■LOST COMMAND(1966米)
映画評論家水野晴郎への追悼というかたちで、Weblog北大路機関でも久々に映画カテゴリの記事を掲載したい。これは観とかなきゃ!と、紹介したい小生お薦めの映画は1966年のアメリカ映画『ロストコマンド 名誉と栄光のためではなく』。写真は自衛隊のそれっぽいものを代用。
本作はフランス軍を描いた戦争映画であるが、戦争映画というと必ず気になるのがそのリアリティである。作品は、空挺連隊指揮官であるラスペギー中佐(アンソニー・クイン)と、民族自決と独立運動に対して抑圧を加える自分達の組織に違和感を感じ始めているエスクラビエ大尉(アラン・ドロン)を中心に描かれている。ディエンビエンフーからアルジェリアへと舞台を変えつつ、特に近接戦闘を中心に描く戦闘の描写は、とかくリアリティにこだわる近年の戦争映画と比べても遜色なく、これが最盛期のフランス外人部隊か、と唸らされる描写も多い。また、アルジェリア戦争の歴史とともにみれば、深みのある作品ということに気付く。やや気になるのは、アメリカ作品ということで視点がアメリカナイズされていないか(ジョンウェインと山村聡の「黒船」はこの点酷かった)ということだが、日本人の視点からは、やけに乾燥したヴェトナムが気になるのを除けば違和感は無い。
1954年5月7日のディエンビエンフーから映画は始まる(フランス軍空挺部隊を見たことないので、第1空挺団で代用)。ラスペギー中佐率いるフランス軍守備隊はベトナム軍の総攻撃を受けていた。実際の戦史を紐解くと、国道4号線の基点にあたり、険しい山岳地帯にあって地上部隊の接近が困難なディエンビエンフー盆地を二個大隊の空挺降下によりフランス軍が確保したのが1953年11月20日。25日までに滑走路が整備され、1万2000名の17個歩兵大隊、3個砲兵大隊が展開した。これに対してベトナム軍は徒歩と自転車で3個師団の27個歩兵大隊、105㍉榴弾砲20門、75㍉砲18門(攻勢の終盤には80門に増強)、重機関銃100丁、迫撃砲多数を運び込み、盆地を見下ろせる地域を陣地化した。
映画では、この57日間に及ぶ攻防戦の最終段階を描いている(C-46からの空挺降下は見たことないのでC-1ので代用)。最前線で指揮を執るラスペギー中佐に上級部隊のメリース将軍より空挺部隊の増援が送られたとの報を受ける、掩護する弾薬は無い!引き返させろ!と叫ぶがその瞬間、背後の通信所は砲迫により爆破されてしまう。増援の部隊はC-46輸送機一機のみで、掩護も虚しく、空挺堡を確保するまでの間に、次々と狙撃されてしまう。増援部隊に志願したメリース将軍の副官であるクレアフォン少佐は地雷原に着地の直後、狙撃され命を落とす。エスクラビエ大尉、マヒディ大尉(ジョージ・シーガル)ら降下部隊の生き残りは防御線の維持に奮戦するが、ついにディエンビエンフーは陥落。「今日という日を忘れるな、ラスペギー中佐」、ベトナム兵に銃で小突かれながら、フランス軍部隊は停戦協定まで虜囚の身となる。「彼らの勝利は農民の協力だ、そして農民は恐怖心から協力しただけのことさ」、ボアフラ大尉は意気軒昂だ。「いいや、未来を信じたのさ」、エスクラビエ大尉はフランスが進める戦争の在り方に懐疑を抱き始めていた。
インドシナ紛争がパリ講和会議のヴェトナム独立により決着すると、ようやくラスペギー中佐以下のフランス軍捕虜は帰国の途に就いた。兵員輸送船がアルジェに寄港した際、アラブ人のマヒディ大尉は久々に帰郷すると、アルジェは独立運動の最中であった。ディエンビエンフー陥落により陣族自決の熱はアフリカにも達していたわけだ。マヒディ大尉を迎えに行った弟は壁に“独立!”と書いていたところを憲兵隊に射殺されてしまう。ラスペギー中佐は、故郷のバスクに戻る途上、自らの連隊の解散をフランス国防省が決定したことを電報で知る。インドシナの英雄である彼を故郷の人々は暖かく迎えるが、将官になり母親を迎えるというラスペギーの夢は、連隊の解散により絶たれたかにみえた。
転機は、師団史執筆を行うエスクラビエ大尉の助言、戦死したクレアフォン少佐の細君はフランス軍名門の家庭であり、その伝で国防大臣との会見の機会を掴んだ(フランス国防省に行ったことがないので市ヶ谷の防衛省の写真で代用)。「キミを退役させるかどうかが幕僚会議で議論されてな、さて、新設の第10パラシュート連隊長の枠が空いている、ならず者部隊でアルジェに駐屯、どうするかね」、こうしてラスペギー中佐は再び連隊長となる、「今度失敗すれば次はないぞ」。パリでインドシナの戦友を集めアルジェに向かおうとするが、アラブ人のマヒディ大尉からは電報の返事が無かった。一方で、一連の流れで未亡人となったクレアフォン夫人と想いを寄せ合うようになったラスペギー中佐は、約束を交わす。手柄を上げて凱旋する、将軍になったら結婚しよう。
