BS211再放送は今夜2230時と続いて2430時に最終話が放映されます。

 ふじ名古屋港、名古屋港へは伊勢湾展示訓練や練習艦隊近海練習航海部隊名古屋寄港撮影を筆頭に何度も撮影していますが、今回はなかなか撮影機会が無かった海上自衛隊砕氷艦乗艦です。砕氷艦しらせ名古屋港一般公開は撮影しましたが、ふじ、今回が初めてです。

 南極観測アニメ、この放映に併せてという撮影展開といえるかもしれません。名古屋港にはこの他にポートタワーや水族館がありますが、タワーは艦艇撮影に幾度も昇りましたが、水族館は今まで一度も行っていませんので今度行ってみたい、大阪の海遊館も行きたい。

 南極を目指す女子高生四人の友情を描いたTVアニメ“宇宙よりも遠い場所”、砕氷艦除籍後の旧しらせ、が登場します。舞台は新昭和基地という架空の基地が完成し旧昭和基地が民間委託されたのちに除籍された旧砕氷艦を民間が取得し民間南極観測を行うとの設定だ。

 本作は平凡な日常の中で自分をかえたいと願う女子高生玉木マリさんを水瀬いのりさんが、南極で観測隊員の母親が消息不明となって以来その地に特別な思いのある小淵沢報瀬さんを花澤香菜さんが演じています、二人の高校は群馬県館林市、群馬県に新アニメ聖地が。

 女子高生、諸事情で高校を中退し高卒認定試験を通ったフリーターの三宅日向さんを井口裕香さんが、女子高生アイドルとして北海道から上京し南極企画を打診され上記トリオと知り合い四人一組ならば南極へという白石結月さんを早見沙織さんが、CVで演じています。

 砕氷艦しらせ、も二代目となりましたので砕氷艦ふじ、は三代前の艦艇ではありますが、居住環境などを見ますと蝋人形により再現されている様子もありますので興味深いものがあります、しらせ艦内の居住区も一般公開されますので比べてみますとやはり時代が古い。

 海上自衛隊の中で最も競争率が高い勤務先とは、最新鋭潜水艦そうりゅう型にて高い危険と潜水艦手当を秤に掛け海の忍者か、巨大護衛艦かが艦上にてシーレーン防衛か、先端SM-3を搭載するイージス艦こんごう艦上にて郷里を核ミサイル脅威から防衛するのか、と。

 昭和基地勤務、実は海上自衛隊で最も人気のある勤務地は昭和基地勤務という。定員も横須賀基地や舞鶴基地は勿論、大村航空基地や小松島航空基地よりも少なく、函館基地や沖縄基地と比べても少ないのですが、大所帯の海上自衛隊、南極勤務希望者は一定割合いる。

 砕氷艦は南極観測支援ということで、成る程海象は南極海の波浪と動揺は物凄く、世界屈指の荒波で知られる北太平洋が比較にならない程ともいいます。毎日が台風、という南緯50度と60度を超えれば氷海となり揺れは収まるのですが砕氷航海も苦難の連続の始まり。

 南極海の厳しさは、砕氷艦ふじ、も過去に氷海に孤立し、一時は練習艦かとり飛行甲板に救難ヘリコプターを搭載し乗員と観測隊員のみ救出し、ふじ放棄、という苦渋の決断を迫られた事もありました、昭和基地接岸不能の際には数十浬先からの物資空輸も想定された。

 氷海では推進力を第一に45mm高張鋼の船体強度を活かし連続砕氷を行いますが、稀に踏破できない氷海がある、その際にバラストを左右に動揺させ砕氷、一旦後退し最大速力で再度氷海へ突入、駄目ならば爆薬を設置し氷塊破砕、人類の限界というべき海象でしょう。

 ふじ艦長は防衛大学校卒の幹部が当たったことが無いという珍しい歴史があり、海軍兵学校、海上保安学校、早稲田大学、金沢大学の出身者が当たったという。ふじ艦名は日露戦争の殊勲艦旧海軍戦艦富士を踏襲し、艦長と乗員は1984年の除籍まで任務を完遂しました。そんな歴史を湛えた砕氷艦が今も名古屋で公開されているのですね。

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【京都発幕間旅情】砕氷艦ふじ,宇宙よりも遠い場所-南極に向かった1960年代自衛艦の艦内

2021-03-24 20:01:25 | 映画
■宇宙よりも遠い場所聖地巡礼?
 宇宙よりも遠い場所BS-211再放送最終回放映は明日ですが聖地巡礼に行くにも南極は遠いという方、南極へ向かった砕氷艦ならば名古屋で視られます、よ。

