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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

憲法記念日論点二〇一八【中篇】付随的違憲審査制度の限界と司法が行政へ託す統治行為論

2018-05-04 20:12:21 | 国際・政治
■憲法裁判所無き現行憲法
 日本国憲法を論じる場合、行政府が最大の課題とする点は平和主義を手段から目的へ昇華させる事でしょう。

 防衛安全保障、憲法問題はプライバシー権や環境権と様々な視野から憲法改正の必要性が提示されていますが、如何に議論を深めようとも、やはり最大の論点は防衛安全保障について、国の交戦権や陸海空軍を認めない憲法の限界がある、ここに帰結します。交戦権は無いが自然権としての自衛権はある、軍隊はだめだが自衛隊や国連軍はその限りでない。

 日本国憲法は、軍隊ではない実力組織としての自衛隊を維持し今日に至る。集団的自衛権行使には数多の議論を半世紀以上重ねつつ憲法制定まもない1956年、純然たる集団安全保障機構である国連に加盟、そもそも非武装中立論の議論においてさえ、国連加盟、しかも国連憲章には国連への協力義務があり、国連軍については否定されるものは極めて稀有だ。

 国連と日本国憲法、日本国憲法制定直後の朝鮮戦争において国連軍広報司令部が日本国内に置かれる事についてさえ、敢えて知らないことで議論を忌避しているように受け止められ、実のところ建前と本音の使い分けの如く、実質日本国憲法の平和主義とは曖昧模糊とした、政権の、そして野党や個々人までも勝手に定義づけ出来る鵺の様な存在にも見える。

 平和主義が求める防衛力の限界と外交政策の限界はどこまでなのか、護憲という視点から現行憲法を考える場合、思考作業を忌避する現状維持の視点からの消極的護憲という立場から脱して、平和憲法の限界点を明確に示すことが、結局のところ護憲と改憲の分水嶺を明確に示すところへ繋がる、即ち平和憲法が守るべき平和への道筋を示す事が重要と思う。

 司法府は、しかし付随的違憲審査制度、つまり具体的事件における付随的な憲法との適合性を判断するとの現行司法制度に依拠し、憲法判断を積極的に果たす機能を有していません。一方、司法府が統治行為論、この難しい単語よりも英訳を直訳した政治の問題とした方が分かりやすいのだが、行政府が判断すべき問題として内閣法制局に一任しています。

 付随的違憲審査制度の難点は、憲法上特に防衛安全保障という一時の遅滞が生命財産の喪失に直面する問題についてその判断に時間を要する点で、立法そのものの憲法上の整合性に事後に付随的違憲審査制度にて仮に違憲を指摘する場合、法治国家として重大な超法規状態が自然醸成、という部分があります。勿論、制度として否定するつもりはありません。

 司法制度を俯瞰しますと一方、日本国憲法の平和主義と国民の安全という矛盾しなさそうで、目的としての平和を重視するか手段としての平和を重視するかの不均衡、矛盾する制度を採用する際には、やはり防衛安全保障への合憲性判断に際し、付随的違憲審査制度を補完する独立的合憲審査制度にあたるような制度というものは必要ではないか、とおもう。

 憲法裁判所のような制度があれば憲法判断を付随的違憲審査権に基づく制度を超えた積極的判断が可能となる、こう考えた事もありますが、憲法裁判所設置は現行憲法が禁止する特別裁判所にあたりますので設置できません。仮に改憲を経て憲法裁判所制度を導入した場合も、例えばフランス憲法裁判所制度等を比較憲法論の視点から分析すれば限界がある。

 フランス憲法裁判所は受理に際し、統治行為論が絡む命題は不受理となり、行政裁判所への提訴を提案します。行政裁判所は仏語でコセイユデタ、国務院に設置され首相が判事を務める制度です。国務院に立法の適法性を問う構図となりますので、憲法裁判所制度を構築したとしても立法の合憲性を問う機構は、国家制度上あり得ない、という事になります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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