第10パラシュート連隊は、ディエンビエンフー守備隊の生き残りであるボアフラ大尉(モーリス・ロネ)、オルシニ大尉(ジャン・クロード)、エスクラビエ大尉やインドシナ以来の下士官とともに、アルジェリアのキャンプ・フォッシュにて編成を完結。実弾をふんだんに用い、多くの負傷者を出す厳しい訓練とともに練度をあげてゆく。フランス軍空挺連隊の編成は、空挺連隊本部と本部管理中隊、四個空挺歩兵中隊(完全に充足しているわけではなく2~4個中隊という部隊もあった)、重火器中隊(無反動砲や迫撃砲を運用)となっており(なんとなく、62年改編の陸上自衛隊普通科連隊の編成と物凄く似ている、非常にどうでもいいが、フランス軍空挺師団(第11師団など)の編成は、連隊(2個歩兵旅団に6個連隊)の数とヘリコプター連隊の編成を除けば、陸上自衛隊の師団と非常に良く似ている)。
アルジェ駐屯軍司令官は、インドシナと同じメリーズ将軍。実戦叩き上げのラスペギー中佐は、士官学校と高級幕僚学校の規範通りにしか作戦を描けない、この将軍を嫌っていた(移動中のフランス軍の写真が無いので、33連隊のもので代用)。無論、臨機応変を旗印に命令を越えた行動を繰り返す中佐を、将軍が良く思わないのはある種当然だ。「キミの連隊はゴロツキばかりだな」「いいえ将軍殿、司令部のオシャレな兵隊では戦闘はこなせません」。新編されて連隊旗を受領した直後、さっそく第10連隊は実戦に駆り出された。ガフェス市の農場警備。ガフェスではテロリストが活発な動きを見せているとのこと。しかし、ガフェスに向かう途上、待ち伏せていたのは機銃や無反動砲で武装した完全武装のゲリラ部隊。指揮官先頭で指揮を執り、ジープを使った巧みな戦術で挟み撃ちし、撃退するが連隊も損害を出してしまう。話が違うではないか、ガフェス市長に詰め寄ると、自分の進退に関わる問題として、武装ゲリラの跳梁跋扈を隠蔽していたことを口にする。
農場警備ではなく、ゲリラが潜む山間部と農場の間に監視所を多数設置し、連隊は山岳掃討の準備をすすめるが、農場がゲリラに襲われたとの知らせが届けられる。ゲリラは山から降りていない筈だ、調べを進めると、小作農民が集団で農場主を殺害し、ゲリラに合流しているという構図がみえてくる。山に潜むゲリラの指揮官は有能らしく、フランスの植民地支配から独立への情熱を傾ける住民が増えているようだ。そして、現地の情報屋から仕入れた情報では、ゲリラ部隊の指揮官は、インドシナの戦友でアラブ人将校のマヒディだという。更に詳しい情報が必要だ、市内で情報を集めていたインドシナ以来の古参兵たちは郊外で待ち伏せに遭い惨殺されてしまう。激昂したボアフラ大尉以下の一個中隊が近くの村落を襲撃、ゲリラ容疑者を広場に集め全員射殺してしまった。ラスペギー中佐が駆けつけたときにはもう遅い。埋葬しましょうかと問うエスクラビエに首を振り彼らにも役立ってもらうと呟くラスペギーはハンドマイクを手に「よく聞け!第10連隊に逆らうとこうなるッ」。この脅しでガフェスの情勢は安定に向かった。
「手段は気に入らないが、戦果は上ったな」、第10連隊は、ゲリラの指揮官は取り逃がしたものの、ガフェスでの戦果を認められ、メリーズ将軍により首都アルジェの警備任務を拝領した。チュニスより武装勢力が使用する各種武器弾薬が到着したとの情報により、アルジェ市内にな戒厳令が敷かれた。戒厳司令部には逮捕状無しでの逮捕権や捜索権が与えられた。植民地でも憲法は適用されるので明らかに人権無視の憲法違反では?インドシナ以来の激戦を戦い抜いてきたエスクラビエには、フランス軍のやりかたは時代に逆行しているようにみえた。しかし、戒厳令は発令され、市内は軍政下に置かれる。武装勢力の容疑者には拷問を含む厳しい尋問が行われる。そして・・・。
■映画としての「ロストコマンド」
本作は、マーク・ロブソン監督の作品で、ジャン・ラルテギーの原作をネルソン・ギャンディングが脚色した作品である。
マークロブソン監督は、朝鮮戦争における米海軍航空隊の苦闘を描いた『トコリの橋』(1955)、フランクシナトラを主演に第二次大戦のイタリア戦線を描いた『脱走特急』(1965)、チャールトンヘンストンを主役に置いたロサンゼルスという大都市が大地震に見舞われたという災害パニック映画など、幾つかの作品が日本でも良く知られている。その描写はリアリティーに重点を置いた演出で作品に深みを持たせており、特に『トコリの橋』『大地震』はかなり精巧なミニチュアと併せ、見応えは今尚色あせない(日本のように特技監督を置かず、一括して監督が世界観を構築しているからだろうか)。
主演は、アンソニー・クインとアラン・ドロン。アンソニー・クインといえば、代表作の「欲望という名の電車」を筆頭に、「アラビアのロレンス」「ナバロンの要塞」「砂漠のライオン」など有名な作品が並び、シュワルツネガー主演の「ラストアクションヒーロー」にも出演している。アラン・ドロンは、その主演作品は数多く、昨年も舞台俳優として活躍するなど有名、諸兄ご存知の作品の方が小生よりも多いのではないか。他方、特筆しておきたいのは、徴兵後17歳で実際にインドシナ紛争にフランス軍兵士として従軍しており、56年の除隊後、俳優としてデビューしている。さすが、若くてかっこいいとおもったが、考えれば40年以上前の映画なので、若いのは当然というべきか。彫りの深い顔立ちのアンソニー・クインとかっこいいアラン・ドロンの共演(競演?)は中々見ものだ。
ロストコマンドは、インドシナ戦争のディエンビエンフー陥落から映画が始まる。いきなりの負け戦であるが、銃剣と手榴弾、短機関銃が本領を発揮する近接戦闘の描写が鮮烈だ。歩兵の本領というべきか、地上戦は最後の近接戦闘で決するものであり、治安戦ならばなおさらだ。この点を丁寧に描いている点が、本作にテーマを超えた説得力をあたえているようにも、なにぶん面白くないと感情移入はしにくいのだし、これは重要。その後、舞台はアルジェリア独立戦争へと移り、ガフェス治安作戦とその前後の戦闘、アルジェ治安作戦の陰湿な拷問の描写や爆弾テロ、情報戦などを経て、最後のオーレス山攻撃と転換するのだが、基本的に植民地警備の空挺部隊と独立を目指す武装ゲリラの闘いであるので、戦車やミサイル、戦闘機などは登場しない。これが作品からミニチュアを排することにつながり、いわゆる“リアルな戦争映画”としての作品に仕上げている。
戦争映画を語る上で必要な小道具であるが、再現は正確だ。専ら活躍するのはメインキャストが将校や下士官なので、MAT-49短機関銃といっても過言ではない。弾倉を折畳めるこの短機関銃は、空挺部隊と武装勢力という作品だけに名脇役というべきか。そのほか、空挺部隊やゲリラともに小銃を携行している(MAS-49?)。機関銃はM-1919で、三脚に載せられたり、車載されたり。更に無反動砲や迫撃砲(恐らく81㍉)も登場する。スカウト機で軽ヘリコプター、そして救急ヘリとしてH-19が登場する。車両はジープとトラック。兵員輸送に使われたり、無反動砲で吹き飛ばされたりしていた。服装は、ディエンビエンフーでは赤いベレー帽やヘルメットだが、アルジェリアでは、有名なトカゲ帽。迷彩服はもちろん有名なトカゲ迷彩だ。
本作を語る上で、もうひとつ欠かせないのは映画音楽を担当したフランツワックスマンである。彼はヒッチコック映画における音楽で有名だが、カルメン幻想曲など、クラシック音楽の作曲家として知られており、マルセイユ入港やパリ俯瞰、戒厳令下のアルジェなどを上手く描いている。ちなみに、ワックスマンは1906年のユダヤ系ドイツ人で、ホロコーストから逃れるべく渡米した経歴があるのだが、彼は1967年に癌で他界しており、実質的に本作「ロストコマンド」の映画音楽は彼の末期の作品といえる。戦争を舞台に戦友の死や心の葛藤、狂気などを描く上で、彼の音楽なくしてリアリティの引き立ては難しかったのではないだろうか。
作品の結末は、本文ではなくDVDで見ていただきたいのだが(国内では格安シリーズで出ている)、歴史を知る者であれば、アルジェリア独立戦争が、どのような結末をたどったのかはご存知であろう。フランス植民地政策の継続を願うフランス系アルジェリア人(いわゆるコロン)とアフリカ系住民の間での長期化、更には植民地維持を意図する駐留軍が現地でフランス軍に反発し、アルジェリア独立を容認したドゴール大統領の暗殺を目論む秘密軍事組織(OAS)を発足させており、この映画において栄光を掴んだ者達が、その後どうなったのかということを考えると、歴史の一幕とはいえ、改めて戦争の無意味な点を浮き彫りにしているようで心が痛む。
HARUNA
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)