 砕氷艦ふじ、艦内が一般公開されていますが、中には1960年代当時の海上自衛隊艦艇居住空間がどういったものであるか、という部分が垣間見えて興味深いものです。1960年代といえば、最新鋭護衛艦にミサイル護衛艦あまつかぜ、たかつき型護衛艦が並ぶ時代です。

 はるな。海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦が竣工した当時はヘリコプター発着を船体動揺から守るべくスタビライザーが採用され、まるでホテルのよう、この表現は意外と昭和中期に多用されるものですが、戦艦大和の大和ホテルの様な表現で説明されたもの。

 ふじ居住空間を観てゆきますと艦橋構造物の配置などは、日常生活で海事産業従事者を除きますと見る船舶の機会と云うのは遊漁船くらいのもの、それ以外は一般公開される巡視船や護衛艦だけなのですが、なにか護衛艦はるな、のような懐かしい護衛艦を思い出す。

 食堂は一般公開されているのですが、椅子等は砕氷艦しらせ初代のものを転用したとのこと。艦艇に採用されている重い椅子、これは波浪時に安全性を考えて、こうしたものではなく思ったよりも軽量なものでして、南極海の揺れでもこの程度で何とかなるのか、と。

 通路などを歩み進めますと、なるほど防水隔壁等がありませんので、これは水上戦闘艦では無く砕氷艦なのだなあ、と不思議な感慨を抱いたりします。私の世代は砕氷艦しらせ現役に見慣れている世代ですので、それ程広くないこの艦内は迷わず散策ができそうですね。

 士官寝室は、折り畳み式のライティングビューローのステンレス版と云うべき机が二つと二段ベッドが並びます、この当たりは護衛艦みょうこう士官室を思い出すところ、訓練航海の際に使わせていただきまして、ううむ自衛艦の居住空間は進歩せねば、と思うところ。

 ふじ居住環境が良いのか現代イージス艦とあまり変わらないのはふと考えるものでして、イギリス45型駆逐艦等は既に士官は全員個室という時代、狭くとも個室を基本とした上で日常業務は士官室で行う、こうした設計思想に進む必要はそろそろあるのかもしれません。

 艦内には散髪室等もありまして、これは現在の砕氷艦とも重なるところ。砕氷艦は観測隊員の輸送を第一として設計されているのですが、いわば本艦は観測支援を行うものの海洋観測艦ではありません、この為、観測隊員の輸送艦、という設計にもなっているのですね。

 第一居住区と第二居住区、一般公開されているのは第二居住区ですが、ここは、凄い。150平方米の空間に105名が寝起きする三段寝台が並び、幹部と先任海曹以外は全員この第二居住区、前部には第一居住区として60名が圧し込まれている構図、ここは今良くなった。

 居住区の環境は、むらさめ型が12名部屋、たかなみ型が30名部屋で、個室以外の大部屋定員が少なすぎると人間関係の派閥などが悪影響を及ぼすとかで配慮されているようですが、まあこの105名部屋に比べれば、今の艦艇の居住環境はかなり改善したといえます。

 観測隊員居住区は、士官寝室よりも広い印象で二段寝台とライティングビューローに加えてベンチソファーもあります、居住空間としてはその気になればソファーベッドを二つ並べる事も出来そうなほどに良い環境ですので、完全にお客様扱い、これなんだかなあ、と。

 観測隊員居住区、しかしその奥を視てみますと数名が一部屋に入る居住区もありまして、まあ、第二居住区の大部屋と比して雲泥の差ですが、むらさめ型居住区の12名分を若干小さくした部屋を8名で使っている感覚でしょうか、一応差はあるのね、という印象でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】砕氷艦ふじ,宇宙よりも遠い場所-南極観測支援の自衛隊砕氷艦保存展示中

2021-03-23 20:11:59 | 映画
■AGB-5001名古屋港に健在!
 TVアニメ“宇宙よりも遠い場所”BS211再放送記念ということで南極繋がりの砕氷艦を紹介しましょう。

 南極を目指す女子高生四人の友情と努力と協力を描いたTVアニメ“宇宙よりも遠い場所”、平凡な女子高生玉木マリ&南極に特別な思いのある小淵沢報瀬&フリーター三宅日向&女子高生アイドル白石結月その旅路が再放送にていよいよ木曜日に最終回が放映されます。

 砕氷艦ふじ、海上自衛隊の砕氷艦です。1965年に竣工し主として南極観測支援に当たりました。海上自衛隊の艦艇は除籍されますと運が良ければ標的艦、しかし基本的にスクラップ業者へ払い下げられます。もう少し国民の血税をつぎ込んだ象徴は大事にしてほしい。

