北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

憲法記念日二〇二四(1),日本国憲法施行の日は大日本帝国憲法が改正された記念日

2024-05-03 20:23:55 | 北大路機関特別企画
■本日は憲法記念日
 旗日であり祝日の一つではあるのですけれども本日は。

 5月3日、本日は憲法記念日の祝日です、日本国憲法施行の日、大日本帝国憲法が改正された記念日です。日本国憲法制定は太平洋戦争敗戦後、そして新生日本の建国を祈念して制定された、非常に先進的な憲法であり、たとえば男女同権が明示されている憲法は世界には未だ日本国憲法のみですし、平和的生存権の明記という点でも世界に先駆けたものが。

 憲法とはその国の制度を示した、構造、という単語と共通するものでありいわば日本のあり方そのものと倫理観や国家体制のあり方というものをしめした法体系です。ただ、実定法というような機能を有するものではなく、また併せて、刑法や民法などは明治憲法施政下に制定されたものであり、憲法の精神との、その齟齬なども幾度も問題視される。

 明治憲法と現行憲法の民法や刑法をめぐる齟齬というものは、昨今であれば同性婚の問題、少し前であれば象徴的なものとして義務教育でも教えられるのは尊属殺重罰規定、厳正に解釈すると憲法には冗長性のはばがあります、そして冗長性の幅を実定法のけんけつに当てはめたものが憲法解釈であり、その冗長性の幅も時折議論となる事は確かでしょう。

 58年、憲法記念日その都度にやはりNHKなどの政治討論番組などで論点となりますのは憲法改正という視点です。そして2024年は1947年から77年を経た年となるのですが、1947年というのが、明治憲法制定の1889年から58年を経ての憲法改正が日本国憲法なのですから、58年と77年、明治憲法よりも日本国憲法は長生きしているのですね、ゆえに。

 解釈という憲法の冗長性を考えるならば、それは司法と立法府の工夫とともになにより良心が試されるとも思うのですがしかし、その冗長性を無視絵現に認めてしまいますと文字通り憲法の立ち位置というものが曖昧になり、ともすれば空文化という問題が生じてしまうのではないか、憲法の意義の喪失、という懸念が生じることはご承知の通りです。

 九条、そして憲法問題を考える場合において避けて通れないのは、憲法九条の問題です。同性婚の問題や尊属殺人の問題に環境権やプライバシー権利、もちろん重大な問題ではあるのですが、個人の世界に関わる問題ではある一方で、安全保障に直結する九条の問題は世界そのものに関わる問題ではあるのですから、これは本題となりますが、重要な視点で。

 構造、国の方向性を示すものではあるのですが九条の問題は、しかし安全保障環境と軍事技術の基盤が根本から変容している中にあって77年の時間というものを考えるにはあまりに長すぎるのではないかという視点です。なにしろ憲法制定の1947年はアメリカが唯一の核保有国、ソ連さえも核実験の前であり、核兵器を保有していなかった時代なのですから。

 日本国憲法と日米安全保障条約は一体のものである、こう理解されるのはもともと日本が安全保障を依存する構想であったのは進駐軍による安全の確保であり、これは後に1956年に日本が国連加盟を果たしたのちにも国連警察軍のような超国家的な集団安全保障の枠組みも実現することはなく、日本の安保依存の基盤が形成されていました。

 憲法の問題、毎年のように考えなければならないことは、現実の議論と思いこみの議論、後者についてはフェイクニュースなのか無知なのかの分水嶺で議論が進むためにかみ合わない状況画議論を進められず、しかし危機というものは制御しなければ進んでゆくために制御せず放置することはかえって事態を危機的な方面へ導いているという認識も必要だ。

 九条を念頭に議論しますと、即座に徴兵制の話題をもちだして子供が戦場で死ぬという、論理の飛躍がありすぎるような展開が、これはWeb上などで散見されます、そして何度も同じ方が同じ投稿をしている場合もみられ、これはいわゆる認知戦なのか無知なのかというところが傍目にはみえなくなってしまうのですけれども。

 認知戦や接近拒否領域阻止という概念、憲法の安全保障を巡る問題で難しいのは日本国憲法施行当時には核兵器さえアメリカ一国が独占している状態であり、確実なパックスアメリカーナ、自由と公正という意味で、成り立っていた瞬間があるのですが、日本国憲法施行から僅か2年後にソ連が核実験に成功し、ここで平和憲法の土台は崩れていたのですね。

 1950年の警察予備隊創設、1951年の日米安全保障条約締結、1956年の集団安全保障機構である国際連合加盟、本来ならばここで解決しておくべきであった安全保障との向き合い方ではあるのかもしれませんが2020年代、ロシアウクライナ戦争と台湾海峡、そして朝鮮戦争という日本に影響が及ぶ緊張を背景に、今一度向き合い方を考えるべきなのでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和六年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2024.05.04-2024.05.05)

2024-05-03 20:00:10 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 みなさまゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。

 今週末、自衛隊行事はありませんが、アメリカ軍行事が執り行われます、岩国日米フレンドシップデイ2024、日本最大の航空祭です。それは過去、厚木基地航空祭が日本最大の航空祭であったのですが2004年を最後に引こう展示を騒音問題への配慮から執り行わないようになりまして、地上展示中心に、このため来場者が飛行展示終了後は減少している。

 岩国日米フレンドシップデイは大規模な機動飛行や編隊飛行なども展開する迫力の航空祭となっています、もっともなかなか行くことが難しい航空祭でして、その背景には広島市という大都市近郊に所在する岩国市、広島でのゴールデンウィーク中の行事などにあわせて相当市内の宿泊施設が混雑し、ホテル確保の難しさという事情があったりするのです。

 岩国、ブルートレイン富士はやぶさ号現役の時代には夜明け前に岩国に到着するということで、深夜に出発して夜明け前に到着するのだけれども夜行バスと違って寝台を利用できるので疲れず時間を有効活用できる、という利点があったのですが、新幹線で当日ゆくにはちょっと新岩国からが混雑が厳しく、シャトルバス行列も、という混雑の航空祭という。

 岩国基地は、しかし滑走路を瀬戸内海側に新設した関係で騒音問題がかなり改善されるとともに2000年代以降沖縄国際大学への普天間基地ヘリコプター墜落問題をうけての安全性への取り組みということもありまして、海上への滑走路移設で安全性についても解決しました、そして同時に有料席の設置されたことでも話題になったものですが、それがいまは。

 岩国の有料席は最初に設置されたのが当日先着順でしたが、徐々に前売り券、チケットセンターなどで購入できるようになってゆきましてその後はかなり写真撮影席で10000円と高額となってしまった、アメリカ本土のエアショーと比べても割高であり、そして数もかぎられていたことから少々難渋する航空祭となりまして、渋滞などでも知られる航空祭だ。

 最近いっていない航空祭だけに、毎年開催される時に入っているという方の話を側聞しているだけというちょっと不明瞭な話題で申し訳ないのですが、ナパーム爆破がアメリカ本土の航空祭並に迫力があるといいまして、航空祭では珍しく訓練展示、海兵隊地上部隊による模擬戦闘もおこなわれるとのこと、混雑に強い方は是非、飛行展示は迫力の行事です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・5月5日:岩国日米フレンドシップデイ2024

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-三条壬生,すずやだよ!賑やかな喫茶店だねっこれからよろしくねっ!

2024-05-03 14:18:35 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 金曜日ですからカレーの話題といたしましょう。

 榛名、護衛艦はるな艦名として踏襲されたわけですが世界各国の海軍は慣例として過去の殊勲艦や功労者の名を艦艇に踏襲させる事が多く、心の寄る辺というようなものを歴史に期待しているのでしょう。ただ、偶然店の名が艦艇の名と重なっている事も多い。

 鈴谷、もがみ型護衛艦の艦名として期待してしまうのですが、艦名の由来となりました鈴谷川は樺太の地名で、良いや返せ北方領土的な覚悟でっもなければ踏襲させられないものですが、能登半島に鈴屋川という河川があるのですよね、とまあそんな感じで。

 SUZUYAだよ、賑やかな喫茶店だねっこれからよろしくねっ!、という話題が本日のグルメ日誌というもの。ここは三条商店街という京都でも屈指の長さを誇るアーケード街をちょっと外れたところでして、そう、舞鶴に向かう山陰本線の二条駅からすぐちかく。

 鈴谷、と同じ名前だからというわけではないのですが、二条駅から近いとともに、大宮駅からふらりと三条通りの、具体的にはそこに隣接する地下鉄東西線とかの駅、その方向に散策していましてみつけるというような喫茶店ですが、カレー、の看板が目立つ。

 喫茶店というと喫茶の茶がつくのに珈琲ばかりというのはなんでなんだい、とは友人の珈琲が苦手な方の話でなんでなんだいといわれてもこまってしまうのだけれども、それいぜんにここSUZUYAさんは珈琲より名物がある。珈琲も焙煎室を置くほど注力して。

 珈琲もおいしいけれども、今日はカレーにしよう、ということで。ここ、昭和からある通りの喫茶店というところで、落ち着いて時間を過ごせるような、こじんまりだが良いイス好いテーブルとそほのかの調度品、珈琲も薄住めといえるのですが。

 カレー、ここSUZUYAさんはカレーを朝からいただけるということで名高い。金曜日とか朝からカレーをいただこうという時にもう重宝するのです。しかも喫茶店のカレーというような侮るなかれここSUZUYAさんのカレーは本格の中からビーフカレーという。

 スパイシー、というもの、独特ですよね、カレーですよといいましてもどんな味でしょうかと問われればスパイシーのひとことで、しかしそれぞれ個性があるのだけれども説明が難しいけれども、おいしい、という一点では確かなところがありまして。

 カレーは単品ではなくサラダもついていますので、ちょっと見た目は鮮やかになりましてうれしいところ、そして出来合いをさっとだすようなこともなく、再度煮込んでできたてをご飯とともに添えて出されまして、そそぎ込む満足感からここのカレーは始まります。

 三条通りにはおいしいお店がたくさんあるのですけれど、朝からカレーをいただけるのはここくらいではないかなあ。そして中辛をそそいでいくのですが、とろっと系ではなくどろっと系の正統派カレー、しかし不思議とほかには二組のみという店内にて。

 金曜日にカレーをいただくのは海上自衛隊の影響というべきなのかもしれませんが、連休や仕事が立て込んでいるときなどはどうしても一週間の曜日感覚を意識する必要がありますから、敢えてカレーを食事の計画にに含めておくというのは、大事なのやも。

 スパイシーを楽しめる喫茶店なのですが、ちゅういしなければなならいのはここ、早い時間帯から開いているいっぽう、営業時間は夕方までとなっていますので、散策のついでにのんびりとよってみますと、この時間帯は栄ぎゅじかんを外れてしまっていたり。

 SUZUYAさん、アーケードがひろがる三条商店街には、いやアーケードを抜けた先にも新京極通りまで実質的においしいお店が転々としているのですけれども、寺社仏閣探訪には絡めずに散策する京都の、ちょっとおもしろい寄り道ができる喫茶店の一つです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】真如堂-観桜,比叡山を借景とした庭園拝観と開山戒算以来の戦乱と火災と再開発に転々とした歴史

2024-05-03 07:00:25 | 写真
■此処に真如堂あり
 京都には古い寺院は数多いけれども歴史にもまれることを避けられた寺院は数少なくこちらもそのひとつ。ここに真如堂ありという歴史は実は比較的新しいのです。

 真如堂、美しい伽藍とともに今日此処にあるのですが、戒算が比叡山を降りて創建しました寺院は神楽岡東の東三条院詮子、源氏物語が描かれた時代の一条天皇生母、その離宮に安置されていたのですが、やはりといいますか応仁の乱に巻き込まれ堂塔は焼失します。

 応仁の乱においては琵琶湖畔などを転々とするのですが動乱期が終わりますと先ず一条西洞院に寺地を改め、そして創建の地神楽岡にもどることとなるのですが、しかし将軍足利義昭の命により一条通北に移転することとなり、ようやく本堂などを再建するのですが。

 豊臣秀吉の時代となりますと一条通北には聚楽第建設を行うこととなりまして京極今出川に移転を強いられます、ここで江戸時代を迎えるのですが、寛文元年こと西暦1661年に本堂が火災で焼失、再建するも元禄5年こと1692年にはまたしても本堂が焼失してしまう。

 東山天皇の勅を受けまして元禄6年こと1693年にこの現在地に移転してくるのですが、それから三百余年、幸いにして今日まで無事に在ります。そして、庭園が昭和にはいり大きく整備される事となりまして、拝観の際に当地の位置を再認識することもできるのですね。

 比叡山を借景に、重森三玲の大胆な借景の作庭は、確かに現代的で時には少しいきすぎを感じる直線の使い方があるのですけれども、得度したこともあります重森氏の寺院庭園には、無理に華美さを強調するようなところはなく、いわれてみると仏教的だ。

 重森氏の作庭しました庭園は京都には実のところ数多く、しかし聞きますと京都以外ではそれほど頻繁にみるところではないという、もっとも拝観できる庭園が徒歩圏内にいくつもあるところは、鎌倉とか奈良とかになってしまうのかもしれませんけれど。

 比叡山を借景とした庭園は洛北にもいくつかあるのですが東山のほうに向かってしまいますと逆に近すぎるということなのでしょう、急に少なくなってしまいまして、しかしここ、狭く腰掛けてゆったりみられる場所も広くはないのですが、この日は人が。

 庭園拝観というものは、考えてみると靴を脱ぐ一動作で気分一新、というほど単純なものではないのですけれども、靴下だけの裸足で堂宇のなかの新鮮な床の上を歩みその向こうに情景をながめるということで、時間をぜいたくに使い確かに気分がかわってゆきます。

 寺院、わんこ散歩が例外的に認められているのがここの不思議なところでして、ただ粗相してそのままという事例が若干あるようでその注意書きがあるという。わんこ散歩、盲導犬さえも却下というところがある訳ですから意外といいますか不思議なのですよね。

 涅槃図をみますと、わんこさんも含めてお釈迦様の入滅を悲しんでいる様子が描かれているのをみますと、粗相さえしなければわんこさんにゃんこさんも歓迎、というのが本来の寺院のあり方なのでしょうか、昔のわんこさんに関する考え方の不思議ともいえる。

 特別公開される涅槃絵図はここともうひとつ本法寺のものが有名ですけれども、堂々足るというのでしょうか、ここまで大きなものを時間をかけて描いたわけですが、その熱意とともに大きさが、絵図を美術本などでみるとは次元が違う圧巻というひとこと。

 お釈迦様の入滅、その様子に多くのゆかりある人々とともにあらゆる動物たちが嘆き悲しんでいる様子を、壮大といえる大きな絵図としたもので、いやこれ今の時代に長い歴史を越える中でよく自重で破れなかったものだ、ともその一点でも感慨深いものですよね。

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