北大路機関

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【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【04】イーグル特別塗装機とRF-4戦術偵察機の優美(2012-10-20)

2022-04-24 20:21:57 | 航空自衛隊 装備名鑑
■筑波山望むは百里基地
 筑波山を借景にRF-4戦術偵察機も懐かしいですし百里基地にF-15が居られた時代も懐かしいという情景です。

 航空自衛隊は2021年にF-4EJ改及びF-4EJ戦闘機について、すべての運用を終了しました。最初は制空戦闘機として、また航空自衛隊初の真の意味での全天候戦闘機として、また初の中距離空対空ミサイルによる視程外交戦能力を持つ戦闘機として配備されました。

 三菱重工においてファントムはF-104スターファイターやF-86セイバーと同じ様にライセンス生産を実施、ライセンス生産は日本での運用基盤固めに寄与しその生産数は141機に上るとともに、後継となるF-15戦闘機が導入されますと能力向上改修を実施しています。

 F-4EJからEJ改へ。国産対艦ミサイルをASM-1やASM-2を搭載する支援戦闘機の役割も担い、またF-15やF-2戦闘機が不具合の際には日本本土防空の主力となる時機もあり、古いことは確かですが防空に対艦用に航空阻止にと重要な戦闘機として活躍しています。

 戦闘機の寿命はF-4が開発された1950年代当時では20年程度、人間でいうならば90歳いや100歳を超えて現役の古豪というところでしょうか。自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という一種自虐的である表現を用いられなくなったのは少し寂しいですが。

 自衛隊なんてまだファントムが現役なんだぜ、という表現は使えませんが、全機抑止力の維持という重要任務を完遂し遂に退役しました。このファントムは原型機の初飛行が1959年と非常に古く、そしてもともとは海軍の空母艦載機として開発された歴史があります。

 F-4ファントムがアメリカ空軍において高く評価された背景には元々がアメリカ海軍が運用する空母艦載機として設計された為、艦隊防空システムとの連接性の高さが空軍の自動防空管制システムSAGEとの連接性や良好な第一線での運用能力と共通したためでした。

 F-106デルタダート、アメリカ空軍が真剣に検討したのはデルタ翼を持つ美しい設計の超音速戦闘機F-106とF-4ファントムの二機種でした。F-106は離陸さえするならばそのまま操縦士はSAGE自動迎撃管制システムが誘導する目標までの経路を自動操縦で展開する。

 F-106は、そこからファルコン空対空ミサイルやジーニ空対空核ロケットを自動発射する、こうした自動の極致というべき性能を有していて、操縦は高度に自動化されているという部分が特色でした。高空を超音速で飛行するという性能からはみおとされがちですが。

 デルタダートの名の通りのデルタ翼によりF-106は、機動性も思われるほど低くはなく、逆に後にF-15イーグルが開発されますとDACT異機種間戦闘訓練に際しては機動力の高さでF-15を練度を錬成することとなりました。しかし、運用想定が一種極端ではあった。

 F-106は搭載兵器にジーニ空対空核ロケットが含まれているように、核兵器が開戦第一撃で大量使用されるという東西冷戦下のきわめて厳しい、そして第三次世界大戦に勝ち抜く、極端な戦争観のもとに設計され、地域紛争をそこまで検討していたものではありません。

 ジーニ空対空核ロケット、これは今考えてみると凄い、核爆発により空中の敵爆撃機の編隊を一掃するというもので、ミサイルではなくロケットと云うのは正確に命中させる必要が無い程の弾頭威力がある為という。冷戦時代はこれを一機数発の単位で使う計画でした。

 ファントムかデルタダートか、空軍は結局2機種を比較検討することとなりますが、デルタダートはファントムに特にレーダー運用の面で全く勝負になりませんでした、デルタダートのレーダー運用は高度に自動化されていましたがファントムには勝てなかったのです。

 デルタダートは単座戦闘機でありレーダーは操縦士が操作せねばなりません、このために自動化を進めているのですが逆にデルタダートが設計された1950年代の機械操作自動化技術は言い方が悪いですが知れている範疇でした、煩雑なのですね。発想の逆転が必要です。

 1950年代のコンピュータは自動化に限界が在った、しかしファントムは操縦士とともに後部座席にレーダー管制士官が搭乗しています、自動化には限度があるのだからもう一人乗せろ、レーダー操作専用要員を一人乗せる、これではデルタダートに勝ち目はありません。

 こうしてデルタダートはアメリカ本土防空専用機という、限られた生産、200機に満たない生産にとどまる一方、ファントムは実に4000機も生産がされる事となりました。自衛隊のファントム、航空自衛隊はF-104スターファイターの後継としてファントムを採用します。

 実は原型初飛行が1959年のファントムは1954年に初飛行したスターファイターとはそれほど開発時期が違わないのですが、冷戦時代の戦闘機開発は日進月歩、とはいかずとも月進年歩、くらいの頻度では開発されていた構図の証左といえるのかも知れません。

 さて。自衛隊行事にこの燃油費高騰はどう影響するのか。影響しない、ということだけはあり得ません。戦闘機も護衛艦も戦車も動かすにはアブラが要る。そして過去の燃油費高騰の時代には、確かに自衛隊行事に影響は及んでいましたたことは写真などからわかります。

 はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦はるな、その除籍は2009年でした、乗員の方に聞きますと風通しのよい、雰囲気が良い護衛艦であったという。乗りたいというよりも帰りたくなる我が家のような雰囲気があったという、その護衛艦も2009年に、と。

 護衛艦は退役前に、例えば近海練習航海に参加するなど、全国を一周してお世話になった方がたへ最後の挨拶をするものです、こう昔艦長のかたにお教えいただきました、ただ、はるな、は。そう続くのですね、2008年は歴史的燃油費高騰により、できなかったという。

 師団祭なんかも燃油費は響く、例えば例年は軽装甲機動車や高機動車による車両行進を行う普通科部隊は、徒歩行進が主体に、流石に重迫撃砲や対戦車ミサイルを手押しはしないが、徒歩行進の比率が高くなったりするのです。人員だけ駐屯地からトラックで運んだ。

 戦闘機は、これもある種例外的なのだが、写真としては仕上がっているものの、機動飛行の回数が減ったりしている、のだろうか。確信できないのは上記の通り機動飛行のない航空祭は無いが、実施されていますとしっかり撮影しているので、気付きにくいのやも。

 自衛隊行事、なるほど任務は国家の防衛ですので、安全保障情勢というものは確実に響きます、しかし、アブラの価格もまた、響いているわけでして、ロシア軍ウクライナ侵攻を受け始まった燃油高騰、これはどのていど長期化するのでしょうか、一つの関心事です。

 もうひとつ。これはわたしの生まれる前の世代の話ですが、1973年オイルショックの際には装備品がインフレで調達価格が凄いことに。それも割り増し程度ではなく倍増という装備もあったようで、これは当然、調達数の削減へと響きました。今回はどうなるのか。

 自衛隊観閲式なんかはオイルショック前は毎年実施していました、これが隔年となりましたのも、オイルショック後ですので燃料と関係がある、デフレデフレといわれていたものですので、インフレに実感がわかないが、また厳しい時代がやってくるのは残念ですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【03】航空祭の華!ファントム&イーグル編隊飛行(2012-10-20)

2022-04-10 20:01:31 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ファントム編隊飛行
 編隊飛行と云うものは数が揃って迫力ある構図を誰でも簡単に撮影できるという正に航空祭の華というものでしょう。

 航空祭の本番、うわあ飛んできたなあ、という瞬間です。この瞬間で青空を順光の環境で撮影できますと、もうこの茨城までやってきてよかったなあ、と痛感するものでして。なにしろ天気予報が晴天でもこの瞬間に雲が太陽を遮るということは希にあるのですから。

 ファントム編隊飛行、ぜいたくを言えば小出しに編隊飛行するのではなく一つの大編隊を組んでほしかったなあ、とは思うところです、そうF-15戦闘機にF-4EJ改戦闘機にRF-4偵察機で11機編隊飛行、可能なら航空団に配備されるT-4練習機も編隊に加わってほしい。

 航過飛行は一航過しか行われない、つまり撮影の瞬間は貴重なので集中します、岐阜基地航空祭では編隊飛行が編隊を組み直して二回三回と飛行してくれますが、あれは飛行開発実験団の名物的な飛行なのですから、一航過だけは寧ろ普通、さあカメラを構えよう。