 ふじ、は除籍艦艇の中でも例外的といえるかもしれません、ふじ、名古屋港にて保存展示され一般公開されています。名古屋港ガーデン埠頭、名古屋市営地下鉄名古屋港駅から徒歩三分と指呼の距離にあり、環状線である地下鉄名城線が金山駅から乗り入れています。

 南極観測船、と愛称がありますが列記とした海上自衛隊の自衛艦、美しい状態で維持されており新型砕氷艦しらせ二代目竣工にあわせ艦内を大きく改装しています、その艦内見学は舷門隣にチケット販売機があり、大人300円にて見学出来ます、ふじ乗艦は今回初めて。

 基準排水量5250t、満載排水量9120t、全長100m、全幅22.0m、吃水8.3m、現在では海上自衛隊の護衛艦ひゅうが、が全長195m、護衛艦かが、全長248mですのでひと昔の砕氷艦という印象ですが、ふじ竣工の1965年当時としては中々思い切った大きさといえました。

 海上自衛隊初の砕氷艦、ではありますが当時の日本には砕氷艦の設計経験がありません。海上保安庁砕氷船宗谷は南極観測支援任務に当っていましたが、あくまで宗谷は砕氷構造の貨物船が旧海軍特務艦としての運用実績を受けての南極観測支援への転用に過ぎません。

 アメリカ海軍砕氷艦グレーシャー、沿岸警備隊に移籍されアラスカ方面での航路啓開にも活躍したグレーシャーを当時の新船舶設計委員会が参考とし、ふじ建造に活用しました。グレーシャーは設計開始当時の1962年には最新艦、技術情報開示は好意的だったともいう。

 ヘリコプター搭載艦として初めて設計された艦でもあり、初のヘリコプター搭載護衛艦はるな竣工は1973年、はるな建造の実に八年前に竣工しています。艦載機も対潜ヘリコプターHSS-2の輸送型であるS-61輸送ヘリコプターを搭載、海上自衛隊の転換点となった艦だ。

 連続砕氷可能厚120cm、最大砕氷能力6mといい、6m以上の海氷は避けてゆく。機関はディーゼルエレクトリック方式で機関出力は12000馬力、推進器はスクリュープロペラ二軸方式で、これによる速力は17.2ノット、重油2180tを搭載し航続距離15000海里という。

 乗員は200名、そして観測隊員35名が乗艦できます。搭載能力500t、これは観測支援物資などを輸送するためのものです。そして艦載機は三機でS-61A-1輸送ヘリコプター2機とベル47G2A観測ヘリコプター1機、観測ヘリコプターは海氷状況の観測任務にあたるもの。

 ヘリコプター格納庫は広大で考えてみればHSS-2系統2機とベル47を搭載するのですから、はるな型護衛艦のHSS-2の3機に迫り、あさぎり型護衛艦や、むらさめ型護衛艦よりも大きなものです。そしてこの広大な格納庫はそのまま南極展示室として活用されている。

 艦内は観測隊員室や士官寝室と先任海曹寝室や居住区と庶務室や散髪室や機関室と艦橋等が一般公開されていまして、1960年代の海上自衛隊艦艇の居住環境等を垣間見る事が出来ます、蝋人形が多数当時の環境を再現していまして、その展示も中々興味深いものでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】日本沈没2020(2020)【3】世界と日本,戦後二十八年と戦後七十五年の巨大変容

2020-08-24 20:16:16 | 映画
■二〇二〇年代の"日本沈没論"
 日本沈没、この作品が広く受け入れられ幾度も映像化の機会に恵まれるのは膨大な検証を背景とした描写から成る世界観と説得力に在るように思う。

 日本沈没。ある意味で高度経済成長の最中に第二次世界大戦の歴史を省みず延々と拡大してゆく日本、日本経済だけではなく世界におけるポテンシャルという意味での日本、ここへの警鐘というものも含めていたのかもしれません。いそぎすぎるな、ゆっくり、ゆっくり。大阪万博に際して豪州がこう伝えた、と作中で豪州首相が思い浮かべる描写もあった。

 エコノミックアニマル、とも作中で揶揄されている日本、これは日本沈没が災害パニックにとどまらず、一つの文明論として小松左京氏が試みた命題であるのは、災害により日本プレートが日本海溝に沈む、ここが動機付けであって、主題は脱出する、しかし一億一千万の膨大な日本国民を受け入れられる地域が物理的にない、という部分に収斂しています。

 世界へ脱出する日本国民ですが、当時中国は文化大革命からの経済後退から避難先とできず、先ず沿岸部に農民に限定して受け入れる希望、つまり中国政府としては日本からの難民により農業を高度化させたい、という要望を示す一方、当時日本では中国に文化大革命や第二次世界大戦から逃げ帰った記憶から、中国への脱出を希望しない、という流れも。

 オーストラリアやカナダにヨーロッパ、アジア太平洋地域ではハワイやグアムとニューカレドニア、という、脱出希望先では観光で探訪したことのある地域が大半を占める、こうした描写もありまして、そして日本沈没執筆当時はまだ、フィリピンとの戦後講和条約が未締結、インドネシアとの戦後処理の問題も今とは比較にならない程で、ここも描かれる。

 2020年代に日本沈没を描く難しさというのは、1960年代に、つまり我々が現在から2001年のアメリカ本土同時多発テロを思い返すくらいの、若しくは2003年イラク戦争開戦の頃の記憶と同じくらいに第二次世界大戦の記憶が鮮やかな1960年代に執筆した日本沈没の世界観と2020年代、戦後75年を経て日本の平和政策が理解されている時点との違いです。

 日本沈没2020の作中には原作に登場する人物が全く出てこないとの側聞を、前回に非常に残念である旨を示しましたが、1960年代に日本から世界に脱出する、それも日本の対外拡張時代の記憶を残す時代に一億の人口が移動する難しさと、2020年代にこれを再現する意味とでは随分と違う印象があります、また受け入れる国の生産能力も随分と違うでしょう。

 作品世界の比較は簡単ではありませんが、抜本的な再構築が必要となります。そして原作当時は東西冷戦の真っ只中でしたので、日本を救出するという事は西太平洋地域の戦略的プレゼンスが当然影響するのですね。アメリカがプレゼンスを失えばソ連太平洋艦隊は直接朝鮮半島を含め西太平洋沿岸地域を拠点と出来る、このパワーバランスの問題もあった。

 朝鮮半島。戦後処理と言いますと韓国との問題ですが、韓国の場合は日本本土が消滅することで甚大な影響を被ります、日本沈没の原作発表は日韓国交正常化から五年後でした、朝鮮戦争休戦からがちょうど20年という時代です。つまり、朝鮮半島情勢はきわめて深刻な時代であり、実際に原作では韓国は日本政府の沈没発表と同時に戒厳令を出したのです。

 韓国戒厳令、これは日本本土が消滅することは、韓国にとって重要な後方拠点、国連軍と在韓米軍の巨大な戦略兵站基地が消滅することを意味しますので、韓国軍の兵站線はグアム島などマリアナ諸島まで後退、九州とマリアナ諸島では韓国から根本的に距離が違います。実際、日本沈没第二部、谷甲州完結編では北朝鮮だけで韓国は国として出てきません。

 日本沈没第二部では中国は経済発展に失敗したらしい。考えてみますと今でこそ中国は世界第二位の経済大国となっていますが、鄧小平時代荒の改革開放が、最も技術協力を行った日本とアメリカの関係が喪失するのです。原作では農民を中心に希望していた為、日本人技術者を招き入れて技術大国を目指すという選択肢が無かったのですね。この影響です。

 在比米軍は残るが在日米軍の根拠地が喪失する、沖縄本土復帰が1972年ですので日本沈没の原作発表はその翌年ということですが、ただ、日本沈没の原作執筆にかんする知識の論拠が1960年代から1970年代にかけて、ということで、日本沈没の年度についてはX年、というような方式で当然ぼかされているのですが、まあ、そんな時代であったわけですね。

 2020、日本沈没2020という視点でみますと、日本とフィリピンの問題やインドネシアの問題は根本から戦後問題は、なにしろ1940年代の命題を1960年代に回顧するのと2020年代に回顧するのは60年の開きがありますので、1960年代に欧州で独仏がモロッコ事件のことを回顧するくらい開きがある、といえるでしょう。文明論の根本が違う、ということ。

 1960年代、日本沈没が執筆された時代は1960年、アフリカの年、百花繚乱の如くアフリカが独立国へと若返った瞬間から間もない、しかしローデシアの動乱や中東緊張の影響、米ソ対立に距離を置こうとする第三世界、こうしたものとの複雑な地政学の蠢動があったのですが、2020年代にはアフリカの開発がかなり進みまして60年で状況は一新している。

 アフリカ問題は作中でモザンビーク、当時は南アと周辺国が互いに領土主張する係争地域でしたが、アフリカ諸国は当時の南アフリカがアパルトヘイトと拡張主義を示す中で、このモザンビークに日本難民を大量に入植させることで緩衝地帯を構築しようと、もちかける。日本代表に持ちかけるところで、作中では日本でまさに中央構造線地震が起きますが。

 南米では日本軍が進駐してくると勘違いして、勝ち組、勝ち組というのは1940年代に日本の敗戦を受け入れられない日系移民一世が、実は日本は負けていないのだ勝ったのだ、と主張する動きですが、さすがにこうしたものはなく、そして1960年代には重要視されていたアマゾン開発がアマゾン保護、現政権では開発、と二転三転したのが現在であるのです。

 植民地主義の残滓のこる1960年代は東西冷戦下であり世界が第三極をどのように構成するか、中立か離隔かをもさくしていた、そんな時代へ日本人が脱出することを真剣に描写したのが小松左京氏の努力というものでしたが、日本沈没2020は、ここを省きますと単なる災害パニック日本中大地震2020でたいへん!、という部分に留まるのが、難しいのです。

 日本沈没が数多の災害小説の中にあって燦然と輝くのは、十全の災害パニックが、災害発生の直接的影響、地震ならば救助が来るまで、映画の地震列島やアメリカ映画の大地震などがそうだ、火山ならば火砕流や溶岩流から逃げるまで、ダンテスピークやボルケーノがこれにあたる、ここで逃げ切った助かったで終わっているのですが、日本沈没は違う。

 しかし、1973年版の映画日本沈没は、ここまで踏み込めなかった、いや、続日本沈没、として東宝が続編を企画していまして、ここでもう少し踏み込んだ内容が盛り込まれたのかもしれませんが、1973年に東宝が制作を発表しての地実際の撮影には進まずたちきえとなっています。映像としてまとめるには、国際政治の朝夕効果予測は難しいのかもしれない。

 日本沈没2020をこの視点から見ますと、まあ新型コロナウィルスCOVID-19は予測できなかったでしょうが、米中対立というものは日本沈没により失われる在日米軍施設によるアメリカポテンシャルの後退として描かなければ不自然でしょう。しかしなにより、日本沈没により生じる多大な津波被害と火山性降下物の被害は、中国本土を直撃するのですね。

 勿論逃げ切ってセーフ、という単純な作品とするのでしたら、そこまで考える必要はありません、例えば日本沈没の大変動に外国人観光客が巻き込まれ、観光客の視点から描く日本沈没見聞録、というような構図ならば別なのですが、小松左京の世界観というのは此処まで単純ではありません、また上海や天津等沿岸都市が日本からの津波影響を確実に被る。

 2020年の時点で日本沈没を描く難しさ、これは何しろ執筆時代が大きく違う為に背景が根本から異なっているという部分です。唯一の救いは日本の地形や標高はそれ程違っていないという部分ですが、国際政治の一例を見ても相当違うのですね。そして地学研究も相当進みました。反映する必要はあるのかと問われると、日本沈没、作品の特殊性から必要に。

 地学の修士論文に匹敵すると称賛された日本沈没の科学検証、当時は日本が日本海溝に沈没するという作品に現実味を持たせるために小松左京氏はかなり広い分野から研究者や理論研究を独自に行い、実際に起こり得るという説得力を持たせています、それゆえに多くの作品同時並行で執筆した訳ではありますが膨大な執筆時間を要しているのですけれども。

 SFは娯楽なのだから最新の研究を反映させる必要はないのでは、と反論されるならば、これを行わないのであれば日本沈没という作品に拘らずとも良いのではないか、となります。そして日本沈没の執筆時点では今ほど巨大火山噴火による地球への気候変動の影響というものが研究が進んでいませんでした。しかし今日ではこの部分を意識しなければ片手落ち。

 カルデラ噴火と地球氷河期。火山噴火は日本沈没執筆当時には日本国内の火山規模が今ほど認識されていませんでしたが、今日ではこの部分を描かねばなりません、特に日本のカルデラ噴火は威力が大きい。日本に複数存在する巨大火山が噴火した場合は氷河期が到来する 世界を描いた“死都日本”“日本沈没第二部”という先行作があるのですから、ね。

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【映画講評】日本沈没2020(2020)【2】未完の”第一部完”と謎解きの鍵は”歴史と文明の旅”

2020-08-10 20:01:45 | 映画
■日本沈没,本日NHK-BSで放送
 原作に登場した護衛艦はるな既に除籍後十年であり完結編登場の護衛艦くらま、その除籍からも久しい2020年代の日本沈没リメイクです。

 1973年版映画“日本沈没”が本日NHKBSプレミアムにて放映されまして、原作発表の同年に映像化、東宝が本作にかける情熱が垣間見えるところです。日中国交正常化翌年であり沖縄本土復帰翌年、そして映画公開の年は永い高度経済成長が第四次中東戦争に伴う石油危機により終焉を迎え戦後初の経済での敗北感を感じた、1973年というのはそんな年で。

