北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】西来院,経文と歴史は庭園美超える哲学との融合求められる寺院の庭園

2024-05-29 20:23:16 | 写真
■天井は近すぎた白龍
 物事には融合といいますかそれそのものとの調和こそが大事であり調和が無ければ均衡を欠いて物事は崩れてしまうのです。

 西来院には新しく白竜も描かれているのですが、天井が低すぎてちょっと見えない、押しかかってくるというよりも描く場所を間違えたという感じさえして、法堂で小泉画伯の双龍図を見上げた後だけに、拝観する順番を間違えたかなあ、と少し考えてみた。

 天井画については、ちょっと、考えているのかなあ、とも思いまして。いや考えた末ではあると思うのですが、絵画としては美しいといいますか素晴らしいものがあるのですけれども、ちょっと天井の高さを考えずに書いたのかなあ、という印象が否めない。

 龍の、雲龍でも蒼龍でも、今を生きる芸術家としてもっとも尊敬するとともに、京都の寺院にもたびたび壮大な龍の絵図を、多くは襖絵というかたちなのですけれども寄進してくれていますのは、元総理大臣で細川家当主の細川護熙氏、このひとにはかなわない。

 細川護熙さん、建仁寺にも襖絵を、こちらは龍ではないのですけれども本坊のほうに描かれていまして、ちょっと進歩的過ぎやしないか細川内閣のように、とおもえるのですがじっと腰を据えて新緑の季節に景色の一つとしてみていますと、不思議と調和していて。

 龍については龍安寺がもっとも印象深いところではあるのですが建仁寺も、新緑の季節はもちろんなのですが、紅葉の季節を超えて真冬の寒さの中に見ますと、同じ色彩だろうか季節により変えているのだろうかと思うほどに春夏秋冬、溶け込んでいます。

 小泉淳作画伯が法堂に描いた天井画などは息をのむような迫力とともに語り掛けるような、なにか人を超越したものを、こういうのを畏敬というのだろうなあ、知らせるような構図に感動しましたこともありまして、ゆえにわたしは新しいものがダメではない。

 小泉博氏の実兄というのも好感度を底上げしているのかもしれませんが、モスラとモスラ対ゴジラの印象が強いのですがサザエさんのマスオさんというイメージも何か懐かしく、日本のいちばん長い日では和田信賢アナウンサー役が印象深かったのですが。

 寺院の美術というのは難しいのですが、まず調和しているのか、ということが重要になるように思う。しかし、謂れと歴史と哲学に調和さえしているならば、意外と突飛なものであっても風景の一部に、つまりそれは歴史の一部なのだ、溶け込んでしまう。

 法堂に守るように描かれた双龍は、龍という存在が欧米でいうところのドラゴンではなく龍という人知の先にある畏敬の対象としての存在なのだ、という事を、信仰の守り手という印象で見せてくれるのですが西来院の白竜は何処まで行っても竜なのです。

 幡龍図、実はどの程度、迫真に行っているかよりも調和というものが重要だと学ばされたものがありまして、いっけん、こんなものかあ、と思いつつしかし華美を排して法堂の情感と寺院の立地に見事に調和している事例が、場所は妙興寺、名前で行った。

 妙興寺という、いきなり愛知県一宮市の話題なのですが、有名な画家の友人が天井に描画したという法堂の幡龍図があります、こちらは優美化といえば少し滑稽のような、しかし存在感のある天井画となっていて、調和とはこういう事なのだと前に感心して。

 みょうこう、という山号は妙高ではなく妙興寺なのですけれどもイージス艦のような名前だなあと遠く拝観に行きました際に、調和というものの大切さを学んだように思う。西来院の龍も、しかし時が場面と調和させてくれるのか、と願い拝観を了としました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】西来院,躑躅が美しい季節に拝観へ歩み進めた再興なった寺院庭園

2024-05-29 20:01:21 | 写真
■蘭渓道隆の世界
 百年以上にわたり拝観できなかった荒廃から再興成った寺院があるということで半分好奇心を押えつつ拝観へ歩み進めました。

 建仁寺の塔頭、ということで、しかも山内塔頭というのだから本坊とは文字通り指呼の距離にあるのですが、ちょうど躑躅が美しい季節でしたので、そういえば下志津駐屯地のツツジ祭も長いこと行っていないなあ、と少ししんみりしてしまいました次第でして。

 西来院、開基は蘭渓道隆という13世紀の建仁寺のかたによるもので、当初は清本院という小さな庵であったということですけれども、のちに短期間で荒廃することとなりまして、しかし応永年間の、西暦では1394年から1428年のころ、再興することとなります。

 道隆四世の法孫大宗が清本院を再興するさいに山号を西来院と改めたことで今の位置に。今の位置と書きましたのはやはりといいますか応仁の乱で全焼してしまい、そして再建成るも天文法華の乱でまたしても全焼、江戸時代の慶長年間以降に再建され今に至る。

 再興ではなく再建としましたのは、いまの令和時代がまさに再興の時代と言えるからでして、具体的に言えば庭園が整備されて一般公開となりましたのがまさに今年の2024年という。落慶法要が3月といいますので、第10偵察戦闘大隊と同じくらいあたらしい。