 快晴とはこういうことをいうのでしょうね。一方で編隊飛行がどの規模なのか、これは予行を撮影しなければわからない、とも思うのですが総合予行と本番で編隊の組み方が微妙に違うこともありますし、風向き一つで滑走路離陸方向も変わってきます、運が必要だ。

 青空というのも、とにかく航空祭へ撮影計画を立てる際に、その基地は何処から撮影すると順光で撮影できるのか、基地のエプロンか、思い切って滑走路の反対側か、反対側に出ると角度から撮影できなくなるものはどう行ったものがあるのか、撮影計画を練り上げる。

 イーグルとファントム、2021年にファントムが完全退役してしまいましたので、まさに過去の映像というところですが、これを考えるだけに一つの編隊で飛行してほしかったものです、岐阜基地では普通にやっていますし新田原基地の編隊もなかなか迫力があった。

 広角レンズで撮影するか望遠レンズに切り替えるか、これはもう本当に緊張するのですよ、意外に編隊が広がりますと望遠レンズでは肝心なときにフレームから出てしまうことがある、広角レンズですと編隊が小さければ望遠不足に泣く事にもなります、どうするか。

 地上に並ぶ航空機を構図に入れるならば広角レンズもよい、しかしCANONは高倍率ズームが苦手なのか、18-200mmを廃盤にして18-135mmとしてしまいました、そして望遠ズームの28-300mmも後継機種が出ない、撮影しますと、ズームの便利さはありがたい。

 ファントム後継にライトニング、F-35戦闘機を選んだ航空自衛隊ですが、F-35戦闘機の能力は非常に高く多用途で、F-4EJ戦闘機やF-15J戦闘機のステルス版としてもちいるようなことは、その運用に留めてしまうことはないのだろうというのは安堵するところです。

 専守防衛は、F-35をどこまで受け入れられるのかという視点で示しました。内閣法制局の統一解釈では相手国土を専ら完全に破壊するものを保有できないとしているものの、こういったもの等をのぞけば策源地攻撃は、可能であると解釈できます。敢えて曖昧なのだが。

 相手国土を専ら完全に破壊するものを以外、と。当時の解釈には戦術核に含みを残すとも残さないとも解釈されうる表現で、もっとも個人的には日本はB-61核爆弾のような戦術核兵器であっても保有すべきではないと考える、こうしたものまで含まない限り、どうか。

 敵基地攻撃能力については冷静にその能力整備の強化を考えるべきなのかもしれません、すると、専守防衛は周辺国の領土を併合する施策の否定という、新しい解釈の元で展開すべきなのでしょうか。専守防衛、しかしもう一方の視点、平和を買った認識はなかったか。

 日本は1968年に当時の西ドイツの国民総生産GNP、最近はGNIと表現するようですが、抜き去り1968年から東日本大震災の2011年まで長らく世界第二位の経済大国となっていましたが、経済大国の“金持ち喧嘩せず”“金で解決できないものはない”驕りを感じる。

 日本の平和主義には世界第二位の経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢りがあったのではないでしょうか、平和を札束で買う、こうした表現は好きではないのですが、現実の国際政治と平和主義の理念には現実的に大きな隔たりがあったように思えまして。

 経済大国が平和を望めば戦争は起きないという奢り。このあたりが、日本も平和を札束では買えない、平和の値段が高くなりすぎて日本の経済力では買いたたけず、防衛力を整備する必要が突きつけられている構図なのか、とも考えるのですね。すると思う点がひとつ。

 F-22、日本の伝統的な平和主義を考えるのであれば日本は無理をしてでもF-22戦闘機の導入を交渉すべきでした、あれこそが制空戦闘機の理想型、確かに2035年より用途廃止がはじまるとアメリカ空軍が2021年に発表していますが、これは生産数が少なく、特殊性が。

 F-22は更に災害による保有機一割以上がハリケーンにより破損し稼働状態にない中での空軍保有機の稼働率評価を受け、稼働率が低いと評された背景があります。F-22,これは仮に航空自衛隊が無理に採用したらば、アメリカ空軍でも再生産の模索はあったのですから。

 日本採用でその総生産数は若干変わっていたのかもしれません。イージスシステム。さてF-22に関してはアメリカ政府に導入を打診したものの議会が輸出を認可しなかったという背景があるためにそもそも保有できなかったのだろうという反論はあるのかもしれません。

 しかし、これはイージスシステムも同様の背景があったのです、しかしイージスシステムは導入できた。イージスシステムを導入した背景にはその必要性もさることながら太平洋軍と海上自衛隊の伝統的な関係がありまして、結局は粘り強い交渉の成果といえましょう。

 イージスシステムは最後、海上幕僚長がアメリカ海軍作戦部長に日米海軍トップ同士の直談判で日本への供与を切り開いたというねばり強い交渉結果がありまして、F-22の導入まで踏み込んだ交渉があったようには聞きません。ただ、専守防衛を考えるのであれば。

 専守防衛を真剣に考えるならばJSF統合打撃戦闘機としてその名称からも打撃を含んだ戦闘機よりは、純粋な航空支配戦闘機、制空権を獲得するために必要な能力に特化したF-22を政治が推すべきだったとも考えています。もっともF-22はF-35よりも取得費用は高い。

 戦闘機取得費用は確実に増大します、維持費用も比較にならない水準でしょう。このためには防衛費を高く確保する必要があります、日本が経済成長を続けているならば、たとえば年間10%の経済成長を続ければ七年でGDPは倍増する、経済成長があれば、とも思う。

 F-15,なにしろ中曽根内閣時代に一機180億円と、当時は円安だ、高価な戦闘機を導入決心したのです、F-22も普通に選択肢に入ったのでしょうか。F-22をF-35よりも優先する、専守防衛を考えるならば与党はもちろん野党もこう推すべきだったと考えるのですが。

 F-35は日本の平和主義の限界、札束で平和を買える時代は終わり、専守防衛は防衛任務での領域外作戦も含まれる、こうした状態となっている象徴のようにも、思えてならないのですね。平和も高くなったもの、ここまで世界が発展した事は喜ばしいが、ここは寂しいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【02】RF-4戦術偵察機離陸とRQ-4グローバルホーク(2012-10-20)

2022-03-27 20:00:23 | 航空自衛隊 装備名鑑
■F-4EJ改エンジン音轟々と
 エンジンの音轟々とファントムは往く航空祭の空へ。順光と青空を背景に次々と戦闘機が離陸してゆく情景を前にまさにこの構図を撮りたかったとカメラの構え方にも気合が入るものだ。

 百里基地航空祭、茨城県の航空自衛隊基地で首都防空に当る第七航空団が展開しています。ここは航空自衛隊ファントム発祥の地であり、そしてF-15が配備開始されますと首都防空を担うべく二つの飛行隊がイーグル飛行隊に機種転換しましたが、21世紀は色々ある。

 第七航空団は21世紀に入り顕在化した中国による南西方面での軍事圧力増大を背景に、沖縄の那覇基地に配備されていましたファントム飛行隊をイーグル飛行隊へ機種転換する必要が生じました、しかし既にイーグルは生産終了となっており新規生産などはできません。

 北海道の第二航空団はロシア圧力を考えればイーグル二個飛行隊は引抜けません、小松の第六航空団も日本海の対岸が北朝鮮ですので引抜けません、九州の第八航空団も朝鮮半島最寄りの基地ですしイーグル飛行隊は一個だけですので無理、そこで首都防空が、という。

 首都防空は重要ですが、東京はペトリオットミサイルや03式中距離地対空誘導弾システムにより幾重にも防空が確保されていますし、東京に長躯接近するのは鈍重な、中には俊敏な機種も居ますが、相手は爆撃機です、そこでファントムでもなんとかなるだろう、と。

 ファントム飛行隊はこうして、一個飛行隊が那覇と交代しまして、イーグルとファントムの飛行隊となったのがこの航空祭を撮影した2012年でした。もっとも、このあともう一個の飛行隊も引抜かれまして、なんと二つともファントム飛行隊になるとか、想像できない。

 航空祭を撮影した写真、百里基地航空祭へ初めて歩み進めたのは2012年という東日本大震災の直後だったのですが、考えてみますと痛感するのはカメラ性能の向上ですね。いやカメラ撮影が長くなりレンズを新型に切り替えたのも大きいのかもしれませんけれどもね。

 SIGMA120-400OSを当時は愛用していました、150-500というものもあったのですが500mmはカメラがCANONでしたので将来にCANON純正への切り替えを考えますとCANON純正の500mmは単焦点になり手に負えません、それも色々な意味で凄いものだ。

