■悲劇は連合艦隊の戦艦軽視論
アルキメデスの大戦、間もなく終戦から74年ですが戦争を扱う映画は徐々に歴史を扱う映画となりつつある中、やはり予備知識が無ければ誤解しかねません。
金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。この中で金剛、比叡、榛名、霧島は金剛型戦艦であり高速戦艦であった事から空母に随伴できるとして重宝されました、が、他の戦艦を活用していない事は、実のところ戦争指導の観点から不徹底が在ったのではないか、と思う。戦艦を使い切れていなかった、という構図です。
真珠湾攻撃のハワイ作戦とミッドウェー作戦では一応主力戦艦軍は支援名目で小笠原まで前進、ミッドウェー海戦でも主力後方600kmに布陣し決戦を準備していましたが活躍の機会は無く、戦艦群はトラック諸島の泊地や、泊地と基地間の移動に際し物資を便乗させる輸送支援が行われた程度、金剛型以外の戦艦の動員は1944年6月のマリアナ沖海戦です。
ハワイ海戦の真珠湾攻撃が成功し、太平洋正面では日本が戦艦数で優位に立っていました、撃沈以外に大破し行動不能の戦艦を除けば日本が優位であり、当初計画の小笠原方面での艦隊決戦を繰上げ、ハワイ東方海域へ第1艦隊主力を展開させるならば、艦隊決戦により大西洋方面から増援のアメリカ戦艦を含め壊滅的な打撃は与え得たのですが、しなかった。
戦艦アーカンソー、戦艦ニューヨーク、戦艦テキサス、戦艦ネヴァダ、戦艦オクラホマ、戦艦ペンシルヴェニア、戦艦アリゾナ、戦艦ニューメキシコ、戦艦ミシシッピ、戦艦アイダホ、戦艦テネシー、戦艦カリフォルニア、戦艦コロラド、戦艦メリーランド、戦艦ウェストバージニア、戦艦ノースカロライナ、戦艦ワシントン、1941年時点のアメリカ戦艦だ。
真珠湾攻撃を経てアメリカの行動可能な戦艦、要するに修理が完了したらば戦列に復帰する戦艦を除けばかなりの戦力を足止め若しくは撃破できていました。勿論南方作戦として空母や巡洋艦は多数必要でしたが、瀬戸内海に維持されていた第一艦隊の戦艦部隊と支援する第1水雷戦隊は任務の無い遊兵化しており、これを活用しなかったのは失策といえる。
真珠湾後戦艦ニューヨーク大西洋、戦艦テキサス大西洋、戦艦ネヴァダ大破、戦艦オクラホマ撃沈、戦艦ペンシルヴェニア小破修理中、戦艦アリゾナ撃沈、戦艦ニューメキシコ大西洋、戦艦ミシシッピ大西洋、戦艦アイダホ大西洋、戦艦テネシー大破、戦艦カリフォルニア大破、戦艦コロラド修理中、戦艦メリーランド小破、戦艦ウェストバージニア大破に。
日本が艦隊決戦を挑むとするならば、真珠湾攻撃後、1942年から1944年まで修理を要した戦艦を除けば即座に投入できるアメリカ戦艦は戦艦ペンシルヴェニア、戦艦コロラド、戦艦メリーランド、この三隻と大西洋から回航可能な戦艦アーカンソー、戦艦ニューヨーク、戦艦テキサス、戦艦ニューメキシコ、戦艦ミシシッピ、戦艦アイダホ、9隻のみです。
大西洋から全ての戦艦を回航できる訳ではありません、ドイツの戦艦テルピッツが健在でイギリスはアメリカの戦艦支援を切望し続け、イギリスはイタリアの高速戦艦群と地中海で激戦を続けていました。大西洋から半数の戦艦を回航し、最新の戦艦ノースカロライナ、戦艦ワシントンを投入したとして、日本と戦艦の規模と数ではほぼ互角といえるのですね.
