■在韓邦人全員救出は十分可能
朝鮮半島有事、万一の際に救出すべき規模が大きすぎる、としても政府も国民も諦めるべきではありません。

邦人救出任務を想定する際、重要な点は最初の1994年朝鮮半島危機と比較し、自衛隊の戦力投射能力、そして政府の法整備や外務省との連携が非常に強化されている点です。ひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦を日本海や黄海に遊弋させ、ヘリコプターにて救出することが出来ますし、おおすみ型輸送艦からエアクッション揚陸艇LCACを運用しても良い。

ヘリコプター搭載護衛艦や輸送艦に限らずとも、艦船からの救出を行う場合は補給艦の飛行甲板から航空機を運用させるのは勿論、むらさめ型、たかなみ型といった汎用護衛艦も数百名程度の避難民であれば収容できます。当然、邦人保護は政府一体として実施するべき任務であり、自衛隊統合任務部隊以外、海上保安庁巡視船や水産庁支援も含みましょう。

もちろん、邦人の総数からとても充分とはいえないのですが、それでも、1994年の段階よりはよほど状況は整備されている。輸送手段だけでも当時は徒手空拳というほかなかったもので、法的に自衛隊を投入できるかさえ厳しいものの、救出に自衛隊を投入するとしてもその装備が限られていました。そしてもちろん、1994年当時は訓練もなされていません。

はるな型ヘリコプター搭載護衛艦の舞鶴配備は1998年ですので、1994年当時は選択肢が本当に限られた。限られた装備でも、例えば、はるな型護衛艦、しらね型護衛艦、は当時大型で広報活動の際には800名を収容できるとのことですから有力な選択肢となったでしょう。しかし、現在の全通飛行甲板型護衛艦と比較したならば、収容能力は限られている。

ヘリコプターによる九州から韓国南部への救出一つ上げても、1994年時点ではCH-47輸送ヘリコプターとともにまだ少なくない数のV-107輸送ヘリコプターが残っており空輸能力に限界があったほか、海上自衛隊の輸送艦は、おおすみ型輸送艦が計画中、旧式の輸送艦みうら型、あつみ型が主力となっており、輸送能力で砕氷艦しらせ、のほうが有力でした。

政府専用機が1992年に導入された背景にイランイラク戦争の邦人救出能力欠如、がありましたが、航空自衛隊輸送機はC-2輸送機が運用開始となった現在と比較し、C-130HとC-1輸送機、朝鮮半島はC-1輸送機の行動半径内にあることがせめてもの僥倖でしたが、実際に頼れる空輸能力は当時配備開始間もない政府専用機B-747に依存している状況でした。

法整備の面で、1994年朝鮮半島危機が朝鮮半島有事へ発展していた場合、超法規措置の決断を迫られる状況が多々発生したでしょう。しかし、超法規措置では多くの場合を現場指揮官に押し付ける事となり、自衛隊だけが任務に当たるのではなく、外務省に警察や海上保安庁等が協同し、邦人救出任務にあたる場合、そもそも責任者は誰が不明確となりえた。

有事法制に繋がる議論は当時まだ禁忌、しかし理想的には当時から防衛庁内局が提示していた、有事の際に政府が国会へ有事法制を緊急上程し、即日可決即時施行という緊急措置が間に合うこと、しかし、これとて憲法上論議を要する法案を即時可決することは民主主義と立憲主義の観点から劇薬のような影響を及ぼしかねず、楽観要素はなにもありません。

しかし、劇薬か超法規措置かを迫られる状況だったのが1994年です。その上、1996年には台湾海峡ミサイル危機という、日本周辺地域における邦人救出任務は朝鮮半島の実に限らず、台湾本島からの邦人救出の可能性が示されても法整備は遅々として進みません。しかし、現在は安全保障関連法という法整備がありますので、大きく前進しているのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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朝鮮半島有事、万一の際に救出すべき規模が大きすぎる、としても政府も国民も諦めるべきではありません。

邦人救出任務を想定する際、重要な点は最初の1994年朝鮮半島危機と比較し、自衛隊の戦力投射能力、そして政府の法整備や外務省との連携が非常に強化されている点です。ひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦を日本海や黄海に遊弋させ、ヘリコプターにて救出することが出来ますし、おおすみ型輸送艦からエアクッション揚陸艇LCACを運用しても良い。

ヘリコプター搭載護衛艦や輸送艦に限らずとも、艦船からの救出を行う場合は補給艦の飛行甲板から航空機を運用させるのは勿論、むらさめ型、たかなみ型といった汎用護衛艦も数百名程度の避難民であれば収容できます。当然、邦人保護は政府一体として実施するべき任務であり、自衛隊統合任務部隊以外、海上保安庁巡視船や水産庁支援も含みましょう。

もちろん、邦人の総数からとても充分とはいえないのですが、それでも、1994年の段階よりはよほど状況は整備されている。輸送手段だけでも当時は徒手空拳というほかなかったもので、法的に自衛隊を投入できるかさえ厳しいものの、救出に自衛隊を投入するとしてもその装備が限られていました。そしてもちろん、1994年当時は訓練もなされていません。

はるな型ヘリコプター搭載護衛艦の舞鶴配備は1998年ですので、1994年当時は選択肢が本当に限られた。限られた装備でも、例えば、はるな型護衛艦、しらね型護衛艦、は当時大型で広報活動の際には800名を収容できるとのことですから有力な選択肢となったでしょう。しかし、現在の全通飛行甲板型護衛艦と比較したならば、収容能力は限られている。

ヘリコプターによる九州から韓国南部への救出一つ上げても、1994年時点ではCH-47輸送ヘリコプターとともにまだ少なくない数のV-107輸送ヘリコプターが残っており空輸能力に限界があったほか、海上自衛隊の輸送艦は、おおすみ型輸送艦が計画中、旧式の輸送艦みうら型、あつみ型が主力となっており、輸送能力で砕氷艦しらせ、のほうが有力でした。

政府専用機が1992年に導入された背景にイランイラク戦争の邦人救出能力欠如、がありましたが、航空自衛隊輸送機はC-2輸送機が運用開始となった現在と比較し、C-130HとC-1輸送機、朝鮮半島はC-1輸送機の行動半径内にあることがせめてもの僥倖でしたが、実際に頼れる空輸能力は当時配備開始間もない政府専用機B-747に依存している状況でした。

法整備の面で、1994年朝鮮半島危機が朝鮮半島有事へ発展していた場合、超法規措置の決断を迫られる状況が多々発生したでしょう。しかし、超法規措置では多くの場合を現場指揮官に押し付ける事となり、自衛隊だけが任務に当たるのではなく、外務省に警察や海上保安庁等が協同し、邦人救出任務にあたる場合、そもそも責任者は誰が不明確となりえた。

有事法制に繋がる議論は当時まだ禁忌、しかし理想的には当時から防衛庁内局が提示していた、有事の際に政府が国会へ有事法制を緊急上程し、即日可決即時施行という緊急措置が間に合うこと、しかし、これとて憲法上論議を要する法案を即時可決することは民主主義と立憲主義の観点から劇薬のような影響を及ぼしかねず、楽観要素はなにもありません。

しかし、劇薬か超法規措置かを迫られる状況だったのが1994年です。その上、1996年には台湾海峡ミサイル危機という、日本周辺地域における邦人救出任務は朝鮮半島の実に限らず、台湾本島からの邦人救出の可能性が示されても法整備は遅々として進みません。しかし、現在は安全保障関連法という法整備がありますので、大きく前進しているのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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