 CANON純正の500mmともなりますと、カメラレンズ、こうひとくくりにするにはちょっとテレビや冷蔵庫と比べるには厳しいものがあります。カールグスタフ並の重さと軽自動車の値段がする。いや重さだけならば冷蔵庫や大型テレビの方が凄いのですけれども。

 ピントがなあ、とは思うところなのですが、まあ撮影できていないわけではないので。しかしこの頃はEOS-50DとEOS-7Dという二台のカメラを抱えて一方に広角ズーム、もう一つは望遠ズームという、レンズ交換の間を惜しんで撮影していたのですね。理由がある。

 18-200mmIS、CANONがなぜか絶版にしてしまいましたが、これが実は望遠のSIGMA120-400mmよりも航空機撮影に威力を発揮しました、18-200mmは絶版になり18-135mmに切り替わっているのですが、CANONの技術的な問題もあったのでしょうか。

 SIGMA120-400mmと並べて撮影すると望遠がたりないことは確かなのですがトリミングしますと使える構図と仕上がりはこちらのほうが多かったのですね。もっともこの18-200mmISについては老朽化しますとAFモーターが作動性に不確かなものがでますが。

 航空機を撮影するには可能な限り18-200mmで追いかけ、射程外に出た際のみ120-400mmを使うという。ただ、試しにCANONの純正で所謂"白レンズ"、おもしろいと思って300mmF2.8ISを購入しますと、これが凄かった。いや、技術は必要なのです、それこそ。

 300mmF2.8ISは撮影に技術が必要と云うのは、ピントが凄いですから、と実感するところが大きい。サンニッパと呼ばれるレンズ、油断すると戦闘機の誘導路を進む様子を撮影していても、気付けばターミナルにピントが正確に合っていたりしますので油断できません。

 サンニッパ、これを一眼レフに装着しますとバッテリー込の重さと云うのが4.4kgと懐かしい64式小銃並となる、しかし、解像度が素晴らしいのですよね、飛行する機体のコックピットにピントを合わせればパイロットの表情はもちろん、名札まで読める解像度でした。

 体力だなあ、と撮影を終えた後の疲れを想うのですが、昔はEOS-Kiss-Nに18-55mmと70-300mmISという軽量装備、それこそ小さなカメラバックに入る機材で適当に撮影していたものを、流石にサンニッパレンズだけで昔の機材より重いのだから疲れは当然と知る。

 28-300mmIS、ああこれをレンズ沼というのだなあと実感しつつレンズをも一つ、18-200mmの望遠版のようなものを調達しまして、初めて使ったのは確か千葉の下志津でしたけれども、これも凄かった。なによりも撮影する全ての焦点領域をほぼカバーする。

 白レンズの一翼を担う28-300mmISを本格的に運用しますと、あっというまにSIGMAは、いいレンズですよ、予備機種となる。28-300mmISと120-400mmOSでは400mmの方が望遠は利くのですが、なにしろ使える構図の比率となりますと白レンズはやはりすごいや。

 100-400mmIS2、しかし驚くのはこののちに発表された新型レンズで、ズームレンズですのでサンニッパと比べれば軽量なのですが、性能がサンニッパに迫る、八割くらいか、描写力がありまして、これがEOS-7Dmark2と相性抜群だったのですよね。買ってよかった。

 思い起こせば、過去の幾つかの行事に際して、この性能のレンズやカメラがあればなあ、そう思い返すこともあります。もっともそれは思い返す土台となる過去の写真があるからこそ。やっぱり写真というものは思い出を長く新鮮なままとできる、良いものなのですね。

 偵察航空隊。RF-4の離陸です、大災害となりますとこのRF-4が緊急発進し写真偵察を行い、政府や自衛隊災害派遣部隊の情報収集に役立てる、というものはある時期では定番で、例えば映画の日本沈没や平成ガメラシリーズなどでも描かれていた描写であったのですね。

 RQ-4グローバルホーク、ようやく2022年3月に日本へ到着しました後継機ですが、この偵察航空隊は2020年3月に廃止されていまして、いやはや、この2020年から2022年にかけて、東日本大震災のような大災害が起きなくて本当に良かった、冷冷やしていました。

 RF-4戦術偵察機の前にはRF-86という第一世代戦闘機であるF-86戦闘機の派生型を配備していたのですが、このRF-86を運用する部隊として1961年に第501飛行隊が創設されていまして、1962年に基地を入間基地へ移動しています。移動には偵察機の特性があった。

 戦術偵察機、この機体には航空祭を撮影するカメラの親分のような巨大なカメラと、こんなフィルムを使ってみたいという撮影者の夢と自分で現像しないからだよという事業者の視点のようなフィルムが搭載されている、これで目標を撮影し、画像情報を得る訳ですね。

 松島基地で創設された背景には、当時F-86戦闘機の教育訓練部隊が置かれていた為なのですが、当時も今も、今と云うのは撮影時点のRF-4があった時代、フィルムを撮影しましたらば現像せねばなりません、そして現像した画像を送るまでが第一段階となるのですが。

 入間基地へ移転した背景には、松島基地を基点に運用し、そして偵察機舞台に現像処理施設があるのですから現像も松島で行う必要がありますが、その現像した画像を伊達正宗公に見せるならば宮城県内ですが、東京の安倍総理大臣(当時)に見せるには少々距離が遠い。

 東京に送るには入間基地が最適です。府中基地の方が近いといわれるかもしれませんが、滑走路が無い。FAXを使うべきと指摘されるかもしれませんが、この戦術偵察機の巨大なフィルムで撮影した画像はあまりに高精細で、FAXでは難しい。今の光ファイバーならば。

 写真偵察は航空祭でも展示飛行を行うのですが、なんと驚く事に二回に渡り上空を航過飛行し、その後で現像し格納庫で展示するというものなのですが、航空祭に来場していた、恐らく五万六万の観衆、私も含めカメラバックまで判別可能なほどに写っていたのですね。

 偵察画像、今の光ファイバーならばデジタル化して送信できるのかもしれませんが、まあ1961年の技術では感熱紙を使って送る伝送技術では無理と云わざるを得ません。そこで松島基地から入間基地へ移転されたのですが、その後にやや離れた此処百里基地へ移転した。

 茨城県で遠くなったのではないか、こう指摘されるかもしれませんが残念な現実が。当時入間基地の滑走路はF-86戦闘機の発着には対応していたものの、F-4戦闘機の重量や最大装備の発着距離も、不充分という状況があったのでした。仕方なく1972年に移動します。

 第501飛行隊は百里に移転しましてRF-4戦術偵察機を運用するのですが、これはRF-86とは段違いの高性能で速度も生存性の高さも凄かったのですが、なにより夜間偵察が可能になったのが大きかったようです。一方、偵察航空隊分遣隊としてRF-86も暫く残った。

 偵察航空隊分遣隊というかたちで入間基地に一定数のRF-86が配備され、RF-4とともに二機種運用が行われていました。そんな時代も在った事を考えると、後継機が配備される前に偵察航空隊が廃止され、その後数年間に渡り綱渡りを行った、背筋が寒くなるよう思う。

 F-2戦闘機あたりを暫定的な戦術偵察機に応用できなかったのか、個人的にはこう思います。なにしろ支援戦闘機として開発されたF-2には目標情報が不可欠なのですからF-2をRF-2というような専用機に改造しなくとも、既存のF-2に偵察ポッドを装着するだけでも良い。

 MS-110広領域空中偵察システム。我が国では東芝がRF-15偵察機用偵察ポッドの開発を試み、そして失敗し偵察機は一時なかった事になりました、空幕広報の方も一時期偵察機を話題にすると笑顔を曇らせましたほど。しかし世界にはMS-110のような既製品がある。

 東芝もこうした技術に果敢に挑んだのは評価しますが、東芝はガソリン車や旅客機に手を出さない様に、未経験の分野にいどむには、例えばM&Aで経験ある海外企業を子会社化するとか、航空技術事業部を立ち上げて充分研究する、この手間を省いて、防衛が危機に。

 MS-110広領域空中偵察システムはF-16戦闘機用のポッドでレイセオン社が開発しました、戦術偵察機はRQ-4と比較しますと、広域防空ミサイルの脅威状況下でも敵戦闘機が接近する状況でも偵察が可能です、RQ-4で対応出来るならば戦闘機でなくとも空中戦が出来る。

 有事はいつ起きるか分らない、それは東日本大震災のような形で在るかもしれないしロシア軍ウクライナ侵攻のような状況が北海道周辺で起こるかもしれない、だからこそ何とかなるだろうと考える事は安全保障の基本以前を理解していない事になる、そう思いました。