日本の第一艦隊は、戦艦長門、戦艦陸奥、戦艦扶桑、戦艦山城、戦艦伊勢、戦艦日向、最新鋭の戦艦大和、以上戦艦7隻が在ります。空母の直衛に高速戦艦である戦艦金剛、戦艦比叡、戦艦榛名、戦艦霧島、これらを除いたとしても強力な戦艦7隻があるのですから、例えば西海岸方面へ第1水雷戦隊と併せて戦艦部隊を前進させれば艦隊決戦を行い得た。
ドイツと激戦が続くイギリス救援へ、アメリカは真珠湾攻撃に伴う対枢軸参戦前の1941年時点でアイスランド進駐を行い戦艦二隻を派遣しています、ここに最新鋭戦艦ワシントンが含まれています。他に日本の長門型戦艦に対抗し得るコロラド級戦艦3隻のうち、ウェストバージニアは真珠湾で撃沈、メリーランドは小破、コロラドは本土で修理中でした。
西海岸沖で日本海軍が最新鋭の戦艦大和、長門型戦艦や伊勢型と扶桑型戦艦により艦隊決戦を行う姿勢を誇示していたらば、これは行うと行わざるとに関わらず艦隊決戦、その後の西海岸上陸の可能性を示唆したならば、アメリカ太平洋艦隊は西海岸防衛に戦力を温存しつつ、南太平洋地域に艦隊を派遣する必要が生じ、戦力を大きく分断できたはずでした。
伊勢型戦艦や扶桑型戦艦に長門型戦艦を活用しなかったのは何故でしょうか。戦艦は一旦動かせば大量の燃料を消費する、との反論はありますが、それは燃料を産油地帯から運ばない為です。例えば船団護衛、輸送船の代わりに便乗させるのではなく、梯団を組む船団の護衛に投入するならば、戦争遂行に必要な補給は幾らでもできた、それが海軍の使命だ。
ペデスタル作戦、船団護衛としてイギリスが1942年8月に実施したマルタ島への燃料輸送作戦では、戦艦ネルソン、ロドネー。空母イーグル、ヴィクトリアス、インドミタブル、ヒューリアス、アーガス。更に巡洋艦7隻と駆逐艦24隻を投入し、イタリアのシチリア島南130kmのマルタ島へ輸送を成功させています。途中で空母1隻と巡洋艦2隻等を失う。
マルタ島攻防戦、という1953年のイギリス映画に、ペデスタル作戦、それに先んじるマルタ島強行輸送作戦ヴィガラス作戦とハープーン作戦の失敗と戦時マルタ島の人々の営みが描かれていて、お勧めの映画です。閑話休題、日本の海上輸送、最初は潜水艦、続いて空母部隊を含むあらゆる方法で妨害されており、護衛に戦艦があれば結果は違った可能性も。
伊勢、日向の2戦艦と巡洋艦大淀に駆逐艦3隻からなる完部隊を動員した1945年2月の北号作戦、フィリピン陥落により南方資源地域と日本本土の海上交通が最後に遮断される前の最後の輸送任務として、戦艦にドラム缶等を満載し、錫やボーキサイトに生ゴムと航空燃料を輸送する作戦が行われました。幸い偽装航路や秘密保持により全艦日本へ到着した。
完部隊の北号作戦は大成功、と記録されつつ、戦艦や巡洋艦は輸送任務に向かず中型輸送船一隻程度の物資を輸送したに留まる、とは但し書きの評価です。しかし、同時期に南号作戦として、特務艇や特設軍艦と海防艦のみの護衛により南方から日本へ15回に及ぶ大型輸送船複数による強行輸送作戦が行われ、当然全て空母や潜水艦の攻撃で失敗しています。
南方には重巡足柄、羽黒、といった行動可能な艦艇、レイテ沖海戦の生き残りである戦艦大和や戦艦長門、金剛、榛名、他艦艇が輸送支援に動員可能でした。北号作戦に並行し南号作戦の護衛に充てていれば、いやそもそも、レイテ沖海戦よりも前の改選から南方作戦完了の後、使う事の無くなった戦艦を輸送護衛に充てていれば、そんな素朴な疑問という。
しかし、日本海軍は大きな組織でしたので、戦艦大和の建造に反対する論調は多くありました、中には35000t規模の、つまり大和型の半分程度の高速戦艦を量産する案もありましたが、更に中には、戦艦も空母も全部不要なので航空機に特化し、航空機だけを延々量産し、飛行場から制海権と制空権を取る、という大型艦不要論さえも、上層部にはあった。
離島の不沈空母化、日本海軍には戦艦や航空母艦よりも航空機を不沈空母である島嶼部飛行場に集中させ戦域優位を確立する、との研究もありましたが、マリアナ沖海戦でその限界が突き付けられます。要するに離島飛行場は不沈かもしれませんが動けません、アメリカ海軍には艦載機各種100機単位の搭載能力を持つ大型の航空母艦が多数量産されました。
