■空往くイーグル日本海へ
青空と活況の小松基地、航空祭プログラムによれば第303飛行隊による編隊飛行の展示がいよいよ開始されます。

二機編隊で離陸する第303飛行隊のイーグルたち。小松は1998年の北朝鮮能登半島沖工作船事件、はるな、みょうこう、あぶくま、が史上初の海上警備行動を実施した際にも出動しています、あのとき北朝鮮はミグ戦闘機を発進させたため、護衛艦に脅威及ぶ可能性も。

第303飛行隊イーグルの編隊離陸が迫る。こんな感じだったのでしょうか、しかし北朝鮮があの時にとばしたのはMiG21といいますので、みょうこうイージスシステムが全力対応したらば一撃で全滅させられたのでしょうけれども、あのときは戦闘空中哨戒も行った。

二機編隊のイーグルを連写性能を活かして追う。小松の重要度は、まれにソ連の後身であるロシアがTu-160超音速爆撃機などを飛行させてきたことがありまして、自衛隊が初めてTu-160と遭遇したのが小松でした、あのときは浜松基地からE-767も展開させている。

第303飛行隊のイーグルが一瞬で真横を疾風の如く。この小松、北朝鮮への最前線となったのですが2000年代に入りますと中国の脅威がついに北陸へも及ぶようになりました。2017年に和歌山沖まで中国のミサイル爆撃機H-6Mが飛来したのですね、西日本まで。

イエロー犬鷲イーグルが着陸の後に誘導路を目の前に。中国の脅威が沖縄へ、というのは誤ってはいないのですが、着上陸の脅威を示すもので、航空脅威は2000年代初頭に九州まで及び、そして2010年代には西日本まで充分ミサイル爆撃機の脅威が及んでいる現実が。

三機編隊の第306飛行隊イーグルがこちらへ。2020年代の小松航空祭は飛行教導群が加わり更ににぎやかです、そしてこの飛行教導群は2016年に南九州新田原基地に展開していましたが、新田原は中国機対処という重責が年々高まってゆきます、ここしか余裕なかった。

三機編隊イーグルを連写で追いかける。飛行教導群の2016年新田原小松移転は、小松が安全な後方になったわけでして、依然として北朝鮮脅威はあっても比較論であり、ロシアの脅威は依然として北方に、そして西方に中国の脅威増大、逃げ場がなくなった、ともいう。

三機編隊イーグルはほぼ目の前へ。航空教育の一つの拠点となった新田原には将来、F-35B戦闘機、垂直離着陸が可能であるために局地戦闘機として使うのでしょうか、配備が予定されていまして、結果的に小松は防衛の要衝でありながら他方では後方ともなるのですね。

三機編隊イーグルとびさる。小松基地の厳しい状況は裏返せば東西冷戦ののちの多極化時代と米中冷戦や欧州ロシア対立のしわ寄せが収斂する特異点に環太平洋の西方弧状列島が重なった構図でして、日本の防衛を考える場合、これはもう少し認識すべきでしょう。

U-125救難機の飛行、小松救難隊の救難飛行展示のはじまりだ。航空救難団は千歳基地、秋田分屯基地、松島基地、新潟分屯基地、百里基地、浜松基地、小松基地、芦屋基地、新田原基地、那覇基地、以上の基地に救難隊を配置し、万一の航空救難に備えています。

U-125救難機からの救命物資落下傘での投下がおこなわれる。救難隊はUH-60J救難ヘリコプター3機とU-125救難機2機を装備し即応体制を採り、先ず高速のU-125が遭難現場へ急行し位置を特定、そののちにUH-60J救難ヘリコプターが現場へと進出し救助する。

三機編隊イーグルが再度航過飛行をおこなう。戦闘機の海上での遭難は救難航空機が充分発達する前には高速船を現場へ急行させるか飛行艇を派遣していましたが、PS-1以前の飛行艇は1.5mの波浪までが運用の限界で高速船では現場まで24時間以上掛かることも。

三機編隊イーグルは第306飛行隊のイーグル、ドラゴンマークが眩しい。S-61救難ヘリコプターから本格的な救難運用は開始されましたが、V-107救難ヘリコプターの導入により海上での救難能力が飛躍的に向上しまして、現在のUH-60Jにより悪天候でも飛行可能に。

三機編隊はギア出しという車輪を出した状態でのローパスをおこなう。北大路機関創設当時は、まだ、平和でしたので救難航空機は黄色と白黒という目立つ救難塗装だけの時代でした、しかし2010年代になりますと、脅威の健在かを背景に、そうもいっていられない。

三機編隊のギア出し編隊による航過飛行で飛去って往く。こうした戦闘機が敵対勢力の競合地域で万一のこともあり得ましたので、徐々に先頭航空救難、という運用が考えられるようになり、ロービジ塗装、目立たない迷彩塗装が必要とされるようになってゆきました。

UH-60J救難ヘリコプターの救難飛行展示が開始されました。海洋迷彩、F-2戦闘機のような迷彩は海上での救難任務に際して敵に発見されにくい運用を想定しています。実際航空救難員もベテランになると航空自衛隊を越えて陸上自衛隊で空挺レンジャー課程を受ける。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
青空と活況の小松基地、航空祭プログラムによれば第303飛行隊による編隊飛行の展示がいよいよ開始されます。