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【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【01】F-4EJファントム退役一周年(2012-10-20)

2022-03-13 20:11:55 | 航空自衛隊 装備名鑑
■百里航空祭の思い出話
 日曜の夜と云う事で、十年一昔といいますので一つ此処は昔話としての百里航空祭の話題を少し記してみましょう。

 ファントム、岐阜基地でほぼ一年前の3月17日にラストフライトを迎えた戦闘機です、そしてそのファントムが日本で最初に配備されたのが百里基地でした。様々な背景があるのですが、一時は全ての飛行隊にイーグルが配備された百里は最後ファントムに戻ってゆく。

 百里基地、十年一昔と云いますので文字通り一昔の話題とはなりますが、今回から百里基地航空祭の懐かしい写真を思い出話や備忘録と共にお伝えしようと思います。日曜特集、二系統を各隔週で掲載していますが、一つは第七師団、もう一つが、百里の第七航空団だ。

 初めて撮影へ展開する基地というのは緊張します、それはどこから撮影すればよいのかわからない、そして概ね遠出した基地ほど初めて撮影するということが多いものですから、さてどの位置から撮影すればよいか、五里霧中ではないが百里霧中という感じでしょうか。

 撮影、いや五里霧中は比喩の表現です、百里霧中では飛行展示ができませんからね。もちろん抜群の事前情報収集とか、007みたく衛星写真で撮影位置を、とか、ランボーみたく地元案内人を、という選択肢もあるのですが、どうもわたしは直感で撮影している印象だ。

 カメラは重い、そして事前情報収集といいましても、どの程度混雑しているのかは実際進出しなければわからないものですし、晴天なのか曇天なのか、シャトルバスの発着位置さえ、撮影適所というものを左右します、遠い場所に着く頃は満員御礼の可能性もあるのだ。

 百里基地航空祭、そういう視点で考えれば、まあ良い撮影位置、順光で撮影でき、百里基地らしさを写真に収められる、そして航空機の写真として眺めても充分合点がゆく構図には、できたと思います。しかしこれは自己採点、皆さんにも採点に写真を見てもらいたい。

 ファントムが航空自衛隊から引退したのがちょうど一年前でしたか。実際問題としてよく、ラストフライト撮影、これに間に合ったものです。同じ2021年は護衛艦はつゆき型最後の一隻が自衛艦旗を返納し除籍、防衛力の世代交代はまさに転換点といえるものでした。

 岐阜基地に響いていましたファントムのエンジン音は、かかりの枚数を撮影しましたので、ふと、まだどこかに響いているような気がします。いや実際にJ-79エンジン音が聞こえるならば近くにF-4ではなく古いU-2偵察機でも飛行しているのかもしれませんが。

 百里基地航空祭。今回は2012年の百里基地航空祭の様子をお伝えしましょう。考えてみますとCOVID-19新型コロナウィルスの影響により航空祭はもちろん、自衛隊行事が総崩れとなっていますので、なにかそうとうな昔のように見えるのですが、2011年の航空祭です。

 2011年はほんとうに日本史にとって大きな転換点となりました。10年一昔とはいうのですが、ここで改めて翌年の百里基地航空祭、その様子を紹介しましょう。そう、2011年、東日本大震災のあった年の翌年ですね。あの福島第一原発事故の記憶、当時は現在進行形だ。

 東日本大震災、当時国会答弁では外国人献金問題が議論され、仕事場でもTVで国会中継を点けたままにしていましたが、突然の緊急地震速報に驚かされまして、しかし震源は東北地方沖、距離としては非常に離れていることは確かですが直感したのはべつのもの。

 宮城県沖地震、最悪の場合はマグニチュード8クラスの巨大地震となり数m規模の津波を引き起こすと、当時から周期的に発生しており防災行政上課題として警戒されていました、宮城県沖地震がやってきたのか、こう身構えたものですが、NHK国会中継は無音のまま。

 国会議事堂内が揺れている、中継では連動して南関東でも地震が発生したのかと考えていまして、しかし、これは東北地方の地震が東京へも影響しているというものではないのか、そうした嫌な予感がどす黒く染み出してきましたのを、やはり11年を経ても忘れられない。

 こちらまで揺れが始まったのは、その少し後でした。不思議な揺れというもので、浮き桟橋の上でゆったりと揺れているような、しかし確実に大地に振られていることを認識しまして、いや震源は1000km先だろう、頭では理解していても感性が追いつかない違和感だ。

 阪神大震災、個人的に震源から離れていましたが巨大地震の揺れは経験しているものでして、それこそ地震は揺れるものだけれども、揺れるにしても1000kmはなれていて揺れるものか。NHKは遠の昔に国会議事堂内から仙台駅前、そして東京撮ってと叫び声が響いて。

 津波とコンビナート火災に、そして福島第一原発、これは歴史に残るだろうという認識はありましたが、実際歴史的災害となりました。ただ、忘れてはならないのですが、この百里基地航空祭はその翌年の開催なのですね、日常の回帰、日本の底力を知った気持ち。

 航空祭のファントムかっこいい、こう思われるでしょうが。石岡駅からバスが運行、一年以上を経ても東日本大震災の影響を考えさせられる情景は広がっていました、屋根瓦が、大半の住宅で破損し、ブルーシートで覆っているのですね、阪神大震災の時のように。

 茨城県は隠れた被災地、こう呼ばれていたのですが、そんな生やさしいものではない、此処単体でも激甚災害というような被害がでています、津波もかなりの高さに及んだというではありませんか。聞けば瓦の価格が高騰しており、修理は瓦供給の様子見とのこと。

 F-4EJ改ファントムの後継として航空自衛隊はF-35戦闘機を選定しました。難産ではあったが素晴らしい戦闘機として完成した戦闘機です。F-35戦闘機を航空自衛隊はどのように運用するのか、この部分が未知数です。ただ危惧していたような単なる戦闘機ではない。

 JSF計画統合打撃戦闘機として開発されたF-35戦闘機は制空権確保や邀撃戦闘能力も相応に高いのですが、統合打撃戦闘機の名の通り、戦域優勢をつかみ取るための航空機であり、打撃の対象は敵戦闘機にとどまることなくもう少し幅広い可能性を有しているように思う。

 敵の優勢に資するものを根本から無力化することに重点を置いた航空機です、これは結果として日本の伝統的な専守防衛政策と合致するものではありません。専守防衛政策、しかしこの議論が形骸化しているといいますか、平和を現実的に議論していないよう危惧する。

 リアリズムに依拠した平和論争というものが我が国では成り立たず、防衛力を認めるか認めないかというゼロサム論点にとどまっていることで専守防衛に伴う弊害をリスクとしてどこまで負担するのかという視点に昇華していません、平和の空白、これは不思議に思う。

 そして統合打撃戦闘機という理念を、これは代替案を理解せずに導入したことは不思議にも、こういうよりも専守防衛を実際の政策に盛り込むものなのかを疑問符として突きつけたように思う。多少取得費夜が高くともF-22戦闘機の方が良かったのではないか、とね。

 憲法問題、この視点は防衛という、軍事という、科学的な命題に相容れるのかという視点はあるのですが軍事機構というものは結局行政機構でもありますので、この論争は避けることは出来ません。ただ、自衛隊は憲法違反ではない、こうした主張が最近増えている。

 憲法改正へ自民党が現実的な制度枠組みを構築しようとする段階において、自衛隊が憲法違反であるとしていた野党連合が一部転向したような認識を示す点に疑問符がつくものでして、自衛隊が合憲であるという視点で与野党、で自衛隊は合憲という主張が最近目立つ。

 野党といいましても旧民主党系政党の一部ですが、こうした合致が出来るとして、2010年代に既成事実化している構図の防衛政策全般についても合憲であるので改憲の必要はない、として認識を一致させることはできるのでしょうか。出来るならば、良い事なのですが。

 自衛隊が合憲と云うならば自衛隊法に基づく平和安全法制も武力攻撃事態法も含めて合憲と考えているのか、よくわからないが自衛隊は有るので合憲、というのか、ここで議論は判れてしまうのですが。有るので合憲という視点ですと、国土防衛が違憲の可能性が残る。

 JSF統合打撃戦闘機としてのF-35能力を最大限発揮させることについて、これが自衛隊のF-35導入の背景であり現実なのですが、この部分まで踏み込んで与野党、野党すべてではなく結局共産党は反対するでしょうし連立与党でも公明党は難色を示すのでしょうが。