離島にどれだけ戦闘機や攻撃機を集めてもそれ以上の空母が来る。空母は航空機の単なる発着場ではなく、整備施設であり弾薬庫であり燃料庫であり乗員の休息拠点でもある。航空機は簡単に離島間を移動できますが、整備施設始め基地機能の移動は簡単ではありません。また、空母機動部隊の随伴艦に匹敵する野戦防空能力も簡単には移動させられません。
エセックス級空母、アメリカ海軍は建造中止を含め1942年から32隻を順次竣工させています、各空母には100機の艦載機を搭載できる、補助用に重巡設計を応用したインディペンデンス級軽空母が9隻、護衛空母は計画含め100隻以上、護衛空母は速力こそ艦隊空母と比して大きくはありませんが、船団護衛の他に海兵隊の対地攻撃機等を搭載しています。
空母は集中と分散を迅速に行う事が可能ですし、発着を断念し飛行甲板目一杯に航空機を搭載し輸送任務に充てる事が出来ます。第二次世界大戦のような航空消耗戦では大陸や本土を除けば必須でした。要するに戦艦を持たず航空一本化の場合、離島飛行場に数千機を集中できる燃料や弾薬と整備輸送能力が無ければ、空母に包囲、殲滅されるということ。
ただ、航空母艦を過剰に重視しますと、結果論ですがもう一つの問題に直面します。それは艦載機の大型化で、艦載機の大型化は母艦格納庫の天井高や甲板強度で、航空母艦に余程の余裕ある設計を採用せねば成り立ちません、この構図は実際、第二次大戦中の大型空母であったアメリカ海軍エセックス級空母も戦後には手狭となり、空母は大型化します。
日本海軍が最初に完成させた空母鳳翔は第二次世界大戦の時期には大型化する艦載機を収容できない状況となっていましたし、零式艦戦の後継機として開発が進められていた烈風、初飛行は敗戦に間に合いませんでしたが、実用化出来ていたとしても搭載できる空母は相当大型、翔鶴型を再度生産せねば搭載は難しく、時代はジェット機時代を目前としていた。
艦載機の大型化はアメリカではF-14A戦闘機とF/A-18Eで一段落します。中型空母でも搭載出来得る最先端の機体は、これから航空自衛隊が導入を開始するF-35Bまで世界は待たねばなりません。すると第二次大戦の時点でアメリカはミッドウェー級空母の建造を開始しますが手狭で、戦艦大和に匹敵するフォレスタル級空母の建造を待たねばなりません。結局世界は巨艦の時代へ向かう、皮肉ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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アルキメデスの大戦、間もなく終戦から74年ですが戦争を扱う映画は徐々に歴史を扱う映画となりつつある中、やはり予備知識が無ければ誤解しかねません。
金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。この中で金剛、比叡、榛名、霧島は金剛型戦艦であり高速戦艦であった事から空母に随伴できるとして重宝されました、が、他の戦艦を活用していない事は、実のところ戦争指導の観点から不徹底が在ったのではないか、と思う。戦艦を使い切れていなかった、という構図です。
真珠湾攻撃のハワイ作戦とミッドウェー作戦では一応主力戦艦軍は支援名目で小笠原まで前進、ミッドウェー海戦でも主力後方600kmに布陣し決戦を準備していましたが活躍の機会は無く、戦艦群はトラック諸島の泊地や、泊地と基地間の移動に際し物資を便乗させる輸送支援が行われた程度、金剛型以外の戦艦の動員は1944年6月のマリアナ沖海戦です。
ハワイ海戦の真珠湾攻撃が成功し、太平洋正面では日本が戦艦数で優位に立っていました、撃沈以外に大破し行動不能の戦艦を除けば日本が優位であり、当初計画の小笠原方面での艦隊決戦を繰上げ、ハワイ東方海域へ第1艦隊主力を展開させるならば、艦隊決戦により大西洋方面から増援のアメリカ戦艦を含め壊滅的な打撃は与え得たのですが、しなかった。
戦艦アーカンソー、戦艦ニューヨーク、戦艦テキサス、戦艦ネヴァダ、戦艦オクラホマ、戦艦ペンシルヴェニア、戦艦アリゾナ、戦艦ニューメキシコ、戦艦ミシシッピ、戦艦アイダホ、戦艦テネシー、戦艦カリフォルニア、戦艦コロラド、戦艦メリーランド、戦艦ウェストバージニア、戦艦ノースカロライナ、戦艦ワシントン、1941年時点のアメリカ戦艦だ。