 寺院の作庭というのは、難しい。重森三鈴さんの策定などは新しいのだけれどもなにか仏教哲学との不思議な融和があって説得力があるもので、それは画家を志したあとでの挫折を出家という一段落置くとともに環俗の際に改名した出自とかかわりがあるのか。

 重森三鈴の作庭は仏教庭園に関する造詣というものが付け焼刃ではなく、それこそ枯山水庭園はもともとの意匠をいしきしつつ、自分の作品を寺院に策定するという自己満足ではなく、あくまで寺院の歴史を説得させる納得の出来というのがかんしんします。

 中根金作、20世紀に活躍した作庭の大家といえば、維持するのは大変だろうなあ特に百年二百年後、と危惧するものの世界からは日の本いちの庭園、と名高い島根県の足立美術館庭園を作庭した作庭家のかたの、お孫さんが西来院の作庭を手掛けたという。

 中根行宏と中根直紀、中根兄弟として中根庭園研究所という中根庭園の維持とともに新しい時代の造園を手掛けているとともに研究しているという。新しい時代に策定する、となりますと、寺院の意匠がそのまま策定に反映される岡垣になります。

 寺院といえば、なにしろ作家の自己満足のようなプロジェクションマッピングを夜間拝観の際にやられてしまいますのを目の当たりにしていることも多く、この点、これが寺の解釈なのか、どうしてもこういうはやり物は京都駅とか東京都庁とかでやってほしい。

 建仁寺の末寺のひとつ、あえて名前は伏せるのですが、夜間特別拝観に合わせて枯山水の白洲にスプレーで染色した事例がありまして、それもおおざっぱといいますか、素早くやらなければ構想が飛ぶということなのか、速さだけの粗い仕事の展示をみたことが。

 二度とやらないところをみますとやはり拝観者、というよりも檀家さんかなあ、評判が悪かったのでしょうか、寺院の庭園ではなく自己表現の場に選んだのがたまたま寺院であったので仏教的な言い訳を適当に考えたような展示にちょっと怒り覚えたことも。

 しかし、ここ、西来院の作庭は開山の蘭渓道隆がかつて大陸に渡り修行したという中国の峨眉山を再現するべく、なんと峨眉山から庭石を取り寄せての作庭といいますので、いまは現場の岩を持って来れるのか、と現代物流の規模の大きさに妙に感心しました。

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ウクライナ情勢-ロシア軍アフリカ軍団ウクライナ侵攻と東部戦線チャシブヤール・ポクロフスク・クラホフ

2024-05-29 07:00:56 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ戦争
 本日は記事文章は兎も角として合せるそれらしい写真も無いので舞鶴に過去親善訪問しましたロシア艦の写真で代用です。

 ロシア軍はアフリカ傭兵部隊による肉弾攻撃を攻撃準備段階で行っている、ISWアメリカ戦争研究所ウクライナ戦況報告5月21日付発表によればウクライナ軍軍事オブザーバーであるマショヴェッツ氏の発言を引用するかたちで、ロシア軍アフリカ軍団と呼ばれる傭兵部隊がウクライナのリプシ近郊における戦闘に投入されているとした。

 アフリカ軍団に関する情報はこのほかにもレニングラード軍管区第44軍団の内部情報を調査するウクライナ義勇情報部隊"アテシュ"がアフリカ諸国出身のアフリカ系戦闘員をハリコフ州北部で戦闘に投入している情報を入手しているとISWは紹介しています。このアフリカ軍団はアフリカでの戦闘経験を有する戦闘員で構成されているという。

 アフリカ軍団の戦闘員による攻撃はロシア軍が攻撃を加える前に肉弾突撃をおこなう要員として充当されている、ISWはハリコフ州北部の匿名ウクライナ軍人の発言も紹介しており、アフリカ軍団の行動は局地的なものではなく広範に行われ、また使い捨てのように、損耗をかなり前提とした運用が為されているとも分析しています。
■防衛情報-ウクライナ戦争
 ゼレンスキー大統領の発言です。

 チャシブヤールとポクロフソクに注意を払うべきだ、ウクライナのゼレンスキー大統領がロイター通信の取材に応じた際の発言をISWアメリカ戦争研究所が5月21日付ウクライナ戦況報告において紹介しました。これは、ハリコフ州での情勢はここ一週間にわたり安定しているが危機的となっている東部戦線を世界はみるべきだ、という。

 ロシア軍の攻撃は東部戦線の三カ所で強化されている、三カ所とは、バフムト近郊のチャシブヤール、アウディイフカ近郊のポクロフスク、ドネツク西部のクラホフ、としています。一方、ハリコフ州のリプシ近郊での戦闘はロシア軍が最初の急激な前進ののちに急激に減速したとしており、逆に東部戦線の攻撃が強化されているとした。

 ハリコフ州での戦闘はエコノミスト誌がロシア軍攻撃計画閲覧を報道していて、ISWが引用したところによればロシア軍の目的はハリコフ市内を砲撃できる位置まで72時間以内に前進、それはハリコフ市の北東20km地点、国境からは16kmの距離にあるボルショヴァと、国境から50kmのヴォフチャンスク南方にあるペチェニヒを占領するという。

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