北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

朝鮮半島有事邦人救出検証(2)1994年危機と2018年危機の情勢変容,韓国首都防衛力強化

2018-03-15 20:07:34 | 国際・政治
■通常戦力絶対優位性の変容
 朝鮮半島有事邦人救出検証、1994年の段階では不可能だがやるしかないとの状況でしたが、今日では必ずしも絶望的要件ばかりではありません。

 朝鮮半島有事邦人救出任務、1994年朝鮮半島核危機と2018年朝鮮半島問題では大きく異なる要素があり、この要素は邦人救出任務の運用そのものを大きく転換させる要素ともなります。当然と云えば当然ですが1994年から24年、間もなく四半世紀を迎える朝鮮半島情勢、南北朝鮮と日米の政治指導者も交替しており、条件の変容は当然といえましょう。

 核開発問題、北朝鮮は2007年に初の原爆実験を成功させており、その核開発は実戦使用の可能性を持つ水準に達しています。従って、核攻撃の懸念は日本本土全域は勿論、米本土へも及ぶものであり、この状況において発生する朝鮮半島有事は限定空爆のような精密誘導爆弾による少数の攻撃に留まらず、核戦力全般を無力化する大規模なものとなり得ます。

 朝鮮半島有事、1994年朝鮮半島危機における想定と2018年朝鮮半島危機における想定は、北朝鮮軍による大規模地上軍侵攻の蓋然性でしょう。1994年朝鮮半島有事に際しては北朝鮮人民軍100万名、そのうちのかなりの規模の陸上部隊による韓国侵攻が懸念されていました。この背景には在韓米軍による戦術核兵器前方展開撤去が背景にあったとされる。

 在韓米軍は1991年まで戦術核兵器など1000発を韓国へ前方展開していたとされます。核不確定戦略、つまり核兵器の有無を肯定も否定もしない施策により公式には1000発の戦術核兵器前方展開を認める資料は存在しませんが、1991年に当時のブッシュ政権がこの撤去を明確に示した事は事実であり、これにより韓国における核抑止力は大きく変容しました。

 戦術核兵器前方展開は、冷戦時代に北朝鮮へ多数の軍事顧問を派遣すると共に兵器供給を実施していたソ連軍も同様に北朝鮮への戦術核兵器を展開させているとの想定に基づく相互抑止の視座から実施されていたもので、1990年のソ連崩壊と共に北朝鮮からのソ連軍事顧問団の撤収を受け、在韓米軍も併せて戦術核兵器の撤収を行ったという背景があります。

 1994年朝鮮半島危機は、北朝鮮核開発の実施により萌芽した危機ではありますが、同時に当時の韓国陸軍は52万名、北朝鮮人民軍は100万名と兵力の格差があり、通常戦力主体でも韓国の首都ソウルを制圧しうるとの状況下、仮に北朝鮮核開発を口実に米軍による攻撃が行われるならば、大規模通常戦力により報復としてソウルを攻撃するというものでした。

 邦人救出任務を当時突き付けられた日本政府が苦悩したのは、明らかに朝鮮半島有事が北朝鮮軍の大機甲部隊による南進により戦端が開かれた場合、首都ソウルは南北軍事境界線から70kmの距離、東京横須賀間の距離とそれ程違わない指呼の距離にあり、自衛隊が邦人救出を実施した場合でも、先に北朝鮮軍がソウルに到達する可能性さえあったのです。

 政府専用機B-747を金甫空港へ緊急派遣し、最大限搭乗させる事で一度に一千名程度の邦人を救出出来る見通しがあり、そもそも政府専用機が要人輸送専用機ではなく政府専用機である背景には1980年のイランイラク戦争邦人危機にて、当時邦人救出を打診した日本航空が危険性を理由に拒否した実情を受け導入された事実上の大型輸送機だった事もある。

 現在の北朝鮮軍は、T-62戦車を改修国産化した大規模機甲部隊を維持しているものの、韓国軍には1994年当時数が揃わなかったK-1A1戦車や、新型のK-2戦車が配備されており、AH-64E戦闘ヘリコプター等により北朝鮮の優位性は1994年当時程ではありません。すると、現在半島危機が発生した場合、当時程北朝鮮戦車の脅威を想定する必要はないのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする