■戦後日本価値観の共有に難題
本日は台風下の終戦記念日です。空しい程の快晴だったとの昭和20年8月15日を象りブルーインパルスの写真とともに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/42/a760f5e694e701fa90653c1573f6c522.jpg)
昭和は平成を経て令和元年となり、今年も終戦記念日がやって参りました。終戦記念日、遠い昭和の時代と呼ばれる74年前の今日、350万の人命が戦禍に潰え1000万の国民が住居を失いました、戦域は全世界に延焼し、昭和20年8月15日、日本は連合国へ降伏の意志を示し国民に布告しました。これが八月十五日、太平洋戦争が終戦となった日です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4e/283d9092cba5db6811e5f34f929d34e0.jpg)
戦争経験の継承、これは難しくなるのかもしれません、太平洋戦争という巨大な戦争の国民の記憶、最大の理由は少子高齢化ではなく外国人材や移民というものでしょう。移民に戦争経験と利きましても第二次世界大戦を思い浮かべる方は少ないでしょう、それほどに世界は第二次世界大戦後に戦争を経験しています。そしてその問題は現在進行形でもある。
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太平洋戦争の敗戦、その後の平和憲法制定、世界に強国として復帰した戦後復興、日本の戦後はこの三点が包括化されています。しかし、平和憲法には非武装の概念が盛り込まれています。これはしかし防衛力を欠いたことで故郷が戦禍に晒された経験のほうが、世界的に見て普遍論なのかもしれません、例えば中国など。少なくとも日本は例外といえた。
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戦後復興としましても、戦争に負けたことにより経済大国となった事例、これこそ特殊論ではないかと思う、抜本的な敗戦から国土が回復した事例、日本の他はドイツくらいではないか、これら包括し終戦記念日を新しいはじまり、憲法論で言うところの八月革命説というような視点に立つことは、多極化する日本社会においては受け入れられないでしょう。
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令和時代、世界を見渡せば平成最後の年頃に世界最後の”第一次世界大戦従軍兵士”が天へ旅立たれました。第一次世界大戦は1919年の終戦、第二次世界大戦は1945年終戦、期間には戦間期の幅はありますが、終戦から74年、当時16歳で学徒動員された若い兵士でも令和元年には90歳に達します。経験者からの太平洋戦争を知ることは難しくなります。
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終戦の概念だけが徐々に曖昧模糊として継承されることとなるのですが、併せて国境内戦経験者、朝鮮戦争経験者、湾岸戦争経験者、アフガン戦争経験者、イランイラク戦争経験者、ヴェトナム戦争経験者、ウクライナ東部戦争経験者、帰化により増えてゆくでしょう。遠くない将来、終戦の記憶というものは概念を越えるものではなくなるのかもしれません。
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戦争経験と云いますと、第二次世界大戦を思い起こす方、経験していなくとも“あの戦争”という共通認識が太平洋戦争を示す、これが長く日本社会の基本でした。しかし、ヴェトナムで問えばヴェトナム戦争、韓国では朝鮮戦争、中東では中東戦争や湾岸戦争にイラク戦争、イエメンやシリアでは現在進行形のものを示します。勿論中には移民希望もいます。
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74年は実のところ長い、大政奉還は1867年、ここに74年を重ねますと1941年となります、1941年はハワイ海戦、即ち真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまった年です。終戦から74年、太平洋戦争終戦から74年ですが、維新の動乱から74年を経た、と回顧するかたは、どのくらい居たのでしょうか。74年とはそれほどに壮大な月日であることを示します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/36/0f48f192851f25e54ea17dfe19fa36c8.jpg)
終戦の概念への回帰、この認識すべき視点は、戦争を回避するための防衛力の位置づけ、特に努めて抑制して、という我が国防衛政策、国際関係の原点が変容しうる事を意味しています。戦争を犠牲とともに回避へ堪え忍ぶよりも、自分の生命や家族の生命だけではなく将来と幸福追求権も含め、自衛とその拡大という選択肢が天秤に掛けられた際、どうか。
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昨今隣国が行うような浅はかといえる選択肢を優先する潮流が醸成されるのではないか。昭和初期の話だろう、と終戦の記憶を継承する事が難しくなった際に、新しい日本の価値観、国際関係と防衛政策や平和政策への価値観の一致をどのように図るのか、という視野も含め平成の次の時代を考えねばならないのかもしれません。令和元年終戦記念日は、こうした日でもあるのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/cb/97e04ba3bc0003aab0e0db4c7055be3f.jpg)
終戦の認識継承、この難しさは日本よりも一足先に多文化教生を実現させた同じ枢軸の盟友ドイツにおいて現実のものとなっています。その背景とはトルコ系移民の増加が戦後復興の短期労働者が定住化したことで顕在化し、結果的に民族差別というものも内包されているものと差し引くべきなのでしょうが、戦争に関する認識の多様化を生んでいます。
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ドイツの戦争認識は、特にシリア移民の急増とともに第二次世界大戦いおいて浮き彫りとなったユダヤ系ドイツ人への認識が、イスラエルとシリアの国家間関係を間接的にドイツ国内の過去の問題を掘り起こす構図として再認識させられることとなりました、ドイツへ帰化した場合、隣国が求めるような加害側としての認識を共有等は、できるのでしょうか。
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日本には永住外国人、その帰化にさいして、終戦の記憶を継承し且つ共有できるのか、という命題があります。永住外国人の多数を占める諸国では自国を被害者と位置づけた上で加害国という関係を戦後今日に至るまで継続しており、この二国間の問題が日本国内に置ける価値観の分断へ発展する懸念、という認識も必要です。何より民主国家なのですから。
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74年とは確かに応仁の乱に幕末や戦国時代と比較するならば検証は可能な領域、資料や文献は勿論、まだ当事者も存命です。しかし言い換えるならば、資料や文献は余りに増大であり、その体系樹は巨大化していることが全体の輪郭を画一化することを阻んでいます。更に74年前とは記録に映像と記録保全が定着した後の、情報過多の時代でもあります。それ故に情報の洪水下に曖昧模糊となる戦争を今後どう考えるか、未来への課題でしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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本日は台風下の終戦記念日です。空しい程の快晴だったとの昭和20年8月15日を象りブルーインパルスの写真とともに。
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昭和は平成を経て令和元年となり、今年も終戦記念日がやって参りました。終戦記念日、遠い昭和の時代と呼ばれる74年前の今日、350万の人命が戦禍に潰え1000万の国民が住居を失いました、戦域は全世界に延焼し、昭和20年8月15日、日本は連合国へ降伏の意志を示し国民に布告しました。これが八月十五日、太平洋戦争が終戦となった日です。
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戦争経験の継承、これは難しくなるのかもしれません、太平洋戦争という巨大な戦争の国民の記憶、最大の理由は少子高齢化ではなく外国人材や移民というものでしょう。移民に戦争経験と利きましても第二次世界大戦を思い浮かべる方は少ないでしょう、それほどに世界は第二次世界大戦後に戦争を経験しています。そしてその問題は現在進行形でもある。
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太平洋戦争の敗戦、その後の平和憲法制定、世界に強国として復帰した戦後復興、日本の戦後はこの三点が包括化されています。しかし、平和憲法には非武装の概念が盛り込まれています。これはしかし防衛力を欠いたことで故郷が戦禍に晒された経験のほうが、世界的に見て普遍論なのかもしれません、例えば中国など。少なくとも日本は例外といえた。
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戦後復興としましても、戦争に負けたことにより経済大国となった事例、これこそ特殊論ではないかと思う、抜本的な敗戦から国土が回復した事例、日本の他はドイツくらいではないか、これら包括し終戦記念日を新しいはじまり、憲法論で言うところの八月革命説というような視点に立つことは、多極化する日本社会においては受け入れられないでしょう。
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令和時代、世界を見渡せば平成最後の年頃に世界最後の”第一次世界大戦従軍兵士”が天へ旅立たれました。第一次世界大戦は1919年の終戦、第二次世界大戦は1945年終戦、期間には戦間期の幅はありますが、終戦から74年、当時16歳で学徒動員された若い兵士でも令和元年には90歳に達します。経験者からの太平洋戦争を知ることは難しくなります。
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終戦の概念だけが徐々に曖昧模糊として継承されることとなるのですが、併せて国境内戦経験者、朝鮮戦争経験者、湾岸戦争経験者、アフガン戦争経験者、イランイラク戦争経験者、ヴェトナム戦争経験者、ウクライナ東部戦争経験者、帰化により増えてゆくでしょう。遠くない将来、終戦の記憶というものは概念を越えるものではなくなるのかもしれません。
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戦争経験と云いますと、第二次世界大戦を思い起こす方、経験していなくとも“あの戦争”という共通認識が太平洋戦争を示す、これが長く日本社会の基本でした。しかし、ヴェトナムで問えばヴェトナム戦争、韓国では朝鮮戦争、中東では中東戦争や湾岸戦争にイラク戦争、イエメンやシリアでは現在進行形のものを示します。勿論中には移民希望もいます。
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74年は実のところ長い、大政奉還は1867年、ここに74年を重ねますと1941年となります、1941年はハワイ海戦、即ち真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまった年です。終戦から74年、太平洋戦争終戦から74年ですが、維新の動乱から74年を経た、と回顧するかたは、どのくらい居たのでしょうか。74年とはそれほどに壮大な月日であることを示します。
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終戦の概念への回帰、この認識すべき視点は、戦争を回避するための防衛力の位置づけ、特に努めて抑制して、という我が国防衛政策、国際関係の原点が変容しうる事を意味しています。戦争を犠牲とともに回避へ堪え忍ぶよりも、自分の生命や家族の生命だけではなく将来と幸福追求権も含め、自衛とその拡大という選択肢が天秤に掛けられた際、どうか。
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昨今隣国が行うような浅はかといえる選択肢を優先する潮流が醸成されるのではないか。昭和初期の話だろう、と終戦の記憶を継承する事が難しくなった際に、新しい日本の価値観、国際関係と防衛政策や平和政策への価値観の一致をどのように図るのか、という視野も含め平成の次の時代を考えねばならないのかもしれません。令和元年終戦記念日は、こうした日でもあるのですね。
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終戦の認識継承、この難しさは日本よりも一足先に多文化教生を実現させた同じ枢軸の盟友ドイツにおいて現実のものとなっています。その背景とはトルコ系移民の増加が戦後復興の短期労働者が定住化したことで顕在化し、結果的に民族差別というものも内包されているものと差し引くべきなのでしょうが、戦争に関する認識の多様化を生んでいます。
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ドイツの戦争認識は、特にシリア移民の急増とともに第二次世界大戦いおいて浮き彫りとなったユダヤ系ドイツ人への認識が、イスラエルとシリアの国家間関係を間接的にドイツ国内の過去の問題を掘り起こす構図として再認識させられることとなりました、ドイツへ帰化した場合、隣国が求めるような加害側としての認識を共有等は、できるのでしょうか。
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日本には永住外国人、その帰化にさいして、終戦の記憶を継承し且つ共有できるのか、という命題があります。永住外国人の多数を占める諸国では自国を被害者と位置づけた上で加害国という関係を戦後今日に至るまで継続しており、この二国間の問題が日本国内に置ける価値観の分断へ発展する懸念、という認識も必要です。何より民主国家なのですから。
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74年とは確かに応仁の乱に幕末や戦国時代と比較するならば検証は可能な領域、資料や文献は勿論、まだ当事者も存命です。しかし言い換えるならば、資料や文献は余りに増大であり、その体系樹は巨大化していることが全体の輪郭を画一化することを阻んでいます。更に74年前とは記録に映像と記録保全が定着した後の、情報過多の時代でもあります。それ故に情報の洪水下に曖昧模糊となる戦争を今後どう考えるか、未来への課題でしょう。
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