真珠湾攻撃を経てアメリカの行動可能な戦艦、要するに修理が完了したらば戦列に復帰する戦艦を除けばかなりの戦力を足止め若しくは撃破できていました。勿論南方作戦として空母や巡洋艦は多数必要でしたが、瀬戸内海に維持されていた第一艦隊の戦艦部隊と支援する第1水雷戦隊は任務の無い遊兵化しており、これを活用しなかったのは失策といえる。
真珠湾後戦艦ニューヨーク大西洋、戦艦テキサス大西洋、戦艦ネヴァダ大破、戦艦オクラホマ撃沈、戦艦ペンシルヴェニア小破修理中、戦艦アリゾナ撃沈、戦艦ニューメキシコ大西洋、戦艦ミシシッピ大西洋、戦艦アイダホ大西洋、戦艦テネシー大破、戦艦カリフォルニア大破、戦艦コロラド修理中、戦艦メリーランド小破、戦艦ウェストバージニア大破に。
日本が艦隊決戦を挑むとするならば、真珠湾攻撃後、1942年から1944年まで修理を要した戦艦を除けば即座に投入できるアメリカ戦艦は戦艦ペンシルヴェニア、戦艦コロラド、戦艦メリーランド、この三隻と大西洋から回航可能な戦艦アーカンソー、戦艦ニューヨーク、戦艦テキサス、戦艦ニューメキシコ、戦艦ミシシッピ、戦艦アイダホ、9隻のみです。
大西洋から全ての戦艦を回航できる訳ではありません、ドイツの戦艦テルピッツが健在でイギリスはアメリカの戦艦支援を切望し続け、イギリスはイタリアの高速戦艦群と地中海で激戦を続けていました。大西洋から半数の戦艦を回航し、最新の戦艦ノースカロライナ、戦艦ワシントンを投入したとして、日本と戦艦の規模と数ではほぼ互角といえるのですね.
日本の第一艦隊は、戦艦長門、戦艦陸奥、戦艦扶桑、戦艦山城、戦艦伊勢、戦艦日向、最新鋭の戦艦大和、以上戦艦7隻が在ります。空母の直衛に高速戦艦である戦艦金剛、戦艦比叡、戦艦榛名、戦艦霧島、これらを除いたとしても強力な戦艦7隻があるのですから、例えば西海岸方面へ第1水雷戦隊と併せて戦艦部隊を前進させれば艦隊決戦を行い得た。
ドイツと激戦が続くイギリス救援へ、アメリカは真珠湾攻撃に伴う対枢軸参戦前の1941年時点でアイスランド進駐を行い戦艦二隻を派遣しています、ここに最新鋭戦艦ワシントンが含まれています。他に日本の長門型戦艦に対抗し得るコロラド級戦艦3隻のうち、ウェストバージニアは真珠湾で撃沈、メリーランドは小破、コロラドは本土で修理中でした。
西海岸沖で日本海軍が最新鋭の戦艦大和、長門型戦艦や伊勢型と扶桑型戦艦により艦隊決戦を行う姿勢を誇示していたらば、これは行うと行わざるとに関わらず艦隊決戦、その後の西海岸上陸の可能性を示唆したならば、アメリカ太平洋艦隊は西海岸防衛に戦力を温存しつつ、南太平洋地域に艦隊を派遣する必要が生じ、戦力を大きく分断できたはずでした。
伊勢型戦艦や扶桑型戦艦に長門型戦艦を活用しなかったのは何故でしょうか。戦艦は一旦動かせば大量の燃料を消費する、との反論はありますが、それは燃料を産油地帯から運ばない為です。例えば船団護衛、輸送船の代わりに便乗させるのではなく、梯団を組む船団の護衛に投入するならば、戦争遂行に必要な補給は幾らでもできた、それが海軍の使命だ。
ペデスタル作戦、船団護衛としてイギリスが1942年8月に実施したマルタ島への燃料輸送作戦では、戦艦ネルソン、ロドネー。空母イーグル、ヴィクトリアス、インドミタブル、ヒューリアス、アーガス。更に巡洋艦7隻と駆逐艦24隻を投入し、イタリアのシチリア島南130kmのマルタ島へ輸送を成功させています。途中で空母1隻と巡洋艦2隻等を失う。
マルタ島攻防戦、という1953年のイギリス映画に、ペデスタル作戦、それに先んじるマルタ島強行輸送作戦ヴィガラス作戦とハープーン作戦の失敗と戦時マルタ島の人々の営みが描かれていて、お勧めの映画です。閑話休題、日本の海上輸送、最初は潜水艦、続いて空母部隊を含むあらゆる方法で妨害されており、護衛に戦艦があれば結果は違った可能性も。