 策源地攻撃を含めて合憲であると合意できるのであれば、ある意味で改憲の必要はないのかもしれません。もっともここまで踏み込んだ議論を行っていないよう思う。例えばシーレーンを絶たれるだけで日本は崩壊します、第二次大戦でも沖縄戦だけで降伏した背景だ。

 JASSM,F-35戦闘機には航空自衛隊がF-15戦闘機に搭載する計画があり、しかしボーイング社の見積もりの甘さから開発費が高騰し導入を断念したスタンドオフミサイルの運用能力があります、要するにこの種の装備を相応に整備する事が合憲なのかという視点が要る。

 そしてF-35は敵勢力圏内に深く浸透して指揮通信や作戦中枢を破砕する能力を有しており、そのためのステルス性や大量の装備を搭載するビーストモードなどを有しています。ビーストモードはF-35がステルス性を脱ぎ捨てて大量のミサイルを主翼等に搭載する方式です。

 ビーストモードのF-35はミサイルのデパートと云うべき存在で、攻撃能力はF-2戦闘機と比較しても極めて高いものが、対艦能力は別として評価すべき水準となっています。対艦攻撃能力についてはF-35開発時で日本のFS-Xのような対艦攻撃の必要性が低かったため。

 F-35戦闘機の能力を最大限活用する、これは専守防衛に関する伝統的な枠組みからははずれることとはなりますが、憲法との整合性を考えるならば、専守防衛は他国への攻撃能力を根本から否定するものと限定解釈することなく、発揮する事は問題はないのでしょうか。

 これは内閣法制局の政府統一見解として1970年代から堅持されているものだけれども、相手国国土を根本から破壊するものは装備できない、当時A-5ビジランシティ攻撃機から核爆弾を運用していた攻撃型空母、水爆運搬などに用いられていた戦略爆撃機、挙げられた。

 こうした過去の流れを記しているのですが、一方で実はこの詳報として写真キャプションを作成していた際、てっきりこの航空祭を2011年に撮影したものと勘違いして二万字ほど書いてからよくみれば2012年、つまり東日本大震災の同年ではなく翌年と気づきました。

 イーグル&ファントムの時代という百里基地航空祭、十年一昔とは言うけれども、なるほど覚えているつもりでもこうして情報を整理しておかなければ、記憶と云うのは曖昧になるものなのだなあ、と再認識しつつ、次の百里航空祭はいつだろうと思い返す次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(12)素晴らしき航空祭の一日(2014-09-20)

2021-07-18 20:20:30 | 航空自衛隊 装備名鑑
■小松!有終の六〇周年航空祭
 小松基地を目一杯見上げました航空自衛隊60周年小松基地航空祭もいよいよ終幕が近づいてまいりました。

 ブルーインパルスデルタ編隊降下、小松基地撮影ですが、やはり最前列を朝一番で確保することが出来ますと、滑走路の向こうに小松空港があり、ここにKOMATSUと明記され撮影環境としては"小松らしい"写真を撮影することができます、ただ本当に朝一でなければ。

 ブルーインパルスデルタ編隊航過、ブルーインパルスは思い切って引いた一で、格納庫側から撮影するという選択肢もあるのです、満員の観客とブルーインパルス、小松らしいというよりも"航空祭らしい"写真を撮影できます、ただ、白山側から飛来する編隊は撮れない。

 ブルーインパルス編隊、ブルーインパルスは航空祭の華、しかしブルーインパルスが飛行展示を行う際には観客が二万から三万増えたりします、ブルーインパルス、するとほかの基地でも撮影できるよね、撮影優先順位が下げられるということも、一定数場数を踏むと。

 ブルーインパルス編隊、この飛行展示は、さて撮影しました2014年にはまさかCOVID-19新型コロナウィルスの感染拡大で2020年と2021年の自衛隊関連行事が全面休止となる、そんなことは想像も出来ませんでしたので、世の中なにが起こるかわからない、という。

 ブルーインパルス編隊、ブルーインパルス、しかし冷静に考えてゆきますと撮影環境がこの小松航空祭のように最前列で、小松の戦闘機が目の前で地上展示を行っていまして、しかも快晴で、さらには順光の立地で撮影できるというのは、中々貴重な機会といえるのか。

 ブルーインパルス編隊、実は別の年度、小松らしい写真を撮影しようということで第6航空団司令部庁舎と併せて撮影してみよう、と撮影位置を陣地変換したのですが飛行展示が会場をメインに設定、数百m離れるだけで見え方が違い、写真が残念だったこともあった。

 ブルーインパルスデルタ編隊飛行、一度撮影してみたいのがブルーインパルスを小松空港から撮影するとどうなるか、実はCOVID-19直前の航空祭で試してみますと、だめでした、空港展望デッキは視界が限られていた、小松基地航空祭は会場からの撮影こそ王道という。

 航空祭の醍醐味は、特に近場の基地での航空祭では王道の撮影位置に甘んじず、若しくは最初に王道を撮影した上で新しい撮影位置を探し失敗を重ねて翌年その翌年と撮影位置や飛来する角度を試行錯誤し、五年十年単位で探してゆくのも、面白い様にも考えますね。

 F-15戦闘機背景にローリングコンバットピッチ、さてこの旋回は編隊で飛行場上空に進入し一度に編隊を解いて短時間で着陸する飛行、ブルーインパルスの飛行展示も完了でら着陸軌道には行ります、なかなかよい写真を撮影できた、白山のくくり姫に快晴を感謝だ。

 F-15ジュニア背景に着陸するブルーインパルス、なにか、こう、変な構図になってしまった。イーグルジュニアというべきか、ブルーインパルスジュニアのような走行、もとい飛行展示は行いませんが乗ってブルーインパルスを眺めた方の感想を聞いてみたいですよね。

 イーグル背景にブルーインパルス六機が揃う。やはりこの撮影位置は運が良かった、この構図、小松でなければ撮影できません。そろそろシャトルバス乗り場へ移動という頃合いですが、それでも撮影はしたい、この塩加減さじ加減、身を焦がされるのも愉しみやも。

 小松航空祭、自動車と空路と鉄道という交通手段が在るのですが、自転車を輪行しますと鉄道と自動車の移動は選択肢が増えるのですね、駅からはシャトルバスと路線バスで基地近くまで、またはタクシーという方法もあります。空港から基地まで徒歩だと90分ほど。

 F-15の素早い機動力の展示とは裏腹に、撮影するにはどの撮影位置からかという部分も重要でして、入場がスムーズに進む門と対照的に時間のかかる門もあり、これは年度よって違いますのでどれが最良かは一概に言えず、この当たり運なのかもしれない。さて移動だ。

 T-4ブルーインパルス3号機4号機の並び、地上展示航空機の隙間から撮影するという高等技術も慣れてきました。このあたりは望遠レンズの性能に依存するというところが現実でしょうか。航空祭とは各カメラメーカーの性能が試される瞬間でも、あるのかもしれない。

 C-130H輸送機地上展示と満員の航空祭という活況、近くまで寄れません。航空機の写真としては全景を撮りたいところですけれど、こうした活況を示す写真の方が航空祭の写真としては、なかなか秀逸に仕上がっているように思う。こちらの方が歩かずに撮るのも早い。

 P-3C哨戒機地上展示と背景に朱色ベル412の防災ヘリコプターが飛ぶ。石川県の防災ヘリコプターはくさん号は朱色のベル412ですので、おそらくこれが防災ヘリコプターはくさん号と思うのですけれども、なにか事故でもあったのか、報道は無かったが、心配に思う。

 軽装甲機動車、6空団-3と表記が、これが陸上自衛隊の6普-3という表示ならば北海道美幌の第6普通科連隊第3中隊となるのですけれども、航空自衛隊なのですからまさか、基地警備部隊にいくつも中隊を置けるわけがなく第3中隊ということはないだろうし謎だ。

 てるてるコマフ、気象隊謹製。航空祭の晴天はこうして守られたのかもしれない。小松基地航空祭公式ゆるキャラ、という訳ではないのですが小松マジックで知られる快晴には、白山くくり姫、とともに基地気象隊が巨大てるてる坊主を作っている為、ともいわれます。

 渡辺飛行隊長のかっこいいサムアップを第303飛行隊本部前にて。陸上自衛隊の行事では指揮官が訓示し巡閲しますし、海上自衛隊でも登舷礼とともに指揮官は敬礼を受けますが、航空自衛隊の航空祭は指揮官の表情が見えません、こういう指揮官のサムアップはいいね。