 映画と違い原作ではどのように一億以上の国民を退避させるのかという難題で、自衛隊と米軍が保有するLST戦車揚陸艦が大量に投入されたり、各国空母が集まったり世界の旅客機の30%を日本国内に集中させ、伊丹空港が“大阪万博以来の狂気じみた突貫工事”により滑走路四本体制となったりで移住先を探すと共に脱出する物理的な苦悩も描かれてゆく。

 戦後の南方からの引き上げという一千万規模の人口移動、この経験を活かせないか、という視点に、中国は大量の邦人を受け入れたいが当時は中国も食糧難の時代であり受け容れようにも食料が無く日本の農民移住を希望する、また豪州は大陸横断鉄道に日本で建設不能となったリニア新幹線の資材と建設要員を受け入れる等、時代を反映する原作でした。

 映画では脱出できた国民は3400万とのことですが、原作では7000万の大台に乗せていまして、考えてみるとこの原作で生き残った人口というのは第二次世界大戦終戦時の日本本土人口がこの規模だったのですね。蛇足ながら映画の東京巨大地震での死者360万、第二次世界大戦の日本軍戦死者と日本国内死者の合計数であり、ここは意識したのでしょうか。

 日本沈没2020、インターネット配信ということで実況掲示板などを通じての世界観を共有しにくく、しかも広報が地上波も衛星放送でも全く為されておらず、関連特番も組まれていませんので反応しにくく、しかし伝わるところでは相当に出来が悪いといいますか、小松左京の世界観というよりも小松左京の名を騙る題名詐欺という悪評までは伝わってきた。

東京五輪直後に破局が、というものが日本沈没2020の舞台といいますので、東京五輪が延期となった世界では少々説得力に欠けるといいますか、その上で田所博士も小野寺さんも玲子さんも摩耶子さんも片岡氏も邦枝氏も中田さんも出てこないのであれば、確かにタイトル詐欺となってしまうのですが、まあ、敢えてここでは評価しなせん、それより原作だ。

 日本沈没。第一部完。小松左京は日本沈没を最終的に日本列島を失った後の日本民族の行く末までを網羅する超大作とする構想はあったようです。しかし、出版社としては執筆十年、これ以上待てない事情もあった。実際、第一部完、直後にジャンボ機で世界中飛び回りその世界の風土や民族習慣価値観を、歴史と文明の旅、上中下三巻にまとめています。

 もはや戦後ではない。この言葉は1956年に経済企画庁が経済白書に記した言葉ですが、流行語ともなりまして、ここへの一つの違和感、高度経済成長とともに経済戦争という単語、経済戦争には勝利した、という空気、この空気に、やぶれかぶれ青春記、ここで記されているような、それではあの戦争のことをどう考えるかへの放棄を感じたのではないか、と。

 歴史と文明の旅。エッセイ本へ世界を回る方は多いですが、それこそソ連からブラジルまで世界一周して一人の価値観から、1970年代に一気にまとめた、というのは大きな価値があります。そして明らかに、日本沈没後の日本人、原作では七千万しか脱出できませんでした、行く末を未成の、日本沈没第二部、ここに記す為の綿密な下調べだったのでしょう。

 高度経済成長、もはや戦後ではない。ここでいう戦後とは敗戦とともに主要都市は京都以外全て焼かれ、配給も遅配、ヤミ物資で命を繋ぐという状況から、一応は自分たちの生活が成り立つようには経済力が回復した、という意味も含む程度のことなのでしょう。しかし流行語となった時点で、経済戦争への勝利、と空気が変わっていったように回顧できる。

 世界第二位の経済大国。日本のGNP,今風に言えばGNIは1968年に西ドイツを抜き世界第二位となります、ここまで毎年10%の経済成長、つまり10%というと七年でGDPが倍増するのですが、ここでアメリカに次ぐ経済大国としての地位を培うとともに、なにか、太平洋戦争というものを再考する機会、その散逸が日本沈没に反映されているのでは、と。

 牙の時代、短編ですが空気というか価値観というか、その急変というものを描いています。夢からの脱走、これは今風に言えば異世界ファンタジーなのか。猫の首、ここでも戦争というか闘争、人間の正気と良心の基盤となる価値観の変容を扱っています。なにかあの八月十五日、そこで切り替わった空気のようなものの違和感を残そうとしているように思う。

 2020年。しかし、小松左京が存命であったならば、2020年に日本沈没をリメイクするならばどう描くのでしょうか。いや、先行する作品に基づいて小松左京氏が兆円を描く事があるのですね、物体O、アメリカの壁、この二つの作品が長編で映画化もされた“首都消失”へと繋がってゆくのですし、日本沈没に似たような、日本漂流、なんてのがありますから。

