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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

憲法記念日論点二〇一八【前篇】衆議院総選挙連立与党論点に挙がった改憲と国民政治参加

2018-05-03 20:11:21 | 国際・政治
■憲法,平和主義は権利か義務か
 本日は憲法記念日、そこで今回から年に一度ということもありこの国の在り方を示す憲法について少し考えてみましょう。

 日本国憲法の平和主義は平和を目的ではなく行政上の手段としている為、防衛政策の観点からはその現実が本土決戦主義であり、有事の際には着上陸を以て本土決戦を行う、膨大な人命と国富が消耗し影響は甚大である。平和主義の手段として求める事の難しさを前回提示した際、これは第二次大戦における外征主義への反省ではないかとの声を頂きました。

 本土決戦主義ではあっても外征主義として国民が外征に大量動員された第二次世界大戦の厳しく悲しい歴史を前に当時制定された憲法にはこうした視点が盛り込まれ支持された、と指摘されますと、説得力はあるものです。ただ、外征を回避しつつ本土決戦主義という視点も二極主義といいますか過剰論理の印象が拭えず、折衷案が必要だと切に考えます。

 平和主義とは国民が享受する平和を維持するための平和主義であり、政治が周辺国に平和を除く選択肢を封じられる事での厳しい結末を国民が甘受し耐え凌ぐ義務であっては、文字通り民を忘れた政治といえましょう。そして平和手段以外でも戦争を抑止する手段は多々あり、これには予防外交として防衛協力や平和創造、戦争回避手段も多く存在します。

 第二次世界大戦終戦直後という日本国憲法制定当時の時際的視野に視座を持てば、戦前の不戦条約が国際慣習法としての機能を有すると共に武力攻撃禁止条項を盛り込んだ国連憲章が新たな国際慣習法として、後に強行規範として規範性を有するように歩む中、絶大な軍事力の母体となった国土が健在の我が国を、よもや侵略する事は無い情勢がありました。

 国連憲章二条四項の武力攻撃禁止原則が、しかし第二次世界大戦後全ての戦争を封じたかと問われれば、国際法上戦争が武力紛争と名を変えたのみである事は世界史を俯瞰せずとも昨日今日の新聞国際欄を斜めに俯瞰するだけでも自明でしょう。故に安全保障は常に主権国家の課題であり、国際の平和と安全は全ての諸国民の祈念するところでもあります。

 日本国憲法は、しかし平和主義を掲げつつ、その平和主義を曖昧模糊なものとしたことで、手段としての平和主義か、国民権利としての平和主義か、進んで諸国民の権利としての平和主義なのか、不明確です。ただ、安全保障への多国間協力体制構築を制限している、少なくとも立憲当時想定外の、積極関与する事への制限を及ぼしている事は否定できません。

 憲法改正、昨年の衆議院総選挙の一つの論点となり、衆院選の結果受けての国会審議では闊達な憲法議論が期待されましたが、野党は与党の醜聞を糾弾し議場審議拒否と路上演説を繰り返す始末、国民の代表を選んだ総選挙、議員は国民の水準から選ばれるという原則からは、残念ながら政策議論よりも醜聞を追う選挙民の意思が反映されているかたちです。

 平和憲法、この憲法体系は日本国憲法制定当時画期的な概念であったのですが、元々は国民への平和教授を目的とした平和主義が、手段としての平和を求める平和主義へと置き換わり、国民が平和を享受するよりは平和的選択肢のみを国が選ぶことでの結果に険しい現実を突きつけられる国民への逃げの方便となってはいないか、大戦が過去の話となり思う。

 国民主権の現行憲法において、主権者たる国民はどれだけ政治に関与しているのか、特に政治のための時間をどれだけ仕事と余暇を割いて捻出しているのか、実質的に目的としての平和主義が手段としての平和を選ぶ主義へと転換している事について、その要因を考えますと、政治はお上、政治参加機会を捻出しにくい社会構造にも要因があるよう思えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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コメント (2)
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