 AAM-4とAIM-7FとAAM-5のミサイル展示が格納庫で行われていた。AAM-4はアクティヴレーダーホーミング方式、AIM-7Fはセミアクティヴレーダーホーミング方式、AAM-5は赤外線画像誘導方式です。このほかAAM-3なども現役F-15戦闘機で運用されています。

 AQM-2空対空用小型標的、要するにターゲットドローンというもの。2012年に開発された比較的新しい装備で川崎重工製、2100万円ほどで戦闘機からも運用でき、空対空ミサイルの標的となる。訓練に際し、戦闘機から誘導して複雑な機動を擬することも可能という。

 J/AQM-1無人標的機、再利用可能な標的機で一時間半ほどの長時間を飛行することも可能です、再利用のためには海上に落ちた場合は船舶で改修しなければなりませんが。蛇足ながらこの無人標的機、90年代に雑誌の軍事研究がASM-3対艦ミサイル、と紹介していた。

 RF-4偵察機の地上展示、考えてみますともう2014年の時点でもう数年、と寿命は見えていたものです、シャトルバスに素早く乗車するのをあきらめた方々は、ここでRF-4の帰投を撮影してから日暮れぐらいに帰ろう、というゆったりとした気構えなのかもしれません。

 デジタル迷彩記念塗装のF-15、嘉手納基地のアメリカ空軍F-15を見ますとグレーとライトグレーが明確に濃淡で迷彩されているのにたいして自衛隊のイーグルはどちらともいえないウェザリングのような独特の濃淡がありまして不思議な印象を受けたのを思い出します。

 ファントムは岐阜基地の431号機、2021年の今日から見返しますとこの風景はもはや過去、ファントムの時代は終わりましたが、後継となるライトニング、F-35はまだ自衛隊には無かった。岐阜基地から小松基地までファントムだと飛んで所要どのくらいなのだろう。

 小松空港の全日空767と背景にC-130やF-15と軽装甲機動車、さて。ここは小松空港、無事シャトルバスの乗れまして駐車場へ戻ることが出来ましたので、一つ小松空港展望デッキに上りまして小松基地を眺める、小松駅から路線バスも多い、平日の基地撮影定番だ。

 AH-64D帰投飛行、地上展示のRF-4とF-4とわずかに残る観客。わずかに残るというのはファントムの帰投飛行を待っているためなのですが、残念、基地内放送はファントム帰投は翌日になるとのこと。隊員さんは早く片づけて帰りたい、航空愛好家は離陸を撮りたい。

 AH-64D帰投飛行と地上展示ファントムとイーグルとわずかに残る観客、アパッチロングボウと白山、小松基地らしい情景です。ほかの当日帰投の期待はシャトルバスでの移動中に既に帰投完了、アパッチも撮れましたので、当方も帰路に就くこととなりました、お帰りはこちらだ。

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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(11)ブルーインパルスの極意(2014-09-20)

2021-06-27 20:11:02 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス青空に鋭く
 ブルーインパルスの飛行展示は奥深く冷静に撮影してみますと次はこの角度から等々その探究は進みます。

 レインフォールのT-4練習機五機とF-15J,昔の下向き空中開花を受け継ぐ。レインフォール、傘を思い出させる展示ですが、考えれば不吉な名前ですよね、特に北陸の天候は変わりやすい、学生時代に金沢大学の友人は落雷でPCを研究成果ごと二台破壊されたほど。

 ブルーインパルスの撮影は難しい、いや奥が深いというべきでしょうか、何しろ曲技飛行ですので編隊の密集を超望遠で追いたいところですが、急に散開しますと広角レンズに即座に付け替えねばならない、そして見る角度で印象が一新する、簡単そうで奥深いのだ。

 飛行展示は雲量によって印象が違いますが展示区分も違ってきますので、長期予報というものの短期予報は勿論、当日の雨雲の動きと曇天なのか晴天なのか、快晴なのか風速はどうか、こうしたものも考え、場合によっては予行のうちに撮影してしまう方も多いという。

 ブルーインパルスバックトゥバックをT-4練習機二機編隊で展開し背面をこちらに。しかし雨天も怖いのですが、小松航空祭は何故か雨天予報、それもものすごい豪雨とか警報が想定されるほどの状況でも、何故か晴れるという不思議が。これを"小松マジック"という。

 バーティカルキューピッドのT-4練習機ハートマークがイーグルの頭上に描かれる。ブルーインパルスを撮影するのに超望遠は考え物でして、広角が足らなくなる。このときにも18-200mmとかではなく15-85mmのレンズを装着しておけば良かったかもしれませんね。

 編隊はどこだ、T-4練習機、右か左か前かいや後ろだ、ワイドトゥデルタループへ。ブルーインパルスを撮影していますと、通常の飛行展示では飛行していない方角からど、っと飛来して参りますので方角には気をつけなければなりません。後ろからもブルーは来る。

 ワイドトゥデルタループで広がった編隊が青空の頭上を往く。ブルーインパルス傾向と対策に予行をみておく、というものがありますが、もう一つは周りの子供の視力に期待する、お父さん肩車でみている子供の注意力はとても頼りになる、集中力も短時間はすごい。

 ブルーインパルスが五機デルタ編隊で下方へレインフォールを描く。レインフォール、しかし改めて晴天が求められる航空祭にしては挑戦的な名称とおもう。そして北陸地方の天候は特に変化しやすいとはいうものの、不思議と小松航空祭は晴天に恵まれるという。

 T-4練習機がレインフォールからデルタ編隊で上空へ上昇してゆく。青空、ブルーインパルスが主役で登場する東宝映画に"今日もわれ大空にあり"というものがありましたけれども、その通りの構図、小松航空祭が晴天に恵まれる背景には"小松マジック"というジンクスが。

 ブルーインパルスのスタークロスがF-15上空に、広角が足りないね。この航空祭の晴天は、白山の"くくり姫"菊理媛神が航空祭を楽しみにしているためではないか、とかなり真剣に考えています。小松マジックもすごいほどに天候が回復し、逆に雨天が殆ど聞かないという。

 オポジットコンティニュアスロールで二機のT-4が左右ですれ違う。白山くくり姫、白山比め神社にまつられており全国白山神社の総本山なのですが、そもそもこの小松基地が白山山麓に位置している。神社までは北陸鉄道鶴来駅から徒歩25分という。行ってみたいです。

 ブルーインパルスのT-4練習機コークスクリューがF-15上空で繰り広げられた。コークスクリュー、二機のT-4練習機が一機の飛行する経路の周辺をスクリューのように蛇行して回り続ける飛行展示です。みる角度と位置によってずいぶん印象が変わるものでもある。

 コークスクリューでF-15の背景に、しかし徐々に頭上へ向かってくる。正面から撮影すると見栄えがすごいのですが、このF-15を目の前にした飛行展示ですと、いや、航空祭なのだから地上の情景と絡めた方が角度よりも重要だろう、なんて、おもってもしまいますね。

 F-15を目の前という撮影位置で良かった、小松らしい構図となりますからね。この構図、まずどういった地上展示機の配置なのかは当日到着するまでは、いや前日に空港から見ておく選択肢も無いには無いのですが、基本は判りませんので、直感で選ぶ位置の勝利です。

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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(10)ブルーインパルスの妙技(2014-09-20)

2021-05-02 20:01:27 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス展示飛行
 ブルーインパルスがいよいよ離陸し飛行展示、航空祭の大団円を飾る北陸の空の展示飛行がいよいよ開始されます。

 ブルーインパルス。実のところ航空祭の写真が良く撮影出来るかは撮影位置が全て。最前列は発着を最良の条件で撮影できるが日常基地写真と変わらない、今回はF-15の目の前を撮影位置としてみました、イーグルは大きく発着撮影は大変ですが、此処で良かった構図が。

 F-15J地上展示機とターミナルビルを背景にファンブレイクの編隊が。T-4練習機ブルーインパルスといいますと、撮影に慣れた航空機愛好家では、どの基地でもみることができる、と達観してしまうものではあるのですが、この構図はこの瞬間でしか撮影できませんよね。

 ブルーインパルスとF-15Jと小松空港ターミナルビルの撮影位置だ。ブルーインパルスはその創設が航空教育集団司令部の置かれる浜松基地、第1航空団の置かれている浜松基地です。この構図ですと、妙に浜松基地と小松基地って一文字違い、と何か急に思い出す。

 小松基地航空祭はブルーインパルスの飛行にあわせ青空を取り戻した。ブルーインパルスの飛行展示には視程8kmが最低でも必要で、雲の高さによって飛行展示も、第一区分、第二区分、第三区分、第四区分、と分けられています。飛行展示に雲底高さはとても大事だ。

 ブルーインパルスの五号機と六号機がF-15Jの背景に勇躍離陸する。インバーテッドコンテュニアスロールという飛行展示の方法でして先に離陸した四機編隊が戻るまでの時間をこの五番機と六番機が観客の注目を集めることで飽きさせない飛行展示を展開しています。

 U-125救難機とT-4練習機の背景に広がる五号機のスモークが融ける。小松航空祭は民間航空会社との連携、とは以前紹介しましたが、これが意外と難しいのです、なぜかといいますとブルーインパルス飛行展示の最中には旅客機はいっさい発着できないのですから。

 ブルーインパルスが手前にスモークを残して天を突く様に駆け上る。航空自衛隊と民間の共用空港は、千歳基地と新千歳空港、三沢基地と三沢空港、百里基地と茨城空港、そしてここ小松、那覇基地と那覇空港、新潟分屯基地と新潟空港、秋田分屯基地と秋田空港など。

 先行して離陸し上空パスした四機編隊は密集編隊で戻ってきた。T-4練習機、当方が初めて見上げたブルーインパルスは超音速のT-2練習機でした、そういえば航空祭ではT-2ブルーインパルス世代は多く聞くのですがF-86Fを知っている世代の方は聞かないのですよね。

 ブルーインパルスは五機編隊となってF-15Jと空港上空に。これだ、これなんですよ、この撮影位置で撮影できる構図、こうした航空祭に来た、それも航空自衛隊の航空祭に来たんだ、とわかる構図が撮影できると、二年四年五年、いやいや十年先にも誇れる構図だ。

 小松航空祭らしい構図といえるF-15Jにターミナルビルに、そして。ブルーインパルスの飛行展示はどこで撮影してもブルーインパルス、そう、見上げている内は撮影しても、何処で撮ったか、浜松か入間か岐阜か築城か、T-4練習機一枚で説得力を持たせるのは難しい。

 ブルーインパルスらしさと小松航空祭らしさを青空が飾り付けた。なにしろ手前にF-15があれば迫力を醸し出しますし、KOMATSU,と空港ターミナルビルが見えるのですから、三沢や新田原で撮ったものではなく小松航空祭だ、と説得力有る構図を醸成できている。

 五機が大きく旋回してF-15J背景を日本海へと大きく旋回してゆく。ブルーインパルスの撮影は、航空祭のフィナーレにプログラムされるか、午前中に行うかで撮影の難易度は激変します。フィナーレならば飛ばない時間帯に最前列の観客が動く、良い撮影位置も空く。

 ブルーインパルスとF-15J,ブルーインパルスの撮影は雰囲気が難しい。先ず前述の小松らしさ演出の難しさ、そしてフィナーレに実施される場合は撮影しますとその間に駅へのシャトルバス行列がものすごく長くなってしまう、待ち時間が一時間一時間半と延びる。

 ファイブシップループでT-4練習機五機がデルタ密集編隊のまま旋回する。航空祭のフィナーレ、しかし帰路を急ぐ場合には、たとえば千歳航空祭で帰りの旅客機が早い時とか、築城航空祭で新幹線の時間が厳しい時など、ブルーインパルスを撮影するにも一苦労がある。

 イーグル上空で旋回するT-4練習機ファイブシップループの旋回だ。F-15の前で撮影することができるのですが、時間がないときには基地の正門や路線バスのバス停などで時間に留意して撮影しなければなりません、小松基地や岐阜基地ですと、時間を気にせずに済む。

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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(9)ブルーインパルス離陸幕間(2014-09-20)

2021-04-11 20:00:51 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス離陸準備中
 小松基地航空祭も残すところあとはブルーインパルスのみ、この幕間時間と云うべき時間帯に地上展示航空機を少し回ってゆきましょう。

 第303飛行隊デジタル迷彩60周年記念塗装F-15戦闘機の尾翼をアップで。飛行展示や誘導路を進む様子ではなかなか細部までは近寄れませんのでここで。しかしデジタル迷彩、記念塗装で収めるのは惜しい、正規の迷彩にしてはと思うほど、迷彩効果も迫力も秀逸だ。

 F-15戦闘機イーグルの地上展示、第306飛行隊のイエロー犬鷲記念塗装の機体を。イエロー犬鷲記念塗装は勝手な命名ですが、この第306飛行隊というものが犬鷲をトレードマークとした部隊マークでして、1981年にここ小松基地にて創設された飛行隊でもあるのです。

 第306飛行隊の60th Aniversary Since 1954の垂直尾翼を。イヌワシはベールクト、北米とユーラシア大陸に広く分布し日本国内にも。そしてなにより石川県の県鳥として1965年に指定されていまして、306のほかに石川県警もマスコットにしている人気者だ。

 F-2B戦闘機、三沢の第3飛行隊の所属機、航空自衛隊で最初にF-2戦闘機を部隊配備したことで知られます。なお現在は三沢基地の主役をF-35戦闘機へ譲りまして第3飛行隊はF-2を装備したまま首都防空の要衝、茨城県は百里基地にF-2飛行隊として移駐している。

 基地防空隊のVADSや60周年記念の81式短距離地対空誘導弾の展示が並ぶ。第6基地防空隊の装備で、81式短距離地対空誘導弾2セットとVADS20mm高射機関砲16門、そしてスティンがー個人携帯地対空ミサイルを24基装備しています。基地防空最後の砦ですね。

 AH-64D戦闘ヘリコプターの地上展示、あの、5号機ではある。陸上自衛隊には実は現在もっとも必要な装備の一つとおもう。しかし、あの、つまりこの5号機はこの時点では明野航空学校の機体、そしてこののちに第3戦闘ヘリコプター隊に配備されまして、そして。

 旅客機の着陸を広角で、F-15戦闘機記念塗装2機とU-4多用途機にP-3C哨戒機にC-130輸送機の翼などが並ぶ。U-4,ああU-4だ、とみていると周りの子供がUFO未確認飛行物体と聞き間違えるのも航空祭の日常茶飯事といえるところでしょうか。水色の翼がC-130だ。

 UH-1J多用途ヘリコプターは明野から地上展示、奥には小松のUH-60J救難ヘリコプターだ。陸上自衛隊のUH-60JA多用途ヘリコプターがものすごく高価になった背景には、悪天候でも無視界でも飛行できる特殊作戦機なみという高度なセンサーを全て搭載したため。

 AH-64D戦闘ヘリコプター地上展示、背景には2基の航空掩体が広がる。航空掩体、シェルターともいう。小松基地は日本海の対岸にロシアと北朝鮮を睨む日本海側唯一の基地となっていまして、そのために戦闘機はシェルターに収容しミサイル攻撃などに備えている。

 撮影位置は第306飛行隊のF-15Jが目の前、離陸する日航の767が。このちょっと始発の次で福井から来てバスに乗れず歩いたので出遅れたよ、という航空祭で着陸の瞬間が見えない最前列ではありますが、KOMATSUというターミナルの表記が見えるのがうれしい。

 T-4練習機、ブルーインパルス四機編隊の離陸、航空祭の飛行展示がいよいよ開始だ。フォーメーションテイクオフといいまして、六機のブルーインパルスの内は先ず四機が先行して離陸し、ダーティターンとして基地上空へデルタ編隊で戻ってくる飛行展示を行う。

 フォーメーションテイクオフの4機を背後から望む。ブルーインパルスは東北地方は松島基地の第4航空団に所属しています。第11飛行隊が正式名称で六機による飛行展示をおこないますが、東京五輪にあわせ12機による飛行展示を準備中、これは延期でもみてみたい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(8)緊急!対領空侵犯措置発動(2014-09-20)

2021-02-21 20:20:40 | 航空自衛隊 装備名鑑
■スクランブル!55分間の緊張
 その時。本番というものは前触れなく突然やってくる場合があります、これは防衛安全保障や危機管理ならば尚更というものなのでしょうね。

 航空祭中断、なにかこのF-15Jが突如滑走路に飛び出てきた、何か違う。うむ、アナウンスもなく牽引車に曳かれるのでもなく、いきなり滑走路にF-15が滑り出してきたのですね、何か違う、違和感の正体というものはどのあたりか、しかしなにか、ある、なんだろう。

 AAM-3,そうこのF-15JはAAM-3,それも実弾が二発搭載されている、とは。AAM-3即ち90式短距離空対空誘導弾、三菱重工と三菱電機により開発された赤外線誘導ミサイルで射程は15kmです、これを二発搭載している、そう実弾のミサイルを備えているという。

 ホットスクランブル、本番ではないか。そう考えて小松空港側で撮影している友人知人に電話してみるが、いや違うだろう、とか無線は入ってないとか、ただ、その直後に航空祭の飛行展示を一時中断します、というアナウンスが入りました。つまり、そういうこと。

 対領空侵犯措置発動、アラートハンガーから滑走路へ滑り出てゆく。飛行情報区として国際民間航空機関ICAOが割り当てた空域に沿って防空識別圏ADIZが設定されていまして、飛行計画を示さない国籍不明機を全国28カ所の防空監視所が確認しますと、発動する。

 F-15J、このころに会場アナウンスで国籍不明機が接近している通知が。ロシア機でしょうか、北朝鮮機か、中国機も近年は日本まではいってくる、もちろん紀伊半島沖も小松の管区です。入間の中部航空方面隊司令部から緊急発進が命じられ、小松に非常ベルが響く。

 緊急発進へ急上昇するF-15J,これはAAM-3を搭載した本番である。これが現実、というものでしょうか。もちろんなは空港で旅客機を待っていますと沖縄では案外緊急発進が多いのですけれども、小松で航空祭のさなかにホットスクランブル、かなり希有ではないか。

 急上昇するもう一機のF-15J戦闘機、実弾搭載の戦闘機に緊張走る。航空管制により国籍不明機へ接近し国際緊急周波数にて英語とロシア語で領空侵犯しつつあることを警告する、自衛隊法では威嚇射撃の手順も、そして刑法上の緊急避難ならばAAM-3の使用さえも。

 F-15J戦闘機二機はそのまま日本海上へと飛去っていった。緊急発進はこの数年後に一年間で1000回の大台を越えた、一日平均3回という年度さえもある。敵対行動に直面することも。防衛に関する厳しい現実というのはここにあるのですね。自衛隊は此れに備えている。

 55分後、轟音と共にF-15J戦闘機が戻ってきた、犬鷲の部隊マーク尾翼の向こうに。憲法問題、しかし国家の主権が蔑ろとされては国民の権利を守る国家そのものが破綻してしまい、憲法は平和主義を含めて自衛されなければならない、厳しい現実とは主としてここ。

 スクランブル発進と対領空侵犯措置を終えて列機の向こうに着陸の姿が。戦闘機が空戦機動を仕掛けてきている、こうした内部告発的な警鐘が鳴らされたのは、この数年後ですが、緊急発進の機体を逆に威嚇するために空戦機動を仕掛ける、これは普通にあり得る事態だ。

 ドラゴンの描かれたF-15には、今回も無事使わずに済んだAAM-3が。現実問題として小規模な小競り合いとして、例えばこの航空祭の少し後にはトルコ空軍がロシア空軍機を撃墜しましたが、緊急発進の延長上にミサイルを使用する小競り合いの蓋然性は、あります。

 F-15J戦闘機もう一機もAAM-3を使わずに無事任務を終えて着陸へ。航空祭というものは防衛への理解と自衛隊への理解、というもの、広報は主目的なのですけれども、自衛隊の現実の任務、ということをもっと我々は現実へ関心を寄せるべき、と改めて思いました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】航空自衛隊60周年小松基地航空祭(7)小松救難隊の航空救難展示(2014-09-20)

2021-01-24 20:04:11 | 航空自衛隊 装備名鑑
■UH-60J救難ヘリコプター
 救難飛行展示は戦闘機一辺倒の航空祭に彩りを盛上げてくれます貴重な瞬間ですが、撮影位置が戦闘機機動飛行よりも難しい。

 小松救難隊の救難員がUH-60J救難ヘリコプターよりロープ降下する。先頭救難を想定しますので、空挺レンジャー課程を受ける際には89式小銃など武装して敵の抵抗を排除しつつ航空搭乗員を救出する、誤解を恐れなければ一種、特殊部隊的な訓練も行っています。

 UH-60J救難ヘリコプターを正面から、ホバーリングして姿勢を維持する。ヘリコプターにとってこのホバーリング姿勢維持は驚くほどに燃料を消費するといいますが、エンジン出力の余裕あるUH-60Jは空中に静止して救難が完了するまで、待機することも充分できる。

 小松救難隊の救難は肝心の場がこの位置からはなかなかみえません。よみがえる空、2006年に放映されました小松救難隊を舞台としたアニメーションがありました、護衛艦はるな出演のアニメーションですが、私のいう平和な時代というものはああいうものなのですね。

 UH-60J救難ヘリコプターにストレッチャーをホイストで上げる。よみがえる空、あの作品は航空遭難はすべて事故だけでしたし、ロービジ迷彩もありません。そして今は普通の女性パイロットも当時は非現実的と空幕広報の助言もあり原作を改編しました、昔の話だ。

 F-15J戦闘機がコンバットピッチで三機編隊を解いてゆく。あれから十年と少しを経て、戦闘機パイロットに女性が進出する時代なのですから時代というものは変わるもので、そして防衛、という視点からもかなり戦闘の蓋然性は高まっています、これも一つ現実として。

 コンバットピッチで二機の編隊も解かれて着陸態勢へと。航空自衛隊創設がこの航空祭で60周年、しかし思い起こせば自衛隊創設は朝鮮戦争により進駐軍だけでは北東アジア地域の防衛が担えず、日本の防衛は日本に行わせるべきだ、という視点があったのですね。

 F-15J戦闘機のコンバットピッチは灰色から順光の青空へ。戦闘の蓋然性といいつつ、自衛隊は常に備えてきました、そして1950年に始まった朝鮮戦争は休戦状態のまま推移しているのですね、自衛隊は備えている、朝鮮戦争は続く、するとあとは法整備か、と考える。

 小松空港ターミナルビルを背景にF-15J,展望デッキも混雑してきた。憲法問題に国民が当事者ではなく"お上"の"まつりごと"として当事者意識がないまま放置され、反対だけで代案は出さない、日々日常に政治を日常の討議とすることへの忌避感、一方で状況のみ進む。

 F-15Jが滑走路から誘導路へと進み始める、二機の絡みの構図が良い。憲法改正に賛成なのか、と問われますと現状では改正に国民が参画する意志が薄いだけに、改憲よりも、現行憲法の限界を見極めながら自衛隊法を最大限実情に即すべき、と思うのですが、いかがか。

 小松基地と小松空港は滑走路を共有しておりF-15はこちら側をゆく。自衛隊行事を撮影する度に毎回のように思うのですが、これは洗練された格好いい何か、というものではなく、明確にこれは兵器なのですね。仮に憲法上の軍隊ではなくとも国際法上では、軍隊だ。

 F-15Jの操縦席をアップに、キャノピー越しにターミナルビルがみえる。徴兵制として国民が防衛に参画することが軍隊の暴走を押さえるという考え戦後ドイツにあり、そもそも徴兵制はフランス革命にて国民が参加する権利という認識があった。しかし日本はどうか。

 誘導路を進むF-15J戦闘機、その奥に救難展示を終えたU-125が着陸した。日本の場合は、結局のところ"お上"の"まつりごと"なので任せようとしつつ、しかし主権者としての義務を放棄できる権利と同一視していないか、逆だろう、そんなことはよく痛感するところ。

 UH-60J救難ヘリコプターも滑走路上を着陸し空港ビルを背景に。自衛隊は職業軍隊ですので、公務員であり公僕、従って国防に参加する権利という概念ではないのですね。まあ一つマックスヴェーヴァー的にいえば職業としての政治ならぬ職業としての防衛、という。

 小松救難隊のUH-60JとU-125が誘導路上で仲良く並んで進入する。北大路機関の創設は2003年、Weblog北大路機関創設は2005年、一貫して防衛問題を扱っているのですが、世界政治の多極化と北東アジア情勢と防衛力整備は進んでいますが、主権者の認識はどうか。

 UH-60J救難ヘリコプター、地上でも機能的な形状と紺色が映えるもの。なかなかに優美な形状、無駄をそぎ落とした機能美、というものを感じるのですが、これは紛れもなく兵器でありまして防衛の現実、というものを考えさせられるのですね。常に何かは有り得る。

 地上誘導員がUH-60J救難ヘリコプターを定位置へと誘導してゆく。たとえば3.11以降、災害派遣を通じて自衛隊への理解が深まった、とありますが、災害派遣ではなく自衛隊の任務は防衛、そして抑止力維持による軍事侵略を阻止することが忘れられていないか、と。

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