二機編隊で離陸する第303飛行隊のイーグルたち。小松は1998年の北朝鮮能登半島沖工作船事件、はるな、みょうこう、あぶくま、が史上初の海上警備行動を実施した際にも出動しています、あのとき北朝鮮はミグ戦闘機を発進させたため、護衛艦に脅威及ぶ可能性も。

第303飛行隊イーグルの編隊離陸が迫る。こんな感じだったのでしょうか、しかし北朝鮮があの時にとばしたのはMiG21といいますので、みょうこうイージスシステムが全力対応したらば一撃で全滅させられたのでしょうけれども、あのときは戦闘空中哨戒も行った。

二機編隊のイーグルを連写性能を活かして追う。小松の重要度は、まれにソ連の後身であるロシアがTu-160超音速爆撃機などを飛行させてきたことがありまして、自衛隊が初めてTu-160と遭遇したのが小松でした、あのときは浜松基地からE-767も展開させている。

第303飛行隊のイーグルが一瞬で真横を疾風の如く。この小松、北朝鮮への最前線となったのですが2000年代に入りますと中国の脅威がついに北陸へも及ぶようになりました。2017年に和歌山沖まで中国のミサイル爆撃機H-6Mが飛来したのですね、西日本まで。

イエロー犬鷲イーグルが着陸の後に誘導路を目の前に。中国の脅威が沖縄へ、というのは誤ってはいないのですが、着上陸の脅威を示すもので、航空脅威は2000年代初頭に九州まで及び、そして2010年代には西日本まで充分ミサイル爆撃機の脅威が及んでいる現実が。

三機編隊の第306飛行隊イーグルがこちらへ。2020年代の小松航空祭は飛行教導群が加わり更ににぎやかです、そしてこの飛行教導群は2016年に南九州新田原基地に展開していましたが、新田原は中国機対処という重責が年々高まってゆきます、ここしか余裕なかった。

三機編隊イーグルを連写で追いかける。飛行教導群の2016年新田原小松移転は、小松が安全な後方になったわけでして、依然として北朝鮮脅威はあっても比較論であり、ロシアの脅威は依然として北方に、そして西方に中国の脅威増大、逃げ場がなくなった、ともいう。

三機編隊イーグルはほぼ目の前へ。航空教育の一つの拠点となった新田原には将来、F-35B戦闘機、垂直離着陸が可能であるために局地戦闘機として使うのでしょうか、配備が予定されていまして、結果的に小松は防衛の要衝でありながら他方では後方ともなるのですね。

三機編隊イーグルとびさる。小松基地の厳しい状況は裏返せば東西冷戦ののちの多極化時代と米中冷戦や欧州ロシア対立のしわ寄せが収斂する特異点に環太平洋の西方弧状列島が重なった構図でして、日本の防衛を考える場合、これはもう少し認識すべきでしょう。

U-125救難機の飛行、小松救難隊の救難飛行展示のはじまりだ。航空救難団は千歳基地、秋田分屯基地、松島基地、新潟分屯基地、百里基地、浜松基地、小松基地、芦屋基地、新田原基地、那覇基地、以上の基地に救難隊を配置し、万一の航空救難に備えています。

U-125救難機からの救命物資落下傘での投下がおこなわれる。救難隊はUH-60J救難ヘリコプター3機とU-125救難機2機を装備し即応体制を採り、先ず高速のU-125が遭難現場へ急行し位置を特定、そののちにUH-60J救難ヘリコプターが現場へと進出し救助する。

三機編隊イーグルが再度航過飛行をおこなう。戦闘機の海上での遭難は救難航空機が充分発達する前には高速船を現場へ急行させるか飛行艇を派遣していましたが、PS-1以前の飛行艇は1.5mの波浪までが運用の限界で高速船では現場まで24時間以上掛かることも。

三機編隊イーグルは第306飛行隊のイーグル、ドラゴンマークが眩しい。S-61救難ヘリコプターから本格的な救難運用は開始されましたが、V-107救難ヘリコプターの導入により海上での救難能力が飛躍的に向上しまして、現在のUH-60Jにより悪天候でも飛行可能に。

三機編隊はギア出しという車輪を出した状態でのローパスをおこなう。北大路機関創設当時は、まだ、平和でしたので救難航空機は黄色と白黒という目立つ救難塗装だけの時代でした、しかし2010年代になりますと、脅威の健在かを背景に、そうもいっていられない。

三機編隊のギア出し編隊による航過飛行で飛去って往く。こうした戦闘機が敵対勢力の競合地域で万一のこともあり得ましたので、徐々に先頭航空救難、という運用が考えられるようになり、ロービジ塗装、目立たない迷彩塗装が必要とされるようになってゆきました。

UH-60J救難ヘリコプターの救難飛行展示が開始されました。海洋迷彩、F-2戦闘機のような迷彩は海上での救難任務に際して敵に発見されにくい運用を想定しています。実際航空救難員もベテランになると航空自衛隊を越えて陸上自衛隊で空挺レンジャー課程を受ける。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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