 阪神大震災。1995年に発生した巨大災害に小松左京氏は大阪の箕面で被災し、自宅倒壊は免れますが日本沈没発表の際に土木工学者から日本の高架が倒壊する様な描写は有り得ないので民心を惑わすべきではない、と抗議を受けた事を思い出し、もう一度聞きに行ったらば、いやあれば地震が想定外だったからですよ、と開き直られ唖然とした事があるとも。

 日本沈没1999。松竹映画と共に再度映画化の話題が出た際には、実は阪神大震災の頃に出始めていたインターネット、当時未だパソコン通信といった頃か、この行方不明者問い合わせにテレビ中継と連携させよう、という試みが技術的と倫理的問題から頓挫したと氏がエッセイにて述べていますが、日本沈没1999にてそうした描写を描こうとしたと伝わる。

 未来からのウインク。小松左京氏の著書に至る様々な視点を回顧したエッセイなのですけれども、ここに阪神大震災を契機とした認識の転換が含まれているのですね。要するに日本沈没の時代に在ったような、日本の空気、第二次世界大戦へ進んだ際の空気の様なものが払拭された、しかし、という視点で未来に問い明ける意味でのSFへ昇華したといえます。

 3.11東日本大震災。2011年の東日本大震災。考えさせられるのは、小松左京氏が健在であれば、日本沈没の再映像化を前に東日本大震災に打ちひしがれた日本、続いて存在が現実視される南海トラフ連動地震、この脅威の前に敢えて日本沈没をそのまま映像化することをどう考えるのだろうか、という視点です。実際社会も価値観も国際情勢もかわっている。

 日本沈没。全てを示している作品ではあるのですが、上下巻の最後に明示されている“第一部完”というもの、虚無回廊や敢えて完結を避けたこちらニッポン、見知らぬ明日もその終章は読者にゆだねているのですが、第一部完、と明示した日本沈没、ここを敢えて触るのは、なかなかに度胸の要るもの、といえるのかもしれません。ある種愉しみではある。

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【映画講評】日本沈没2020(2020)【1】小松左京再起動!日本沈没Netflix版が来月配信開始

2020-06-25 20:01:13 | 映画
■日本沈没再編,期待と不安と
 日本沈没というと原作に護衛艦はるな、沈没後を描く第二部に護衛艦くらま、が出ていまして特に後者は作品の重要な位置づけとなっています。

 日本沈没とその時代。北大路機関では確か十五年ほど前にも扱ったように記憶します。日本沈没2020、実は小松左京最大のSF巨編が来る七月より新たにWebアニメーションとしてNetflixより配信開始となるようでして、監督に京都をひたすら歩く作品などで有名な湯浅政明氏を招き、声優に上田麗奈さんを主演に放送へ制作がすすめられているとのこと。

 Netflix版日本沈没は2020年の東京五輪直後に首都東京が巨大地震に見舞われ、そして、という内容ともいう。しかし、Netflix版についてはここではそれほど深く触れず、日本沈没、この巨大な作品について一つの解釈を、くどくなりますがご愛敬でおつきあいいただければ幸いです。日本沈没は幾つかの小松作品と並び本人の手では完結していないのです。

 日本沈没。古さを感じないのですが1973年の作品です。ふるさを感じさせない、というものですが、青函トンネルやリニア中央新幹線建設工事に海上空港の関西国際空港という、1973年には実在していない、当時としては近未来の、しかし現在の視点から見れば既知の施設やインフラが登場しまして、なにかこう、古い作品でもそれ程古さを感じさせません。

 日本沈没、小説が発表された年に東宝映画にて藤岡弘主演で映画化されるとともに、テレビドラマ版も1974年から一時間枠が26話にわたって放映され、また当方は全くの未見なのですが1980年にはNHK連続ラジオドラマにもなっていまして、大胆に脚色した漫画版などもあり、そして2006年に再映画化、日本沈没2020はいわば、最新版の日本沈没だ。

 小松左京再起動、こう表現すべきでしょうか。一つ一つの世界は繋がっていないのですが、小松節、とでも表現するべきでしょうか、根底には単なるSF、サイエンスフィクションと一つの枠に収めるには収まりきらない哲学と理念というものが流れていまして、ある意味、小松ワールド、というべき一連の作品群への入り口として一読をお勧めしたいものが多い。

 復活の日。1964年に小松左京が発表した超大作で、致死率の高い悪性インフルエンザの原因である新型ウィルスMM-88蔓延による人間の絶滅と種としての人類の存亡を扱った壮大な物語です。この復活の日は奇しくも世界にCOVID-19新型コロナウィルス感染症が蔓延するとともに、この作品も草刈正雄主演の1980年映画版復活の日が有名となりましたが。