伊勢、日向の2戦艦と巡洋艦大淀に駆逐艦3隻からなる完部隊を動員した1945年2月の北号作戦、フィリピン陥落により南方資源地域と日本本土の海上交通が最後に遮断される前の最後の輸送任務として、戦艦にドラム缶等を満載し、錫やボーキサイトに生ゴムと航空燃料を輸送する作戦が行われました。幸い偽装航路や秘密保持により全艦日本へ到着した。
完部隊の北号作戦は大成功、と記録されつつ、戦艦や巡洋艦は輸送任務に向かず中型輸送船一隻程度の物資を輸送したに留まる、とは但し書きの評価です。しかし、同時期に南号作戦として、特務艇や特設軍艦と海防艦のみの護衛により南方から日本へ15回に及ぶ大型輸送船複数による強行輸送作戦が行われ、当然全て空母や潜水艦の攻撃で失敗しています。
南方には重巡足柄、羽黒、といった行動可能な艦艇、レイテ沖海戦の生き残りである戦艦大和や戦艦長門、金剛、榛名、他艦艇が輸送支援に動員可能でした。北号作戦に並行し南号作戦の護衛に充てていれば、いやそもそも、レイテ沖海戦よりも前の改選から南方作戦完了の後、使う事の無くなった戦艦を輸送護衛に充てていれば、そんな素朴な疑問という。
しかし、日本海軍は大きな組織でしたので、戦艦大和の建造に反対する論調は多くありました、中には35000t規模の、つまり大和型の半分程度の高速戦艦を量産する案もありましたが、更に中には、戦艦も空母も全部不要なので航空機に特化し、航空機だけを延々量産し、飛行場から制海権と制空権を取る、という大型艦不要論さえも、上層部にはあった。
離島の不沈空母化、日本海軍には戦艦や航空母艦よりも航空機を不沈空母である島嶼部飛行場に集中させ戦域優位を確立する、との研究もありましたが、マリアナ沖海戦でその限界が突き付けられます。要するに離島飛行場は不沈かもしれませんが動けません、アメリカ海軍には艦載機各種100機単位の搭載能力を持つ大型の航空母艦が多数量産されました。
離島にどれだけ戦闘機や攻撃機を集めてもそれ以上の空母が来る。空母は航空機の単なる発着場ではなく、整備施設であり弾薬庫であり燃料庫であり乗員の休息拠点でもある。航空機は簡単に離島間を移動できますが、整備施設始め基地機能の移動は簡単ではありません。また、空母機動部隊の随伴艦に匹敵する野戦防空能力も簡単には移動させられません。
エセックス級空母、アメリカ海軍は建造中止を含め1942年から32隻を順次竣工させています、各空母には100機の艦載機を搭載できる、補助用に重巡設計を応用したインディペンデンス級軽空母が9隻、護衛空母は計画含め100隻以上、護衛空母は速力こそ艦隊空母と比して大きくはありませんが、船団護衛の他に海兵隊の対地攻撃機等を搭載しています。
空母は集中と分散を迅速に行う事が可能ですし、発着を断念し飛行甲板目一杯に航空機を搭載し輸送任務に充てる事が出来ます。第二次世界大戦のような航空消耗戦では大陸や本土を除けば必須でした。要するに戦艦を持たず航空一本化の場合、離島飛行場に数千機を集中できる燃料や弾薬と整備輸送能力が無ければ、空母に包囲、殲滅されるということ。
ただ、航空母艦を過剰に重視しますと、結果論ですがもう一つの問題に直面します。それは艦載機の大型化で、艦載機の大型化は母艦格納庫の天井高や甲板強度で、航空母艦に余程の余裕ある設計を採用せねば成り立ちません、この構図は実際、第二次大戦中の大型空母であったアメリカ海軍エセックス級空母も戦後には手狭となり、空母は大型化します。
日本海軍が最初に完成させた空母鳳翔は第二次世界大戦の時期には大型化する艦載機を収容できない状況となっていましたし、零式艦戦の後継機として開発が進められていた烈風、初飛行は敗戦に間に合いませんでしたが、実用化出来ていたとしても搭載できる空母は相当大型、翔鶴型を再度生産せねば搭載は難しく、時代はジェット機時代を目前としていた。
艦載機の大型化はアメリカではF-14A戦闘機とF/A-18Eで一段落します。中型空母でも搭載出来得る最先端の機体は、これから航空自衛隊が導入を開始するF-35Bまで世界は待たねばなりません。すると第二次大戦の時点でアメリカはミッドウェー級空母の建造を開始しますが手狭で、戦艦大和に匹敵するフォレスタル級空母の建造を待たねばなりません。結局世界は巨艦の時代へ向かう、皮肉ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)