 MM-88,しかし復活の日は単純に、新型インフルエンザでたくさん亡くなってたいへんっ!という話題ではなく、そもそもMM-88という地球上に存在しないウィルスを原型とした生物兵器、作中では核酸兵器、人類滅亡の兵器を開発したのは何者であったのかということを全体で問いかけるとともに人類を救ったものはなにであったか、という視点があります。

 医学が人間を絶滅させ、しかし僅かにウィルスの上陸しない無菌大陸南極の観測隊員だけが生き延びたのは、結果的にではあるが、人類を絶滅させる脅威であったはずの核兵器であった、という。これは別に氏が核兵器賛同であったのではなく実際逆なのですが、人類を本来救うべき医学も運用を誤れば絶滅へ導く危険な技術となる、という一種説話的な。

 ペスト菌がイギリス細菌戦研究所にて保管されていたものが研究員に感染して、という1950年代の報道に小松左京氏が驚いた、氏は京大文学部イタリア文学専攻で、ペストについてのイタリア独自の価値観を学んでいる、ここが執筆の契機となった、とも。それでは日本沈没にも復活の日のような地学パニック以上のものがあるのではないか、といえる。

 第二次世界大戦への価値観、小松左京氏はエッセイ"やぶれかぶれ青春記"として神戸一中生徒時代に経験した第二次世界大戦というもの、特に軍国主義、この経験を著しています。戦争の是非とか、そういうものは置くとして、軍国主義、そして決戦一辺倒に凝り固まった後の判断力からの逃避という社会通念、一種の伝染する空気なのかもしれないのですね。

 やぶれかぶれ青春期。まだ入手できるようですので一読をお勧めしたいのですが、軍国ニッポンから平和ニッポンへ、日々暴力を振るっていた教師が敗戦から、もともとワタクシは平和主義者で、と豹変する、太いものに巻かれるように戦争と平和を食い物としている違和感、大人への違和感という視点から描いています。これは作風にも反映されるもので。

 地には平和を。1963年発表の短編で、短編と言うには長いか、あの八月十五日、重大放送を前に陸軍がポツダム宣言受諾拒否に成功し、本土決戦となってしまった世界で血気盛んな主人公が早期学徒動員により最前線に動員され、滅茶苦茶な本土戦の中で海岸防衛戦で部隊が全滅し、天皇座所があるという信州へ転進し続ける中の不思議が、という内容です。

 戦争はなかった。春の軍隊。いやはや小松左京の真骨頂は長編ではなく寧ろ膨大な短編にあるのですが、散逸したものもあるとのことで興味深い。しかし、戦争というものには大きく影響を、そして価値観の吐露に用いられているのですね。さて振り返って日本沈没、どんな時代か。発表は1973年、奇遇にも日本経済が戦後初の後退に入った時代でした。

 見知らぬ明日、果てしなき流れの中に、エスパイ。小松左京は1960年代半ばから後半にかけて長編をいくつも発表しているのですが、日本沈没は並行して執筆していまして、実に十年を、本人もエッセイにて、復活の日、その刊行への校了の直後あたりから書き始めた、と記しています。それだけ地学に綿密な交渉を重ねて生み出された、という大作ですが。

 日本沈没、戦後SF史の金字塔とさえいえるその執筆は1960年代後半と1970年代前半を目一杯使って執筆していまして、故に、日本沈没とその時代、という命題を考えますと安易に2020年代に共有できるものばかりではなく、1960年代、もはや戦後ではない、と呼ばれた1956年ののちの高度経済成長下、時代価値観を合わせて考えるべきとおもうのです。

 日本沈没。原作では護衛艦はるな、が日本全国民退避作戦本部の置かれる護衛艦として登場しまして、海上自衛隊の護衛艦も海洋観測支援に旧式化したという事で転用された艦艇に護衛艦たかつき型等が描かれます、そして興味深いのは架空兵器というものが出てくるのですね。もちろん架空兵器といっても東宝自衛隊のようなメーザー殺獣光線車ではない。

 よしの。アメリカ海軍のミサイル追跡艦を中古で取得した、というものや海上自衛隊が構想はしたものの実用化は行わなかった通信艦、中でも衛星中継通信に対応する大型の通信艦が描かれますし、うずしお型潜水艦を越える潜水艦かいりゅう型、かいりゅう即ち特殊潜航艇を思いだし不吉ですが登場します、陸上自衛隊にも大量に水陸両用車が配備される。

 近未来を描いた作品故に、こうしたものが描かれるのかもしれませんが、現在こそ護衛艦かが、ヘリコプター搭載護衛艦いずも型などは非常に大型となっていますが、作品世界の自衛隊も相当な規模を有していまして、全国民退避を支援する。日本沈没2020は期待すると共にどう描かれるか不安も含め、当面Netflixのみですのでソフト化を期待したいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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